「高ぇとこはゴメンだ!!!」
朝の軍議が終わった後の天幕で、悲鳴にも似た男の叫びが2つ、重なった。
「これはお願いではなくて、命令。分かった?」
それを聞いた軍師のバーブチカは、図体でかい男の癖に…と思いつつも、微笑して一蹴した。後に残ったのは、男2人の呻き声だけだった。


この世の終わりの様な顔をした男が2人、並んで座って沈黙している。2人共片手で頭を抱え、眉間に皺を寄せて、図らずも同じタイミングで溜め息を吐いた。
「何でわざわざ俺を選びやがるんだあの女…くそっ」
「まー…命令なら従うけどよー…」
「俺はゴメンだ!お前は雇われだから従うのも当然だが俺は違うぞ?!」
「お前こそ我儘言えた身じゃねえだろ」
「ぐ…」
彼ら2人は今朝の軍義で下された命令に大声を上げて反対したのだが、下した張本人であるこの軍の軍師、バーブチカに笑顔で却下された。見た目は美しいがその実肝の据わった女で、男の恫喝など全く効きもしないばかりか逆にこちらを微笑みながら脅してくる。今朝、軍師バーブチカが下した命はこうだ。

―ギャンレルはエメリナ様と、グレゴはノノと組んで、偵察出来る様になって頂戴。

魔力が高いエメリナは現在ファルコンナイトへと転職し、機動力を生かして遠方の仲間の回復にあたっている。一方のノノはバトルシスターに転職したセルジュの愛竜ミネルヴァを借り受け、ドラゴンマスターへ転職した。つまり、エメリナもノノも飛行系の戦士となっている。そんな2人と組んで偵察しろと言うのだから、高所恐怖症の男2人は大声で拒絶したのだ。ばっさりと却下されてしまったけれども。俺に膝枕された夢見て顔赤くしてた頃は可愛いもんだったのに、と口には出さなかったが赤茶色の髪の男―グレゴはもう一度小さな溜め息を吐いて隣の男を見た。
「諦めろ。エメリナさんもお前には懐いてるし」
「クロムとリズと、誰だあの従者、あいつの視線が痛えんだよ!」
「自業自得だろー?」
「…そうだけどよ」
今度こそ両手で頭を抱えた男―ギャンレルは腹の底から大きな溜め息を吐き、うう、と呻いた。
このギャンレルが数年前に当時のイーリス聖王エメリナを公開処刑で死に至らしめたのは記憶に新しいし、ギャンレルをクロムが討ち取った事も皆忘れていない。しかし、死んだと思われた2人は実は生きていた。そんな都合の良い物語みてえな展開ある訳ねえだろとグレゴは思ったのだが、あったのだから仕方ない。昔大事な者を亡くした身としては複雑な心境だ。だから何となく、ギャンレルに対してついつっけんどんになってしまう。
そしてグレゴが言った通り、エメリナはギャンレルに実に良く懐いた。クロム達と再会したエメリナはそれまでの記憶が全て無くなっており、ギャンレルは勿論クロムやリズの事さえ忘れてしまっていた。のみならず、言葉も不自由になっており、片言しか話せなくなっていた。そんな状態のエメリナに再会したクロム達は複雑そうではあったものの、彼女が存命であった事を喜んだのだ。しかし、エメリナを保護した時には既にこの軍に加入していたギャンレルは喜んで良いものなのか分からなかった様で、なるべく彼女を避けて行動していた。
それなのに、だ。それなのに、エメリナは皆の輪から外れて1人で行動するギャンレルに事あるごとに近寄り、話し掛け、多少強引に皆の元へ連れてきた。ギャンレルにしてみれば迷惑この上ない仕打ちは、しかしエメリナには全く悪意は無く、だからこそ質が悪い。少なくともギャンレルにとってみれば、だが。
「そもそも、高ぇトコが苦手な奴が空中で役に立つかって話じゃねえか?」
「まあ、なあ。お前はそれなりに魔力あるからサンダーソードが役に立つだろうけど、俺はなあ」
「おいこら、お前1人で逃げようたってそうはいかねえぞ」
「どーうしたもんかねえ…」
ギャンレルの意見は尤もなものであり、グレゴも同意したものの、ギャンレルには魔法剣がある。空中でどちらが役立たずかと問われれば、その魔法剣が使えない―否、使えるのだが魔力がほぼ無いと言っても過言では無いので攻撃力が見込めないのだけれども―グレゴに軍配が上がる。そんなもので上がっても仕方ないが。その事について言及すれば、ギャンレルはお前1人で逃がすかと言わんばかりに噛み付いてきた。
グレゴは子供の頃、父親から木の上に三日三晩縛り付けられて以来高い所が苦手だ。足が竦むし下半身が冷える。泣けば弟が泣くと思い、泣き叫ぶ事も出来なくて、何度も吐きそうになるのを我慢して耐えた。あの時の事を思い出すだけで物凄く嫌な気分になれる。だからと言ってその時の事をいちいちバーブチカに説明する気にもなれなかったし、説明した所で「じゃあそのトラウマを克服したら良いのよ」と言うに決まっている。あれはそういう女だ、とグレゴは思っている。
ただ、何故ギャンレルが高い所が苦手なのか、誰も知らないらしかった。ギャンレル本人の口から理由が言われた事が無いからなのだが、聞いて良いものなのかどうか、グレゴには分かりかねる。自分の様に何かトラウマがあったのなら思い出させるのも忍びないし、人にはどんな所に地雷があるのか分からないからだ。ギャンレルの生い立ちも良いものではない筈で、良かったのなら暗愚王などと呼ばれる王にはならなかっただろう。だからグレゴには今の所聞くつもりは無かった。
「あー、グレゴみーつけたっ!エメリナー、ギャンレルも居たよぉ」
「ぎゃん…れる、いた…」
「げっ…」
どうやってファルコンや飛竜に乗らずに済まそうかを考えていた2人の前に、今朝ペアを組む様にと命が下された女2人が姿を見せる。朝の軍議の時にはエメリナもノノも居なかったので後から聞いた様だが、ギャンレルもグレゴも2人を避ける様に、また逃げる様に野営から離れた所で座り込んでいたので少し探さなければならなかったらしい。グレゴは普段であればノノに見付かってもこんな風に引き攣った顔をしないし気さくに話すのでどうという事はないが、今は別だ。片やギャンレルはエメリナが話し掛けると何時もこういう反応をする。仕方ない事ではあるのだが。
「あのね、バーブチカがね、グレゴと一緒にミネルヴァに乗りなさいって言ったの!
 一緒に訓練しよ?」
「あー…うーん…」
グレゴはノノをギムレー教団から連れ出し、助けてくれた人物であったから、最初の内は少し怖がっていたもののすぐに懐いて良く一緒に訓練していた。だから彼女がこうやってグレゴを誘うのは何の不思議も無いのだけれども、その「ミネルヴァに乗って」というのが問題なのだ。ノノはグレゴが高い所が苦手だという事を知らない。知れば絶対に一緒だったら怖くないよ!と言うだろうから今まで言わなかったからだ。しかしこうなってしまったら、素直に言う他無いだろう。なので口を開こうと思った瞬間、隣のギャンレルがぼそっと呟いた。
「…俺は、乗らねえぞ」
それはノノに向かって言ったのではない。エメリナに向かって言ったのだ。言われたエメリナはきょとんとしていたが、ギャンレルは苦虫を噛み潰した様な顔でもう一度言った。
「だから、お前と一緒には乗らねえって言ったんだ」
「…わたしと、いっしょ…は、いや…?」
「嫌って言うか…」
「のの…となら、いい…?」
「………」
そういう意味でも無いと言いたげなギャンレルの顔は酷く罰が悪い様な、気まずい様な、そんな色を孕んでいた。ただ、グレゴには「まだマシ」と言っている様な気がして、5秒程の沈黙の後にギャンレルより先に口を開いた。
「エメリナさん、あんた、高ぇトコは大丈夫かい?」
「たかい…とこ…?」
「ああ、ファルコンに乗って空飛ぶよな?怖ぇか?」
「…こわい…、ちがう…。なつかしい…?」
「懐かしい?エメリナ、何か思い出せるの?」
エメリナはペレジアで公開処刑に処された時、クロム達の前で崖から身を投げた。だからその時の記憶が欠片でも残っていれば、高い所は少なからず怯えるのではなかろうかとグレゴは思ったのだが、どうやら彼女は恐ろしいとは思わないらしい。証拠に、スミアやティアモにファルコンの操り方を教えて貰って今では普通に乗りこなしている。そこには怯えなど微塵も見受けられない。まー気持ち良さそうに飛ぶもんだ、とグレゴも見上げて思った事があるものだ。
そして、ちらと隣のギャンレルを横目で見ると、彼は何か言いたい様な、だけど何を言って良いのか分からない様な、そんな顔をしていた。そのギャンレルの肩をがっしり掴むと、グレゴはおもむろに立ち上がった。
「な、何すんだお前いきなり」
「悪ぃなー、エメリナさんにノノ、ちょーっと待っててくれねえかな。5分で戻るから」
「お、おい!離せ!」
「うるせぇこっち来い」
ギャンレルは元ペレジア王とは言え腕っぷしはグレゴの方が勝るので、彼はずるずるとグレゴに引き摺られてエメリナとノノが居る所から離れた所に連れて行かれた。残された女子2人は首を傾げて顔を見合わせたが、すぐに戻るという事だったので、大人しく待つ事を選んだ様だった。一方の、グレゴに引き摺られたギャンレルは肩を組むというよりも首を腕で締め上げられた様な形で引き摺られたものだから、離した時には息切れしていた。
「苦しいだろうがおっさん!」
「おっさん言うなガキ」
「いてっ!」
自分にとって暴言を吐いたギャンレルに手刀を落としたグレゴはやれやれと項を擦り、睨んできたギャンレルを目を細めて見た。お互いそれなりに修羅場を潜ってきた男だ、据わった目というものがどれだけのものであるかは分かっている。仕方なしにギャンレルは大人しくグレゴの次の言葉を待った。
「聞いたろー?怖くねえんだとよ」
「…あぁ?」
「エメリナさんは、高ぇトコ怖くねえって言っただろうが」
「………」
エメリナは、穏やかな顔で怖いとは違う、と言った。嘘を言っている様には見えなかったし、本当に何か懐かしむ様な表情だった。ただ、その「懐かしい」があの日の事を指すものであるのかは分からないが、エメリナにとって高い所は恐怖を感じる場所ではないのだ。
余程辛い事があったからエメリナはこうなったのだろう、と、彼女を保護していた者達は言った。その「辛い事」が処刑の事であるのか、それともその後に捕らえられていたらしいギムレー教団の者達に何かされたのか、それは分からないが、自分が仕出かした事に端を発しているとギャンレルは自覚しているから、エメリナの今の状態はやはり己のせいだと彼はちゃんと分かっているし、言い逃れはしない。あの時はああするしかなかった、とギャンレルは思っているのだ。
「お前、エメリナさんが飛び降りたあの時の事思い出すから、高ぇトコが怖ぇんじゃねえのか」
「…んな事、」
「ねえか?本当かぁ?よーく思い出してみろ。
 あの時エメリナさんが眼下に居たペレジアの民衆に言葉を掛けて、
 ペレジアのイーリスへの憎しみぜーんぶ背負うみたいに崖の淵に立って、
 手ぇ合わせて身投げして」
「止めろ!!」
逃げる事を許さない様にギャンレルの肩を掴んだグレゴは、ギャンレルがあの日の事を良く思い出せる様にゆっくり言葉を紡いだが、途中でギャンレルが叫んで遮った。普段から顔色が余り良くない彼が、更に顔面蒼白になって脂汗をかいている。
「な、何だお前、人の傷口遠慮無く抉りやがって!
 俺だって、俺だって後悔してねえ訳じゃ、」
「だからよぉ、その後悔の元が怖くねぇって言ってんじゃねえか」
「…あ?」
「エメリナさんがクロムに保護されるまで、
 ギムレー教団に何されてたかなんて俺らは分からねえし思い出して貰わなくても結構さ。
 けーど、エメリナさんは高いトコは怖くねぇって言ったろ」
「…だから何だってんだ」
「少なくとも飛び降りた事ぁ怖くなかったんだろ」
「………」
「よーく見てみろよ、エメリナさん、聖王だった頃に比べりゃ随分と柔和な顔してるぜー?
 作り物の笑い顔じゃねえし、まー本当に穏やかに笑うもんだ。
 …小せぇ頃から聖王やらされて、かなりの重圧だったろうからなあ」
実を言えばグレゴは昔、聖王を継いだ頃のエメリナを見た事がある。本当にまだ幼い少女と言っても過言ではないエメリナに、イーリスの民衆は罵声を浴びせ、石まで投げていた。それでもエメリナはぐっと泣くのを堪えて何も言わず民衆に頭を下げ、言い訳一つしなかった。余りの立派な態度に、思わずグレゴは拍手したものだ。イーリス国外の人間であるグレゴにしてみれば、民衆は子供を苛めている大人という風にしか見えなかった。あの時のエメリナの顔に比べれば、今の彼女の方が余程少女の様に見える。良くも悪くも、身投げしたあの日にエメリナは全ての重圧から逃れる事が出来たのだ。
それは確かに、あの時ギャンレルが言った通り無責任だったかも知れないし身勝手だったかも知れない。それでもペレジアは結果的にギャンレルの恐怖政治から脱却する事が出来たし、イーリスは王家に対する国民の絶対的な信頼と同情を得た。エメリナが取った行動は正しくはなかったのかも知れないが、良い方向に向かわせた。
「誤解すんなよ、後悔すんなって言ってんじゃねえぞー?
 けーど、エメリナさんにもうちょーっと歩み寄ってやれよ」
「…あのなあ、それが出来りゃこんな苦労は」
「お、何だ、ちゃーんと努力しようとはしてんだな。
 なら、エメリナさんと飛んでみたら良いじゃねえか」
ギャンレルは何時でもエメリナと距離を置いた。そしてエメリナはギャンレルに歩み寄ろうとした。自分を避けていると分かったからだろう。自分と一緒にファルコンに乗るのは嫌かと聞いた彼女の表情は、まるで好きな相手に断られて落ち込む少女そのままだった。イーリスもペレジアも関係無い、ただの男と女になってしまったのなら、お互いが手を伸べても構わないのではないか。そんな事をグレゴはちらっと思った。
「…お前、良い感じに話纏めようとしてるな?
 そうはいかねえぞ、お前もノノと一緒に飛べよ?!」
「おーっと、バレちゃしょーがねえなー」
「くそったれが、むかつく野郎だぜ…」
ふと、ギャンレルが思いついた様にグレゴにそう言うと、グレゴは軽く笑ってギャンレルの肩を離した。ギャンレルがエメリナの操るファルコンに乗り、魔法剣を使用していれば自分がノノの操るミネルヴァに乗らなくても良いのではないかと思っていたのだが、どうやらギャンレルは逃がす気が無いらしい。否、元からバーブチカが逃がしてくれる筈も無いけれども。
「ねえねえ、お話まだ終わらないのー?」
「あー、すまんすまん、もう終わったぞー」
待つのに飽きたのか、可愛らしい声が肩越しに聞こえ、グレゴは苦笑して振り向いて右手を軽く挙げた。つられて、ギャンレルも声がした方角を見遣る。視線の先には、目が合ったエメリナが微かに笑ってファルコンの手綱を持っていた。恐らく、一緒に乗る事を心待ちにしていたのだろう。自分が風を感じる事を心地よく思っているからギャンレルにも体感して欲しいのかも知れない。その微笑を、ギャンレルが裏切れるかどうか。そして同じ様にノノもにこにこと笑いながらミネルヴァの手綱を手にしている。グレゴはその無邪気な笑顔を裏切る事は出来ないから、また2人はほぼ同時に深い溜息を吐いた。彼女達にとって今から始まる楽しい時間は、しかし彼らにとって地獄の様な時間だ。
「…ま、お互い腹括ろうぜー」
「…逃げるんじゃねえぞおっさん」
「だーからおっさん言うなガキが」
引き攣った笑顔を2人に見せたギャンレルとグレゴは、内心バーブチカにありったけの恨み事を言いながら彼女達の方へと足を進めた。その時のギャンレルの足取りは、心なしか何時もより軽い気がするとグレゴは思っていた。


その後、イーリス軍の野営の上空で男2人の悲鳴が暫く響いていたというのは、言うまでも無い。