地面に大の字になり、眠っているのか単に目を閉じているだけなのか、規則正しい呼吸をしている男の側に静かに誰かが歩み寄る。顔を覗き込んでも目を開けようとしない男に、その誰かは靴の先で男の頭を小突いた。

「いてーぞ、蹴るんじゃねえよ」
「生きてるか確認しただけだろ?」
「見りゃ分かるだろーが」
「起きないお前が悪い」
「ったく、人使いも荒けりゃ生存確認も荒い軍師様だぜ……」

不機嫌そうに上体を起こした男に軍師と言われた彼は手を差し出したが、男はその手を借りようとも立ち上がろうともしなかった。ただ自分の前に広がる光景を特に何の感慨も無く眺めて目を細めただけで、その場から動かなかった。どっしりと腰を下ろしたまま胡座をかき、汚れた手でバリバリと頭を掻く男に、軍師は近くに落ちていた剣を拾って寄越した。

「いらねえよ、もうそりゃ使えねえ」
「え、そうなのか?」
「よーく見ろ、細い亀裂が入ってんだろ。刃毀れも激しいし。
 量産型の剣だしな、よく持ち堪えた方なんだぜー?」
「そうか……、随分と激しい戦闘だったみたいだしな」

疲れた様な男の声に、軍師はあっさりと剣を放って男の視線の先を共に見る。緩やかに西へと向かおうとしている太陽の他には雲ひとつ無い美しい青空とは裏腹に、彼らの眼前には幾多もの死体が散乱していた。誰のものであるのかも分からない腕、馬に踏まれたのか損傷が激しい体、既に変色して元の色を留めていない地面に染みた血、踏み荒らされた大地は、何度見ても気分の良いものではない。長い事そういう場所を転々としてきた男でも、犠牲を多く見る事になると覚悟して策を編み出してきた軍師でも、自然と目を細めてその光景を睨むように眺めてしまった。

帝国軍の本隊ではなく、偵察隊も兼ねた小規模な別働隊を叩いてきて欲しいと軍師に言われた男は、要望通りに僅かな人数を率いて部隊を壊滅させた。しかし小規模とは言え訓練された軍人相手は中々手強く、軍師が思っていた以上の戦力がその部隊には割かれていた様で、こちら側も大きな被害を受けた。生き残ったのは、この男だけだ。

「すまん、俺の読みが甘過ぎた。
 もう少し連れて来させるべきだった」
「俺に謝ったって仕方ねえだろー?」
「お前も死んでいたかも知れないだろ」
「傭兵なんざいつどこで死んだっておかしくねえんだ。
 使い捨てられる事も珍しくねえしな」
「俺がお前達を使い捨てたとでも?」
「ものの例えだ、睨むんじゃねえよ」

戦況が厳しくなっていく中、軍師の肩に伸し掛かる責任というものは日に日に増していく。夜遅くまで戦術書を片手に地図を広げ、どうにか被害を最小限に抑えようと模索している軍師にとって、男の使い捨てという言葉が癇に障った。しかし男は面倒臭そうに否定し、顔を逸らして口の中に溜まった血を吐き捨て口元を拭った。男に大きな怪我は無いが、それでも腕を守る為の籠手や脛当て、バックラーの損傷具合が戦闘が如何に激しかったかを物語っている。

「何回経験しても、気分は良くねえなあ」
「……一人生き残る事が、か?」
「それもあるし、俺より若ぇ奴が目の前で死ぬのもな」
「………」
「望んで武器をとったかどうかなんて俺ぁ知らねえし、
 戦場に居る以上は老若男女関係ねえけどよ、
 やっぱ順番は守って貰わねえと嫌なもんだよなー」

男が連れていた兵士達の大半は、彼より年下だった。そんな若い者達が、彼の目の前で死んでいった。よりによってこんな晴れた空の下の昼日中であったから戦闘が終わって数時間経った今も男の目にその光景は焼き付いているし、耳の奥には断末魔が残っている。無念の表情を浮かべた死体は、男の視線の先にあった。軍師も男も、その死体の生前の人格や人柄を思い出そうとしてすぐに止めた。

「なあユーリ、煙草持ってねえか」
「酒ならある」
「くれ」
「消毒用だぞ」
「構わねえよ、くれ」

胡座をかいていた足を投げ出し、両手を後ろでついた男は軍師を見上げて嗜好品を所望した。怪我の応急処置の為にウォトカなどの度数の高い酒を携帯する事をユーリと呼んだ軍師に勧めたのはこの男だ。彼もまた普段から携帯しているのだが軍師が来る前に傷口の消毒に全て使ってしまい、戦闘後の昂ぶりや誰一人として助ける事が出来なかった遣る瀬無さや悔しさ、無力感をどうにか鎮めたくて、ユーリにねだった。いつもは渋るユーリも今日ばかりは文句を言わず、真鍮製の携帯水筒を男に渡した。

「なあグレゴ」
「んー? 何だあ?」
「恨んでくれて良いぞ」
「恨まれない方がキツいって再確認する良い機会を作ってやろうじゃねえの」
「ひどい奴だな」
「どの口が言ってんだあ?」

水筒の酒を呷ったグレゴと呼ばれた男は、ユーリが言った言葉に対し彼を横目で見る事もせず要望を拒んだ。憎んだり恨んだりされた方が余程ましだという経験を、ユーリは以前エメリナの救出に失敗した時に嫌という程味わっている。それを再度与えてやると言ったグレゴにユーリは苦虫を噛み潰した様な顔をしたが、そんな彼にグレゴは呆れた声を上げた。


「俺がお前を恨むだけでこいつらが生き返るなら、いくらでも恨んでやらぁな」


喉を焼きながら臓腑に落ちていくアルコールは、しかしグレゴの胸の内のどす黒いヘドロの様なものまでは落としてくれず、ただ彼の眉間に皺を寄せただけだった。彼らの頭上に広がる空は、少しずつ茜色に染まる時間になろうとしていた。