くすんだ金髪をオールバックにした男が、樹の幹を背凭れにして剣の手入れをしている。日差しが気持ち良い木陰を作り、風は穏やかに彼の頬の大きな十字傷を撫ぜてはすり抜けていく。余りに穏やかな午後の日差しは、今が戦争の真っ最中であるという事を忘れさせてしまいがちだが、彼の手の中にある剣が決して忘れるなと言うかの様に鈍い光を反射しては、彼の無表情な顔を映し出していた。
不意に、彼が人の気配を感じて顔を上げる。視線の先には、1人の男が剣を肩に担いでこちらに歩いてきていた。その赤茶色の髪の男が敵ではないという事を彼は知っていたので警戒などはせず、しかし手の中の剣は決して離さなかった。
「いよーお。隣、良いかい」
「ああ」
彼と殆ど話した事が無い男は、良く言えば人懐こく、悪く言えば馴れ馴れしく彼に声を掛けたが、彼はそんな事を全く気にする事無く頷く。彼の了承を受けて、男はどっかりと彼の隣に腰を下ろした。
「軍義か何かあっていたんじゃないのか」
「んー?俺ぁあんなん性に合わねえよ。バーブチカが指示飛ばしたら勝手に動くさ」
「…まあ、お前も俺と同じで状況に合った動きをするみたいだからな」
「傭兵稼業が長いからなー」
間延びした受け答えをする男―グレゴは、彼―オグマと同業だった。しかし仕える主君が居るオグマと違いグレゴはこれと決めた主君は居らず、雇い主は常に変わる。ここ数年は同じ雇い主の元で働いてはいるが、この戦争が終わればグレゴもお役御免となるのだ。
「俺も傭兵だが、お前の様に戦場に長く居た訳ではないからな…
 お前の動きは参考にはなる」
「はぁ?そうなのかぁ?俺ゃーてっきりあんたは戦場に慣れてるもんだとばっかり」
「いや…、俺はシーダ様に助けて頂くまで闘技場生活だったから」
「あー…」
グレゴが伝承で聞いた限りでは、このオグマと言う剣士は太古の二度の戦争に於いて鬼神の如き活躍で後の英雄王マルスの行く途を切り開いていったらしい。元は奴隷であり、マルス王の妃であったシーダ王女が身請けするまでは無敗の剣闘士であったそうだ。そんな男が独学のグレゴの戦い方、動き方は参考になると言う。俄かには信じ難かったが、確かに多数対多数の戦いと一対一、もしくは一対多数の戦いでは動き方や状況判断は違ってくるから、そんなもんかとグレゴも思い直した。しかし、それでもオグマが二千年経った今でも言い伝えに残る程の働きをしたのは事実なのだ。
その二千年も古の人物であるオグマが何故この時代に居るのかと言えば、魔符と呼ばれる不思議なものの力により召喚されているに過ぎない。ここに居るオグマは、オグマであってオグマではない。しかしグレゴ達の様に生身の人間と同じで、怪我もすれば食べる事も出来、疲労が溜まれば眠る。バーブチカやクロムはこの時代の戦争はこの時代の自分達の手でカタをつけるべきだと考えており、異界から齎された魔符のオグマやマルス達はどうしても手が回らないという時にのみ使用していたのだが、こういう休息の時は実体化させて自軍の戦士達と交流を持たせようとしてくれた。話すだけでも戦士達の向上心を刺激し、鍛練に一層身が入る者も少なくなかった。
「しかし不思議なものだな。二千年も後の世界と聞いてもピンとこない」
「いやー、普通はこねえだろ…」
「二千年も経つのに、人はまだ戦争をしているのか」
「…まー、人が居る限りは争い事は無くならんわなぁ」
「…それもそうだな。増えすぎた人間を減らすのは人間だ」
「………そうだなー」
オグマが居た時代も、そして今も、戦争の根本には神竜と邪竜―オグマ達の時代は暗黒竜と言ったらしいが―が居る様だけれども、それでも人間達の争いがある事は事実だ。そしてオグマが言った様に、自然界には弱肉強食のヒエラルキーがあって、頂点とまではいかないがそれに近い部分に居る人間には天敵というものが居ない。だから、増えすぎた数を減らすには人同士の争いが起こってしまうのではないか。オグマはそう言いたかったのだろう。
「戦争が無くなったら、俺も職を失うなぁ」
「仕官は考えていないのか?」
「ないない。あーんな窮屈なもん、性に合わねぇ」
「俺も、本音を言えば合わない」
「えっ?けーど、あんたはそのシーダ様とやらに… あー、」
オグマが自分に同調した様に仕官は性に合わないと言ったのでグレゴは一瞬意外に思ってしまったのだが、すぐに目の前の男の戦争後の伝承を思い出した。彼はシーダがマルスに嫁ぐ前に姿を消し、その後の行方は記録に残っていないのだ。
それはオグマがシーダに対し懸想していたからだと、如何にもそれが真相である様に書かれているらしいのだが、グレゴは実際にオグマと話してみてそれは違うのではないかと思った。オグマがシーダの事を口にする時、そういった情念というよりは純粋な畏敬の念を感じるからだ。
「…この時代で俺がどんな風に伝わっているのかは知らんが、
 戦が終わればシーダ様の元を辞すつもりだ」
「そりゃーまた、どうしてだい?」
「俺が護る必要が無くなる。マルス王子がお護りになるだろう」
「…へーぇ…」
やっぱり、とグレゴは思う。物語を良く読むというリヒトから貸して貰った本の中に書かれていたオグマの像を、彼は常々疑問に思っていた。後世、否、当時から囁かれていたであろう「オグマのシーダへの恋情」というのは周囲の人間が作り出し、勝手にでっち上げたものであったのだ。確かに奴隷として長い間過ごし、仲間を脱走させた罪で鞭打ちの刑に処せられ、そこを救ってくれた可憐な王女に対して淡い恋心を抱くと他人に思われるのも仕方ないかも知れないが、グレゴはこの男は自分を助けてくれた勇敢な少女をただ護りたいだけなのだろうと思った。そこに奴隷だの王女だの、男だの女だのは関係無い。
「王女様はそれで納得するかねえ?」
「…何も告げずに出る。恩知らずと言われようがこればかりは曲げられん」
「英雄王の妃となった主君の側に昔から仕えている男が侍ってたら、
 そりゃーあらぬ噂が立つだろうからなあ。
 恩を受けた王女に不利益を被らせる事はしたくないってか」
「…そうだ」
オグマがシーダの元を辞そうとしたのは、グレゴが予想した通りのままであったらしい。恐らくマルスはばっさりとそんな事は無いと言うだろうしシーダとオグマを信じるであろうけれども、その周りが果たしてどうであるかは分からない。民衆はゴシップに敏感であり、ある事無い事を噂しては貶めようとする輩共は何時の時代にも居るものだ。まして小さな島国であったらしいタリスの王女のシーダは、暗黒竜を打ち倒した英雄王マルスにとって身分不相応だと思う者だって居ただろう。シーダにとって少しでも不利益となるのであれば潔く姿を消す事を選ぶオグマは、傭兵というよりも寧ろ騎士に近いとグレゴは思った。
「まー、当人達が知ってりゃそれで良い事を、他人がとやかく言う必要はねえよなあ。
 しっかし大陸一の剣闘士と謳われた男がいきなり歴史上から姿を消すとか、残念に思った奴も多いだろうなあ。
 あんた、見てたらほんとに強ぇし」
「お前の剣はどこか死に急いでいるな」
「…そーかぁ?」
胡座を組み直し、グレゴが何気無く言った言葉に対してオグマが簡素に、しかし核心を突く様な発言をした。そんな風に剣を振るっているつもりは全く無いし、誰からもそんな事を言われた事が無かったものだから、グレゴは余り顔には出さなかったけれどもかなり驚いていた。オグマは手元にある剣を垂直に持つと、己の顔の真正面に刃を配置し、それに自分の顔を映した。
「俺の剣は誰かを護る剣だ。だが、お前の剣は誰かを庇う剣だ。
 大切な誰かを亡くした人間は、そういう剣を振るいがちになる。
 …そうやって身勝手に命を落とした奴を、俺はそれなりに見てきた」
「………」
「お前は傭兵で、雇い主を転々とするから気にした事は無いかも知れんが…、
 少なくともこの軍に居る間、お前が死ねば誰かが泣く。
 それを忘れずに居る事だ」
オグマは二千年前の人物であるとは言え、今この時の年齢はグレゴより下であると予想がついた。しかし、彼はその年上の男が本人も気付かず無意識に死ぬ方へ向かっているという事を見抜いた。人間の欲望を全身に受けて戦い、様々な境遇の者と対峙しては打ち破ってきた奴隷剣闘士であったからこそ見抜けたのだろう。恐らく、オグマも元はグレゴと同じ様に半ば投げ遣りに生きていたのだろうけれども、シーダに助けられてからは拾い上げられた命だとして己の命を軽んじる事を止めたのだ。オグマが死ねばシーダは泣く。否、シーダだけではない、彼を慕う多くの者が泣く。オグマはそれを重々承知している。
だが、グレゴはそんな風に思った事は無かった。自分が死ねば誰かが泣くなど、考えた事が無かった。しかしオグマが言う通り、この軍に居る限りは多分誰かが泣くだろう。そう、例えば―――
「…偉大な先人の忠告、有難く受け取っとくぜ」
「俺は偉大でも何でもない。後世になれば誇張もされる」
「いやー、結構キたねぇ」
特定の誰かを思い浮かべそうになってグレゴは内心慌て、それでも冷静を装ってオグマの忠告に礼を言った。オグマはその言葉に少し眉根を寄せたが、グレゴが肩を竦めたのを見て考えが改まったのならば良いと言うかの様に軽く頷いた。
「じゃー、ついでに一手所望しても良いかい。
 一度で良いからあんたと手合わせしてみたかったんだよな」
「…金にもならない事に命を懸けて戦わない、んじゃないのか?」
「あんたそれ誰に聞いたんだよ…」
手合わせを願い出るとオグマがちょっとだけ考えてから意地悪そうに笑って言ったものだから、グレゴはげんなりとした顔で脱力する。金に汚いと自分でも分かっているけれども、流石に先人相手に揶揄されては堪らない。オグマはしてやったりという顔でもう一度笑うと、剣を杖の様にして腰を浮かせた。
「良いだろう、本気で剣を交える相手が居るというのは悪くない」
「おー、んじゃあ精々怪我しねえ様に気ぃ付けねえとなあ…」
戦場で見掛けたオグマは、誇張されがちな伝承に劣らない程の戦いぶりを見せていた。そんな男相手に剣が振るえる機会など、この時を逃せば二度と巡っては来ないだろう。2人の男は口許で薄く笑い、間合いをとって手に持っている愛剣を構えて相手を見据えると、申し合わせたかの様に地面を蹴った。

勝敗の行方は、2人だけが知っている。