依頼と報酬

 成り行きでイーリス軍に所属する身となったとは言え、進軍中の通り掛かりであったり暫し滞在する町や村で住民からの細々とした依頼を引き受けては日銭を稼いでいるグレゴは、その日珍しく同僚から依頼を受けた。皆無という程では無いし、軍師からは給金に上乗せという形で内密の処理を頼まれる事も多々あるので珍しいと言うのは語弊があるかもしれない。まして以前一度金銭を介して依頼を申し込んできたロンクーからであったから、特に珍しいというものでもないかと、目的地まで黙ってついて行きながらグレゴはそんな他愛ない事を考えていた。
 依頼と言っても、件の「以前引き受けた依頼」とは全く異なる。あの時は自分と手合わせしろという、何の益も無い――飽くまでそれはグレゴにとってだが――ものであったけれども、今回は西フェリアのある町までついてきてほしいという、どちらかといえばこれも何の益も無い依頼だった。それでもヴァルハルトを倒し、クロム達と共にイーリス大陸へと渡ったグレゴは、戦が無い時はこういった依頼を受けなければ稼げないので、顔見知りであるし難しい依頼でもないので引き受けたのだった。
 バジーリオが死んだと言われている今、彼が後継者と公言していたロンクーは西フェリア王となるが、誰も死んだところを見ていない上に遺体も見つかっていないからという理由で、代理とも仮とも名乗らず、その座を空席にしている。そもそも王の器ではないと自覚しているらしく、バジーリオがヴァルム大陸に渡った時に西フェリアに残って国政を担っていた側近達に今も任せていた。だから、イーリス大陸に戻ってきたロンクーが西フェリア城に不在であっても誰も文句は言わなかった。
 その町は、西フェリア城から馬を走らせて丸二日はかかる地にあった。進軍の中での野営はしょっちゅうであり、またグレゴは各地を転々とする傭兵であるから野宿など当たり前であったから道中の野宿も全く気にならず、交代で寝た。ロンクーは元から口数が少ない事に加え、グレゴはそうでもないがロンクーは馬を走らせ慣れていないので喋ると舌を噛むという理由でほぼ会話らしい会話は無かった。どちらかと言えば雄弁の部類に入るグレゴにとって会話が無いのは少々辟易したけれども、それなりに交流があるとは言え長々と話せる訳でもないので、ある意味良かったかもしれなかった。
 ただ、その町が見える場所まで来て下馬したロンクーは町中に入ろうとはせず、同じく馬から降りたグレゴに自分の手綱を寄越してきた。
「すまない、暫くここで待っていてくれないか。街に入るなら、それでも構わんが」
「いやー、良いよ、こいつら調教されてるって言っても知らねえ場所だからどこ行くか分かんねえし。その辺で寝とくわ」
「……そうか」
 手渡された手綱を受け取ったグレゴは、ゆるりと首を横に振って待機する旨を告げた。休憩を挟みながらとは言え、二日間も馬に乗っていたので疲れが溜まっていたのは否めず、ロンクーの言う暫くがどれくらいの時間を指すのかは分からないが少しだけでも休めるのは正直有難い。そんなグレゴの都合など知ってか知らずか、ロンクーは僅かにほっとした様な表情を見せた。
 馬は二頭とも驚かしさえしなければおとなしい性格で、グレゴが鞍や手綱を外してやると、柔らかな草を食み始めた。グレゴは近くの木の根本に腰を下ろし、その幹に背を預ける。そして、ロンクーが一本の巨木の下で佇んでいるのを遠目で見た。背しか見えないし、そもそも距離がそれなりにあるので顔がこちらを向いていたとしてもどんな表情をしているのかが見える訳でもなく、察しの良いグレゴであっても何を思っているのかなど分かる訳がない。ただ、何の変哲もない地方の村に来る為だけに同行を頼んできたのは、思う所があっての事ではないだろうか。イーリスの、ペレジアとの戦争やヴァルム帝国との戦争が無ければ多分グレゴは一生ロンクーと会う事は無かったであろうし、戦争が無くてもバジーリオを通じて出会う機会はあったかもしれないが、今回の様に唐突に地方の訪問の同行を頼まれる様な間柄にはなっていないだろう。
 フェリアは東西通じて、北に行けば行く程寒くなる。だがこの地は比較的南に位置し、防寒着も大袈裟なものでなくても良かったので、グレゴも馬上で羽織っていた厚手の毛糸の上着の着用だけで済んでいる。一年中雪に閉ざされた北の地方であれば引き受けなかった、と微睡みながら思っていたグレゴは、耳に滑り込んできた足音に腕の中の剣の柄に無意識の内に手をかけながら顔を上げた。
「……起こしたか、すまない。もう少し寝るか?」
「んー……いや、良いや。それより、お前の用事は終わったのかあ?」
「……ああ」
 手元に時計が無いのでどれくらい経ったのか正確には分からないが、薄雲に隠れた太陽の位置から察するにとうに一時間は過ぎている。一時間しか経っていないと言えばそうであるが、しかしあの巨木の下に佇むのに費やしたのであれば、一時間も経っている。それでも丸二日かけて訪れたこの地で一時間しか滞在せず帰るとなると、常人なら疑問と不満を述べるだろう。だがグレゴはそうかい、と言っただけで、やや億劫そうに立ち上がって指を咥え、短く一度口笛を吹いた。その音に、離れた所でまだ草を食んでいた馬が反応して二人に近付いてきた。
「……何も聞かずについて来てくれて助かった。礼を言う」
「んー? 礼はいらねえよ、金貰ってんだから」
「……それはそうなんだが」
「他の奴に頼んだら余計な詮索されそうだし、俺なら完全に仕事だから後腐れが無さそうって思ったんだろー? その通りなんだから気にすんなよ。
 それとも何だ、聞いてほしかったかあ?」
「いや、それは無い」
「即答かよ。なら良いじゃねえか、何があったのか聞くつもりはねえけどお前の痛みはお前だけのモンだ。俺ぁどうこうするつもりはさらさらねえよ」
「……そうか」
 行軍の最中、社会奉仕の一環と称して報酬無しでロンクーと時折の手合わせをする様になり、それなりに親しい間柄になったグレゴであるが、お互い立ち入った話はした事が無い。だからあの巨木に纏わる話などグレゴは知らない筈なのであるが、セルジュの愛竜であるミネルヴァと会話が何となく成立する数少ない人間であるが故に、僅かながらに知っていた。勿論セルジュがミネルヴァに話す様に勧めた訳ではなく、二人が野営の外れで手合わせをしているところを何度か眺めていたミネルヴァが、主人がロンクーの子供の頃のトラウマを少し和らげる事が出来た事とその切っ掛けに自分も関われた事、そのロンクーが昔自分を助けてくれたグレゴと親しくなれた事を喜んで、グレゴに教えてくれたのだ。
 多分、ヴァルム大陸に渡った後にそれなりに会話を交わす様になったセルジュにトラウマとなった出来事の顛末を聞いたロンクーは、イーリス大陸に戻ったらこの地を訪れようと決意したのだ。だが一人で行くにはまだ恐ろしく、かと言って誰かに頼めばグレゴが言った様に余計な詮索をされかねないし、何よりその出来事を話せば同情されてしまうかもしれない。グレゴも昔、目の前で両親や弟を殺されてしまったが、その事を知った者の多くは頼みもしない同情や哀れみの言葉をかけてきたし腫れ物を触る様な接し方をする様になった。放っておいてくれと思ったグレゴは、滅多な事が無い限りは家族の話をしなくなった。自分の痛みは自分のものであって、誰かに同調されたい訳でも共有してほしいものではなかったのだ。ロンクーも同じであろうと思ったから、何も聞かずに黙ってついて来た。
 あの巨木を見に行こうと、幼いロンクーを誘った少女が何を思っていたのかは知らないし、先程あの巨木の下で佇んでいたロンクーが何を思っていたのかも、グレゴは知らないし知るつもりも無い。そう告げたグレゴに、ロンクーは僅かに笑ってみせた。少し、泣きそうな笑みだった。
「やはり礼を言わせてくれ。……お前に頼んで良かった」
「そうかい。なら、戻ったら追加報酬で酒奢ってくれよ」
「そうだな、そうしよう」
 再度礼を述べたロンクーに、グレゴは今度こそ軽く笑ってグラスを傾ける仕草をしてみせる。それを見て、ロンクーも心得た様に頷いた。あの巨木を振り返る事は、無かった。