日蝕が齎したもの

 荒涼とした大地の向こうから敵対する軍の兵士達がこちらに向かってきているのが見える。だだっ広く、身を隠すものが殆ど無いこの荒野での決戦は、どちらも同じ条件下にある。身を隠せないのはお互い様だとグレゴは剣を抜きながら思っていた。心配なのはそれではなく、どちらかと言えば敵将であるギャンレルに随分と挑発されたクロムなのだが、軍師として力を遺憾なく発揮しているユーリと、先日クロムと婚姻の約束を交わしたらしいスミアが側に居るから問題は無いだろう。クロムを挑発した事によって彼が元から率いていた自警団の者達は多少頭に血が上ってしまった様であったが、見る限りでは無茶な事をする者は居なさそうだ。
 グレゴは傭兵であるから、今現在の雇い主であるクロムの指示に従うだけで良い。勿論、傭兵は雇われた兵士なので忠誠心などというものを持ち合わせて居ない者も多く、それ故傭兵職に就いている者を嫌う者も少なくはない。グレゴだって今までの雇われ先で散々罵倒された事もある。だがクロムが率いるこの軍にはそういう者が居らず、素直にグレゴの腕を認め、時には手合いを申し込んでくる者も居る。今まで雇われた先のどんなところよりも、居心地が良かった。それを作り出しているのはやはりクロムであり、クロムはエメリナの遺志を受け継いでいるから、エメリナの影響力というものがどれだけのものであったかを如実に表している。
 誇り高いと言われる天馬騎士もよその国では金で雇われる傭兵を見下してきた事もあると言うのに、イーリスの天馬騎士は全くそんな事が無かった。クロムの従者のフレデリクも主の不利益になるものは極力取り除こうとして目を光らせていたし、聞けばユーリも最初は疑われていたらしい。俺とかたたっ斬られかねねぇなぁ、とその事を教えてくれたリズにグレゴが言うと、寧ろよその国の内情を教えて欲しいと言っていたと告げられ、意外に思った事もある。この軍の者達が作り出す、よそ者を受け入れ馴染ませていくという雰囲気は、クロムの人徳であると同時に、エメリナの人徳でもあるのだろう。何せ敵対するペレジアの呪術師まで受け入れたと言うのだからすごい。この事に関してはグレゴでさえ驚いた。
 エメリナを救出に向かったあの戦いの最中、前線に居たグレゴはクロムが呪術師と話しているのを遠目で見掛け、こんな時に女を口説いているのかと思っていたのだがあながち間違いでも無かった様で、そのままその呪術師はついさっきまで仲間であったペレジア兵に攻撃し始めたので、なるほどこの軍の大将は甘いとこも山程あるがそれを補って余りある人望と人徳がある訳だ、と素直に感心した。
 だが、今現在対峙しているペレジア王はどうだ。配下であったムスタファー将軍の方が人望が厚かった気がするのだが、恐らくそれはグレゴだけではなく皆思っているに違いない。実際、ムスタファー将軍は逃げたい者は逃げよと命を出していたらしく、彼を倒した後に投降した兵士達はこぞって将軍の死を悼み、クロム達よりもギャンレルに対しての怒りを口にした。統治する者が愚かしいと、どこかで必ず綻びが出る。今戦っているペレジアの戦士達だって随分統制が取れていないし、中には逃げて行く者も少なくない。おまけにその逃走兵を助けるかの様に空がいきなり暗くなってきて、スコールでもくるかとグレゴが空を見上げたその時、一瞬の不意を突かれていきなり胸の辺りにそこまで強くはない衝撃が襲った。
「な、何?! 急に辺りが暗くなった……?」
「……よーう、珍しい事になってんな」
 衝撃の正体は、軍師ユーリの指示によってグレゴがサポートをする役に回ったベルベットだった。普段は強気な彼女が、急激に暗くなった空に怯えて飛び付いてきたらしい。グレゴは再度空を見上げ、目を細めて太陽を確認する。雲は殆ど見受けられず、変わりに太陽が欠け始めていた。
「あーわてんなって、こいつぁ日蝕だ日蝕。暫く待てば太陽が機嫌直して出てくるぜ」
「そ、そうなの……?」
 ベルベットは初めてその単語を聞く様で、薄暗い中でも分かる程耳を震わせている。まさかこのタイミングで珍しい日蝕が起こるとは誰も予想していなかっただろう、動揺しているのはベルベットだけではなく、ペレジアの兵士達も同じだった。多分彼らはベルベットとは違って、日蝕の事は知っているだろうけれども。
「見た事ねぇのか、日蝕?」
「私は……長い間人目を避けて生きてきたから……、知らない事も多いわ」
「あー……あんた、そうだったな……」
 ベルベットの言葉に彼女が属する種族の事を思い出したグレゴは、納得した様に相槌を打つ。彼女はタグエルという、獣に変身出来る種族の最後の生き残りだ。他の仲間は人間に殺されてしまったらしい。それでもベルベットは過去の聖王に恩があるからと、クロム達と共に戦っているが、それまでは隠れてひっそりと暮らしていた様だ。同じく変身出来るマムクートのノノも売られたり追われたりした事が多々あるらしく、人間ってモンは自分以外の種族には恐ろしく冷てぇし残酷なもんだよな、とグレゴは思う。もっとも、自分も当初はノノを捕まえる命を受けていたのだけれども。
「言っておくけど、同情は無用よ」
 彼女が過ごしてきただろう日々をぼんやり考えたグレゴに、ベルベットはきっと上目遣いで睨んできた。しかしその睨みもこんな状況では効く筈もなく、グレゴは苦笑する。
「こんな状況でそれだけ強がれるのは大したもんだよ」
「え? ……ど、どういうつもりなのグレゴ!!」
「どういうもこういうも……俺の腕で子ウサギみてぇに震えてたのはどちら様だ?」
 日蝕が始まってから怯え、グレゴの腕の中に慌てて入ってきたのはベルベットの方だ。グレゴは何もしていないし、そもそも戦場でそんな事をしようなどとは微塵も思わない。ペレジア兵が慌てて一塊になり、空の様子を見ているからこそこうやってのんびりと会話を交わせているだけで、普段の戦場でなら決してこんな事は出来ない。ベルベットが動揺している間に、グレゴは目視出来る範囲で周りを素早く確かめた。今のところ襲い掛かってくる敵は居なさそうだ。暗いから遠くの仲間が苦戦しているか否かまでは分からなかったけれども。そうしている内に罰が悪そうな顔をしたベルベットはすぐさま離れ、ふいっと顔を背けた。
「覚えている事ね!」
 何故か捨て台詞を吐いてペレジア兵が居る方とは反対に走って行ってしまったベルベットの後姿を見ながら、グレゴはもう一度苦笑する。部分か、皆既か、それとも金環か、種類は分からないけれども珍しい日蝕も起こっているし、ベルベットの珍しい姿も見れた。これが戦場でなければ尚良かったのだが、そうも言っていられない。ベルベットが勝手に単独行動を起こしてしまっている以上、サポートを仰せ付かっているグレゴは彼女を追わねばならないのだ。この重大な戦いに勝手な行動を取られてはユーリも困るだろう。開戦前にユーリが地面に描いてくれたこの周辺の地図を思い描き、方角を確認しつつ夕闇の様に暗い中をグレゴは走り出した。その時、ベルベットが走って行った方向から別の影が近寄ってきているのが分かって咄嗟に剣を構えたのだが、その影が人間のものではなかった事と、見覚えがあるものであったので一応剣を下ろした。
「あっ、居た! ねえねえグレゴ、にっしょくだよ!!」
 そしてその影は近くまで来ると人型となり、グレゴが見知った顔が見えた。嬉しそうな顔ではあるが、正直戦場には全く似つかわしくない。やけにテンションが高い声と無邪気な顔は、ここが戦場である事を一瞬忘れさせてしまう程だ。
「……ああ、日蝕だな」
「すごいねー! まっくらだよ!!」
「……あのなぁノノ、今は遊んでる場合じゃねぇんだ。勝手に持ち場を離れるな。あんたのサポートのリヒトはどうした」
「リヒト? えっとぉ……わかんない」
「………」
 どこから突っ込むべきか、そもそもこれは頭ごなしに叱って良いのか、グレゴには分からない。ノノは立派な戦力ではあるのだが、彼女自身は大勢と一緒に作戦を練って持ち場を与えられ戦った事は無いのだ。それはユーリがきちんとノノに聞いていて、彼女に理由を説明していたからノノも納得していた様だったから以前ノノと組んで屍兵と戦った時はこんな勝手な行動をとったりしなかったのに、何故今、こんな大事な局面で自由行動に出るのか。ベルベットを追うべきなのだが、かと言ってこの場をノノ一人に任せる訳にもいかない。
「あっ、でも、ベルベットとすれちがったよ。一人じゃ危ないから、ロンクーに任せてきたの」
「あー、なら大丈夫……でもねぇや、だからリヒトが危ねぇっての」
 女が苦手という難はあるものの、腕の立つロンクーが一緒であるならばベルベットの心配はしなくても良いだろう。先日ベルベットはロンクーに茶を出していた様であるし、ロンクーも少しは彼女に対しての免疫は出来た筈だ。
 しかし、新たな問題はノノと組んでいた筈のリヒトなのだ。対魔法には強いが、剣や槍に対しての物理攻撃に弱いリヒトとはグレゴも組んだ事がある。ユーリは相性が良さそうだから、と今回はノノと組ませた様であったが、こちらもベルベット同様単独行動を取るとは思わなかった。
「あのね、空が暗くなったでしょ?
 だからね、ノノ、それに合わせて変身して、ガオーって吠えたの。そしたら、いっぱい敵が逃げていったんだよ」
「……なーるほどね……」
 いくら日蝕というものを知っているとは言っても、日中にいきなり太陽が欠けて暗くなっていく中で、少女が竜に変身して大声で吠えたら大多数の者は驚いて逃げるだろう。効果としては良いが、しかしその場に留まってくれていた方が他の者も有難いのではないだろうか。
「けど、ギャンレルは倒した訳じゃねーし、じきに日蝕も終わるからな……
 まーいったな、ノノ、離れんじゃねぇぞ? リヒト探しに行くぜ」
「うん。グレゴこそノノから離れちゃ駄目だよ!」
「……はーいはい」
 そもそもノノは何故わざわざ自分の元に来たのか良く分からなかったが、今は考えたり聞いたりするより先にリヒトの無事を確認する事の方が先決だ。クロムもユーリも最前線で戦っている筈で、まだペレジア軍の方に白旗は揚がっていない。太陽をちらと見上げるとほぼ消えかかっていて、今回は皆既か、ならもう少し暗いままだなと考えたグレゴは面倒だったのでノノを小脇に挟んで走り出した。竜に変身すればグレゴの走るスピードにはついてこれるだろうが、竜石は貴重品だし、長時間続けて変身するのは彼女の体に負担を掛ける為、戦闘中以外ではなるべくこの姿のまま居させたいというのがユーリの考えで、それは皆同意見だった。奇襲をかけられた時にすぐに変身出来る様に常に身に付けておく事、という条件付きで、であるが。
「……っとぉ……、くっそ、しくじったな……」
 暗がりの中、リヒトを探す事に注意を傾けていた為にうっかり全体を把握する事に散漫になっていたのか、囲まれた訳ではないが少なくはないペレジア兵と遭遇してしまった。一人では多少厳しいのでサポートしてもらう為ノノを下ろし、グレゴは剣を構える。
「ノノ、後ろから援護してくれねぇか。応戦する」
「はーい!」
 ギャンレルは部下からの人望が薄いとは言え、どこの国にも好戦的な輩は居る。そう言った者達は、王が誰であろうと戦えれば構わないのだ。戦場で名を上げようと目論む者も居るだろう。多分そんな者はクロムの首を狙うだろうけれども、生憎とクロムはユーリとスミアを初めとする錚々たるメンバーが彼の周りをがっちりと守っているので簡単には狙えまい。なのでこうやって、適当に戦えそうな戦士を探しているのだろう。ノノが竜石を頭上に掲げ、開花する様に変化すると、それを見たペレジア兵は怖気づいたのも居たが、大半は色めきたった。マムクートは捕らえれば高額で取引されるし、殺してしまっても鱗が高額で売れる。見せてしまったのはまずかったかも知れないが、倒せばどうと言う事は無い。グレゴはこういう相手は寸止めとか辛うじて息がある程度で止めるとか、そういう事はせず、全員殺す事にしている。例えばムスタファー将軍に仕えていた様な兵士達であれば命は取らないが、こうやって好き好んで戦場に出て略奪を繰り返している様な輩に対して一切情けはいらないと思っている。こういう輩が、弟を殺したのだ。だからいつも殺してしまう。
 後ろで援護してもらうとは言え、多勢に無勢だ。あれこれ考えるよりも自分の闘争本能に従った方が早い、そう思ったグレゴは対峙している者達が動くよりも先に地面を蹴り、一番近くに居た者に斬りかかった。彼はどちらかと言えば斧使いのヴェイクの様にパワーファイターであるから、力ずくで捩じ伏せる様な戦い方が一番性に合っている。騎士の様な綺麗な型がある訳でもなく、粗暴と言っても何ら差し支えない彼の戦い方は、騎士の多いクロムの軍の中では珍しく、またその珍しさ故に際立っていた。
「おらおらにーちゃん、足元がお留守だぜぇっ!」
「ぎゃっ!」
 一人を長々と相手にしていると一斉攻撃されかねないので、左足を踏ん張って右足で剣を受け止めた相手の脛を思い切り蹴ると、鈍い悲鳴を上げて男がバランスを崩した。その隙にもう一度左足に力を篭めて袈裟斬りにしたら男は呆気なく崩れ落ちたのだが、念の為胸の辺りに剣を突き立て素早く抜き、血糊を払った。グレゴの剣の使い方はそれなりに乱暴なので歯毀れも良く起こすのだが、今回は綺麗に扱えた様だ。
「う、うわああああっ!」
 右後方で大きな音と共に悲鳴が聞こえたので見遣ると、ノノがブレスを吐いて別の敵を倒しているところだった。変身する前は華奢な少女の出で立ちの彼女だけれども、こうやって変身すれば立派な戦力となる。見る度思うが詐欺だよなぁ、とグレゴが間の抜けた事を思っていると、左前方から空気が静電気で弾けている様な気配を感じた。魔道士が居た様で、こちらに攻撃をしようとしているらしい。物理攻撃にはそこそこ強くても、彼は魔法には滅法弱く、参ったな、と剣を構えた瞬間に何処からともなく声が聞こえた。
「グレゴさん、右に避けてっ!」
「?!」
「かぁーくごーー! それっ!!」
 幼さが残る声で叫ばれたその言葉に咄嗟に反応して大きく右に跳んだグレゴの左側を刃の様な風が吹き抜けていき、それは先程の雷の魔法を発動させようとしていた魔道士に見事に命中した。通り抜けた箇所の風がひゅるひゅると余韻を残しながら元の平静な大気に戻ろうとしている中、風の魔法を発動させてくれた声の主がグレゴに走り寄って来る。
「大丈夫だった? 良かったぁ、グレゴさんに当たらなくて」
「悪ぃな、助かったぜ」
 声の主は、探し人であるリヒトだった。探しに行く手間も省けたし、何よりノノと一緒に援護に回って貰えるし、一石二鳥だ。
「ノノも無事だね! 良かったぁ。駄目だよ、いきなり居なくなったりしちゃ」
「ふにゅ……ごめんね」
「多分グレゴさんの所に行ったんだろうなーって思ったけど、当たってたみたいだね」
「何で俺のとこだと思ったんだ?」
「えー? 何となく」
「何だぁ、そりゃ…」
 リヒトはクロムの事を慕っているので、てっきりクロムが居る方へと向かっているかと思っていたのだが、ちゃんとノノを探していた様だ。背伸びはする事があっても戦いの中できちんと成長していっているリヒトは、体力が追いつかないと思ったら引く事を覚えた。他の大人達が宥めているお陰だろう。
「ベルベットさんはロンクーさんとかティアモさんと一緒に居る。
 それと、ティアモさんから聞いたんだけど、クロムさんがもう少しでギャンレルの所に辿り着けそうなんだって」
「ほー、そーれじゃあ俺達は心置きなくこいつらの相手が出来るなあ」
「そーだねぇ」
「あー、リヒト、グレゴの真似してるー」
「あはは、つい」
 剣を空中でくるりと一回しして、魔道士のリヒトと竜に変化したノノを引き連れ、蝕が終わり徐々に明るくなっていく中でにやりと笑ったグレゴに対し、敵である男達はじり、と後ずさりする。だが、グレゴはそれを許さなかった。
「逃がすかぁっ! てめーら一人残さずたたっ斬ってやるぜぇ!!」
 心底この戦いを楽しんでいる様に、グレゴが剣を改めて持ち直してから地面を蹴る。ノノはその彼の近くで敵を迎撃するだろう、そう考えたリヒトは背後で援護する事を選択し、風の魔道書を開いた。



 ギャンレルを討ち取ったという一報がティアモから齎され、方々でペレジア兵と戦っていた者達は投降を促し、戦いは終結した。武器が壊れかけて、ペレジア兵から奪った剣で戦っていたグレゴにとっても有難い一報であったし、リヒトもそろそろ体力が限界だったから助かったと笑った。ノノもにこにこしながら元の姿に戻り、他の仲間と合流する為、くたくたではあったが歩き出す。その時、グレゴははた、と思い出してリヒトと話しているノノに声を掛けた。
「話の途中悪ぃけど、ノノ、ちょーっと良いか」
「え? うん、なあに?」
「あのな、今回は何事も無かったから良かったが、与えられた持ち場を離れたり、
 ペア組んだのにいきなり勝手に単独行動起こす事はもうするなよ。
 リヒトが無事だったから良かったけど、もしリヒト一人が敵に囲まれてたりしてたらどうすんだ」
「あ……」
 子供だろうが女だろうが、戦場に出れば一人の戦士だ。それは何処の国でも変わらない。ノノと違ってリヒトは変身も出来ないし、まだまだ非力だ。狙われる事も多い。だからユーリはノノと組ませた筈なのに、ノノは勝手に持ち場から離れてしまった。これは立派にペナルティーになる。
「日蝕ではしゃいじまったのは分かるが、今度からは気をつけろ。あんたも危なかったかも知れねぇんだからな」
「……でも……」
「でもじゃない。良いな」
「……良いもん、グレゴなんて知らないっ!」
「あ、おい、」
 怒られた事は正論なのだが、それでもノノには思う所があったのか、拗ねた様な顔をして他の仲間が居るであろう方向に向かって走って行ってしまった。言い方がキツかったか、参ったな、とグレゴが項を撫でながら苦い顔をしていると、リヒトが横目で見上げながら言った。
「日蝕が始まった時、ノノが変身して吠えたら、敵が驚いて逃げたんだ」
「あー……そりゃ聞いたけど」
「褒めて欲しかったんじゃないかな」
「………」
 言われてみれば、ノノは何かが上手に出来た時や敵を倒すのに大いに役立った時、褒めて貰えるのを楽しみにしていた節がある。何もそれはグレゴに対してだけではなかったが、あの場合わざわざ自分の所に来たという事は、つまりリヒトが言った通りなのだろう。
「ノノはグレゴさんと良く組む事があるし、教えに行こうって思ったんじゃないかな。
 そりゃ、確かに褒められた事じゃなかったかも知れないけど……多分そうだと思うよ」
「そーんなもんかねえ……俺に褒められるのもお前に褒められるのも同じだろうに」
「僕だってグレゴさんに褒められるのとクロムさんに褒められるのは、違うよー」
「そいつぁ悪かったな」
 確かに自分が褒めるよりはリヒトが憧れているクロムに褒められた方がリヒトは嬉しいだろうと、グレゴはリヒトの言葉に不承不承納得はしたが、そのままリヒトは苦笑した。
「僕に謝るんじゃなくて、ノノに謝りなよ。褒めてあげたら?」
「あー……そう、だなー……」
 罰が悪そうに短髪の頭を掻いて、グレゴがふうっと苦い溜息を吐く。間違った事は言っていないし、注意すべき事ではあったが、確かに理由も聞かず怒ってしまった事には謝らねばなるまい。子供を叱る親というのはこんなものなのだろうか。褒められたものではなかった親しか持たず、また親になった事もないグレゴには、それは分からなかった。
「しかしお前、良く分かるな。子供ならではか?」
「もー、子供扱いしないでよ!」
「ははっ、悪ぃ悪ぃ」
「思ってないでしょ、もう……
 ほら、言ったでしょ、僕グレゴさんの戦ってるとこ最近良く見てたから。
 誰がいつも近くに居るかなんてすぐ分かるし」
「……ほー」
 リヒトは戦いの記録というのを良くつけているらしく、それはクロムに認めて貰おうとして始めたものであった様だが、前線に出る事が多いグレゴに度々尋ねる事があった。最初はクロムの事ばかり尋ねてきていたのでちゃんとグレゴもクロムの動向を見ていたけれども、最近はグレゴの事も尋ねる様になってきた。つけている記録をちらと見た事があるが、中々細かく書き記されていて、恐らくあれはクロムだけではなくユーリも役に立つと思う事だろうと思わせる程だった。このままいけば、ミリエルにも勝るとも劣らない観察眼の持ち主になる筈だ。
「まー……取り敢えず謝るかねぇ……」
「うん、そうしなよ」
 まさかこんな子供に諭されるとは思っていなかったグレゴはもう一度溜息を吐き、さてどう謝ったもんか、と頭を悩ませ始めた。その隣を歩くリヒトは、心なし楽しそうな顔をしてノノが走って行った方向を見ていた。日蝕が齎した珍しい光景、勿論隣の男の事も含めた事を、今日の記録に書いておくつもりだった。