一皿目

 テーブルの上に並べられた料理を嬉しそうに頬張るベルベットを見ながら、良くその細い体にそれだけの量の料理が入るものだとロンクーは感心していた。否、量を消費するのは全く以て構わないし、その為に用意した、もとい作ったのだから食べてくれた方が嬉しいのだが、それにしても好物を並べるとここまで食べるものなのかと彼は純粋に感心してしまった。
 そう、今ベルベットの目の前に並んでいる料理は全てロンクーが作ったものだった。野菜の皮剥きが得意な彼は食事当番に駆り出される事もしばしばであったから、調理する者達がどんな事をしているのかを見る機会も多く、何となくではあるがどんな料理がどんな調理法で作られるのかは大体分かっていた。ただ、女が多い場所である事は否めないので近寄れはしなかったのだが。
 ベルベットが嬉しそうに頬ばっているのは、人参を主にした野菜の煮物だ。彼女は芋が食べられないので芋は入れていないが、その他の根菜類と多少の鶏肉が入っている。それ以外にも人参のサラダやポタージュ、キャロットパンにキャロットケーキという、人参尽くしの食卓となっているのは、単にベルベットの誕生日が今日だからである。

 そもそも何故ロンクーがこんなに人参を調達出来たのかと言うと、事前にドニが譲ってくれたからなのだ。昨日の夕食時、見回りをしていたロンクーを呼び止めたドニはどこから持って来たのか、大量の人参を差し出してこれ良かったら、と言った。そんな事をして貰える程の交流を持った覚えが無いロンクーが不可思議そうな顔をすると、ドニは申し訳なさそうに笑い、以前自分が仕掛けた罠にベルベットがかかってしまい、怪我をさせてしまった事があると教えてくれた。その時の詫びを考えていたのだが、土を敷き詰めて簡易栽培が出来る様にしていた馬車で育てていた人参が出来たのでそれを充てようと思ったらしい。本人に直接渡せば良いだろうとロンクーが面妖な顔をして言うと、ドニは明るい笑顔で何の疑問も無くこう言った。

 どうせなら旦那さんが調理して、美味い食事にしてやった方がベルベットさんも喜ぶべ!

 ……ドニの言う事も一理あるとは思うのだが、生憎とロンクーはそこまで料理に対して詳しくはない。だがドニはロンクーが良く料理当番で調理するスペースに居るので料理が得意だと勘違いしているらしく、誤解を解く前に立ち去られてしまった。
 調理法を知らない訳ではないが詳しく知っている訳でもないロンクーは笊に盛られた大量の人参を手にしたまま困っていたのだが、たまたま見回りの交代を告げに来たソールに事情を話すとそれは良い、是非そうしなよ、僕も手伝うからと言ってくれた。そんな経緯があって今日の午後に調理スペースの一角を借りてソールに手伝って貰って煮物を作っていたら、今日の食事当番であったティアモが事情を聞いて感激したらしくどうせならキャロットケーキも焼きましょう!と提案してくれたので、ロンクーは間にソールを挟んでティアモに作り方を聞きながら作った。軍内の誰もがロンクーはベルベット以外の女が苦手であると分かっているのでその事を不思議には思わなかった。
 野菜の煮物とキャロットケーキだけだった筈なのだが、品数が増えたのは何時の間にか増えてしまったギャラリーがあれも作れこれも作れ私これ作るの手伝いますなどと言ってきたからだ。ロンクーが女性の為に何かをするという事は本当に珍しいので、皆お節介を焼きたくなったのだろう。複雑ではあるがその気持ちは有難いので、ロンクーはこんなに食べられるかと思ったものの黙って言われるがままに作った。そうしたら、こんなボリュームの食事になってしまったという訳だ。

――何人分なんだ、この量は……

 テーブルに並べた食事を見てロンクーが思わず顔を顰めてしまった程の量だったのだが、それを見たベルベットは歓喜の声を上げて――それこそロンクーが一度も聞いた事が無かったくらいの声だった―抱き着いてきた。そんなに人参が好きなのかと妙な顔をしてしまったロンクーは、しかし妻がここまで喜んでくれたので内心ほっとしたのも確かなのだ。

「……おい、もう少しゆっくり食え。食事は逃げん」
「だって美味しいんだもの」
「……美味いかも知れんがちゃんと噛め」
「噛んでるわよ」

 次から次へと料理を口に運ぶベルベットを見ながらロンクーが注意をすると、オリヴィエが作るのを手伝ってくれたキャロットパンを千切りながらベルベットが抗議した。軍内でも早食いの部類に入る彼女は今日も食が早く、ほぼ毎日そのペースを見ているロンクーでも眉を顰めてしまう。今までずっとこの調子で食べてきたし体調を崩した事も無いと言われても、気になるものは気になる。

「それに、早めに食べ終わったら貴方が食べてるところを見ていられるじゃない」
「……見てもつまらんだろう」
「そうでもないわよ?」

 そして意外な事を言われてロンクーは面食らってしまったが、ベルベットはからかうでもなく嘘を言っている風でもなく、キャロットパンを口に運んだ。彼女は人参を食べている時は本当に幸せそうな顔をするのでロンクーもベルベットが食事をしているところを見るのは好きだけれども、自分はそうそう表情を変えて食べる訳でも無いと思っているものだから、彼女の言にまた眉を顰めてしまった。

「あなた、結構一口が大きいのよね。
 そこそこの量を食べるから、見ていて楽しいのよ」
「…… ……そ、そうか……?」
「ええ。沢山食べた日は遅くまで鍛錬した日だし、少ない日はそうでもない日ね。
 美味しそうに食べてる訳じゃないけど、いっぱい食べてると嬉しくなるのよ」
「………」

 ロンクーも成人男性であるし、年も若いので食べる量というのはそれなりに多い。食べる量が少ないと思われがちなのは、偏に一口一口を丁寧に食べるからだ。時間があれば彼は時間をかけて食事をする。丁寧に咀嚼し、綺麗に食べる。それ故、そんなに食べていないと思われてしまう。しかしベルベットは、彼がそこそこの量を食べるという事を知っていた。

 ロンクーは幼少の頃、孤児で貧民街で暮らしていた為に、十分な食事を摂る事が出来なかった。いつも腹を空かせていて、友人が居なかった彼と唯一仲良くしてくれていた少女が時折分けてくれたパンは本当に有り難かった。少女には家があり、家族が居り、温かな食事が出されるという事が当たり前であったけれども、ロンクーには当たり前ではなかった。彼にとって食は幸福の象徴であったから、尚の事丁寧に食べる様に成長した。それは美徳だと誰もが褒めてくれたけれども、ロンクーにしてみればそれが当たり前であったから、褒められても特に嬉しいとは思わなかった。

「それに、私、ずっと一人だったから。
 一緒に食事が出来る人が居るのは嬉しいから、見ちゃうのよね」
「……それは、……俺も同じだが」
「あら。奇遇ね」
「……そうだな」

 そして、バジーリオに引き取られたとは言え人付き合いがお世辞にも上手いとは言えないロンクーが日々の食事を他人と共に出来る筈が無く、それ故に彼は西フェリアに居た頃は大体一人で食事をしていた。イーリス軍に従軍する様になってから数人で食べるという事も増えたけれども、口下手なロンクーは黙って食べる事が殆どで、一緒に食べていた者達は余り楽しくはなかっただろう。
 しかしベルベットは見ているのが楽しいと言った。ロンクーが幼少のみぎりに食に恵まれなかった事を知っているから、彼がちゃんと食べる事が出来ているところを見ると嬉しいらしい。ベルベットも自分と同じで幼い頃に家族を喪い、一人で過ごしてきた事をロンクーもちゃんと承知しているので、彼女が誰かと食事をしているところを見るのは好きだった。その「誰か」が自分であれば、一番嬉しい。

「……どうしたの?」
「いや……何でもない」

 思わず苦笑したロンクーに不思議そうな顔をしたベルベットは、はぐらかされた事に対して不満そうにするでもなく、カットされているキャロットケーキに手を伸ばす。ポタージュの皿は空になっているし、サラダも半分以上無くなったし、煮物に至ってはロンクーも好物なので何時の間にか完食してしまった。あれだけの量があったのに、と彼は思ったが、初めて作った割には自分の口にも合っていたので良しとしよう。

 ロンクーが苦笑してしまったのは、ベルベットの誕生日を祝って幸福な気持ちにしてやりたかったのに、自分が幸福に満たされてしまっていたからだった。彼女は実に美味そうに食べたし、嬉しそうな顔をしていたけれども、それを見た自分が幸せな気分になっていた。別にそれを誰も咎めはしないだろうが、本末転倒だと思ったのだ。

「……美味しい! このケーキ物凄く美味しいわロンクー!」
「……そうか。俺は甘味が苦手だから、お前が全部食べると良い」
「そう? でも一口だけでも食べて。
 折角あなたが作ってくれたんだから、一緒に食べたいわ」
「……、」

 ケーキを一口食べたベルベットが歓びの声を上げ、ロンクーがまた苦笑を零す。だが、彼女がフォークに刺した一口大のケーキをずい、と口元まで持ってきたものだから、言葉に詰まってしまった。手ずから食べさせてくれるつもりらしいが、流石にロンクーにはハードルが高い。しかし食べろと目で要求されてしまっては逆らえる筈もなく、身を乗り出して口にすると、ベルベットは満足した様に手を戻した。

「……甘い」
「でも美味しいでしょう?」
「……そうだな」

 食べ慣れないケーキは口の中に甘みを残して胃に下っていったが、耳の熱さは冷めそうにない。決まりの悪そうな顔をしたまま水を口にしたロンクーは、それでもそんな自分を気にする事なくケーキを幸せそうに食べるベルベットを見て、自然と彼女と似た様な表情になった。しあわせだと、心の底から思っていた。