街角にあるショップのガラスのショーウィンドウの向こうには、美しい姿の少女達が数名眠っている。睡眠薬などで眠らされているのではなくて、彼女達は純粋に自分の意思で眠っている。自分と波長の合う主と巡り会えるのを待つ為に。ここは人身売買のショップ、ではなく、観用少女―世間ではプランツドールと呼ばれる少女達を売るショップだった。
生身の人間と違い、植物である彼女達は、枯れてしまわない限りは生き続ける。1日3度の食事である栄養たっぷりのミルクと、甘い砂糖菓子をたまに与えると健康状態は保たれる。しかし彼女達の最大の栄養は、持ち主から注がれる惜しみ無い愛情だ。それが与えられなくなれば、仮令ミルクや砂糖菓子を潤沢に与えても枯れてしまう。その事を本能で知っている彼女達は、自分に愛情を注いでくれるだろうと見込んだ波長の合う者が現れるまで、じっと眠り続けて待つ。
その少女達の向こう、ショップの奥に、レースやフリルで飾られた衣装を纏った少女達とは対照的にシンプルな衣服を着た少年が膝を抱えて眠っている。金糸、銀糸の長髪が多い少女達とはまた一線を画し、赤茶色のショートに纏められた髪の「彼」は、このショップ唯一の少年型であり、戦が続く時勢に対応させる為に試作として作られた、観用型ではない戦闘型のプランツドールだった。ただ、観用の少女達と違い、量産されるタイプであるから、ショーウィンドウに飾られてある少女達の様なきらびやかさは無い。しかしそれなりに整った顔は「磨けば光る」タイプであろうという事は、見た者の察しが良ければ気が付くだろう。欲しがる者も少なくは無いのだが、観用の彼女達と同じく波長が合う者が現れないと目覚めない為、彼は未だに1度も目覚めた事が無かった。戦闘型であるが故に剣技を仕込まれているとは言え、眠らされた後は食事の為に僅かな時間起きるだけで、持ち主となる者が現れた事が無かったのだ。


ある時、1人少年がその「彼」の前に立った。定住の地を設けず、様々な国を流れて生きる一族に生まれた少年は、物珍しさも手伝ってこのショップに入り、そして「彼」を見付けたのだ。背格好が自分より小さな「彼」を、少年が覗き込む。膝を抱えたままであったから顔が分からなかったからだ。波長の合う者でなければどんなに気に入っても目覚めませんよ、と店主から言われていたので無駄だろうと思っていた少年は、しかし不意に動いた「彼」に驚き、そして人懐こそうな顔でにこっと笑った事に更に驚いた。


目覚めた「彼」は、少年に引き取られていった。観用少女は高給取りの人間であっても中々手が出せる金額のものではないのだが、量産型の戦闘用であった「彼」は少女達の様な高額商品ではなかったし、少年が宝石の原石を見付ける事に長けていて一族が下手な領主より財産を持っているという事もあり、少年を探しに来た両親も店主と話し合って引き取ると決め、「彼」の持ち主はその少年になった。
戦闘用とは言え観用の少女達と基本の性質は変わらず、「彼」も持ち主である少年にしか笑わなかった。少年が手ずから与えるミルクをゆっくりと飲み干すと、「彼」は少年に礼を言うかの様ににっこりと笑う。与えるミルクは本来ならばショップで売られている栄養価の高いものの方が良いのだが、少年は放浪の民であった為に家畜の山羊の乳を与えていて、「彼」はそれを好んだ。自分よりも小柄な「彼」を少年は酷く気に入り、慈しみ、プランツであるが故に喋らない「彼」に対して実に多くの事を話した。今まで自分が見聞きしてきた事、楽しかった事、悲しかった事、嬉しかった事など、「彼」に伝えていった。眠り続けて持ち主が現れるのを待っていた「彼」に、少しでも何かの記憶を残したいと思ったのだろう。そんな少年と「彼」を見て、両親は兄弟の様だと笑った。
ただ、少年は名前を与える事をしなかった。量産型である「彼」には銘が無く、名前も自由に付けて結構と少年は店主に言われていたけれども、名を与えると「彼」を自分に縛り付けてしまう様な気がしてしまったから、少年は彼の事を頑なに「君」としか呼ばなかった。少年にとって「彼」は友であり弟であり、掛け替えの無い者であって、縛り付ける存在ではなかったのだ。


ある日、「彼」が少年の父が飲んでいた酒を興味深げに見ていて、それに気付いた少年が出来心で「彼」へのミルクに酒を少し垂らしてやった事がある。子供だけど大丈夫だろうかと少年はちょっとだけ心配したのだが、そんな心配を他所に「彼」は飲み終わった後大層満足そうな顔で少年に微笑み、礼を言うかの様にぎゅっと抱き着いた。気に入ったんだ、と嬉しくなった少年は、毎回ではなかったが時折ミルクに酒を垂らしてやっていたのだが、それが原因だったのだろう、少年より小柄で子供の身形だった「彼」が成長してしまったのだ。
観用少女はミルクと砂糖菓子以外を与えると成長する事がある、という事は店主から聞き及んでいたが、まさか酒もそうであるとは思わなかった少年は驚き、けれども幻滅など全くしなかった。両親も少し驚いただけで、特に叱られはしなかった。戦闘型なのだから青年くらいの背格好の方が好都合だと思っていたのかも知れない。少年より背も高く、体格も大きくなった「彼」は、成長する以前は自分にそうしてくれていた様に膝に乗せて、少年の話を聞く様になった。

―――これじゃ、僕が弟みたいだ。

弟の様に可愛がっていた「彼」が一気に成長して自分を追い越し、まるで兄の様になってしまった事に対して少年はそう苦笑したけれども、それは嫌悪でも嫌味でも何でもなかった。証拠に「彼」は少しも枯れる素振りを見せず、肌艶も良ければ栄養状態も申し分無さそうな外見をしていた。それは、少年が「彼」に変わらぬ愛情を注いでいたからに他ならない。少年も「彼」も、どこかの国が戦をしているとは思えない程の穏やかな日々を送っていた。



膝の上の温もりが動いた気がして、「彼」は閉じていた瞳を僅かに開く。視線を下にやれば若いレモン色の頭がぐずる様に自分の胸に擦り付こうとしていたから、落ちかけていた薄手の毛布を拾い上げるとその細い肩に掛けてやった。
この少女が「彼」の今の持ち主となって、もうどれだけ経ったのだろうか。プランツである「彼」には年月の概念が然程無いのだが、それなりに長い時を過ごしたという事は何となく分かる。「彼」の2代目の持ち主になったノノという名の少女は、最初の持ち主であった少年と寸分違わず「彼」に愛情を注いでくれている。その体躯では購入する為の金を捻出する事も難しかろうに、「彼」に与える為のミルクも砂糖菓子もちゃんと調達してきてはきちんと飲ませて「美味しい?」とにこにこ笑いながら尋ねてくる。「彼」が言葉も無くこっくりと頷くと、嬉しそうに笑って「良かった」、と言う。言葉を喋る事が出来たなら、そう言いたいのは「彼」の方なのだ。
プランツは持ち主から愛情をただ注がれるだけの存在ではない。同じ様に持ち主に対して幸福を与えるものだ。戦闘型である「彼」は戦う事で持ち主を守る事が出来ているが、一番願うのは「持ち主に幸福を齎したい」というものだった。恐らくそれを伝えればノノはもう貰っていると言うのだろうが、「彼」には不十分なものに思えてしまう。以前の持ち主であった少年には不幸しか齎す事が出来なかったから、尚の事その想いは強く、強迫観念に囚われていると言っても過言ではなかった。


「彼」の最初の持ち主であった少年は、「彼」の目の前で死んでしまった。戦で賊に成り下がってしまった者達から襲撃され、「彼」も応戦はしたけれども多勢に無勢で、少年の両親共々殺されてしまったのだ。それでも他の一族の者達は無事であったし、「彼」も1人で賊を5人程始末したので責められる事はほぼ無かったが、よりによって持ち主の少年は「彼」を庇って死んだ。その事が「彼」を酷く不安定にさせ、周りの者は「彼」が枯れるのではないかと思っていた。しかし、そうはならなかった。

『僕の名前を君にあげる。
 そしたら、君が枯れない限り僕は君と一緒でしょ。
 枯れちゃ駄目だよ、まためいっぱい大切にしてくれる人がきっと現れるからね』

喋るのも辛かっただろうに、最期の力を振り絞って紡がれた少年の言葉が、「彼」が枯れてしまう事を阻んだ。「彼」はいっその事少年と共にこの世から去ってしまいたかったのだが、少年は決してそれを許さなかった。だから、「彼」は今もこうしてプランツドールとして生きている。


自分の胸を枕に眠るノノの背を、「彼」の大きな手がそっと撫でる。以前、不覚をとって炎の魔法を受けてしまいそうになった時にノノが変化して助けてくれたのだが、その際に彼女は背に火傷を負った。処置が早かった為に痕も残っていないけれども、最初の持ち主だったあの少年が「彼」を庇った時に傷を負った箇所と殆ど変わらない部位であったものだから、今でも「彼」はこうやってノノの背をゆっくりと撫でる。彼女が自分を慈しみ、愛情を注いでくれている様に。


「…グレゴ… ……あったかい…」


寝言なのか、起きた気配も見せないのにノノの小さな唇から漏れた言葉が耳を擽り、「彼」は小さく苦笑する。プランツは眠る事はあっても持ち主が現れるまでの様な深い眠りではなくて極浅い眠りしか摂る事が無い。こうやってノノを膝に抱いて寝台の代わりをしている「彼」も例外ではないし、戦闘型であるから深夜の僅かな音や空気の流れの変化で目を覚ます。自分に名を与えてくれたあの少年の様に死なせたりはしないという確固たる意志が、「彼」にそうさせていた。
だが、今はそんな心配をせずとも良い。安全で襲われる心配の無い場所で、多くの心優しい者達に囲まれて過ごしているからだ。いつまでその幸せな時が続くのか、「彼」には分からないけれども、腕の中のノノからの愛情が途絶えない限りは枯れずに動く事が出来るだろう。
いつ枯れてしまうのか、それは「彼」には分からない。だが、願わくば悠久の時を生きると聞き及んでいるこの少女と、出来るだけ長い時間を共に過ごしたいと思う。他の者に知られたらプランツの分際でと言われてしまうかも知れないが、それが偽らざる「彼」の想いだった。

 
『枯れちゃ駄目だよ、まためいっぱい大切にしてくれる人がきっと現れるからね』


予言したかの様な少年の言葉を思い出し、「彼」は―グレゴは僅かに口角を上げる。あの言葉通り、グレゴはまた惜しみなく愛情を注いでくれる持ち主に出会えた。それは少年から与えられた最後の温情であったのか、はたまたグレゴが勝ち得た幸運であったのか、それは分からないけれども、心地よさそうに眠り続けるノノは宝物の様で、その温もりは今のグレゴを酷く満たしてくれていた。