「グレゴ、手合わせをしてくれないか」
休養の為にと定期的に設ける休息日、珍しく近隣の街や村から何の依頼も請け負わずに軍内の小間使いをする心づもりであったグレゴに、2本の木刀を片手にロンクーが声を掛けてきた。彼のその申し出はしょっちゅうあるものだから特に不思議なものではなかったが、今日の予定を覚えていたグレゴは首を捻る。
「良いけど、お前、ティアモ達と買い出しとかに行く予定じゃなかったかあ?」
大所帯となったイーリス軍も、武器や日常の様々な小物を買い出しに行くのは以前と変わらず主力の戦士達だ。ユーリもちょうど良い息抜きになるだろうと、彼らに申し付けたり自分がふらりと買い出しに行ったりする。今日は近くの街に腕利きの鍛冶工房があるという話を聞き、使い古してしまった武器を数本持ち込む予定で、荷物持ちの為に何人かついていく男の中の1人がロンクーだった筈だ。それをグレゴも覚えていたのでそう聞いたのだが、聞かれたロンクーは困った様な頭が痛い様な、渋い顔をして溜息を吐いた。
「それはそうなんだが… …あれが、な…」
「あれ? ………あ、あー…」
ロンクーがちらと見遣った視線の先をグレゴも辿り、そして何とも言えない納得の声が出た。二人の視線の先には、自分にいきなり目線が飛んできた事に驚き多少怯えた様に木の陰に隠れたシャンブレーが居た。
シャンブレーは、未来から来たロンクーとベルベットの息子、であるらしい。他の子供達と同様俄には信じ難いけれども、タグエルである事でベルベットの子供と証明も出来る。が、最前線で戦う両親の何を受け継いだらそうなるのか、異様なまでの怖がりだった。とにかく今の様に物陰に隠れたり屍兵達の討伐に行くのを嫌がったり、そういう言動を繰り返しているのでベルベットも呆れて叱っている様なのだが、偏にそれは「絶滅したくない」という思いがあるらしい。イーリス、ヴァルム両大陸を行軍してもベルベット以外のタグエルの話を聞いた事も無いし姿を見た事も無いので、確かに今のところベルベットが最後のタグエルであるし、彼女の息子であるシャンブレーもまた、未来では最後のタグエルという事になるだろう。彼の場合は人間であるロンクーの血も受け継いでいるので純粋なタグエルとは言えないが、ベルベットがそれを承諾したのだから純血に拘る必要など無い。そんなシャンブレーは、この戦の中、両親が早い段階で結婚したと言うにも関わらず生まれる筈である自分がまだ陰も形も無いらしいという事にかなりの危機感を覚えている、らしい。それで、父親が浮気などしていないかどうか、監視をしているらしい、のだが。
「未だにベルベット以外の女とろくに話せねえお前を疑う時点で相当だよなー…」
「一言挨拶するだけでも疑われるんだぞ…」
「うわー…大変だなーお前…
 そういう事ならしゃーねえわな、良いぜ」
どうしたら良いんだ、と頭を抱えんばかりに重苦しい溜息を再度吐いたロンクーを心底哀れに思ったグレゴは頭をガリガリと掻き、やろうと思っていた武具の点検をあっさりと諦めて承諾した。今日の買い出しは女と行くものであったから、大方また疑われたのだろうロンクーは眉間に皺を寄せたまま恩に着る、と言って木刀を1本グレゴに寄越す。それを受け取り、グレゴはまだ向こうで木の陰に隠れているシャンブレーに声を掛けた。
「おーい、シャンブレー、お前も手合わせしねえかあ?」
「うひゃっ?!けけけ結構です!!ぜっ、絶滅する!!」
「手合わせ程度でするか」
「父ちゃんみたいに上手く立ち回れないもん!」
「お前がろくに訓練に参加しないからだろう」
「あー、もう良い、水掛け論になるからやめろ。
 んじゃ、お前の父ちゃん借りるからなー」
「は、はい…」
グレゴに声を掛けられたシャンブレーは一層縮こまり、誘いを即答で固辞してきた。それは想定の範囲内であったからグレゴも特に気にしなかったのだが、シャンブレーの言葉に苦々しい声を出したロンクーを止め、木刀を肩に担いで顎で野営の外れをしゃくって行こうぜ、と言った。
「いやー、本当、なーんでお前とベルベットの息子なのにああなっちまったんだろうなー」
「分からん…。絶滅したくないというのは、まだ分かるとして…」
「他の女に手を出せる程の度胸なんてお前にねえのになー」
「…褒め言葉として受け取っておく」
「おお、そうしろ」
元からそれなりに話す事が多く、また手合わせも良くする2人は特に何の目配せも合図もせず、話しながら天幕の間を擦り抜け野営の外れまで来ると、周りに誰も居ない事を確認してから自然と間合いを取る様に離れた。この距離がお互いやりやすいと既に分かっているものだから、意識せずともいつも同じ距離の空間が出来る。そして矢張り特に何も言う事も無く木刀を構えると、微風で揺らぐ木立の中から鳥が1羽飛び立ったのを合図にロンクーが先に地面を蹴った。暫くそこは、2人の短い気合の声と木刀が激しくぶつかる音が響いていた。



時間はそこまで経っていないと太陽の位置が教えてくれているが、手合わせするには結構な時間を過ごしたロンクーとグレゴは、至近距離で木刀を構え睨み合った後にどちらともなくにやっと笑って木刀を下ろした。息が上がっているのはお互い手を抜かなかった事を表しているし、またその笑みはこの時間が有意義なものであったと物語っている。
「よーし、俺の勝ちだなー。まーだまだ負ける訳にはいかねえからな」
「…少し、左足を痛めていないか?」
「んー、痛めてるっつーか、水浴びの時に石でちょーっと足の裏を切っちまったんだよなー。
 やっぱ踏ん張りがいつもより利かねえなあ」
「…早めに治すに越した事は無い。気を付けろ」
「おお、ありがとよ」
木刀を下ろし、手合わせの最中に気になったのだろう事をロンクーが気遣ってきたので、グレゴも短く礼を言う。怪我をした左足で大地を何度か踏み締めた彼は、そこまで普段の動きと変わらない筈であるのに矢張り相手が手練であれば僅かな隙も見逃されないと改めて思ったし、ロンクーがそこまで成長したという事に対しても妙な苦笑が漏れた。まだまだ足りない所が多かったこの男は、ベルベットを妻に迎えて随分と伸びた様に思えたからだ。
「ここに居たの。相変わらず貴方達仲が良いわね」
「ん…?どうしたベルベット、何かあったのか」
その時、野営の方から件のベルベットが姿を見せたので、腕で汗を拭いながらロンクーが何事かあったのかを尋ねた。彼女は騒がしい所が嫌いであるし、極力タグエルは人里には近付かない方が軍に迷惑を掛けないと思っているらしく、今日の買い出しには同行していない。
「オリヴィエ達と洗濯をするのだけど、貴方の肌着、洗ってないのあったかしらと思って。
 漁るのも失礼だし」
「ほー、夫婦だけどその辺ちゃーんとしてんだなー」
「いくら夫婦でも人の荷物は漁らんだろう」
「そーかあ?ノノは俺の荷物漁るぞ?」
「ちゃんと躾けろ」
「だよなー…」
どうやらベルベットは今日は洗濯の係になっているらしく、それでロンクーに何か洗うものは無いかどうか尋ねに来たらしい。行軍していると再々洗えるものではないから、天気も良いし午前中の今の内に、と思ったのだろう。夫婦の天幕は各自用意されているものの、お互いの荷物に干渉するものではないと決めているのか、きちんと尋ねてきたベルベットにグレゴは感心していた。彼の妻であるノノははっきり言ってそういう心遣いは皆無だからだ。そんな生活をしてきていなかっただけであろうから、きちんと教えなければならないという事も彼は分かっている。
「かっ、母ちゃ〜ん!!」
「? どうしたのシャンブレー、そんなに慌てて」
しかしそんな彼らに、否、ベルベットに向かって木陰から突進してきた影が1つ。驚いた3人が声の方向に目を向けると、声の主であるシャンブレーは酷く慌てた様なおろおろした様な顔で、訝しむベルベットに開口一番に叫んだ。

「どうしよう母ちゃん、父ちゃんがホモだったら俺生まれないよ!絶滅するー!!」

「………………はあ?」
そのシャンブレーの絶叫にロンクーもベルベットもグレゴもたっぷり沈黙して聞き返してしまったのも詮ない事だろう。こんなに睦まじそうに見える両親の何をどう見たら父親が同性愛者に見えるというのか、少なくともグレゴには良く分からなかった。しかしシャンブレーは至極真面目に、そして深刻そうな顔付きで頭を抱えた。その抱え方がロンクーそっくりであった事に、残念ながらその場の全員が気が付けなかった。
「酷いよ父ちゃん、女が苦手なのに女の人とも話してるのに、その上男にまで!
 父ちゃんがそんな節操無しとは思わなかったよー!!」
「ちょ、ちょーっと待てシャンブレー、お前ひょっとしなくても俺とこいつの仲疑ってんのかあ?」
「だってだって!全然何の合図とか話とかしてないのに息ぴったりだったじゃないですかー!
 その上足の怪我まで気が付くとか、普通気が付かないよー!」
わっ、と泣きだしたシャンブレーのこの思い込みがすごい、とグレゴは気が遠くなりかけたのだが、それはロンクーも同じであった様で、額を抑えて目を閉じ、絶句したまま空を仰いでいた。これは確かに、何と言うか、ロンクーが悩むのも分かる気がする。グレゴは思わず心の底から、先程よりも深く哀れに思った。
しかし男よりもこういった事に度胸があるのか何なのか分からないが、ベルベットは落ち着いた顔付きでしようのない子だと言うかの様に溜息を吐いた。
「騒がないのよ、見苦しい。
 そもそも女が苦手だからって男に走る様な男を私が好きになるとでも思っているの?」
「………」
「う…ご、ごめんなさい…」
唯一まともに話せ、且つ触れる女である妻がきちんとフォローしてくれたのが嬉しかったのかロンクーはほっとした様な顔で沈黙し、親を疑ってしまったばつの悪さと叱られた事にシャンブレーはしゅんとした様に大きな体を縮こまらせた。ベルベットの体は獣化すれば大きいとは言えヒトの姿の時は小さいが、シャンブレーの体躯は大きいので、そこは父親似なのではないかとグレゴは思ったが黙っていた。自分の潔白を証明しなければならないが今の空気に割って入る程、彼も無粋ではないし、何より母親のベルベットが諭しているならそちらに任せたい。
しかしそんなロンクーやグレゴの安堵を一気に不安にたたき落としたのは、そんなベルベットの次の言葉だった。

「それに万一男に走られたところで何も困らないわよ、種さえ貰えば良いんだから」
「?!」

彼女のこの言葉には幾多もの修羅場を潜り抜けてきたグレゴも流石にぎょっとしたし、シャンブレーは見る間に顔を真っ青にしたし、ロンクーに至っては気が遠くなりかけたのか卒倒しそうになったのか、後ろに2、3歩よろけた。
「べ、ベルベット、お前、俺をそんな男だと思っていたのか?!」
「冗談よ」
「いやー、言って良い冗談と悪い冗談ってのがあってなー…?」
「何よ、私だってやきもちくらいやくわよ。貴方達本当に仲が良いんだもの」
「…あ、なーるほど、あんた妬いてたのか。
 そうかそうか、良かったなロンクー、愛されてんなー」
「な、な、……」
膝から崩れ落ちるのではないかと思う程絶望した様な顔でロンクーがベルベットに詰め寄った――女が苦手な彼がこんな事を出来るのはベルベット相手だけなのだが生憎とシャンブレーはそんな事を知らないらしい――のだが、彼女は少しむくれた様な、拗ねた様な顔をした。どうやら良く行動を共にするグレゴに妬いたらしい。彼女の保護者気分であったグレゴが可愛い嫁貰いやがってと言わんばかりににやにや笑いながらロンクーをからかうと、彼は耳まで赤くして口をもごもご動かしただけで何も言い返してこなかった。何も言えなかったに違いない。
「ごめんな父ちゃん、疑ったりして」
「い、いや、分かってくれたら良い」
「でも父ちゃんがグレゴさんと仲良いのは事実で母ちゃんもそれにやきもちやいた訳で…
 分かった!父ちゃんは俺が守ってみせるからなー!」
「何でそうなる?!うぉっ!!」
その遣り取りを見ていたシャンブレーが今度はロンクーに謝罪したのだが、何を思ったのかきっとグレゴを睨んでからロンクーに抱き着いたのを見て、これは間違いなくファザコンだとグレゴは微妙な顔をしながら思った。
「お前の息子の思い込みの激しさ、どーにかなんねぇのかなー…」
「す…すまない…」
木刀を杖の様に立てて支えにしながらシャンブレーに抱き着かれたままのロンクーを見ながらグレゴが独り言の様に呟けば、ロンクーは心底恥ずかしいやら情けないやら申し訳ないやらの感情が混ざった声で謝ってきた。しかしその表情には嫌悪の色など微塵も無く、家族を知らなかった彼が得た家族からこうやって愛されている事に対して嬉しく思っていると教えてくれている。呆れた様にベルベットがいい加減にしなさいとシャンブレーの頭を軽く叩くまでその図は続き、グレゴは夫婦から揃って頭を下げられたのだった。そんな休息日は、緩やかに昼になろうとしていた。



なお、シャンブレーの絶叫はどうやら野営にまで響いていたらしく、グレゴはまだ加入して間もない娘のンンから「お父さんは幼い少女だけではなくて男性まで好きなのですかっ?!」と酷い剣幕であらぬ嫌疑をかけられ、その日1日かけて誤解を解く羽目になった。



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