「セルジュ君、ハーブティーはいかがかな?」

天幕の中で1人黙々と繕い物をしていたセルジュの耳に、聞き慣れた声が滑りこんでくる。戦闘で損傷してしまった衣類の裁縫はセルジュが積極的に引き受けており、彼女は空き時間があればこうやって繕い物をしていた。それはこのイーリス軍に加入した当時から変わらないし、今では裁縫が余り得意ではない者達が彼女の元へとやってきては縫製を依頼する。セルジュはそれを、嫌な顔ひとつせず引き受ける。結果的に、彼女は毎晩の様に裁縫をする様になっていた。その事を不満に思っているのはセルジュではなくて、天幕を訪れた男なのかも知れない。
セルジュは今ティーカップを持って入ってきたヴィオールの従者であり騎士であり、妻だった。元はヴィオールが統治する―否、していたロザンヌという地方の竜騎士であり、領主の彼の屋敷に見習いとして幼い頃から愛竜と共に住み込みで仕えていた。年が近いという事もあってかヴィオールはいたく彼女を気に入って、小間遣いではないのに自分の身の回りの事をセルジュにしていて貰っていたものだから、彼女は騎士としての鍛練だけでなくメイドとしての勉強も独学でせねばならなかった。
屋敷勤めのメイド達は騎士でありメイドではないのに、とセルジュの陰口を叩いたり、少しでも彼女が粗相でもしようものなら嘲笑した。セルジュはそれに耐え、何も文句を言わず、黙って課せられた事を全てこなした。長じた現在、ヴィオールに対して厳しい態度をとってしまうのはそれに起因していると言っても過言ではない。ただ、彼が将来自分を妻に迎えようとしてそうしていたのだと聞いてからは、幾分かは和らいだ。仕える騎士を妻に召し抱えるなど、古い考えが根付いている貴族社会では余程の家柄でなければ認められない。セルジュの家は確かに騎士の家系ではあったがそこまで有名な家柄ではなかったし、彼女も元々は竜騎士ではなくてシスターになる筈だった。

シスター見習いとして教会に居た時好奇心で飛竜の谷へ行き―その時点で既におかしいのだが―、傷付いて弱っていた子供の飛竜を発見してそのまま連れ帰ってきてしまったという彼女に呆れ、教会は彼女を実家へ戻したのだ。シスターになる事に余り乗り気ではなかったセルジュは両親に直談判してこの仔飛竜を家族にしたい、竜騎士になりたいと申し出て、強固な意思を持った娘に折れた彼女の両親は一か八かでロザンヌの領主に仕えさせて欲しいと願い出た。たまたまそこに居合わせたヴィオールが凶暴で手懐けるのが難しいと言われる飛竜をその幼さで自分のものとしたというセルジュに興味を持ち、そして正式に見習いとして仕える様になったという経歴が彼女にはあった。貴族社会で見ても、騎士としても、彼女は異色の存在だった。

「あらまあ、お手を煩わせてしまって。
 仰ってくださったら私が淹れましたのに」
「なに、これくらいなら自分で出来るさ。
 大事な仕事をしている私の妻の手を止めさせる必要も無い」
「そうですね、ご自分が飲みたいのであればご自分で淹れるべきですもの」
「そ…そうだね…」

飽くまでにこやかに、しかし手を殆ど止めずに返すセルジュの言葉を、ヴィオールはいつもの事だとは言えたじろいでしまう。妻に迎えた今でもセルジュはこうやって深夜まで起きている事が多く、ヴィオールは彼女が天幕に戻り同じ寝台に体を滑り込ませるまで茶を飲みながら読書をするというのが当たり前になっている。ハーブティーは元から好きだが、疲れを見せないセルジュに少しでも安らぎを与えたくて安眠効果のあるハーブを探しては摘み、茶を淹れていた。その事をセルジュも知っているけれども、敢えて気が付かないふりをする。褒めるとつけあがると分かっているからだ。まあ、そういう性格なのだと承知の上ではあるけれども。

「今日はまた、随分と沢山あるのだね」
「日に日にヴァルム軍も屍兵も勢力を増していますから…
 この程度で済んでいると思った方が良いのかも知れませんわ」
「そうだね…戦に落命はつきものとは言え、矢張り誰かが欠けるのは私もつらい」
「守るべきは草民、ですものね」
「…ああ、セルジュ君、君は実に私の事を良く分かってくれている。
 流石私が見込んだ女性だ」
「邪魔をなさらないでください、縫い目が曲がってしまいます」
「おおっと、そう睨まないでくれたまえ」

セルジュの手元にある、彼女に繕われる事を待っている衣類は日を追って増えていく。それは買い換えられなくて消耗してしまった所為だけではなく、彼女が言う通り戦況が激しさを増している事を物語っていた。ヴァルハルト率いる帝国軍は圧倒的な力を見せ付け、イーリス軍を完膚なきまでに叩き潰そうとしている。ユーリの策とクロムの先導の元でそれを打ち破ってはいるけれども、失われる命が無くなる訳ではない。
ヴィオールは本来ならばクロムと同じ様に民を率いて戦わなければならない立場であったが領民の血が流れる事を嫌って領地を放棄した。自分の信頼と引き換えてでも領地が荒らされる事、領民の命が奪われる事を回避したヴィオールの事を、セルジュは酷く評価しているし尊敬もしている。勿論行軍を続けるクロムを否定する訳ではないし、誰かがヴァルハルトを倒さねば終わらぬ事であるから非難するつもりもない。まして、クロムとヴィオールを比較しようとも思わない。ヴィオールはヴァルハルトを討てるだけの手勢を持っていなかった、それだけなのだ。

「ヴィオールさん、私に構わず先にお休みになられても結構ですよ。
 ご覧の通り、まだ時間が掛かりそうですし」
「おや、君は私に一人寝をさせる気かい?
 疲れた君の為に寝台を温める役というのも勿論大事だが、
 二人の時間というものも私には大事で…
 だ、だから、笑顔のまま無言で睨まないでくれたまえ!」

気遣いは嬉しいし有難いのだが、茶を飲みながら待たれるというのも忍びないので先に休んで欲しいと言ったセルジュに、ヴィオールが相変わらずの対応をしたものだから、今度こそ彼女は手を止めてヴィオールににっこりと笑いかけた。この軍には笑顔の時が一番怖いと言われる人物が二人居て、一人がクロムの従者であるフレデリク、もう一人が誰でも無いセルジュだった。ヴィオールも彼女のこの微笑みが何を意味しているのかを知っている。本気で怒らせる前に退散した方が良いという事もまた、分かっていた。
温くなってしまったカップの中のハーブティーを飲み干せば、少し冷えた体にその温もりが落ちていく。セルジュはいつの間にかカップを空にしていたのだが、折角淹れてくれた茶を冷やしてはいけないと考慮して全て飲んでくれたのだろう。おかわりを入れたポットを持って来ようとしてやめたのは、セルジュが今日の裁縫を切り上げて休んでくれるかも知れないという淡い期待を持っていたからだ。だが、思い切りその期待は裏切られた。つれない事だとヴィオールは切ない笑みを零したけれど、彼女は自分に対してつれない態度をとる理由もあれば原因も分かっていたから、それ以上は何も言わなかった。

ヴィオールの家は古くからロザンヌ領を統治してきた家柄であり、それ故古くからの貴族のしきたりというものが多く残っていた。ヴィオールはその事を特に疑問に思った事も無かったが、どうやら息子が妻に迎えようとしている竜騎士に花嫁修業をさせている様だと勘付いた今も存命である父がセルジュに伽をさせたと伝えてきた時、誇りに思っていた貴族の血を、代々受け継がれてきた自分の血脈を心の底から憎んだ。ロザンヌ領に限らず周辺諸国の貴族社会では息子が妻に迎える予定の娘に伽をさせる風習があると知ったのはその時だった。
母も、父と結婚する前に祖父にあたる男に伽をしたと淡々と語った。それが普通なのだと言われてもまだ年若いヴィオールには受け入れ難かったし、今も納得していない。領主としてロザンヌ領を統治してきた父の事は尊敬しているけれども、男として憎んでいると言っても良い。セルジュは当時も今もヴィオールに対して一言も恨み言を言った事も無ければそもそもその事実を言った事が無い。父に伽をさせられた翌日も黙って淡々と愛竜のミネルヴァの世話をし、鍛錬をし、そしてヴィオールに茶を淹れた。彼女に謝るべきなのか、何と言って良いのか分からず黙りこんでしまったヴィオールに、まだ幼さの残るセルジュは彼の前にカップを置きながら微かに笑って言った。


『まあ、どうなさったんですヴィオールさま、具合でもお悪いのですか?
 今夜はクローブとシナモンを入れたホットワインをご用意致しますね』


…恐らくあの時、セルジュの体は相当に辛かったに違いないし、体以上に心がつらかった筈だ。それでも彼女は一言も弱音を吐かず、顔にも出さず、凛とした表情であった事、そして自分を気遣ってくれた事を今でもヴィオールは覚えている。思い出すだけで苦い顔にもなるし心が苦しくなるが、謝れば彼女のプライドを傷付けてしまうという事は分かっているから何も言わずに今まで過ごしてきた。恐らくこれからも言及する事は無いだろう。ただ無言の主張として、将来生まれる筈の息子が妻に迎える女性には一切手出しをしないと既に心に決めてある。いくら貴族社会の風習とは言え、それを受け継ぐ気には全くなれなかった。

「やれやれ、どうやらここに居ては気を散らせてしまう様だから大人しく天幕に戻るよ」
「そうなさってください」
「余り遅くならない内にお休み、君も大事な戦力なのだから」
「ええ、そうします」
「頼むから適切な休息を取ってくれたまえ、君に何かあったら卒倒どころの騒ぎではない。
 私にとってその衣類よりも君の方が余程大事だ」
「………」
「…邪魔をしたね。寝台を温めておくから、私が眠ってしまわない内に帰っておいで」

急に真顔になったヴィオールに面食らったのか、目を丸くしたセルジュがまじまじと彼を見る。偽りのない言葉を、想いを伝えたヴィオールはふ、と小さく笑うと、目をぱちくりとさせたままのセルジュの唇に軽く口付けてから彼女に背を向け天幕の入り口を捲った。そのまま何も言わずに出て行くつもりだったのだが、不意に背に投げられた愛しい声に足が止まる。

「自慢のお顔なのに、目の下に隈を作っていては台無しね。
 ホットワインをご用意しますから、天幕で待っていてくださるかしら」

思わぬ言葉に振り向けば、ランタンの明かりに浮かぶセルジュの柔らかな顔がある。仕方無さそうに笑う彼女の頬が赤く見えるのは目の錯覚ではあるまい。ヴィオールはすぐにでも抱き締めたい衝動を辛うじてぐっと抑え、深く頷いて見せた。今夜は良く眠れそうだと思っていた。