※「グッバイマイソプラノ」の後日談です。



「大人と子供って何がどう違うんだろう?」

爆ぜる焚き火の音に聞き耳を立てながら、足を抱えて座るリヒトがぽつりと呟いた。トレードマークの三角帽子を傍らに置き、髪は夜闇の中で火を反射して鈍く光っている。その声音には以前の様な不満の色が混ざっていない様であったので、火の向こう側で剣の手入れをしているグレゴは手を止める事無く目線だけ寄越した。

「大人みてぇな子供も居りゃ、子供みてぇな大人も居るからなあ」
「そこなんだ。
 その大人みたいとか子供みたいっていう基準、グレゴさんは何だと思う?」
「うーん……説明しろって言われても上手くは答えられねえよな……」

グレゴがイーリス軍に雇われてから、そこそこの年月が経った。雇われた当時はイーリス大陸での行軍に従事していたが、今では海を隔てたヴァルム大陸で帝国軍相手に行軍を続けている。その中で時間だけは貴賤老若男女問わず対等に流れていったので、リヒトもグレゴも同じだけの年をとった。
ただ、若者にとっての一年と中年にとっての一年は全く以て違うものであるから、平等ではない。武器を片手に戦った事が無かったリヒトはいくつもの戦場を経験してぐっと力を付けたし、最初の頃と違って無理をして背伸びをするという事が無くなった。それを成長と呼ぶし大人になったとグレゴは思うが、果たしてリヒトが納得する答えになっているかどうかは分からない。

「僕さ、最近杖も使う様になったから前線に出る事も増えてきたでしょ。
 そしたら、子供を戦に出すなんてイーリス軍は何を考えてるんだって言うヴァルム兵士も居てさ」
「ほー。戦場じゃ老若男女関係ねえと俺は思うけどなあ」
「そう、そうなんだ。
 グレゴさん、ずっと前に敵にとったら大人も子供も関係無いって言ったでしょ。
 そりゃ、僕は大人とは言えないかも知れないんだけど……
 魔導書を持って戦場に居る以上は僕も戦士だと思ってるけど、敵はそうじゃないのかなあって」

リヒトがイーリス軍に加入したのは、クロムに憧れていたというのもあるし幼馴染のマリアベルを助ける為であったという事もある。まだ年端もいかないからと最初はクロムも難色を示していた様だが、窮地に立たされたマリアベルを救助する事に成功したという事もあるが何より彼の熱意に負けて従軍を許した。それでも軍師のルフレは極力後方支援に徹底させたし前線に出る事を許可しなかった。最初は不満を覚えたリヒトも、少しずつ前線の様子を目の当たりにする様になってからは何故クロムやルフレがそうさせていたのかを知った。知ったからこそ、尚更戦いの記録の重要さに気が付いた。
その記録をとる手伝いをしてくれていたのがグレゴであったのだが、彼はリヒトと初対面の時から殆ど子供扱いをした事が無かった。この軍に居る以上はグレゴにとって全員が自分と同様、武器を手に戦う「戦士」なのだ。大人も子供も関係なく、皆等しく「敵か味方か」の区別しか無い。強いて言うなら経験が浅いか豊富かの違いだけだ。

「別に、気にする事ねえよ。お前はお前でちゃーんと成長してる」
「そうかなぁ……」
「気が付いてねえだけだろ。
 お前もリズもマリアベルも、俺がこの軍に入った時に比べて背ぇ伸びたぜー?」
「……そ、そう?」
「んー。お前の頭の天辺が俺の胸より下だったけど、今はもう鎖骨の辺りだもんなー」

自分達と同じ様に夜番を任されたは良いが、睡魔に負けて寄り添って眠るリズとマリアベルを見遣った後に再度リヒトに目線を戻してグレゴが言う。背が伸びたら良いなといつも思ってはいたが、流れ行く慌ただしい日々の中で伸びた自分の背には全く気が付いていなかったリヒトは目を丸くした後に照れ臭そうに笑った。そして、自分が気が付かなくてもきちんと見てくれている人が居るのだと思うと嬉しくなった。

「だからって、調子に乗ってどんどん前に進もうとすんなよ。
 身の丈に合わせて、自分の引き際をちゃーんと弁えて、危ないと思ったらすぐに退け。
 逃げる事は恥じゃねえからな」
「……うん」
「命あっての人生だぜー? 死んだら何にも出来ねえよ、お前の実家の再建だって出来なくなるからな」
「うん」

そんなリヒトに、グレゴはさらりと釘を刺す。まだ磨いている剣の刀身に鈍く映る自分の顔は普段と変わらず飄々としたものであるが、声音は真剣そのものだったので、自分が思う以上にこの話に対して真面目になっているのだという事に僅かに驚く。それでも返事が遅れたリヒトに再度念を押す様に言えば、今度はすぐに承諾の声が聞こえてきたので満足して剣を鞘に収めた。

「あとよお、最近あんまり言わなくなったけど、お前よく子供扱いすんなって言ってたろー?」
「だって、本当に皆が僕の事子供扱いしてたから」
「良いじゃねえか、お前があと何年生きるかとか俺にゃ分からねえけど、
 人生の中で子供で居られる年数なんてそう長くねえぞ」
「それは……そうだけど」
「さっきも言ったろ、お前はちゃーんと背ぇ伸びたんだ。
 お前の意思とは関係無く、な。
 どんだけ嫌がっても生きてりゃ自然に大人になってくもんなんだよ。
 だったら、せっかくの子供の期間をめいっぱい満喫しとけ」

グレゴは否応なしに大人にならざるを得なかった事情があったので、親に甘えたり友人と遊んだり、そういう子供らしい記憶というものがあまり無い。環境が、時代が、彼を子供のままでは居させてくれなかった。その分、今この軍に居る年少の者達には戦の合間に存分に遊べば良いと本気で思っている。戦争というものは人々の心を荒んだものにしていくけれども、その中でも純粋な笑顔や元気そうな声で話し掛けてきてくれる者達はいつだって年少者だ。少なくとも、グレゴにはそうだった。
どこか遠くを見る様な眼差しで笑ったグレゴに、リヒトは何となくだが悪い事をしてしまった様な気がしたけれど、謝るのもおかしい気が居て開きかけた口をまた噤んだ。だが背筋を伸ばして胸を張り、顎をしっかり引いて腹から声を出す事を教えてくれた一回りも二回りも年上の男に対する尊敬の念は、クロムに対するそれとはまた全く違うものであると思ったし、伝える機会を失う事が惜しかったので、謝罪よりも感謝を伝えたいと思った。

「じゃあ僕、子供期間満喫したら、グレゴさんみたいな大人になりたいなー」
「やめとけやめとけ、俺みてえなろくでなしにはなるな」
「えー、俺みたいな良い男になれよって言うかと思ったのに」
「そりゃあ俺は良い男だけどよー、やめとけ」
「そっかあ。分かった」

グレゴの、他人に対して平等ではなく対等であろうとするその姿勢は、リヒトにとって純粋な敬意を抱かせた。そういう態度を示せる大人になりたいと言ったつもりだったが、グレゴは苦笑しながら手をひらひらと振ってやめろと言った。真意が伝わらなかったらしい。だがあまりしつこく言っても困らせるだけだと思ったので、リヒトも笑ってそれ以上は言わなかった。

「俺ぁまだ眠くねえから、お前も少し寝ろ」
「うん、有難う。眠くなったら交代するから、遠慮なく起こしてね」
「んー」

乾いた木の枝を焚き火の中に放りながら仮眠を取れと言ったグレゴに、リヒトも口答えなどせず素直に頷く。これも以前であればまだ眠たくないから起きていると言っている事だろう。だが今のリヒトは休息も大事なものだと重々分かっているので従い、肩に掛けていた毛布で体を包んで炎に背を向け横になると、焚き火の向こうから声が聞こえた。

「……なあ」
「うん? なに?」
「……ありがとよ」
「……うん」

グレゴの呼びかけに起き上がろうとしたリヒトは、しかし耳に入ってきた礼の言葉に擽ったい喜びを覚え、起き上がらずにそのまま目を閉じた。少しずつだが、大人になれている様な気がしていた。