You're my sweet drug

 長い行軍は、戦士達にいつどこで敵襲を受けるか分からないという緊張感を与える。そのせいか、多くの戦士達は自分の憩いの時間というものを大切にした。野営を張った時に己が夜番ではなかったり火の番ではない時は、仲間との交流――多くは談話であるが――を楽しんだり、また一人の時間をゆったりと過ごしたり、この戦の中で得た恋人との逢瀬を満喫したりと、イーリス軍の野営内は活気に溢れていた。
 ガイアは元が盗賊である事、そもそも他人との交流をそこまで得意としない事もあり、当番ではない時は勝手に野営を離れて周辺の偵察をする事が多かった。一人で行動する方が性に合っていたし、この軍を率いているイーリス聖王クロムや軍師のルフレの信頼を得た今では、偵察の為と言って抜け出しても然程疑いの目を向けられなかったので、一石二鳥と言ったところだったのだ。
 子供の頃から一人で過ごして生計を立てていたガイアには、正直に言って軍内で大勢の者に囲まれる事が多少煩わしい。勿論親しく話し掛けてくれる事は有難いし、後ろ指をさされる事も多い職業である盗賊の自分をこんな風に信頼してくれる事も面映いのだが、どこか冷めた部分がガイアにはあって、良い様に使ってくれという思いが強いのだ。これはそういう世界に長らく身を置いていたから、仕方ない事ではあるだろう。
 あちらが信用してくれているからと言って、こちらが信用している訳でもないという事は数多くあったが、イーリス軍に対しては信用しても良いという判断をガイアは下している。馬鹿が付く程お人好し(とガイアは思っている)のクロムと、彼の側で人を見定めるルフレの実力というものをガイアは認めていて、クロムが自分を信用している事、それを踏まえてルフレはそんなクロムが居ない所で、きっぱりとお前を最大限に利用させて貰うと言った事がガイアに面白いと思わせた。ここまで堂々と利用すると面と向かって言われたのは無かったものだから、余計にそう思ったのかも知れなかった。
 それを除外しても、ガイアにとってイーリス軍はひどく居心地の良い所ではあった。基本的に人と群れない彼には居心地など大して問題ではないと思われるかも知れないのだが、中々どうして重要な事だ。必要以上に干渉してこない者が多いこの軍は、珍しくガイアの足を戦士達が談笑している輪に向かわせる。これは本当に珍しい事だと、ガイア本人も重々自覚していた。
 ただ、その輪の中には必ず一人の男が居た。長い金の髪、柔和な声、女と見紛うばかりの顔を持つその男は、名をリベラと言った。イーリスに仕える僧であり、エメリナ奪還作戦の際に孤軍奮闘していた彼をクロムは軍内に引き入れ、以来彼はずっとイーリス正規軍に所属している。ギャンレルを討った後の束の間の穏やかな時間の中、クロムには言わずにルフレは個人的にガイアを雇っていて、ペレジアの内情も偵察したりしていたのだが、主な仕事はイーリス国内の貴族や豪族の動向を探るものだった。だからイーリスの教会で過ごしていたリベラとも度々顔を合わせる事があり、特に孤児院の子供達へ菓子を買い与える彼に、甘い物には目が無いガイアがうっかり懐いてしまったのは自然な事であっただろう。リベラは苦笑して貴方はご自分でお持ちでしょうと諌めたが、それでもそっとガイアに菓子を分けてくれていた。菓子を喜ぶ子供と同列に見ていたのかも知れない。
 リベラは、決まった時間に教会で祈りを捧げていた。何を祈っているのかは分からないが、生まれて一度も神というものを信じた事が無いガイアは、言葉は悪いがアホくさいと思っていた。神というものが居るのであれば争い事など起こらぬ筈であるし、自分の様に物心ついた頃から孤児であったという者だって居ない筈だ。だからガイアは神に祈った事は無かったのだが、リベラはそんなガイアに対して祈る事を強制しなかったし、考えを改めさせようとも決してしなかった。信仰は自由であるべきだと思っていたのだろう。
 ただ、イーリス城に潜入していた間者を始末する際に、ガイアがしくじって怪我を負った事があり、城内のクロムやリズに知れては厄介だ、この場の後始末は俺がする、とルフレが城のすぐ近くにある教会へとガイアを退かせた。教会にはリベラが居るので、手当をして貰えという事だったのだろう。深夜に叩き起こすのは気が引けたが、起きてきたリベラに申し訳程度に詫びを言って手当を頼むと、血相を変えて癒しの杖まで使ってくれた。そこまでする怪我ではないとガイアが言ったにも関わらず、だ。
 杖を使って全ての傷も塞がり、痺れなどありませんかと血を拭きながら尋ねるリベラに、ガイアは呆れながら無いと答えた。ペレジアとの戦の中でリベラが負った深い傷に比べればどうという事は無い怪我に貴重な杖を使用したのだから、呆れる他無かったのだ。しかしそういう顔をしているガイアに、リベラは至極真面目な顔をして言ったのだ。私は私が大事だと思う人の傷を治療出来ないのであれば、杖を使う魔力なんか要りません、と。
 まさかそういう事を言われるとは思っていなかったガイアは、思わず妙な顔をしてしまった。男に言い寄られた事も無い訳ではなかったし、あまり思い出したくは無いが男に抱かれた事もある。なので同性からそう言われる事に対して嫌悪感や偏見というものは無いが、このリベラが言うとは思わなかったのだ。どちらかと言えばリベラの方が男に言い寄られる事も多かろうし、同性を好きになる趣味も無い様に思えたのだが、どこをどう気に入ってくれたのか、ガイアを好いてくれたらしい。その時に、リベラは静かにガイアに言った。

 貴方が生きていてくれて良かった。
 貴方と神に、感謝致します。

 胸の前で聖印を切ったリベラが心の底からそう思ってくれていると分かり、ガイアもこの男ならまあ身を委ねても良いと何となく思ったし、確かに死なずに済んで良かったとも思った。運が良かっただけであったのかも知れないが、反応するのが一瞬でも遅れていたら致命傷を負っていただろうとその時やっと気付き、背筋にぞっとするものが走った。人間というのはこうも身勝手なものかと内心忌々しく思ったものの、ガイアもリベラを真似て聖印をきったのだ。生まれて初めて、捻くれているとは言え神に対して感謝した。
 それを見たリベラは驚いた顔をしたが、すぐに普段の柔和な顔に戻り、そして何も言わず微笑みながらガイアの額に口付けてくれた。生きていてくれて有難う御座います、と再度言った彼にガイアは苦笑し、こういう時は口にしてくれと指先で自分の唇を軽く叩いて見せると、リベラは困った様に私はこれでも男です、どうなっても知りませんよと言った。だがガイアにしてみれば今更だろうにという思いが強く、構わないと告げると、案外大きな手としっかりした腕がガイアを捕らえ、そこから彼の視界は暗転した。
 それ以来、ガイアはリベラとそういう関係だ。相変わらずガイアは盗賊であったしリベラは聖職者であったけれども、お互いの職業に対して口出しする気は毛頭無く、ガイアは気が向いた時だけリベラと一緒に教会で祈った。それはヴァルム帝国との戦になり、再びクロムが軍を指揮して行軍する様になった今も変わらない。それで良いとガイアは思っている。リベラはガイアの過去を取り立てて尋ねなかったし、ガイアもリベラの境遇というものを尋ねる事が無く、深い信頼はあっても必要以上の干渉はしないという暗黙の了解が二人の間にはあった。その距離がもどかしくもあり心地良くもあり、ガイアはこういう駆け引きも悪くないと思っていた。
 そういう間柄なものであるから、ガイアが夜番でない時に野営から離れても、気まぐれの様に誰も居ない天幕で行為に及んだりしても、リベラは文句を言わなかった。例えばこれが所謂「普通の」恋人同士であったならもっと自分との時間を大事にして欲しいと言われるのであろうけれども、ガイアは言われた事が無い。だから今日も近くを通った街の酒場で情報収集をして、特に目新しい収穫は無かったものの酒場の女から貰った焼き菓子が彼を上機嫌にさせていた。
「よお、お疲れさん、今帰りかあ?」
 そして今日は同じく夜番ではない筈のリベラを訪ねてみようかと野営に戻ると、野営の外れに置かれた篝火の側で剣を傍らに置いて座り、地面に布らしきものを置いて何かしている男が声を掛けてきた。手には小型ナイフを持ち、独特な色合いの葉を刻んでいる。
「おっ、おっさん良いの作ってるな、俺にも一本くれ」
「おっさん言うな、それが人にモノ頼む態度かあ?」
「おにーさん一本くださーい」
「可愛くねーなー、ほらよ」
 からかう様にガイアが言った「おにーさん」という単語に赤茶色の短髪の壮年の男は眉を顰めながらも、小さな紙に刻んだ葉をくるりと巻いたものをガイアに寄越してくれた。手製の煙草だ。ガイアは男が――グレゴが自分の分の煙草を巻くのを待ち、出来上がったのを見計らう様に布の上に置かれた紙で紙縒りを作って篝火で火を点け、先にその火をグレゴに寄越した。
「なーんかめぼしい情報あったかあ?」
「いや、特にこれといって無かったな。
 ソンシンの王女を助けてくれたイーリス軍のクロムを支持するべきかどうか、とか何とか言ってる奴が居たくらいで」
「こっちの奴らにとっちゃ、どっち支持するかってーのは死活問題だしなあ。
 巫女様助けてくれたらクロムを支持したいって言ってたのも居たぜー」
 煙草に火を点けた二人は胡座をかいて座ったまま、自分が仕入れた情報を交換する。グレゴは傭兵であるから情報通でもあり、ガイアとはまた違ったルートで仕入れてくる。この男も無闇矢鱈とガイアに干渉しないし、必要な時に必要なだけ会話する程度だ。ただ、気さくなので話しやすい。
「……なあ、これ、何か入ってるか?」
 ガイアがたまに飲む煙草の匂いとはどことなく違う気がして、僅かに沈黙した後に問うと、グレゴは何の事を聞かれたのか分からない様な顔で瞬きしたが、やがて口元だけでにやっと笑った。何度見てもこの顔は悪人面だとガイアは思う。
「あんまり褒められたモンじゃねえ葉っぱを少々なー」
「……お前なあ……」
「これくらい大目に見ろよなー。ただでさえ少ねぇ娯楽と嗜好品だぜー?」
「……それもそうだけどさ」
 やはり大声では言えない葉を混ぜているらしく、ガイアは苦い薬を飲まされた様な顔になってしまったのだが、気分は裏腹に高揚していた。煙をガイアに当てぬ様に空に向かって吐いたグレゴは腰に装着している道具入れの中から紙包みを出すと、そこから丸みを帯びた細長い葉を一枚出してガイアに見せる。
「疲れた時にゃ良いもんだぜー? 疲れ難くもなるしなー」
「……精々中毒にならない様にな」
「お前もなー。今からカレシのとこだろ?」
「……おっさん」
「おっさん言うな小僧」
 それが何の葉であるのかはガイアも知っているし、どういう効能を齎すものかも知っている。幸いなのは依存性が低い事だが、常日頃から煙草として飲んだり精神安定の為に噛んだりしていれば中毒になる事だって有り得る。だから親切心で忠告したというのに、グレゴはガイアがこれからどこへ行くのかを見透かして茶化した。傭兵も裏稼業の部類だから男が男に体を売る仕事もある事を知っているし、傭兵という職に就いて久しいグレゴはその事に対し特にどうという偏見は無いらしい。いつ関係を知ったのかという疑問もあるが聞くのも馬鹿馬鹿しいので、ガイアは質問した事が無い。こういうものは暗黙の了解として黙っておくものだし、尋ねる事でもない。
 結局そんな葉が入っていると知っても最後まできっちり飲んだガイアはグレゴに礼を言うと、そのままリベラが居るであろう天幕へと歩を進めた。薬物を飲んだという若干の罪悪感は、否定出来なかったけれども。



「……ガイアさん、また煙草を吸われましたね?」
 綺麗な顔を顰めて咎める様に言ったリベラに、ガイアはちょっとだけばつの悪そうな顔をする。煙草を飲まない者にとってはその独特のにおいが不快に感じるものであり、すぐに服に染み付くにおいは今のリベラの様に眉を顰ませてしまう。
 ガイアは、あれから以降時折煙草をグレゴに貰っていた。自分で煙草の葉を買い求めて作れば良いだけの事なのだが、グレゴが勝手に入れている薬物の葉を自分で買い求めたり摘んだりする気にはなれなくて、だから本当に時折ではあるが貰っていた。その煙草を飲んでから今目の前に居る男と寝る事が習慣になってしまっているものだから、こうやって咎められてしまう。
「良いだろ別に、煙草くらい」
「良くありません、喉を痛めてしまいます。
 においからしてあまり健康に良いとは思えませんし……キスが苦いです」
「飴を食ってもそうか?」
「飴のにおいと煙草のにおいが混ざっているので、その……」
 この男は優しいので、はっきりと臭いとは言わない。ただ顔にその言葉が出ているから、言っているのと同様ではあったけれども。
 手を出すと危険だという事を重々知っていたガイアは、意外に思われるかも知れないが薬物に手を出した事が無い。そんなものに手を出し金を消耗するくらいなら、大量に甘い物を買った方が遥かに良いと思っている。だからこそ中毒性が低いと言われている例の葉でも異様に効いているのかも知れなかった。セックスをしても疲れないし、何と言うか、興奮するのだ。相手に黙って薬物を使用したという背徳感が余計に快感を助長させるのかも知れなかった。
「お前とする前にはちゃんと歯を磨く事にするさ。本当にたまにしか吸ってないんだぜ?」
「そのたまにの後に、わざわざ私の所に来るのは何故です?」
「何でだろうな」
 ランタンの微かな光が浮かび上がらせるリベラの顔は、近付いて見ると確かに女の様だ。だが、ガイアはちゃんとこの顔が凛々しく男らしい表情になる事があるというのを知っている。最中に肌に浮かぶ汗を拭い、ガイアの名を呼ぶその時の表情は、女とは評せない。この軍の殆どの者はリベラを女性の様だと言うが、ガイアは一度もそう思った事は無かった。僧とは言え斧使いであるから上半身はがっしりしているし、しがみ付く背は厚みがあって逞しい。それを思い出してしまって早く快感に溺れてしまいたくなり、まだ何か言おうとしているリベラに自分から軽く口付けると、彼はちょっとだけ考えて口を離したガイアの頭に巻かれたバンダナを解いた。
「……おい、何のつもりだ?」
「何のつもりでしょうね」
 先程のガイアの返答の意趣返しのつもりなのか、答えをはぐらかしたリベラは、解いたバンダナでガイアの両手首を後ろ手にきっちりと縛り上げていた。ご丁寧にリボン結びであったが、綺麗に結ばれても生憎ガイアには見えない。
 天幕は基本的に複数人で使うものなのだが、たまには熟睡出来る様にと一人用の天幕もいくつか用意されており、それを順番で使用している。今日はリベラがその一人用の天幕にあたっていたからガイアも訪れたのだ。だから緊急の事態が無い限りはこの天幕には誰も入ってくる事は無い。つまり、邪魔は入らない。そういう時を狙ってガイアはリベラの元を訪れるのだから当たり前ではあるのだが。
「ガイアさん、私が何も知らないとお思いですか?」
「……何の事だ?」
「貴方が吸われている煙草に何が入っているか。知らないとでも?」
「………」
 お前聞いたのか、そしておっさんも言ったのか、とガイアはうっかり口に出しそうになったのだが、すんでのところで耐えた。だが表情までは気が回らなくて、気まずそうな顔をしてしまったせいで、リベラは呆れた様に溜息を吐きながら自分の上着の内ポケットから何かを取り出した。
「薬物にご興味があるのなら、仰ってくだされば私だってご用意出来ますよ」
「は……? ちょ、ちょっと待て、何だそ……んぐっ」
 質問の途中であるにも関わらず取り出した紙包みの粉を水差しの水と一緒に口に含んだリベラは、問答無用とでも言うかの様にガイアの唇を自分のそれで塞いだ。そっと鼻を抓まれ、無理矢理に抉じ開けられた口から流れてきた液体は甘じょっぱく、解放された鼻がツンとする様なにおいがした。
「煙草に入っていた葉には疲れ難くなって気分が高揚する作用があると聞き及んでますが、今のそれも同じ効能がありますよ」
「じょ、冗談だろ……お前、仮にも神に仕えてる奴がそん……ぅあっ」
「仮ではなくても仕えておりますが?」
「だ、だったら、何でそんな……あ、ちょ、待て……っ」
 元々の目的はセックスをする事であったので寝台に座っていたのだが、だからと言ってあの葉が入った煙草を飲んだ後に別の薬物を飲んでしたかった訳ではない。相手に対する背徳感と本来ならこういった事に使用すべきでない葉を使っているというスリルを楽しんでいただけなのだが、ここまでリベラの機嫌を損ねるとは思ってもいなかったし、かてて加えてまさかリベラが薬物を所持しているとは思わなかった。焦るガイアをよそにリベラは身を捩って嫌がる彼の背に腕を回し、開いた手でズボンの上から股間を弄ってきた。普段は着用しているマントはこの天幕に入ってきた時に脱ぎ捨てており、露わになった首筋に滑った熱い舌が這ってびくりとガイアの体が小さく跳ねる。
「あ、あ、……せ、せめてこれ解いてくれよ」
「嫌です。お仕置きの意味がありませんから」
「お仕置きって、あぁ、……っふ……んんっ、」
 マントで隠れるとは言え、痕を付けてしまわない様にガイアの首筋を軽く噛んだり吸ったり、背に回した手で項を擽る様に撫でたりしながら、リベラは自分が与える愛撫を何とか耐えようとしている彼の下半身を優しく弄ぶ。ズボン越しに指先で撫で、手の甲で擦り、指の腹で軽く押す。そんな刺激は女から与えられる事も多いのに、辛抱が利かないのは煙草のせいなのか、それとも。
「リ、リベラ、……」
「何ですか?」
「……ぬ、脱がせてくれ、……直に……」
「おや? たったこれだけでですか? 中々我慢が利かないですね。……でも、まだです」
「ちょ、か、勘弁してくれよぉ……っ」
 中途半端に与えられる刺激は体の奥の熱をゆっくりと膨らませ、全身を侵していく。いつもなら何も言わなくても全て脱がせてくれるのに、言った通りお仕置きするつもりであるらしい。じんと頭の奥が痺れる様な感覚に、背筋に電流が走った。
 寝台に横たえられた体は、まだ両腕が戒められているせいで自由にならない。焦れったい時は自分から脱いでしまうのだが、ベルトを外す事も出来なくて、ガイアはどうする事も出来なかった。縄抜け程度なら出来なくもないけれども、やればこれ以上の事をされてしまいそうで出来なかった。温和な人間ほど、怒らせてしまった時が怖い。ガイアはそれを、今まで生きてきた中で培った経験で十二分に知っている。
「うぅ……、っく……はあ、あっ、……ほ、ほんと、汚すから、脱がせ……んんんっ!」
「随分とせっかちですね。薬のせいでしょうかね」
「ど、どの口がそんな……っあ! やめ、や…っ!」
 脱がす事は出来なくても上着をたくし上げる事は出来るので、ずり上げられて外気に晒された薄い胸板を撫でられ、まだ勃っていない乳首を舐められながら股間を握られて、ガイアは今度こそ逃げ場も無いのに体を捩ってリベラから離れようとした。このままでは本当に脱がされないまま達してしまうと思ったのだ。飲まされた薬は気分が高揚するとは言っていたが、ここまで即効性があるとは思わなかった。そういう、即効性があるものというのは得てして中毒になりやすい。そんな危険なものを自分に対してこの男が使う筈は無いと自惚れてしまいたいが、どうやらそんなに甘くはないらしい。
「……あああぁっ! やっ、め、……あ〜……っ!」
 腰に齎される痺れが段々と大きくなっていき、快感の波がじわりと頭を侵食していっているのが分かる。上がった熱は呼吸を浅くし、ガイアの頬を紅潮させた。それだけでも汗が額から流れたというのに、手だけではなくて口でもズボン越しに股間を食まれ、縛られた手首が痛みを感じる程に体が強張り、ガイアは思わず顔を薄っぺらい枕に埋めてしまった。逃げようとする体とは裏腹に、下半身はリベラの顔に押し付けてしまっている事が嫌でも分かって、こんな恥ずかしい思いをさせるならいっそ手酷く犯してくれと思った程だ。
 そんな風に弄るのではなくて、直接その手で扱いて欲しい。直接その熱い舌を這わせ、口内に埋めて欲しい。そして、こんな不安定な状態ではなくてしっかりとその体にしがみつかせて欲しい。だらしなく開いた口から情けない嬌声が漏れたガイアは、ぎゅっと目を閉じてから名を呼んだ。
「リ……ラ、リベラ……」
「何ですか?」
「わ、……悪かった、も、もうしない、……もう吸わない、から、
 た、頼む……脱がせて……い、イかせてくれ……っ」
 既に先走りで下着が汚れている事は分かっているが、ガイアが達せない様にとリベラは加減をしながら愛撫を加えていた。薬物はあんな、普段ならどうという事もない焦らしをいとも容易く耐えられないものへと変化させてしまう。ドラッグセックスで廃人と化した女も男も裏世界で数多く見てきたガイアにとっては、それはある種の恐怖を抱かせる。あんな風にはなりたくなかった。おいたが過ぎた、と素直に反省したのだ。
「本当にもう吸いませんね?」
「吸わない、お前の薬もいらない、ふ、普通のセックスで良い、から」
「誰に誓ってくれますか?」
「お前に! お前に誓うから! 頼むからっ……!」
「ふふ、その言葉、ちゃんと聞き届けましたよ」
 半ば叫ぶ様にガイアが誓いを立てると、リベラはその綺麗な顔に微笑みを浮かべ、息の荒いガイアの額に唇を落としながらベルトを外し、そしてやっと下着ごとズボンを脱がせた。既に硬くなり隆起したペニスは体温とは正反対のひやりとする空気に晒され、ふるりと震えたのが自分でも分かる。先端からはとろりとした蜜が溢れ出していた。
「……っく、うぅ、ぅあ、ああぁ、っ、ぁひっ……―――!!」
 普段は斧を振るう者に相応しく、肉刺が潰れた痕がある大きな掌で緩急をつけながら扱かれ、そうされる事が好きだと知っているリベラは片手で己の髪を押さえながらガイアのペニスの先端を口に含み、そして音を立てて吸い上げた。その快感に、ずっと我慢させられていたガイアは背を大きく弓なりに反らせてリベラの口内で果てた。手首に感じる痛みは既に麻痺し、快感の方が頭全体を犯していた。
「……は……んん、……ぁ、や……っ」
「大丈夫ですか? ……少し、意地悪をしてしまいましたね」
 どこが少しなんだ、と突っ込む気力も無く、吐き出した精を全て飲み下して腕を縛っているバンダナを解こうと自分の上体を起こしてくれたリベラが触れた事にも、敏感になった体は反応する。ガイアはまだ僅かに痙攣している体を彼に預け、おとなしく解いて貰うのを待った。解放された腕を見て、リベラは僅かに眉を潜めて申し訳なさそうな顔をする。くっきりと痣になっていたからだ。しかし、謝りはしなかった。
「……何の、薬だったんだ?」
「はい?」
「だから……さっきの」
「……ああ、あれですか」
 ゆっくりと服を脱がせてくれているリベラに、まだ快感の余韻が残っている頭でガイアが尋ねる。グレゴが持っていた様な、どこかで自生している様な植物の葉を使用したと言うならまだ納得がいくものの、リベラが飲ませたのはそういったものではない様な気もした。医術に心得がある者でなければ調合出来ない粉末だと思うのだが、よもや聖職者であるリベラがそんなものを買い求める場所を知っているとは思えない。しかもイーリスから海を隔てたこんな異郷の地で、だ。だから尋ねたのだが、リベラはさも何でもない事であるかの様な声を上げ、自分の上着を脱ぎ捨ててから軽くガイアに口付けると、再度寝台に横たわらせた。
「何の変哲も無い、単なる砂糖と塩です」
「……… ……は?」
「ですから、砂糖と塩です。
 別々に乾煎りして、擂鉢で粉末にしたものを適当に混ぜて、ミントを焚いて香り付けしただけですよ。
 ガイアさんは砂糖がお好きですから多少甘めにしました」
「……はあぁ?!」
 明かされた薬の正体が信じられなくて勢いよく起きそうになったガイアの肩を、リベラはひどく面白そうに押さえ付けて、してやったりという顔をした。薬物ではないと言われても何も服用してない時に比べて自分の体の感度が増していた気がするものだから、俄には信じられない。しかし、リベラはそういう事で嘘を吐く男でもないという事を、ガイアは知っていた。……悔しい事に。
「それと、もう言ってしまって良いですね、
 グレゴさんはガイアさんへ差し上げていた煙草には例の葉を一度も入れた事は無いんだそうですよ。
 ご自分のものだけに入れていたそうで」
「?!」
「前途ある若者を薬物中毒にするつもりはないそうです」
「……あんのおっさん……!」
 言われてみればガイアがグレゴに煙草をねだる時、彼は手元を巧みに隠して紙に包む葉をガイアに見せなかった。貰う時はいつも夜であったから、いくら夜目が利くガイアであってもあまり見えなかったし、何よりあの葉を入れていると信じて疑いもしなかった。そして飲む際、グレゴは必ずガイアよりも風下に座り、煙を吐く時も横や上を向いて吐き、決してガイアに吸わせない様にしていた。

「卑怯な手かも知れませんが、私もグレゴさんも、ガイアさんが私達を信用しているという事を利用させて貰いました。
 例の葉が入った煙草だと信じ、薬物を飲ませられたと信じた上で貴方は私と寝ましたね?」
「……」
「良いですかガイアさん、貴方が薬物を服用したと思い込んだ事によって、貴方はあれだけ乱れた訳です。
 ……ですが、薬物など使わずとも私は貴方をちゃんと満足させられると、もう自惚れてもよろしいですね?」
「……… ……勝手にしろ!」
「はい、勝手にします」
 今更ながら今までの痴態がまざまざと頭に浮かんで、ガイアは赤くなるやら青くなるやら、どんな顔をして良いのか分からなくなり、そっぽを向いてしまった。しかしリベラはそれでも構わなかったのか、満足そうに微笑んで、不貞腐れた表情を浮かべているガイアの頬に唇を落とした。
 多分、リベラもそれなりに悩んでいたのだろう。ガイアの体は男も女も知っており、どちらかと言えばセックスは熟練者の部類になる。しかしリベラは聖職者であったから女を抱いた事は無かった。ただその外見故に犯された経験はあったものだから、男同士のセックスがどんなものであるのかは知っていた。余程手酷く犯されたのだろう、自分の様に痛い思いをさせたくない、とガイアを慮ってくれたのか、いつも優しく抱いてくれた。それがガイアにとって多少物足りなかったのも事実であり、それにリベラは薄々気が付いていた。だから薬物に興味を示したガイアを危惧したのだ。幸いにもガイアは回避させられていた様だけれども。
「……はあ……ぁ……っ、……おい、な、何やってるんだ」
「何って、解いてるんです」
「やめろ! それ見られるの嫌だって知ってるだろ!」
 一方、すっかり機嫌を損ねた――拗ねただけだが――ガイアは、きちんと慣らされた後に挿入されその快感を享受している最中に、不意に左腕に生じた違和感に閉じていた目を慌てて開いた。見ると、リベラが涼しい顔をしながら腕に巻いた布を解こうとしている。
 昔、罪人として捕らえられた際に押された罪人の証がガイアの左腕にある。普段はこうやって布で巻いた上からグローブを嵌めて見えない様にしているけれども、セックスの時もグローブは外しても布は絶対に解く事を許さなかった。罪人の烙印がある、見せても俺は楽しいもんじゃない、とリベラには言っており、だから彼も無理にその布を解こうとした事は無かったのだが、今日は何故か解いた。
「………、」
 ランタンの光に照らされた、不恰好な烙印。間抜けと言われている様な気がして、ガイアは正直その印を見たくない。しかし、リベラは目を細めてその印を指先で撫ぜた。まるで慈しむ様に。反対にガイアは苦々しい表情になったのだが、リベラがそこに口付けたので更に眉を顰めた。
「ガイアさん、貴方はこの烙印をひどく嫌がりますが」
「当たり前だろう、……ぁ、……ざ、罪人の証……だし……」
「……私が祈る時、どうやって聖印をきるか、覚えがありませんか?」
「………?」
 リベラはしつこくそこに口付けながら、開いた手でガイアの耳朶を優しく愛撫しながら緩やかに挿入を繰り返す。器用なものだと感心する余裕は今のガイアには無かったし、尋ねられた質問の意図するところも掴む事が出来なかった。
「私が神に祈る時、聖印はこう、きります」
「そ、それが、何だ……?」
「……似ていませんか? 貴方の、この烙印に」
「………!」
 自分の言葉に訝しむガイアに対し、リベラは耳朶を愛撫していた手を離してから、己の胸元で一度聖印をきった。空をきった指の動きは、確かにガイアの左腕に押された烙印と似ていた。言われるまでちっとも気が付かなかったガイアは、呆然としながら尚も微笑んでいるリベラを見上げる。
「無理に私と線引をなさらないでください。私も人を殺めて生きています。……私も罪人なのですから」
「そ、そうしないと、お前が殺されるだろう」
「そうですね。ガイアさんも、そうしないと生きていけなかったのでしょう?」
 幼い子供が一人で生きていくには、盗みを働く事しか手立ては無かった。泥水を啜り、物乞いもし、裕福な者から様々なものを奪った。長じた後に引き受けたマリアベルの父親の一件もそうだ。良心の呵責に耐えられずに潔白を訴える告発状も書いたが、ガイアの胸の内には自分が罪人であるという思いが常に満たされている。烙印を見る度、その思いが外へと溢れだしては死んでしまいたくなるのだ。
 だが、リベラはそんなガイアの烙印をひどく慈しんだ。聖印に似ているからではない、それこそ思いが通じた日の様に、この痣と引き換えに永らえた命に感謝している風に見えた。どいつもこいつも俺を甘やかしやがって、とガイアは自分を労りながら腰を進めるリベラに苦々しい顔をしてから口付けた。
「……… ……やはり、煙草はやめてくださいね」
 口を離したリベラは少しだけ考えた後、困った様に苦笑してガイアの唇を啄んでからそう言った。その表情も、嫌いではないとガイアは思う。
「……良いぜ、お前が……っあ、……煙草以上、に、俺を……中毒に、してくれる……なら、な」
「……そうですか、では、精一杯頑張らせて頂きましょう」
「っあ! はっ、……ぅあ、ああぁ、ひっ……!」
 ガイアの一言によって緩やかな挿入が突如として激しいものに代わり、下半身に感じる熱の塊がどんな大きさであるか、どんな動きをしているか、そして自分の内部をどんな風に暴いているのかを教えてくれていて、喉を反らせながらガイアはリベラの肩にしがみついた。恐らく労りなど欠片も無いセックスを強要されていたのだろうリベラはこういう挿入をやりたがらなかったが、ガイアはこうされる方が好きだった。勿論リベラがやるから好きなのであって、他の者からされるのは御免被る。
「さ、触って、あぁ、そこ、ああぁっ」
「は、……っんん、あ、ガイアさん、」
「ぁ、や、イく、いっ…… ――――!!」
 放ったらかしにされていたペニスへの愛撫を腰をくねらせてガイアがねだると、リベラも我慢の限界であったのか、最奥を突いて彼の亀頭をぎゅうと握った。その痛みを脳は快感に変換し、ガイアは再度絶頂を迎え、そしてリベラもほぼ同時に迎えた。荒い息を繰り返しながら塞がれた口は、何だか甘ったるいとガイアはぼんやり思っていた。



「……で、どういう事か説明して貰おうかおっさん」
「おっさん言うな小僧。どういうもこういうも、カレシから聞いたろー?」
 闇夜の下、篝火に照らされながら自分とは正反対の方向に紫煙を吐いたグレゴを、ガイアは忌々しげにじろりと睨む。煙草はやめて欲しいとリベラに言われてからというものガイアは飲まなくなったのだが、グレゴはやめた訳ではないから実に美味そうにガイアの目の前で飲む。
「俺ぁガキの頃からこの葉っぱ噛んでて平気だけどよ、中毒になった奴らを山程見てきてるからなー。
 他の誰かの煙草に混ぜた事ねえんだよ」
「他人を廃人にしない為にか? 人は見かけによらないな」
「だろー?」
 精一杯の皮肉を込めてガイアが言っても、グレゴはすかした顔で笑うだけでちっとも挑発にのってこなかった。それがつまらなくて、ガイアは何となく口を尖らせる。煙草を飲まなくなったとは言え目の前で飲まれてはつい手を出してしまいそうになるので、口の中で転がしている飴が慰めてくれている様な気分になった。
「ま、これに懲りてカレシを試すのはやめるんだな。良かったじゃねえか素直に喘げる様になれて」
「……この、タヌキおやじ」
「うるせえぞキツネ小僧」
 殆ど飲み終わった煙草を篝火の中に放り、燃やしたグレゴが喉の奥で笑いながら下世話な事を言ってきたものだから、ガイアは苦虫を噛み潰した様な顔でたっぷり沈黙してから悪態を吐いた。が、その渾身の悪態に対してもあっさりと言い返され、更に苦い顔になる。腹いせに口の中の飴を思い切り噛み砕くとそこまで小さくなっていなかったものだから盛大な音が二人の間で鳴り響き、その音を聞いたグレゴは今度こそ声を上げて笑った。