戦争が終結すれば平和が訪れる、などというのは理想であり幻想であるとグレゴは良く知っている。傭兵という職業に身をやつしてからというもの、各国の小さな内戦などで戦地を巡ってきた彼は、戦の最中は勿論その後も暫くは雇われ先に困らない経験をしており、それは即ち戦後暫くは治安が悪い事を物語っている。十数年前のイーリスとペレジアの戦争の後など、まだ駆け出しの若造であった自分でさえ引く手数多であった事をグレゴは覚えていて、だから今回の戦争の後もきっとそうなるのだろうとペレジアの荒涼とした大地に転がるペレジア兵の遺体を見ながらぼんやりと思っていた。
果たしてそれは的中しており、ペレジアの暗愚王ギャンレルをイーリスの聖王代理であるクロムが倒した戦の後、王を失い更に治安が悪くなったペレジアに残ったグレゴは食うに困らなかった。暑がりである彼にはペレジアの日差しは辛かったが、実入りは多いので文句も言えず、のさばる野盗だけではなくてどこからともなく湧き出る様になってしまった屍兵と呼ばれる化け物を相手に剣を振るっていた。生身の人間が相手であれば急所も狙いやすいが、屍兵相手は慣れないと霧散させる事が難しい。しかし彼は僅かな期間であったけれども屍兵との戦闘も心得ていたイーリス軍――取り分けクロムの側に居た軍師とイーリスの眼鏡を掛けていた女魔道士がそれなりに分析して倒し方のコツを教えてくれていたから、どうとでも対処出来た。生身の人間を殺すのと死んだ人間をまた殺すのはどっちが嫌だと思うもんかねえと答えの出ぬ様な事を考えていたものだ。

月日が流れるのは早いのか遅いのかグレゴには判別がつきかねるけれども、ペレジアで屍兵を倒したり金持ちの護衛をしたりする日々はそれなりに経過しており、気が付けばあの戦からそこそこの日にちが経っていて、グレゴの耳にもイーリスの聖王代理に第一子が誕生したという情報は入ってきた。相変わらずペレジアは余り治安が良くはなかったが、それでも戦の直後よりは随分と安定してきていたから、グレゴもそれなりに酒場に行く暇が出来つつあった。暫しの安寧は人の心を落ち着けてくれるし、有難いものではあるけれども、雑然とした場末の酒場はどこの国でも殺伐とした雰囲気に包まれている。だが、グレゴはそんな空気が好きだった。若くして剣を取らざるを得なかった彼には静かで穏やかな場所はかえって不安になる。
そんな酒場で顔見知りになる者もそこそこ居て、矢張り裏稼業の者達ばかりだったが、彼らはペレジアもそろそろ見限ってヴァルム大陸に行くかなと話す者が少なくなかった。聞けば、海を隔てた隣の大陸の隅にある帝国が瞬く間に強大な力を以てして大陸を制覇しようとしているのだと言う。グレゴも皇帝ヴァルハルトの名だけは聞いた事があって、なるほど確かにペレジアよりはそちらの大陸の方が職がありそうだと納得もした。が、生来の面倒臭がりである彼には船で海を渡るという行為が煩わしく思えて、まあ行くなら元気でなと言っただけだった。
ただ、その話を聞いた時、きっとその皇帝はこちらの大陸を目指してくるだろうとも思った。男というものは己の力を試したがる生き物であるし、進出出来るのであれば仮令海を隔てていようが構わず来るだろうと予測はついた。イーリス大陸に主要な港はそれなりにあっても軍隊が押し寄せて来れそうな場所はフェリア港しか無い。西フェリアが危ねえかもなあ、とグレゴは思ったが、フェリアだろうがイーリスだろうが抜け目のない者が居るのだからそんな情報はとっくに入手しているだろうし迎え討つ準備くらいは進めている筈だとも思った。
ペレジアとフェリアの国境にほど近い街の酒場の女将が顰めっ面でまた戦が始まるのかねえ、物騒な話は嫌なもんだよと言ったのに対し、グレゴは笑いながらそうかも知れねえけどそれが俺らの飯の種だからなあ答えた。不謹慎かも知れないが、戦で生計を立てている輩も数多く存在する訳で、グレゴはまさしくその輩の内の一人だ。傭兵など戦場でしか必要とされないのだから、彼の生きる場所は戦場でしか有り得ない。恐らくその戦場が提供される事になるのだろうと思うと、本当に不謹慎だがぞくぞくと体の奥から歓びが沸く。彼の家族はとうの昔に喪われ、天涯孤独となっているから、誰もグレゴがそういう歓びを抱く事をおかしいと指摘する者は居なかった。

そんなある日、掘っ立て小屋の様な安宿を塒にしていたグレゴの元に、一通の手紙が届いた。差出人はイーリスの軍師で、行方も分からないだろうから手紙が届くというだけでも凄いのに、その内容も凄かった。たった一行、フェリア港にて再雇用するとだけ書かれた手紙に、思わずグレゴは声を上げて笑った。そこまで来いってか、拒否権ねえのかよ、と思わず手紙に対してつっこみを入れてしまった程だ。

短い様で長かったそれなりの安寧は、間もなく破られる。クロムがギャンレルを打ち破ってから、実に二年の歳月が経とうとしている。あの砂塵の中、ギムレー教団に追われていた所を保護して貰って成り行きで雇われ、ペレジア王を討つ為の戦を戦い抜いてから二年だ。二年か、それだけ休めたんだ、上等だ、と、独りごちた彼は勢い良く寝台から起き上がり、椅子の背凭れに掛けられている使い古されたタオルを掴んで部屋を出た。何せ二年ぶりに会う女共も居るのだ、まずは顔を洗って髭でも剃ろう。