代々イーリス王家に仕える家柄の長子として生を受けたフレデリクは、騎士としての教育を幼い頃から受けてきた。父はイーリス聖王に仕える騎士であり、母は同じく王家に仕える家柄の子女で、彼は生粋のイーリス王家に仕える騎士だった為に、その事について何の疑問も感じた事は無い。母がフレデリクのきょうだいを産んだ際に聖王にも待望の第一子である王女が誕生し、イーリス王家は王妃ではなく乳母が面倒を見る慣習もあって、フレデリクの母は家柄も申し分無いという事でエメリナの乳母に抜擢され彼女はフレデリクの乳兄妹という位置付けでもあった。
ただ、父はフレデリクに対し仮令自分より年下であり乳兄妹と言っても将来はお前がお仕えすべきお方となると厳しく躾けていた事もあり、フレデリクは赤子のエメリナに対しても常に敬語を使った。子供の敬語はどうしても辿々しいものであるが、彼が言葉遣いをしくじる度に母から叱られた為、エメリナが物心つく頃には既にきちんと敬語が使える様になっていた。フレデリクの言葉遣いは、エメリナによって鍛えられたと言っても良い程だった。

――エメリナさま、ごきげんいかがですか。
――エメリナさま、中庭のお花がきれいに咲いておりますよ。
――エメリナさま、今日は雨が降っておりますから、お足元にお気をつけくださいね。

王女とは言っても性別に関係なく長子が王家を継ぐ事になっているイーリスでは、エメリナが次期国王となる事は決まっていた。第二子の王子クロムが生まれても揺らぐ事は無く、額に聖痕を宿して生まれたエメリナは王家の中でそれはそれは大事に扱われた。しかし当のエメリナにとっては窮屈であった様に思えて、フレデリクは良くエメリナに声を掛けていた。年頃が同じという事もあり、彼女はフレデリクの姿を見掛けるとほっとした様な表情でありがとう、とはにかんでは笑った。エメリナの心が休まる時と言えば、弟クロムや生まれたばかりの妹リズ、そしてフレデリクが側に居る時だけであった様だった。
彼女の心労の原因は、父王がペレジアに対して一方的な戦争を仕掛けていた事に他ならない。後に残虐王とも呼ばれたエメリナの父親の暴君ぶりはいたずらに国を疲弊させ、国民の王家への信頼を失わせた。フレデリクの父も幾度と無く王に戦などすべきではないと進言した様であったが、聞き届けられなかった。だが、まだ子供であったフレデリクにでさえ愚かだと思わせた程の王は、このままでは国が内部から滅ぶと判断した宮廷の一部の者達から戦死と見せ掛けた暗殺を実行されて落命した。その後に、まだ十にも満たぬエメリナが新たなイーリス聖王として即位したのだ。
散々戦を続けて無駄な血を流させ、多くの国民の命を故郷から遠く離れた地で散らせた王の娘、と即位して民衆の前に姿を現したエメリナに向かって罵声や怒号が飛び交う中、まだ騎士の叙勲も受けていないフレデリクは彼女の側に付き従っていた。新たな王として姿は見せねばならない、というエメリナの言葉に多くの臣下は反対したが、お父上の遺された遺恨は見ておく必要がありますとフレデリクの父は賛成しており、護衛の為に息子であるフレデリクも伴って側に控えていた。半ば暴徒と化した民を前に、まだ本当にあどけない少女であるエメリナは目を逸らす事無く黙って民の罵声を甘んじて受け止めた。そして額に投げ付けられた石にも怯まなかったし、更に飛んでくる石から自分を庇って負傷したフレデリクの事ばかり案じた。衛兵によって石を投げ付けた者達が捕らえられても、エメリナはその方々を解放しなさいと額から流れ落ちる血を拭う事無く言い放ち、決して逃げる事はしなかった。
民の前に姿を現した新たな王は、本当に幼い少女であった。しかしその少女は、人々の憎しみや怒り、蔑みを真正面から受け止め、父王がしでかした事、民草に苦しい生活を強いた事、全ては止められなかった自分達の責任であると謝罪した。その姿を血で霞む目で見たフレデリクは、この御方に一生を捧げたいと心の底から思ったのだ。その小さく細い体に自分の想像もつかない様な重圧が伸し掛かっていると思った途端、フレデリクはこの程度の怪我で膝をつくとは何事だと己を叱咤し、真っ白なシャツで傷を拭って鮮血に染め立ち上がり彼女の側に再び立っていた。その姿に民衆も子供に対して石を投げた事や怪我をさせてしまった事を気まずく思ったり白けたりした様で、その場は何とか収拾がついた。
王宮に戻った後、怪我を見て泣く幼いクロムやリズを宥めながら、エメリナは自分の傷の手当てなどよそにフレデリクの怪我に対して手ずから癒しの杖を使ってくれた。お願いですから貴女さまのおケガを先にと懇願したにも関わらず、エメリナはフレデリクを優先した。

――あなたは私のたいせつなお友達で、たいせつな臣下です。
――私のせいでケガをしてしまったなら、私はその罪をつぐなわねばなりません。
――あなたが私のせいで死んでしまったらと思うと、とてもこわいのです。

柔らかな声でそう言ったエメリナは、最後まで涙を見せなかった。この御方こそイーリス聖王に相応しい、この様な御方にお仕え出来る事はこの上なくしあわせだとフレデリクは思い、改めて一生を捧げる事を未成熟の胸で誓った。



あの時、エメリナに投げられた石の思い出がある所為か、フレデリクは異様なまでに道端の小石を気にする様になり、それはエメリナ亡き後クロムが聖王代理として邪竜を打ち破る為の戦いを指揮している今でも治らない。騎士としてあるまじき事に、主君を護れず後を追う事も出来ずにおめおめと生き恥を晒していると彼はまだ夜が明けぬ空の下で石を拾いながら思う。それでも彼は幼かったエメリナが自分に対して言ってくれた言葉と、その言葉への返答を胸に、新たな主君であるクロムを支え続ける。

――あなたが私のせいで死んでしまったらと思うと、とてもこわいのです。

――エメリナさま、私は貴女さまのために死ぬのではなく、貴女さまのために生きます。

小石を拾った後ろを見遣れば、しんとした静寂の大地はこざっぱりと美しくなっている。袋の中に入れた小石は随分と重たくなっていて、子供の頃のトラウマは中々解消されないものですねと苦笑し、フレデリクは朝の鍛錬の為に天幕の間を歩き始めた。