…おかしい。なーんで今俺はこんな所でこんな事になってるんだ。

湿っぽいシーツの中、横になっているグレゴは顔を顰めてそんな疑問を感じていた。外は暗く、まだ夜が明けない事を物語っていて、時折聞こえる木々のざわめきが風が出てきた事を教えてくれる。そのざわめきと共にグレゴのすぐ後ろから別人の寝息が聞こえていて、それが尚更彼を顰めっ面にさせた。グレゴのすぐ後ろでは、全く服を纏っていない彼を背中から抱き締めて無防備な顔をしながら寝息を立てている、同じく何も服を着けていない黒髪の青年が眠っていた。



何故彼らがこういう関係になっているかという事情は省く(習作1参照)のだが、少なくともグレゴはこういった状況に陥るのは不本意であり、避けたいと思っている。体の関係を結んだのは飽くまで金銭を貰った契約上という名目があったからで、彼にはこの真後ろの黒髪の青年―ロンクーに全く興味は無い。だから情事が終わればさっさと自分の天幕なり配置なりに戻って休んだり水浴びをしたり、立ち寄った街の安宿であったならさっさと一人で帰ったりしたいのだが、相手は若いせいなのか何なのかそれを許してくれず、最近は毎回終わる度こうなのだ。最初は真正面から抱き付かれていたのだが、気持ち悪いからやめろと言うと後ろから抱いて眠る様になってしまった。グレゴ程の力がある男であれば振り切るなり殴るなりして抜け出せば良いだけの話なのだが、余り強く言うとロンクーが仔犬の様な目をして落ち込むので、人の好いグレゴはそこでしょーがねーな…と溜め息を吐いてしまうのだ。絆されてはいけないという事は重々承知の上の筈なのだけれども。
しかしそれが毎回ともなると、流石にうんざりしてくるのも事実だった。今一度述べるがグレゴは真後ろで呑気に寝ている若者に興味は無く、こんな恋人の様な事をしたい訳では断じて無い。今日も終わったらさっさと水浴びして2日程前に片付けた依頼の報酬の一部として貰った酒を持ち出して、月見酒と洒落こむつもりだった。折角良い月夜に何が悲しゅうて男と同衾せにゃならんのだ…と思うと頭痛がしてきて、グレゴはこめかみを押さえる。これが体の柔らかな女であれば勿論言う事など何も無いが、誠に残念な事に体も硬ければ立派な一物が股間に付いている男だ。残念すぎる。
そもそも、グレゴには何故この後ろの男がわざわざ自分を選んだのか未だにさっぱり分からない。確かに花街に行って熟練のねーちゃん相手に度胸をつけさせて貰えと言ったし、熟練ならお前もだろうとは言われたが、良くもまあこんな中年の厳つい同性相手に欲情して勃起出来るものだ。グレゴはそこだけは感心している。余り感心出来る様な事柄ではないのだが。
その事について、何回目の時だったか、既に指輪を提示されてそれを断った後だったが、挿入される直前にグレゴはふと疑問に思って尋ねてみた事がある。

『なあ、俺が突っ込む側じゃダメかー?』

尋ねられたロンクーは、一瞬何を聞かれたのか分からなかった様できょとんとした顔をしたものの、グレゴの足を抱えたまま至極真面目な顔で尋ね返してきたのだ。

『構わんが、お前、俺相手に勃つのか?』

挿入するとなれば当たり前だが勃起しなければならない訳で、グレゴが突っ込む側、つまりロンクーに挿入する側になるにはまずロンクーに勃起しなければならないのだが、たっぷり30秒は沈黙して思案した後、グレゴは一言、突っ込まれる側で良い、と答えてしまった。何をどう考えてもロンクー相手に勃つとは思えなかったのだ。否、努力すれば或いは、と言った所であるが、そこまでして挿入する側になりたい訳でもない。結果的に、面倒臭いという理由でグレゴが何時も下だ。
グレゴが「ドヘタクソ」と評した最初の頃に比べれば、格段に巧くなったのは認める。こちらの体の事を気遣い、無闇矢鱈に腰を振る事も無くなった。少しでも気分が乗る様にと愛撫もきちんとするし、ある程度の我慢を覚えて早漏も改善されたし、楽な体勢を聞いては極力それを尊重してくれる。それは良い。問題は、「相手が自分の様な中年男性である」という事なのだ。グレゴはそう思っている。
大体童貞を捨てるのが同性相手という時点でこいつはおかしいんじゃないか、と常々グレゴは思っていたのであるが、そろそろ自分を卒業して貰おうと合格認定を出したら指輪を渡され、その疑問は確信に変わった。否、勿論好みや性癖など人それぞれ違って当たり前なのだけれども、それにしたって体もゴツければ声も艶っぽい訳ではなく、一見すると強面の中年である自分を選んだというその時点で、グレゴの中のロンクー評というのは「おかしな奴」から「変人」に変わった。このイーリス軍には様々なタイプの女が居るというにも関わらず、未だにロンクーは女が近寄れば体を硬直させて後ずさるのだ。あの、見た目だけは幼女のマムクートだけは別の様なので、幼女趣味なのだろうかともグレゴは思ったが、中年の自分を選んでいる時点でそれも消去されてしまった。
普段から眠りがそこまで深くないグレゴは、情事の後に体を綺麗に拭いて貰って一旦この状態で休んだのだが、夜明けまでまだ時間が随分あるだろうという時分に目を覚ました。しかし、褥から抜け出そうにも後ろの男ががっちりと―まるで抱き枕の様に―彼を抱き締め眠っているものだから抜け出すどころか寝返りも打てず、暇なものだからそんな事を考えていた。しかしいい加減半時(一時間)程もこの状態で過ごせば暇を通り越して呑気に寝息を立てているロンクーに怒りさえ覚えてくる。仲間にバレると色々と面倒だからと、酒を飲みに行くという名目で野営を抜け出し近くの街の連れ込み宿に入るという、グレゴにしてみれば「何で俺がそこまで考えなきゃなんねえんだ」とうんざりする様な手順を踏んでいるというのに、ロンクーは呑気に寝ているのだ。しかし、言えば「バレても構わん」と言い出しかねなくて、グレゴはそれを言った事がない。ロンクーが構わなくてもグレゴは構う。彼は断じて男が好きなのではなくて、女が好きなのだ。

『あー…最近女もロクに買ってねえなあ…』

所謂健全な成人男性であるグレゴはそれまで女を買うという事も良くしていたのだが、ロンクーと寝る様になってからと言うもの、片手で数える程度しか買った覚えが無い。気持ちだけは若いつもりでも体は年齢に素直なもので、毎日の進軍に度々の戦闘、そしてその合間に折りを見てロンクーが求めてくるものだから、女を買って抱く程の体力は彼には残っていなかった。勿論数回に1度は金銭を貰っているので、ある意味グレゴが女を買う代わりにロンクーがグレゴを買っていると言っても良いのかも知れない。しかし何度も述べるがグレゴは女が好きな健全成人男性であるので、こんな体の硬い男に抱き締められて寝るよりは柔らかな女を抱いて寝たい。

『くっそ…ぜってー次の街で女買ってやる…』

ムカムカしながらそう決意したグレゴであったのだが、不意に肩甲骨付近に顔を埋めて眠っていたロンクーがもぞもぞと動いたかと思うと今度は項の辺りに顔を寄せた様で、少し冷たい吐息が首筋に掛かる。つい最近ティアモに頼んで短く刈り上げて貰った為に無防備に曝け出されたその項にダイレクトに吐息が掛かってしまって、グレゴはまた顰めっ面になる。だがエルボーでもかましてやろうかと思ったその時、その項は音を立てて吸われた。
「っ?!」
完全なる不意打ちに不覚にも体が飛び跳ね、声にならない悲鳴の様なものが喉の奥から漏れて、グレゴは本能が体を離せと言っている様な気がしたのでロンクーの腕を振りきって逃れようとした。が、案外太いロンクーの腕はそれを許さず、足まで使って彼の体を離すまいと引き寄せる。安宿に相応しい安っぽいベッドは、案の定大きくギイ、と軋んだ音を立てた。
「おま…っ、離さねえか、この…っ」
「離したら…逃げるだろう…?」
「当たり前だ、だーれがヤローに抱き締められてうっとりするか…
 …ってコラ、おい、当たってんぞ!!離れろ!!」
いつから起きていたのか、ロンクーは尚も離れようとするグレゴの体に自分の体を寄せ、後ろから顔を摺り寄せた。グレゴにとってはそれが気持ち悪かったのだが、更に気持ち悪い事に腰の辺りに何か硬いものが当たっている。
「…駄目か?」
「嫌だっつってんだよ」
「…だったら、朝までこうしていてくれないか」
「はあ?!」
日付的に既に昨夜と呼んでも良い時間に散々体を酷使してくれた癖に、更にまた求められては堪ったものではない。そう思ったグレゴが拒絶の言葉を吐き捨てると、妥協案なのか何なのか、朝までこのままで居ろと言われて思わず素っ頓狂な声が出た。しかし抗議の声をあげようとした時、左胸を掌でぐっと押さえられて声が詰まった。たまにロンクーはこうやって心臓の鼓動を確かめる様に左胸に触る。
「たまには…朝まで居てくれても良いだろう…?」
「やなこった。男に添い寝とか、ぞっとするっつうの」
「ユーリには添い寝だの膝枕だの言っていたのにか?」
「お前はどこで俺の会話聞いてんだよ…冗談に決まってんだろー?」
力尽くで抜け出すのも面倒臭いし、体力は温存したかったので、説得で離すのを待つ事にしたグレゴにはロンクーの表情など窺い知る事は出来ない。しかし今の何気ない一言で、ユーリに対して妙な嫉妬を抱いているという事は分かった。体の関係だけだとグレゴが再三言っているにも関わらず、ロンクーはまだ首にかけたチェーンに通した指輪を渡す事は諦めていないらしい。彼はグレゴから突き返された指輪を、誰にも見えない様にチェーンに通して首に着けていた。どこからそういう知識を得たのかは知らないが、そういう所で諦めの悪さを見せないで欲しい。
「…普通、男は金を貰ってもこういう事はしないと聞いた」
「あん?」
「生活がかかっているとか…止むに止まれぬ事情があるとか…、
 そういう時でなければ男だろうが女だろうが、体は売らないだろう…?」
「あー…まあ、そうだな」
「…お前は何故俺に売る?」
「何でって…断ると食い下がってきて面倒臭ぇだろー、お前」
左胸のロンクーの手を払って、心底面倒臭そうな声でグレゴは言ったのだが、次の瞬間に肩甲骨に走った痛みにまた体が跳ねた。噛み付かれた様だ。
「いってえよこのバカヤロンクー!!」
「…新しい罵倒だな」
「感心してねえでとっとと離さねえか、いい加減にしねえと本気で抵抗するぞ」
「………」
大人しく我慢して抱かれたままでいたが、噛み付かれて黙っておく程グレゴはお人好しではない。声のトーンを落として半ば脅すように言うと、絡めた足は離され、回されていた腕の力が弱まった。グレゴの力がどんなものであるのかを知っているロンクーは、彼が本気でそれを言ったという事を分かっている様だ。ガシガシと頭を掻きながらだるさを感じる体をのそりと起こし、グレゴは存分に伸びをした。何時間も同じ体勢で居たものだから体のあちこちから関節の音が聞こえて、痛いのだが気持ちが良い。
ベッドから降りて脱ぎ捨てられた服を着ていると視線を感じ、グレゴは忌々しそうにそちらを見遣る。ベッドの上ではロンクーが胡座をかいて頬肘をつき、じっとグレゴを見ていた。
「なーんだよ、ジロジロ見るもんじゃねえぞ」
「…そうだな」
「じゃーな、朝までには戻れよ」
「…ああ」
酷く残念そうな顔をしているロンクーに知ったこっちゃねえよと言わんばかりに背を向けて手をひらひらと振ったグレゴは、後ろを振り返る事もせずに部屋を後にした。しんと静まり返った連れ込み宿の廊下は薄暗く、窓から差し込む月の光と所々に置かれた燭台の灯りを頼りに歩を進め、そして宿から出た。
寝静まった街は静かで、時折吹き抜ける風が心地良い。雲も殆ど見えず、星空は今日の主役の満月を邪魔せぬ様に控えめに瞬いている様に見えた。グレゴはその星空の下、ゆっくりと野営に向かう街道を歩く。本当ならば酒でも飲みながら月を眺めていたかったのだが、その風流を台無しにする様なロンクーの「今晩良いか?」はでかい溜め息しか生み出せなかった。断れば良いと思われてしまうかも知れないが、グレゴは身を以て経験したのだ。断ればその次が酷い事になると。
何度目の時であったか、ロンクーが情事を持ち掛けてきた時に、今日はバジーリオさんと飲むからまた今度なー、と断り、翌日が休息日だからと3日後に承諾したら丸一日起き上がれない程抱かれてしまった。文字通り朝まで眠らせてくれなかった、のだ。もう無理だから止めろと言っても聞かず、グレゴは自分の5回目の射精以降の記憶が無い。記憶は無いが、眠らせて貰えなかった事だけは覚えている。まさか頭ぶっ飛ぶくらい犯されるとは思わなかったぜ…と天幕で1日寝込んだ彼は、多少体がだるくても請われたら相手をする様に心掛ける様になってしまった。勿論それは金を貰って、が大前提であるが。
いい加減あの男も落ち着いて心を安らげる事が出来る女を探した方が良い、とグレゴは思う。顔は道行く女が騒ぐ程良い部類だし、剣の腕も立つし、気遣いもそこそこ出来る様にしたし、セックスもそれなりに上達させた。本人がその気になってくれねばどうしようもないが、女の1人や2人、居てもおかしくない男なのだ。料理が出来て気配りが上手く、それこそ何かの祝い事も忘れず祝ってくれる様な女の1人や2人…
「…ん…?」
ふと、グレゴはそこでぴたりと立ち止まり、腕組みして月を仰ぎ見てから、今日は何日であったかを確認する。安宿にしけこんだのはこのヴァルム大陸でも秋と呼ぶ季節、10の月9の日だ。日付は変わっているだろうから、つまり今日は10の月10の日。


―――たまには朝まで居てくれても良いだろう?


殊勝な事を頼んでくると思ったら、つまりはそういう事であったらしい。何も言わないからすっかりその事を忘れていたのだが、今日はあの男の誕生日なのだ。誕生日だから朝まで一緒に居てくれとは、また随分と女々しい頼みだとグレゴは苦虫を噛み潰した様な顔になる。
断ると食い下がって面倒臭ぇだろと言ったら噛み付いたのは、少しでも色のある答えを期待していたからに違いないのだ。しかしグレゴはそういう事に関して嘘を言う趣味は無い。朝まで男に添い寝する趣味も、勿論無い。だが、魘されている人間を叩き起こす趣味ならある。彼は、ロンクーが眠っている最中に魘されている事を知っていたのだ。今日も途中で苦しそうな呻きが聞こえたが、がっちりと後ろから抱き締められていたから起こす事は出来なくて、適当に手を撫でてやったら安心した様に力を抜いたのでそのままにしておいた。
ロンクーの過去に何があったのかを聞くつもりは、グレゴには毛頭無い。自分が過去に何があったのかをロンクーに言うつもりが全く無いのと同じ様に。だから眠っているロンクーの口から漏れ出た「ケリー」という名前についても、全く聞くつもりは無い。夢に魘され、死んだ大事な者の名前を呼ぶなど良くある話だ。グレゴもそうである様に。
「………」
グレゴは乱暴にガシガシと頭を掻き、顰めっ面のままちらと月を見る。星と月の位置から見るに、夜明けまであと一時半(3時間)はある筈だ。


―――断じて絆された訳じゃねえぞ…魘されてるとこを引っ叩いてやらぁ


彼はそう自分で自分に言い訳をしながら踵を返し、歩いてきた道を引き返し始めた。肩甲骨の噛み痕が存在を強調する様に、じんと痛んだのには気付かないふりをしながら。