不満気な顔をしたロランが、魔導書を手に野営の中を歩く。普段無表情である彼が感情を顔に出すというのは珍しいが、とにかく彼は今己の中の不満を隠す事をしていなかった。それに対して理由を尋ねる者も居らず、頭を冷やす為に一人になろうと天幕の間を縫う様に歩いていた。
何もその不満はロランのものだけでは無い。未来から来たイーリス軍の戦士達の子供にあたる者達は一様に感じていた不満である。彼らは過去に来てこの軍に合流してから間もないが、それでも自分の両親に正体を明かす事が出来ている。そしてこの世界の未来を変える為にも共に戦いたいと願い出たのだが、軍師であるルフレはこう言った。


―――君達はまだ子供なのだから前線にはまだ出せない。後方支援に徹してくれ。


その言葉はロランだけではなく、ルキナを始めとする未来から来た子供達に反感を買ったのだが、ルフレのみならずクロムも大真面目に頷いてそうしてくれと言ったし、何よりルフレが一言の反論も許さない様な目付きでロラン達を射抜いたので何も言う事が出来なかった。ルフレは時として軍の中で一番恐ろしい目をする。恐らく、クロムもそうであるが全軍の命をその肩に背負っている軍師というポジションに居るからなのだろう。
ルフレから学びたい事が山程あるロランは付き人の様に軍師業の手伝いをしているが、そんなルフレから戦闘には出るなと言われた事はショックだった。ルキナもロランもその他の子供達も、皆武器を持って戦う事は出来る。それを、「子供だから」という平凡な理由だけで前線には出せないと言われた事は納得いかなかった。特にロランはルキナ達より5年も早くこの世界に来てしまったから、イーリス軍最年少とも言えるだろうリヒトより年上なのだ。リヒトはロランと同じく魔導書を操り、戦場に立っている。プルフの力を借りて更に魔力を高め、剣士達の相手は厳しいとは言え杖も携え前線で戦っている。リヒトには前線に行く様に命じる癖に、自分達には後方支援に徹しろと言うルフレの言にロラン達が納得しなかったのも、当然の事と言えた。

「どうしましたロラン、機嫌が良くなさそうに見えますね」
「あ…、母様。はい、仰る通り、少し気が立っています」
「ふむ…。普段余り怒る事が無い貴方には珍しい現象ですね。
 原因を聞いてもよろしいでしょうか?」
「は、はい、聞いていただけるものなら…!」

一旦心を落ち着ける為、何も考えずに書物でも読もうと皆が憩いのスペースとして使う天幕に母であるミリエルが置いている書物を取りに来たのだが、偶然にもそのミリエルが同じ様に書物を取りに来たのか声を掛けてくれたので、ロランは渡りに船だと言わんばかりに頷いた。彼にとって過去のミリエルは母の側面もあるが師として尊敬する側面もあり、そんな彼女に悩みを相談出来る事はこの上なく恵まれていると思っていた。



「…なるほど、ルフレさんから前線に出てはいけないという通達が出たのですね」
「はい」
「その理由が子供であるから…、その部分に納得がいかないと、ロランは思うのですね?」
「…はい」

自分と夫が使っている天幕にロランを迎えてくれたミリエルは、手ずから淹れてくれた茶をロランに出しながらそう聞いた。説明は短く要点のみを、と躾けられていたロランは母の教え通り端的に自分の機嫌が悪い理由をミリエルに伝え、それはどうやら彼女の気には障らなかったらしく、途中で「要点だけ話しなさい」と言われる事も無かった。本物の(と言っては目の前のミリエルに失礼だが)母は幼いロランに良くそう言ったものであったから、今話を聞いて貰ったミリエルに怒られなかった事にひとまずほっとしていた。どうしてもロランは、ミリエルと話す時は緊張する。彼女の機嫌を損ねたくないと思うからだ。

「確かに僕達は未熟かも知れませんが…、それでも戦う術は知っています。
 戦力である以上、母様達が前線で戦っているのを後方で見ているだけというのはつらいです」
「そうですね、貴方達は未来でずっと戦ってきた訳ですから…
 手をこまねいて見ているのは納得いかないでしょうね」
「それに、言っては何ですが、僕はリヒトさんよりも年が上です。
 なのにルフレさんはリヒトさんの事をきちんと大人扱いするではないですか。
 …納得いきません」
「………」

ルキナやロラン達は、未来で両親を亡くしてからというもの、ずっと武器を手に戦ってきた。自分を守ってくれる者が居ないのであれば、自分達で戦う他に術が無い。幸いにも彼らは両親から武器の扱いというものを教えて貰えていたから、襲ってくる屍兵から何とか身を守り逃げ果せる事は出来た。そうして、今こうやって過去に辿り着けた。二度と自分達の両親を喪わない様に、そしてギムレーの復活を阻止する為に。
なのに、ルフレは自分達も戦うと言ったロラン達に対し、共に戦う事を許してはくれなかった。側に居る事は容認しても、戦場に出る事を暗に禁じた。それがルキナやロランといった子供達に不満を抱かせた。言葉が少ないルフレはその理由は自分達で考えろと言わんばかりにそれ以上なにも言わずに解散させたのだ、ロランの怒りも尤もであっただろう。
しかし、ミリエルはカップの茶を静かに、音も立てずに口にした後、眼鏡のずれを直してから意味深な頷きを一度した。

「なるほど、ロランの言い分も尤もですが、私もルフレさんに賛成です」
「え…」
「貴方達はまだ前線に出るべきではありません。
 少なくともロラン、貴方は出るべきではない」

ミリエルの言葉に硬直したロランは、ショックの余り声が出せなかった。勝手な言い分であるが親は、母は、子供の味方をしてくれるものだと思っていたものだから、仮令まだこの世界で自分が生まれていないとは言え将来生まれる自分の母になるミリエルから言われたその言葉はロランに多大なショックを与えた。
ただ、ミリエルはルフレとは違い、言葉足らずではなかった様で、呆然とするロランに更に続けた。

「確かにリヒトさんは貴方よりも年下かも知れません。
 ですが彼は従軍を禁止されたにも関わらずペレジアの国境付近で攫われたマリアベルさんを助け、
 その後ペレジアとの戦が終わるまで魔導書を手に戦いました。
 …分かりますかロラン、彼は生身の人間を相手に魔法を使っていたのです」
「………あ…」
「貴方達は優れた戦士です。それは見ていれば分かります。
 魔法を、剣を、槍を、斧を、各々の武器を使える立派な戦士です。
 ですが、未来で貴方達が武器を手に戦ったのは屍兵相手であった…
 違いますか?」
「…違い、ません…」

投げ掛けられた指摘に目を見開いたロランは、ミリエルの真っ直ぐな視線に身動きが取れなくなってしまった。その瞳の強い光は、どこかルフレのそれに似ている気がする。その時ロランは、漸くルフレが軍師という立場ではない視線で前線に立つ事を禁じた事に気が付いた。

「生きた人間に対して武器を向け命を奪う事は、相当な覚悟が必要です。
 勿論貴方達にその覚悟が無いとは言えませんし、奪った事もあるでしょうから一概には言えません。
 …ですがロラン、ルフレさんも私も…いいえ、未来から来た子供達の両親は皆知っています。
 貴方達が生きたヴァルム帝国兵に対して向けた切っ先が、魔法が、僅かに鈍った事を」
「………」
「その僅かな鈍りが、貴方達の命を危険に晒すのです。
 …分かりますね?」
「……はい…」

まだ少年であったロランが未来で初めて魔法を使って倒したのは、自分を襲ってきた屍兵だった。他の子供達も、同様であった筈だ。生身の人間も確かに暴徒となったり賊となったりして襲ってきた事はあっても、彼らを殺した事は無かった。元は生きていた存在であったとは言え、既に死んだ者相手に戦っていたロラン達には、血が通った人間を殺す事に慣れてはいなかったのだ。
ルフレは、真っ先にそれを見抜いた。恐らく件のリヒトやリズ、マリアベルなど、まだ年少と言っても良い彼らが戦う姿を見てきたからだ。しかし彼らは戦を続けていく内に、殺人への恐怖を何とか自分の中で昇華出来る様になってきた。勿論罪悪感を無くした訳ではない。乗り切る力を身に付けたのだ。ロラン達には、まだそれが無いと判断したのだろう。

「…ロラン。貴方が私の息子であるという証明は不完全です。
 それでも…、貴方を見ていると、貴方を守って死んでいった未来の私の気持ちが分かる気がするのです。
 ルフレさんはきちんとそれを慮って下さったのでしょう。
 …子供を危険に晒したい親など、ほぼ居ないに等しいのではないかと…
 漠然とですが、そう思うのです」
「…母様…」

慈しむ様なミリエルの声はロランの耳に心地よく、幼い日に転んで痛みで泣いた自分をあやしてくれた母を思い出させてくれて、彼は思わずぎゅっと眉根を寄せる。ルフレは軍師としてではなく、ミリエルと同じ様に、親の立場で自分達を前線に出す事を禁じたのだ。そして、それを不満に思った子供達が両親にその心境を吐露する機会も設けてくれた。距離を測りかねている自分達や両親達に腹を割って話させる良い機会だと思ってくれたのだろう。

「それと、他人と比較するのは子供のする事だと私は母から学びました。
 貴方もまだまだ子供ですね」
「うっ………」
「…急いで大人になる必要はありません。
 ここは貴方達が居た未来ではなく、…私達も居るのですから」
「………はい、母様」

そしてちょっとおかしそうに目を細めて笑ったミリエルに、ロランは言葉を詰まらせた。なるほどそれは一理あると納得してしまわざるを得なくて、ロランは苦い薬湯を飲んだ様な顔になる。しかしそれでも矢張り、ミリエルの言葉に心が軽くなった。まだ親子と証明された訳ではないと言ったミリエルが、自分を息子と認めてくれた様な気がしたからだ。

「…それでは、僕は差し当たってはリヒトさんにご教授を願わないといけませんね。
 慣れる為ではなくて、乗り越えていく為にも」
「そうですね、それが良いでしょう。
 リヒトさんも好奇心の塊の様な方ですから、きっと貴方の助けになってくれます」
「はい、母様」

話にしか聞いた事が無いが、リヒトがマリアベルを助けた時はまだ14にも満たぬ少年の頃であったと言う。そんな少年が、幼馴染の少女を助ける為に武器をとり、そして戦場に立った。それは想像も出来ぬ恐怖と果てしない勇気との戦いであっただろうとロランは思う。過去の方なのにライバルになるかも知れませんねと思い立ち嬉しそうに口元を緩めたロランを、ミリエルはどことなく満足した様に見ていた。