「ただいまぁー。グレゴ、いい子にしてた?」
扉を開けて元気良く声を掛けると、部屋の中で大人しく鎮座していた男が顔を向け、そして厳つい表情を人懐こそうな表情に変えてにっこりと声の持ち主である少女に笑った。お帰り、と言うかの様に笑った彼は、窓から差し込む陽の光を浴びて気持ち良さそうにしていて、少女もその事に嬉しくなる。
「おなかすいたでしょ?ミルク作ってくるから待っててね」
言葉を発しない彼をぎゅっと抱き締めた少女は、彼の頭を撫でてからそう言った。彼は礼を言うかの様に、こっくりと頷いた。



砂漠の国ペレジアで信仰されている、他国からは邪教と呼ばれるギムレー教の者達から邪神ギムレーに生け贄として捧げられる為に囚われていたマムクートのノノはイーリスの王子であるクロムに保護され、ペレジアとイーリスの戦争が終結して亡くなったクロムの実姉であるエメリナの跡を彼が継いで聖王になった後もイーリスに保護される形で滞在していた。千年という長い時を生きてきたノノはその年齢とは裏腹にとても子供であった為、保護をしていなければまた危険な目に遭ってしまうだろうと正式にイーリスの軍師となったルフレがクロムに進言したのだ。
そんなノノがイーリスに滞在している時に、不思議な店を見付けた。少女型の人形を展示している店だったが、その人形はノノと同じくらいの大きさで、生きていたのだ。「観用少女」と言うらしいそれは通称「プランツ」と呼ばれ、自分と波長が合った者が近寄れば目覚めて微笑みかけてくれるらしい。店頭に飾られた少女達はノノに微笑む事は無かったが、ノノはもっと少女達が見たかったので店内に入って見学させて貰った。そして、その店の奥で座ったまま剣を抱いて眠っている成人男性型のプランツを見付けた。

『ああ、それですか。プランツは全て観賞用の少女型ですが、このご時世ですから戦闘用のプランツもあって良いのではないかと、職人が作ったものでしてね。元は少年の姿でしたが、前の持ち主がミルク以外を飲ませてしまいまして、成長してしまったんですよ』

どうやら元は店頭に飾られている少女達と変わらない背格好だったらしいが、成長してここまで大きくなってしまったらしい。ノノが興味津々でそのプランツに近寄り、顔を覗き込むと、それまで目を閉じて微動だにせず眠っていたプランツは不意に目を開き、そして人懐こそうな表情でノノに笑った。それが、グレゴだった。
プランツは観賞用のものであっても、驚く程の高額な商品だ。それが稀少な、戦闘型タイプであれば驚くなんてものではない。しかし店主は目覚めてしまったグレゴを見て、良ければ譲りましょうか、とノノに言ったのだ。どうも成長してしまったプランツは女性型であるならまだしも、男性型、しかも青年というよりも中年と言って差し障りない外見のプランツなど引き取り手も無ければ、そもそも目覚める相手も居ないのだと言う。扱いに困っていたし、そろそろ処分しないといけないかと思っていたんですよ、と店主から言われたノノは、条件反射で「いる」と言ってしまった。イーリスに客として滞在しているノノの一存でそんな事を決められる筈は無いのだが、ノノは自分に対して子供の様ににこにこ笑うそのプランツを置いて出ていく事は出来なかった。
聞けば、プランツは基本的にミルクと砂糖菓子を養分とするらしいのだが、一番の栄養は持ち主からの愛情なのだという。それが無ければ、仮令潤沢にミルクと砂糖菓子を与えても枯れてしまうらしい。持ち主が見つかるまでプランツは眠り続け、枯れる事は無いのだが、目覚めてしまえば愛情を注がれなければ枯れるのだそうだ。ノノは難しい事は良く分からないが、見た目は少し怖いが自分に対して屈託無く笑ってくれたグレゴが気に入ったので譲り受け、店主が分けてくれた粉状のミルクを一缶持ってイーリス城のクロムとルフレに見せに行った。
二人は驚いていたが、ルフレは戦闘型であると聞くと、屍兵討伐に役に立ちそうだと大真面目に頷き、それを受けてクロムもまあ良いだろうと認めてくれ、だから今ノノに充てがわれている部屋にプランツであるグレゴが鎮座しているという訳だ。王族でさえ欲しがっても目覚めてくれなければ手に入らないというそのプランツを城の侍女達も時折見には来てくれているが、グレゴはノノの手から渡されるカップ以外は決して受け取ろうともしなかったし、彼女以外に笑う事も無かった。元からプランツというものはそういうものであるらしい。否、持ち主以外からもミルクは受け取るらしいのだが、彼は決して受け取らなかった。
一日に三度、ノノの手から受け取るミルクが入ったカップは、厳つい彼の外見にそぐわない。しかしグレゴはその大きなカップを両手で持ってゆっくりと、しかし一息に全て飲む。今日もそうだった。
「明日は屍兵をとーばつしに行くんだって。グレゴも連れてくってルフレが言ってたから、一緒に行こうね」
ミルクを飲み干したグレゴにノノが言うと、彼はこっくりと頷いた後にその無骨な手でくしゃっとノノの頭を撫でた。ミルクをくれた事に対しての礼なのか、それとも明日はちゃんと働くという意思表示なのか、彼は言葉を発しないので分からなかったが、ノノはえへへ、と機嫌よく笑う。グレゴからは日向のにおいがした。



どうも森の近辺に屍兵が湧いているらしいとの報告を受け、イーリス城から南下して現場まで来たクロム達は直ちに戦闘体勢に入った。討伐メンバーにはペレジアとの戦争でイーリスの者ではないがクロム達と共に戦った他国の者も居る。そしてその中にはノノが連れて来たグレゴも居た。戦闘用プランツとは聞いていたが実際に戦っている所を誰も見た事が無く、故にグレゴの実力というものを誰も知らなかったので、ルフレはとりあえず前線には出さずに後衛で立ち回って貰おうと配置を決める。但しグレゴはノノからの司令しか受け付けないので、ルフレはノノに命じる様に頼んだ。
「グレゴ、無茶しないでね?危ないことしないでね?」
ルフレからの司令をそのまま伝えたノノが剣を抜いたグレゴを小首を傾げて見上げると、彼は心得た様にこっくりと頷き、そして今まで見せた事が無い様な表情で笑った。どこか不敵で、まるで心配するなと言うかの様なその笑みはノノを大層驚かせた。そしてそんなノノを尻目に、彼は奇妙な声を上げてこちらに襲い掛かろうとしている屍兵に向かって走り出した。驚いたのはノノだけではなくて、ルフレもだ。
「おい、誰が前衛に出ろと言った、戻れ!」
慌てたルフレが叫んでも、グレゴは振り返る事もせずに走った勢いを利用して屍兵に体当たりし、怯んだところを鞘から抜いた剣で力いっぱい斬り伏せた。生身の人間と違って屍兵は動力となる部分を潰さねば倒す事は出来ないが、それでも大きなダメージを与えた事は変わりなく、一撃で倒せなかった事に不満気な顔をしたグレゴは首を捻りながらも再度斬り掛かり、今度こそその屍兵を倒した。
屍兵の体が霧散してもこれと言った動揺を見せなかったグレゴは無言のまま次の屍兵に斬り掛かり、それを見たルフレやクロムが慌てて後に続いて戦闘に参加する。勿論他に参加した討伐隊の者達も武器を構えて屍兵と切り結び始めたが、まさか人間ではないプランツがこれ程までの腕の持ち主とは思わなかったのだろう。はっきり言えばルフレにとっては後衛の者達の護衛になれば良いな、程度の期待であった筈なのだが、立派な即戦力だ。少年の姿でもこういう立ち回りだったのか、はたまた戦闘型プランツとして訓練を重ねたのか実戦で覚えていったのか、少々がさつな立ち回りであったけれども十分役に立つ剣捌きだった。少なくともルフレの剣の腕よりは断然上だ。
前線で戦えるプランツであった事はルフレを始めとする者達には嬉しい誤算だった。イーリス国内では屍兵による被害というものも見過ごせない規模にまで拡大しており、その対処に苦労していたのだ。討伐隊の人員はある程度固定されていて交代制になっているので、人数が多いに越した事は無い。プランツであろうと増えるのは喜ばしい事だった。
しかし、そんな事を考えたルフレの耳に、剣を振るって戦うグレゴの姿を見てたノノが何かに気付いたかの様に叫んだ声が響いた。
「グレゴ、下がって!火の魔導書を持ってるのが居るよ!」
いくら人型とは言え、プランツはその名の通り植物だ。故に炎に弱い筈で、火の魔法を使用する者が居れば細心の注意を払わねばならない。その事を失念していたルフレは、ノノの叫びにはっとした。自身も雷の魔導書を持っている為だ。魔法に弱いという事か、と判断し、何が何でも下がらせようと走るよりも速く、ノノが竜石を使って変身して飛んだ。魔導師が魔法を発動させるより速く彼の側に飛んだノノは、飛びながら彼の襟首を器用に咥えてその場から離れる。が、完全には魔法を回避出来なくて、羽を少し焼かれてしまった。それでも叫び声を上げずにグレゴを落とさなかったのは奇跡に近い。
ルフレが剣ではなくて魔法でその魔導師を倒したのを見計らってノノがグレゴをそっと大地へ下ろすと、彼は顔面蒼白になって腰を抜かしかけた。そんな状態でも剣を離さなかったのは流石戦闘型と言ったところなのか、それはノノには分からなかったのだが、怪我が無かった事に安堵の溜息を吐く。
「魔導師も居るみたいだから、気をつけようね。無理しないでね?」
「………」
竜形態のままでは頭を撫でる事は出来ないので、ノノが顔をグレゴの顔に擦り寄せそう言うと、彼はノノの羽の火傷に気が付いたのか眉を顰めて申し訳なさそうに彼女の頭を撫でて頷いた。そして勢い良く戦場を振り返って見回すと、魔法ではなく物理攻撃を仕掛けてくる者が居る方を判断し、そちらに駆け出した。後衛に徹するという考えは無いらしい。戦闘型として造られたのであれば、当然の事なのかも知れないのだが。
「ノノ、大丈夫?良かったね、大きな怪我じゃなくて」
「あ、リズ、ありがとう。うん、グレゴがおっきなケガしなくてよかったー」
「…そうだねー」
羽を火傷したノノを気遣い、側に寄ってライブを掛けてくれたリズは、ノノの言葉を受けて苦笑した。私はノノを心配したんだけど、と喉まで出掛かったのだが、どうやらノノの心配の対象は自分ではなくて今自分の兄の近くで剣を振るっているプランツであるらしい。ノノが城に希少なプランツを連れて帰ってきた時は驚いたが、今ではすっかり一緒に居る事が当たり前になってしまっている。どこがどう気に入ったのかなあとリズは首を捻ってしまうのだが、グレゴを始めとするプランツは持ち主にしか笑わない。その笑みは持ち主の疲労も吹き飛ばすものだとは聞き及んでいるけれども、果たしてあの男の笑みもそうであるのだろうか。城でミルクを飲み終わった後にノノに向けられたグレゴの笑みを思い出しながら、リズはもう一度だけ苦笑した。



その日の内にイーリス城へ戻れる程の距離でもなかった為、晴れている事だし、と野宿をする事にした討伐隊の面々は、各自疲れた体を休めていた。水浴びが出来る程の水源ではないが、森に入る者達の為にと先人が掘った井戸があるので、その水で体を清める。そしてノノはリズに湯を沸かして貰うと、グレゴにミルクを作ってやった。今日は一仕事してくれたから、ご褒美に少量の酒を入れた。最初はグレゴが興味深そうに酒瓶を見ていて、好きなのかなと思いノノが少しミルクに混ぜてあげると、彼はそれを大層喜んでその日は終始ご機嫌そうににこにこ笑ってノノを膝に乗せてくれていたので、それ以来は時折混ぜてやっている。
「はい、今日はお疲れさま、ルフレにお願いしてちょこっとお酒まぜてもらったよ」
酒は傷口の消毒としても使用する事がある為に討伐に向かう時でも最低小瓶一本は用意されている。そのキャップに一杯のみであったが、グレゴはそれでも喜ぶ。彼が少年からここまで成長してしまった原因は酒であったのだが、ノノはそんな事を知る由も無い。
ただ、酒が入っていると聞いたグレゴは、それでも浮かない顔をしていた。戦闘後に勝手に指令を無視するなとルフレから怒られていたが、そんな事で落ち込む彼ではない。どうしたのかな、と首を傾げたノノは、それでもミルクのカップを受け取ったグレゴが息を吹き掛けて冷まし、一息に飲むのを待った。その後に聞こうかと思ったのだ。しかし飲み終わったグレゴはカップを置くと、座ったままノノをひょいと抱き上げて自分の膝に背中を向けて座らせ、そして彼女の小さな背中を撫でた。そっと撫でるその手は少し冷たくて、何となくこそばゆい。不思議に思ってノノが顔だけ振り返らせると、グレゴはしゅんとした様な表情で背を撫でてくれていた。
「…あ、大丈夫だよグレゴ、リズがライブかけてくれたからもう痛くないよ?」
その行為が何を意味しているのか分からず、ノノは暫く沈黙して考えていたのだが、やがて腑に落ちると明るく笑ってみせた。どうやら炎の魔法で翼を火傷した事を気にしてくれていたらしい。ヒト形態であれば翼がある箇所は背中であるから、それで撫でてくれている様だ。だが、大丈夫だと言われても心配であるのか、それとも自分が悪いと思っているのか、グレゴの表情は暗いままだった。
「大丈夫、ノノは強いんだよ!グレゴより長生きしてるんだから〜」
不安を払拭するかの様にノノがそう言って元気良く笑ってみせたのだが、グレゴは少しだけ目を細め、小粒の涙を流すとノノをぎゅっと抱き締めた。驚いたのはノノだ。生きているとは言え人形が泣くとは思わなかった。
「おいノノ、頼まれてた砂糖菓子持って…お、凄いじゃないか、天国の涙だ」
その時、手に小さな袋を持ったガイアが歩み寄ってきたかと思うと、二人を覗き込んだ後に地面に落ちた小さな粒を拾い上げて感嘆の声を上げた。グレゴを貰い受けた店の店主から、プランツには時折砂糖菓子を与えると良いですよと言われていたので、ノノは甘いものが好物のガイアに時々お願いして分けて貰っていて、今日はお仕事して貰ったからご褒美であげたいの、と戦闘が終わった後にガイアに言った。それを持ってきてくれたらしい。しかしガイアは指で摘まんだものを繁々と眺め、へえー、などと言うだけで、ノノにそれが何であるかは教えてくれなかった。
「天国の涙って、なあに?」
「ん?プランツの涙が結晶化したものだよ。宝石っぽいだろ?本当に滅多に泣かないから、場合によっちゃプランツ本体より高額で取り引きされるんだ」
ガイアはほい、とノノの小さな手に二粒程のその結晶を乗せながらそう教えてくれた。流石盗賊という裏稼業の者はそんな事にまで詳しい。まだノノを後ろから抱き締め、肩に顔を埋めたままのグレゴを見ながら、ガイアは面白いものを見る様に笑った。
「持ち主に最高に愛されたプランツの涙が天国の涙になるらしいぜ。…ひょっとしたら前の持ち主が今日のお前と似た様な事したのかも知れないから、ま、庇うのも程々にしとけよ」
そして手に持っていた砂糖菓子入りの袋をノノに渡したガイアは彼女に忠告すると、それ売ってミルク代にでもしろよと言ってフレデリクが熾した焚き火の方へと踵を返した。袋はそれなりに重さがあって、好物の菓子を人に分ける事を余り好まないガイアでも彼なりに今日の働きを慰労してくれているのかも知れなかった。
グレゴの前の持ち主がどんな経緯で彼を手放したのか、それは分からないが、枯らしたりはしなかったのだから大事にしていたのだろうという事は分かる。言葉を発しない彼からは、詳細を聞く事は出来ないけれども。
「ねえグレゴ、ノノは長生きだから、ずーっと一緒に居られるからね。だから、心配しないでね?」
プランツの寿命などノノは知らないが、愛情と栄養が豊富であれば長寿であるらしいとは聞き及んでいる。それでも、悠久の時を生きる彼女よりは短命だろう。グレゴが最期の時を迎えるまで、共に居られるのだ。ノノは手の中に収めていた涙の結晶を見ながら、そんな事を思った。
「今日は本当にお疲れさま。ごほうびだよ」
ノノはガイアから貰った袋の中から花型の菓子を一つ取り出すと、漸く顔を上げたグレゴの口にそれを入れてやる。もごもごと口を動かし咀嚼して嚥下した彼は安心したかの様に、やっとにっこりと笑ってみせた。一番好きな笑顔だ、とノノは思っていた。