恋に落ちる

「ねえねえグレゴ、抱っこしてー」
「はあ? なーんで俺が……おいおい、服を引っ張るな! 伸びるだろー?」
「抱っこして!」
「ああもう、分ーかったよ、ほれ……」
 見知った少女が駆け寄ってきたかと思えばあまりにも唐突な要求をしてきたので、野営の設置も滞り無く終わった事だしそろそろ商売道具でもある武具の手入れでもしようと思っていたグレゴは眉を顰めて拒否しようと試みたのだが、呆気無く敗北した。否、そもそも勝利出来る相手でもないとは分かっているけれども、見た目が親子程離れていると言っても差し支えないこの少女を――ノノを抱き上げるのは何となく抵抗がある。他の者達はもう見慣れた光景となってしまっている事も重々承知だし、誰もそんな事は思っていないと分かっていても知らない人間が見れば人攫いの様に見えると自覚している分、尚の事抵抗がある。そんなグレゴの心情などお構いなしにノノは抱っこしろだのおんぶしろだの頼んでくるのだから堪ったものではないが、彼女の要求を拒む術を今のところ持たないグレゴは自分の着古した服の伸びに溜息を吐きながら今日も渋々抱き上げた。
「あんたなー、俺じゃなくて他の奴にも頼めよなー」
「えー、だってグレゴひまそうなんだもん」
「暇じゃねえよ! 俺だって剣の手入れとかがあってな?!」
「じゃあそれ見てて良い?」
「見ても楽しくねえぞー?」
「楽しいかどうかはノノが決めるんだもん」
「あー、はーいはい、もう好きにしろよ……」
 剣の手入れなど見ても、外で走り回って遊ぶ事が好きなノノにはつまらないだろうと思うのだが、それでも良いと言わんばかりにグレゴの話など聞いてもいない様に勝手にご機嫌な口振りでしゅっぱーつ! などと言う。変な奴だとこれまで幾度となく思った事か、グレゴにはもう数える気力も無かった。
 ノノは、いつでも誰かと一緒に居たがる。長い間一人で過ごしたり、売られたり見世物として扱われたりされてきたからだろうと推測は出来るのだが、では何故よりによって自分を選ぶのかグレゴには分からない。他の者からはあんたがギムレー教団から助けたからだろうとか保護者みたいなもんだからだろうとか何だかんだであんたが一番面倒見てるからだろうとか、いちいち言い返す事も出来そうにない理由を平然と述べてくれるけども、グレゴとしてみれば自分の時間というものはとても大事なものであるし、そもそも彼女にしょっちゅう付き合っていては仕事の依頼も受けられない。俺はちゃんと稼がねぇと食っていけねえの、とグレゴが言うとその時は納得してくれてもすぐに忘れるのか、ノノの遊ぼうコールは大陸を渡った今でも止む事がない。軍に居れば確かに食いっぱぐれる事は無いが、戦争というものが永遠に続く訳でもないし、いつかはこの戦もイーリスとペレジアの戦争の時の様に終結する、筈だ。だから、グレゴは行く先々でちょっとした依頼を受けては稼ぎにしている。少しでも顔を覚えておいてもらうに越した事はない。
「ノノも訓練したら、剣、使える様になるのかなあ」
「はあ? あんたは変身して戦えるだろー? 剣とか使う必要ねぇだろうが」
「だって、竜石が手元にない時だってあるもん。取り上げられちゃったら、ノノなーんにもできないもん」
「……そうだけどよー」
 ノノが不満そうに、というよりも嫌な事を思い出したかの様な声を上げたのを聞いて、グレゴは何とも言えなくなってしまう。彼がギムレー教団からノノを助けた時、彼女は竜石を取り上げられて変身も抵抗も出来ない状態だった。こんなちまいのを贄にしようとする神様とか何なんだよ何が神なんだよくたばれと思わずグレゴは心の中で罵倒したものだ。連れ出して逃げる際にどさくさに紛れてノノがきちんと竜石を取り返し、照り付ける太陽の下、風が巻き上げる砂漠の砂の中に現れた黄金色の竜に変身した時は、暑がりのグレゴも思わず暑さを忘れてその姿に見入ってしまった。
 ノノが竜に変化した時は、確かに強い。少女の柔肌は硬い鱗で覆われ、強力なブレスを吐く事が出来る。しかしそれ以外の時の彼女は、今グレゴが抱える事が出来るくらいの大きさ、重さだ。護身用のナイフ程度は、確かに使える様になった方が良いのかも知れない。
「……いやー、やめとけ。どうせなら魔導書とかの方が良いだろうよ」
「なんで?」
「何ででも」
 しかし、グレゴはいまいちノノに剣を持たせる気にならなかった。剣や斧、槍で殺傷した時に手に伝わるあの感触を、ノノに味わわせるのは何となく躊躇われたからだ。否、グレゴが何と言ったところでノノが申し出てルフレが承諾してしまえばそれまでだし、戦場ではそんな事を言ってもいられないので、これは単なるグレゴの我儘に過ぎない。幼い弟に武器を取らせない為に自分一人で何とかしていたが、結局弟を死なせてしまった過去を持つ彼にとってノノの言葉は苦い顔しか出来なくなる。
「ルフレがいいよって言ってくれたら、グレゴ、ノノに剣教えてくれる?」
「俺の剣は我流だから人に教えられるもんじゃねえよ」
「えー、ソワレには教えてたのに」
「ありゃー教えてたんじゃなくて手合わせしてただけだぜ」
 武具が格納された天幕の入り口を捲ると、中は薄暗かったがランタンが灯されていて、数量などのチェックをしているのかフレデリクが槍の本数を数えていた。ノノを降ろしたグレゴがフレデリクに手入れ道具を貸して欲しいと所望していたら、ノノが拗ねた様に彼の背に向かってぼそっと呟いた。
「……いやならいやってはっきり言えばいいのに」
「んー? 何か言ったかあ?」
「もういいもん、グレゴのばかっ」
「は? おいノノ、どこ行っ……な、何なんだあ?」
 しかしノノの不満そうな呟きは残念ながらグレゴの耳には届いておらず、聞き返そうと振り向いた彼にそっぽを向いてノノは元来た道を走って行ってしまった。閉じられた天幕の入り口を呆然と眺めるグレゴに、フレデリクは手入れ道具を渡しながら首を傾げる。
「珍しいですね、グレゴさんがノノさんと喧嘩なさるのは」
「喧嘩ぁ? いやー、俺ぁなーんもしてねぇぞ?」
「そうなのですか? 私はてっきりグレゴさんが不用意な事を仰ったのかと」
「なーんでだよ!」
 フレデリクの発言に今度は道具を受け取ったグレゴが不満気な声を上げる。彼には本当にノノが何故怒ったのか分からないのに、その上自分に非があると言われては堪ったものではない。仕方ないので事情を一から説明すると、根が真面目なフレデリクは普段通り肩幅に足を広げて手を後ろに組みつつ真剣に相槌を打ちながら聞いてくれた。
「なるほど、ノノさんが剣を教えて欲しいと申し出たのに対して、グレゴさんは乗り気ではなかったのですね」
「あんた、俺の立場なら教えるかあ?」
「本気でノノさんが望むのであれば、助力は惜しみません」
「んじゃ、ルフレに何か言われたらお前に任せるわ。俺の型は教えられる様なもんじゃねえからなー」
「いえ、辞退致します」
「なーんだよ、やっぱ嫌なんじゃねえか」
 ノノの要求に応える気があると発言したフレデリクは、しかしグレゴの要求は即座に撥ね付けた。やはりノノに剣を使わせるのは嫌なのではないかと眉を顰めたけれども、フレデリクはそうではなくて、と首を振った後に指を一本ずつ立てながら説明し始めた。
「まず一つ、私の剣捌きは確かに戦場でも通用しておりますが、訓練より実戦で身に付けたグレゴさんのものよりは臨機応変さに欠けます。二つ、私が今まで生きてきた経験よりグレゴさんの経験の方がこれから先また放浪をするかも知れないノノさんの役に立つ筈です。そして三つ、これが一番重要ですが、ノノさんはグレゴさんに教えて欲しいと仰ったのであって私に仰った訳ではありません。教えを請うた者相手の方が訓練にも身が入るというものです」
「……… ……えーと……つ、つまり、俺が適役って言いたい訳だな……?」
「そういう事です」
 真面目な顔で一つ一つ丁寧に説明したフレデリクはいつもの様に饒舌で、しかし難しい話を聞く事が苦手なグレゴは立てられる指が増えていくごとに眉間に皺が寄っていっているのが分かって、最終的に話を纏めるだけで精一杯だった。しかも何も解決していないし、振り出しに戻っている。
 しかし考えてみなくてもノノはルフレにまだ打診もしていない筈であるし、またルフレも彼女に剣を扱わせる事を承諾していないのだから、ノノが剣を扱う事が決まっている訳ではない。ガリガリと頭を掻いたグレゴは手入れ道具を片手に溜息を吐くと、フレデリクに礼を述べた。
「ま、言われたら考えらあな。ありがとよ、邪魔したな」
「いえ、邪魔はされておりませんが、ノノさんと仲直りはされた方が良いと思いますよ」
「……おー」
 フレデリクは笑顔の時が一番怖いと誰かから聞いた事があったが、果たして今現在の彼のこの表情は怖いと評して良いのかどうか、それはグレゴには分からなかった。まさかフレデリクからそんな事を言われるとは思っていなかったものだからますます渋い顔になってしまったグレゴが再び重たい溜息を吐いてから天幕の外へと出ると西の空はそろそろ茜色に染まり始めていた。



 雲で見え隠れする下弦の月の頼りない明かりで照らされる天幕に、グレゴは入るぞー、と声を掛けながら遠慮無く入る。深夜の野営は出回る者も少なく静かなものなので、地声が少し大きい彼の声は良く響く為に声は小さくしたつもりであったけれども、ぴんと張った空気を震わせそれなりに辺りに響いてしまった。
「毎回思うが、声を掛けてから入って欲しいもんだね」
「掛けたじゃねぇか」
「掛けながら入れとは言ってない」
「細けぇ事言うなよなー、ハゲるぞ」
「へえ、あんたは昔細かい事言ってたんだ?」
「おいこら今すげぇ失礼な事言ったな?」
 返事も聞かずに入ってきたグレゴをじろりと睨んだルフレは、軽く流そうとしたグレゴに最大限の皮肉を言った。お世辞にも地毛が豊かとは言い難いと自覚しているから、ついその皮肉に反応してグレゴもルフレを睨んでしまう。年はグレゴの方が上だが口はルフレの方が達者だ。言い合っていても負ける事は分かっているから、心底不服ではあったがグレゴはそれ以上何か言うのを止めた。厳つい外見とは裏腹に、彼は結構繊細な心の持ち主なので、容姿の事であれこれ言われると傷付く。その割には口に出した言葉が「ハゲるぞ」なので、自業自得としか言えないのだが。
「それで、首尾の方は?」
「大樹のとこにわんさと兵を集めてやがるな。周辺部の領主共は様子見を決め込んでる」
「じゃあ、大樹に集められてるのは純粋に帝国軍のみなんだな?」
「間違いねぇ。ただしこっちが不利になったら周りから固められて退路が断たれる可能性もある」
「そうだな。その辺りの牽制も必要だな……」
 設えられた簡易のテーブルに積まれた本の間から覗かせるルフレの顔は険しい。先にイーリス大陸に侵攻してきたのはヴァルム帝国軍であるとは言ってもヴァルム大陸の諸国にしてみればイーリス軍は侵略軍だ、周辺諸国の領主達が警戒するのも当たり前と言える。ただ、これはやはりヴァルム帝国軍とイーリス軍の間の争いであるから、ヴァルム帝国に従順な態度さえ見せていれば諸国の領主達は自国領の被害を出さずに済むので、そこまで積極的に介入してこようとはしない筈だとルフレは踏んでいる様だった。これはヴィオールからの進言でもあった。
「兵の配置分散も必要だからな……その辺りはまたフレデリクと詰めていこう。有難うグレゴ、ご苦労様。はいこれ」
「毎度。金さえ貰えりゃ何でもするぜー?」
「それに見合う金額であれば、だろう?」
「あったりめーだろ」
 金貨の入った巾着をローブのポケットから無造作に取り出したルフレは、それをそのままグレゴに差し出した。中身は確認せずとも手に乗せられれば大体の額は分かる為、グレゴもそのまま巾着をポケットに捩じ込む。本当に金貨であるか否か、というのは確認しない。それは彼らの間の信頼関係からきている。グレゴはルフレをきちんと支払う雇い主と認識しているし、ルフレはグレゴを信用に足る傭兵だと認識しているから、用心はするけれども疑いはしなかった。
「金に見合うと言えば、グレゴ、あんたに別口の頼みがあるんだが」
「んー? 何だあ?」
「ノノに剣を教える気は無いか」
「ねぇ」
 そして唐突に提示された別の依頼事に、グレゴは思い切り眉を顰めてから即座に拒否した。どうやら結局ノノはルフレに剣を扱える様になりたいと頼んでしまったらしい。何だってあいつはそう武器を取りたがるかね、とグレゴが苦いものを食べた様な顔になってしまったのも詮無い事だろう。戦場に出れば年など関係なく一兵士というのはどの国でも共通している――もっとも年だけで言えばノノはこのイーリス軍の中で一番年上なのであるが――し、彼女の先だっての発言も考慮すべき点だが、それでも誰かを斬るあの感触を味わわせたくはないと思ってしまうのだ。
 だがグレゴのそんな思いなどルフレが考慮などする訳がなく、尚も交渉を続けてきた。
「今回のその金額の二割増しで」
「……三割増し」
「二割半」
「………」
「ノノがきちんと剣を扱える様になったら達成報酬で別途酒を出そう」
「あーくそ、分ーかったよ、その条件で引き受けてやる」
 今回貰った金額は敵地を単身で出歩くに近いものであったからそこそこ多く、故にそれの二割半増しとなればグレゴだってぐっと心が揺らぎ、結局折れて引き受けてしまった。稼いでなんぼと言われる傭兵である彼だってそれなりの金額を提示されてしまったら諾と言ってしまうものなので、これについては責められる言われはないとグレゴは自分に言い聞かせていた。
「そもそも、なーんであいつはそんなに剣に拘るかねえ。別に魔法でも斧でも弓でも良いだろうに」
「あんたが剣を使うからじゃないか?」
「はあ? 何で俺が使ってたらなんだよ」
「……あんた、案外自分の事には鈍いんだな……人には恋愛アドバイスとかする癖に」
「は……?」
 自分の疑問に対し意味深な呟きを吐いたルフレにグレゴは思わず間抜けな声を上げたのだが、ルフレはそんな彼の反応に呆れるしか無かった様で、面倒臭そうに後頭部を掻いた。何から説明したら良いのやら、といった顔付きに、グレゴは何となくむっとする。
「ノノがあんたにばっかり絡む理由に、いい加減気が付けと言っているんだ。あんたが思う以上にノノは大人だし女だぞ」
「……ちょ、ちょーっと待て、そりゃーつまり……」
「そういう事だ」
「………」
 ルフレからそういう事を言われるというのも何となく腑に落ちなかったが、しかしそれ以上に自分に向けられる純粋な好意というものに全く気が付いていなかったという事実を知らされ、グレゴは呆然とするしか出来なくなる。確かにノノは必要も無いのに抱き上げろと言ってきたりするし、用も無いのに周りをちょろちょろとしているしで、言われてみればそんな気もしないでもないのだが、しかし。
「いじらしいな、使った事も無い剣使ってまであんたの側に居たがるなんてな」
「……べ、別に剣使わなくても良いじゃねえかそれなら」
「あんたがいつ誰を好きになるか分からないだろう?」
「………」
「もてる男はつらいな、グレゴ」
 困惑した表情を浮かべているグレゴとは対照的に、ルフレは口の端だけを上げて楽しそうな声で言う。他人事だと思いやがって、とグレゴは思ったが、実際他人事だ。ルフレ自身はそこまで恋愛事に関して明るい訳でもなく、また未だに特定の誰かに好意を抱いているとも見えない。そして大して興味がある訳でもなさそうだった。そんな男なものだから、自分より年上の男が少女に好かれて困惑している姿を見て楽しんでいる。
「まあ、そういう事だから、ノノに剣の指導は頼んだ。心配しなくてもダークナイトにさせるんだから、そこまで剣は扱わせないよ」
「そうかよ……」
 扱わせようが扱わせまいが、どの道自分はノノに剣を指導する事になるのだから好きにしろという投げやりな思いがグレゴを満たしていく。フレデリクと話した時と同様、彼は溜息しか吐く事が出来なかった。



 ルフレの天幕を辞した後、グレゴは雑魚寝用の天幕には行かず、武器を格納している天幕に足を運んでいた。自分の剣の手入れ、ではなく、ルフレに言われた通りノノに剣の指導をする為、彼女の手にどんな剣が馴染むかを見る必要があったからだ。否、稽古をつけたり手合わせをしたりする時は木刀であるし訓練する時は青銅のものだと決まっているのだが、恐らく剣というもの自体を持った事が無いだろうから、練習用の手頃なものを探して柄に布でも巻いておこうと思ったのだ。軍師から金を貰う以上は手を抜く訳にもいかないし、教える相手は顔見知りなので、面倒臭がりなグレゴだってそれなりの配慮をする。
 しかし武具の天幕の前に夜間の見張りが居らず、グレゴは首を捻った。兵士達は各々己の武器を持っているとは言え、多くの武具を保管する輸送部隊も無ければ軍隊の武器管理は出来ないので輸送部隊専用の天幕も設けていて、そこには必ず交代制で見張りが居るものなのだ。侵入者でも居るのか、と警戒して足音を潜め、気配を殺してそっと天幕の入り口を捲ると、数台のランタンの明かりに照らされた内部にはフレデリクとリズが居た。
「おや、グレゴさん、何か忘れ物ですか?」
「……見張りが居ねぇと思ったら、そうか、お前が今日の当番だったなー。で、リズはどうした」
「私? フレデリクに斧を選んでもらってたの」
「斧ぉ? ……あー、そういやあんた斧使う様になったんだっけか」
 今夜の当番は先日もこの天幕に居たフレデリクが再びついたらしいのだが、何故そこにリズが居るのか分からずグレゴが尋ねると、彼女はいつもの笑顔で手に持っていた斧を掲げて見せた。可愛いと評しても問題ない外見にそぐわない持ち物にグレゴは少しだけ眉を顰めたけれども、フレデリクは苦笑するだけで何も言わなかった。
「グレゴさんはどうしたの?」
「あー……ちょーっと探しもんをな……」
 先程フレデリクから同様の事を尋ねられてはぐらかしたものの今度はリズに聞かれてしまったので曖昧に答えたのだが、フレデリクはすぐに察した様でああ、と後ろを見渡した。彼の目線の先には剣の置き場があり、グレゴはばつの悪い顔になってしまう。
「探し物なら私も手伝おうか?」
「いやー……、別に……」
「木刀と剣と、どちらになさいますか? ノノさんがお持ちになるなら、あまり長くないものの方がよろしいですね」
「ノノ? 何でノノに剣がいるの?」
 グレゴのばつの悪さなど全く気にもしないというか全く気が付きもしていない様子でフレデリクが勝手に木刀の置き場を探り出し、グレゴはこの上無く苦い顔になる。ルフレから言われた事を思い出すと必要以上に言い触らしたくない剣の指導の事を早速他人に知られたのが彼をその表情にさせた。
「何でって……教えろって言われたからよぉ」
「へー、あんなに強そうなドラゴンに変身出来るのに。グレゴさんに教えてもらいたかったのかなー」
「その様ですね」
「最近離れる事多くなっちゃったって言ってたもん、それでだろうね」
「……は、はあ……?」
 納得した様にうんうんと頷きながら自分をよそに木刀をあれでもないこれでもないと探すフレデリクとリズに、グレゴは間抜けな声を出してしまった。誰が何を言っただと、と思わず聞き返しそうになったのをぐっと堪え、二人の頭の間をひょいと覗いて影で見えにくい木刀の束を見遣り、奥に隠れている小さな一振りに手を伸ばす。無言で取ったのは、色々癪だったからだ。
「それにする? 布いる?」
「俺がやるから良いわ、あんたは自分のもんを気にしときな」
「ちゃんとノノの手に合わせてあげてね。肉刺が出来たら手当てしてあげてよ?」
「えっ、それも俺がやんの?」
「当たり前だよー! そっちの方がノノも喜ぶよ」
 まさか肉刺の手当てまで本業であるリズに任されるとは思っておらず、グレゴの喉から素っ頓狂な声が出た。否、ルフレから余計な事を言われてさえいなければ普通にそうしていただろうけれども、今は何となく気まずさが漂う。自分の体躯に比べて不釣り合いに見える短い木刀を片手に、グレゴはそれこそ途方に暮れた様な表情になった。
「良いじゃない、ノノもグレゴさんと一緒に居たくて使った事も無い剣教えてって言ってるのに」
「……ちょ、ちょーっと待て、あんたらはその……ノノがどう思ってんのか、知ってんのかあ?」
「見てれば分かるよ。あー、グレゴさん、ぜーんぜん気が付いてなかったんだー」
「な……なーんだよぉ……」
 まさか知っているのか、と背中に嫌な汗を今更かいたグレゴが尋ねると、リズは呆れ顔で意地悪そうに答えた。フレデリクは黙ったままだったが頷いてリズと同意の姿勢を見せる。リズはともかく朴念仁とグレゴは思っているのフレデリクにまで同意されてしまってはグレゴも立つ背がない。
 グレゴにとってノノはペレジアの砂漠で助けた少女で、それがおとぎ話の世界の住人だとばかり思っていたマムクートで、自分に対しそこそこ懐いてくれている子供、という認識しか無い。しかし自分よりうんと長く生きている年長者であり、ルフレもリズも言った様に女なのだ。ちょこちょこと付き纏っていたのも彼女なりのアピールであったらしい。
「大体グレゴさんがノノに言ったんじゃない、離れるな側に居ろって」
「はあ?! 言ってねえぞそんな事!」
「いえ、私もペレジアの砂漠で聞きましたよ」
「……ま、まーて待て待て! そりゃーギムレー教団の奴等が襲ってきそうだったからであって俺に他意は無かったぞ?!」
 追い討ちをかけるかの様なリズの言葉にぎょっとして即座に否定したグレゴは、しかしフレデリクの補足でそういえばそんな事を確かに言った、と思い出す。だがそれは飽くまで戦場での話で、何もずっと側に居ろと言った訳ではない。そもそもそんな言葉がノノにとって告白じみたものとなるのであれば、彼女はこれまでに何人もの恋人が居た事になってしまうのではないかと思うのだ。
「グレゴさんに無くてもノノにはあったんだと思うよ? あの後も暫く側で戦ってたじゃない」
「そ、そりゃー、あいつが俺に鱗を縫い込んだ腹巻きとかくれちまって防御が下がると思ったから近くで戦えっつっただけで」
「もー、まだるっこしいなあ! 男なら好いてくれる女の子の気持ちをはぐらかしちゃダメでしょ!」
「はぐらかしてる訳じゃねえっつーの! 俺はあいつになるべく殺生させたくねえんだよ! 近くに居たら俺が対処出来るだろーが!」
 埒が明かないと思ったのかリズが声を荒げた為に、グレゴも思わず怒鳴ってしまった。その怒号にリズは驚いた様に肩を竦めたが、フレデリクが咄嗟に間に入る。女に怒鳴ってしまったとグレゴはすぐに自己嫌悪に陥ってしまったけれども、そんなものは後の祭りだ。しかし恐々と自分の肩から顔を覗かせるリズを背に隠しながら、フレデリクは普段通りに例の仁王立ちでグレゴを見据えた。
「グレゴさん、それは、リズ様にもそう思われますか?」
「はあ?」
「リズ様にも武器を取らせたくない、殺生をさせたくないと思われますか?」
「………」
「即答出来ないという事はつまり、止むを得ないとお思いなのですね?」
 天幕に入った時、リズはフレデリクに斧を選んでもらっていた。フレデリクにとってリズは主君であるクロムの妹であり、仕えるべき相手であり、守るべき者だ。そんな彼女もいつまでも杖だけを振るってはいられないと、自ら武器を取る事を選んだ。その選択を、果たしてフレデリクはどう思ったか。恐らく反対したに違いない。否、フレデリクだけではない、兄のクロムも同様だった筈だ。危ないから、というだけではなく、殺生をなるべくさせたくないという思いが、彼らに難色を示させた。それは彼らがリズを大事に思っているからに他ならない。
「グレゴさん、私ね、お兄ちゃんやフレデリクや皆に守られてばっかりなのは嫌なの。自分の身は自分で守れる様になりたいし、後方支援ばっかりじゃなくてお兄ちゃん達の側に居られる様になりたいの。グレゴさんがノノに余計な殺生させたくないって言ってたけど、ノノも同じなんじゃないかな。私だってお兄ちゃんやフレデリクにはそう思うもん」
「………」
「もう一回言うね。女の子の気持ちをはぐらかしちゃダメだよ?」
「……あー、もう、分ーかったよ……」
 フレデリクの後ろに隠れていたリズは、それでも言葉を発する内に臆する思いが消えたのか、きちんとグレゴの前に立って自分より背の高い彼を見上げながら真剣な目で言った。はぐらかしているつもりは本当に無いし、そもそも知ったのが今日なので寝耳に水というものなのだが、女の思いを無視し続けるのは確かに男が廃る、様な気がする。
「お嫌いでは、ないのでしょう?」
「そりゃ、嫌いじゃねえけどさ。子供って認識しかねえんだもんよ」
「でもグレゴさん、ノノと一緒に居ると楽しそうだけどなー」
「まー……退屈はしねえわな……」
「そういうの、大事だと思うよ」
 何だかどっと疲れてしまったので結局天幕に残って選んだ木刀の持ち手部分に滑り止めの布を巻きながら、グレゴは斧の柄に同様の事を施しているフレデリクやそれをきちんと見ながら覚えようとしているリズと他愛ない話をした。こんな深夜までリズが起きているという事に対し全く疑問に思っていないグレゴは、彼女がルフレに言われてこの天幕に居るという事を知らない。と言ってもリズだって何故居ろと言われたのか分からなかったしグレゴが手頃な剣を探しに来たと聞いて漸く理解したので、ルフレさんも人が悪いなあなどと内心苦笑していた。そして何より、自分よりうんと年上の男が外見は子供のノノの為に木刀の具合を確かめている姿が微笑ましかった。



「うう……いたいよぉ……」
「だーから言ったろ、慣れねえ内はずっとやってりゃ肉刺が出来るし破れるのは当たり前なんだよ」
「うん……」
 涙が混ざった声で痛みを訴えるノノの小さな掌に、しかしグレゴは少しだけ眉間に皺は寄っていたけれども呆れもせず顰めっ面もせず、消毒の為の度数が高い酒を含ませたガーゼをあててやる。彼がノノに剣の扱い方の基本を教えてやる様になってから日は浅いのだが、興味があったのか元からの素質があったのか、それはグレゴには分からないけれども、彼女の上達は速かった。魔法をメインに使わせるからとルフレに言われてはいてもおざなりに教えるという事はしたくなかったし、何より刃物の扱いを適当にしてしまえば周りの者だけでなく本人まで怪我を負ってしまう。
 グレゴの手と比べると、ノノの手は小さい。本当に小さい。半分とまではいかなくても、グレゴの手の中にすっぽり収まる程度には小さい。こんな手で千年以上生きてきたんだよなあ、と思うと、何となく親指の腹で彼女の掌を撫でてしまった。
「今日と明日はもう剣握るなよ。使うなら魔法にしとけ」
「……うん」
「そーんな残念そうな顔すんなよなー。これ以上手ぇ痛めたらそれこそ剣握れなくなっちまうだろうが」
「だって……」
 釘を差すと口籠った返事をしたノノの頭を、グレゴはぐりぐりと撫でる。恨めしそうに上目遣いで見上げてくる紫水晶の大きな瞳は不満気で、その事に彼はやれやれと溜息を吐く。
「あのな、あんたは剣使えなくても魔法使えるだろー? 俺は魔法に弱ぇんだからさ、援護してもらえると助かるぜ?」
「……ほんと? ノノ、ちゃんと役に立てる?」
「今までだーれもあんたの事役に立ってねえとか言った事ねえだろ。俺だって助かってんだから、そう必死になるな」
 ノノの髪を乱暴に乱すのを止め、ゆっくりと頭を撫でてやると、そこで漸く彼女はほっとした様な表情を見せた。竜に変身して戦っていたノノは今では馬上で魔法を操れる様になっている。剣よりも魔法の方が扱いやすい様ではあったがそれでもグレゴに剣を教えてほしいと言ったし、グレゴももうそれを拒否はしなかった。ルフレに依頼されたから、という事もあるが、それ以上にリズ達から女の思いを無碍にするなと言われたせいでもある。
 あれ以降、グレゴもよくよく考えたのだ。ペレジアの砂漠で捕らえられていたノノを助けた時、苦手な暑さの中での立ち回りの中、それでもノノに怪我をさせまいと必死になった事を覚えているし、クロムに雇ってもらえた後に何気なくくれた腹巻きは彼女が痛い思いをして作ったものだと知って苦い顔をしてしまった事も覚えているし、防御が落ちた分は自分がカバーするから側から離れるなと言った時に彼女がひどく嬉しそうな顔をした事も全部覚えている。そんな事などすぐに忘れてしまう性格であるのに、全部覚えていたのだ。それに気が付いた時は、何と言うか、ルフレに負けてしまった気がした。別に勝負などしていた訳でもないのだが。
「あんたが剣握れない代わりに、俺が剣使うからよ。あんたは魔法で援護してくれるか?」
「……邪魔じゃない?」
「俺ぁあんたの事一度も邪魔とか思った事ねえぞ」
「……えへへ。そっか」
 肉刺が潰れた掌を痛くない様にそっと撫でると、はにかむ様にノノが笑う。頬が心なしか赤いのはグレゴの気のせいではないだろう。何となく恥ずかしい事をした様な気がしたのでそっと手を離すと、今度はノノがグレゴの大きな手を掴んで同じ様に撫でた。
「グレゴのてのひら、いっぱい肉刺が出来た痕があるね」
「そりゃーまあ、なあ。これで金稼いで飯食ってきたからなあ」
「でも、そうやってきたからグレゴはあの時ノノを助ける事が出来たんだよね。ありがとう」
「………」
 労る様に、慈しむ様に、肉刺が潰れた痕が多く残る荒れた掌を撫でるノノのその言葉には、心の底からの感謝が篭っていた。あの時グレゴが助け出していなかったら恐らく彼女は贄としてギムレーに捧げられていただろうし、そうなれば今のグレゴの前に居なかった訳で、そう思うとあの時ギムレー教団に雇われて良かったとも思う。そして、立ち回れるだけの力があって本当に良かったと今は思うのだ。
「……あのよお、あんたが剣だろうと魔法だろうと使えたとしても、危ねえ時はちゃーんと助けてやるから」
「うん」
「だから俺の目のつくとこに居ろよ。側に居といてくれ」
「……う、うん」
 手を離したノノの頭をもう一度柔らかに撫でながらグレゴが言うと、彼女は一瞬何を言われたのかときょとんとしたが、他意があるのか否か分からないけれどもといった風に今度こそ頬をりんご色に染めた。ただ、グレゴはそれ以上の事を言うつもりは無かった。
「その肉刺、ちゃーんと治そうな。治ったらまた稽古してやるから」
「余計な事しなかったら、すぐ治る?」
「ああ、隠れてこそっと素振りとかしねえ限りはなー。……頑張るのも良いけど、だーれもあんたを置いてったりしねえから心配すんな」
「……うん……」
「あーあー、泣くな泣くな……うおっ」
 ノノはいつでも置いて行かれる事をひどく怖がっていて、必要とされる事にある種の強迫観念を抱いていた。それは恐らくグレゴが一番知っているし、だからこそ自分が見ていない所で彼女が素振りをしていた事をそれとなく禁止すると、ノノは見る間に顔をくしゃくしゃにして大粒の涙を零した。そしてグレゴの懐に飛び込んで抱き着き、大声を上げるのではなくて声を噛み殺して泣き始めた。
 一人は寂しいよなあ、とグレゴは思う。親を亡くし、弟を亡くした過去を持つ彼は、ノノが胸に抱く置いて行かれる事への恐怖というものが何となく分かるし置き去りにされた時の寂しさというものも分かる。それを僅かな間だけでも自分が緩和してやれるのなら、というのがグレゴが出した結論だ。


こういう恋の始まり方も、悪くねえわな。


自分の胸の中で泣くノノの泣き声を聞きながらそう独りごちたグレゴは、彼女の震える小さな肩を荒れた手でそっと抱く。そしてルフレから貰ってポケットに捩じ込んだままの金の事を思い出し、ノノの小さな指にも嵌められる様な指輪でも買いに行こうと思っていた。