傭兵という職業は基本的に余り他人から好まれない。金で雇われるが故に敵にも味方にもなるので信用ならないと言われた事など、数えきれない程グレゴにはある。面と向かってそう言われて傷付く程繊細な心などとうの昔に捨ててしまったので今ではすっかり「傭兵は信用が第一でねぇ」と言い返す様になっていた。雇い主がグレゴを信用しない事がある様に、グレゴだって雇い主を信用しない事もある。というか、殆ど信用に足る雇い主に巡り会えた試しが無い。あのギムレー教団の者達だって胡散臭ぇと思ったものの、その時の彼は懐具合が良くなく雇い主を選り好み出来る状況ではなかったから、暑がりなのに目先の報酬に負けてペレジアでの仕事を請け負ってしまった。
結果的にそれは新しい雇い主を見付ける事に繋がり、食いっぱぐれる心配は無くなったけれども、雇われ先の軍に所属する兵士の中にはグレゴの事を快く思わない者も居たので、そこだけは面倒だとは思っていた。イーリスの自警団の面子はグレゴに対して友好的であったし、騎士としての訓練ではなく実戦で身に付けた剣技に興味を持ってくれて度々訓練相手を頼まれたりもしたけれども、一般兵の中には彼と目を合わせようとしない者も居て、まあそんなもんだよなと大して気にはしていなかった。傭兵とはそんなものだと、グレゴは思っていたのだ。一流の傭兵を自負し、誹られる様な謂われはないけれども、胸を張れる様な職業ではないと考えていたからだ。
ただ、自分と交流する事によって他の者の評価が下がる事を彼は嫌った。だからペレジアとの戦が終わった後は何の未練も無くイーリス軍から去ったし、気ままなその日暮らしを送っていて、他人と深く干渉しない生活を楽しんでいた。一人は気楽で良い、と思っていたし、数年単位で誰かに雇われるという事が無かったグレゴには身軽である方が心地好かった。装備品はあるに越した事は無いが剣一本さえあれば立ち回れるし、すぐに動ける。戦の時などは単独で敵陣を探りに行く事もあったので、彼の私物は殆ど無かった。
そんなグレゴであったから、今どこで何をしているのかを把握するには苦労した、という文句に、んな事言われてもなあ、としか言えなかった。ヴァルム大陸から帝国軍が攻め込んでくるという事が分かり、イーリスの軍師として正式に迎えられたルフレがどうやらペレジアとの戦争時に従軍してくれた無国籍の者達を探していた様で、盗賊のガイアも同様に見付けるのに骨が折れたとフェリア港で再会した時に言われたのだ。私物が無いという事は身元が割り出せないという事であり、身元が割り出せないという事は足跡を辿りにくいという事にも繋がる。ただ、グレゴはそれを意識していた部分もあった為に、文句を言ってきた軍師でさえ見付けるのに時間がかかったという事実に満足していた。


流れていく窓の景色を見ながら転寝していたグレゴは、しかしガクンと自分の頭が傾いた事に驚いて慌てて顔を上げる。まだ夜にもなっていないというのに眠ってしまうなど不覚も良いところだが、それだけの疲労は彼の体に蓄積されていた。そこそこ昔の夢見ちまったと頭をガリガリと掻きながら立ち上がり、伸びをすると、背筋や腕の関節が勢い良く鳴る。
彼がこの軍に雇われて、随分な年月が経った。あのペレジアの砂漠でマムクートの少女と共に半ば匿って貰う様な形で雇われて、途中で二年程の空白期間があるとは言え、こんなに長い間同じ雇い主のところで働いた経験はグレゴには無い。そこまで信用された事が無かったからだ。いくら実績を残しても、いくら功績を上げても、所詮は身元の分からぬ流れ者だから放逐されてばかりだった。勿論、それに対して不満を抱いた事は無い。家族を喪ってからずっと天涯孤独で過ごしてきたグレゴにとって一人はつらくも寂しくもなかったし、信用されぬ事に痛める心は無くなっていた。だが、失くしたと彼が思っていただけで、恐らく麻痺していただけなのだろう。例えば今、最後の戦いを終えてイーリス大陸へと向かっているこの船に乗っている者達に本当は信用していなかったと言われたら、多分その言葉はぐさりと心臓を射抜くだろうし痛みを覚えるだろう。それだけの時間をこの軍で過ごしてきた。
グレゴを不信の目で見ていた兵士達も、いつの間にか居なくなっていた。正確に言えば、きちんと仕事をこなし、報酬に見合うどころかそれ以上の働きをし、それなりに情が厚い彼の側面を見て、「傭兵だから」という濁ったフィルターを捨て去ったのだろう。裏切る者は騎士であろうがそれまで共闘してきた者であろうが裏切るし、裏切らない者は傭兵だろうが盗賊だろうが絶対に裏切る事は無い。職業ではなくて、人間性の問題だ。
邪竜を討ち滅ぼす為に自らを消滅させたあの軍師は、決戦の時までグレゴを疑った事が無かった。軍師だけではない、この軍の誰もが彼が帝国やギムレー教に裏切ったり、途中で行方を晦ますのではと疑った事が無かった。もうちょっと疑えよとグレゴは思うが、疑っていた者達でさえ信用してくれる様になったのだから、信用させる程自分の実力があったのだと自惚れても良いだろう。

「…傭兵は、信用が第一だからなあ」

当分は使わなくても良いであろう傍らに置いていた剣を取り、そう独りごちたグレゴは、生まれて初めて傭兵という職業に胸を張れる様な気がして、僅かに口元を緩めた。窓の外の空は邪竜と戦っていた時の様な濁った色をしておらず、鮮やかな茜色に染まりつつあった。