グレゴがロンクーと殴り合いの喧嘩をしてから、そろそろ10日は経とうとしている。その間グレゴはロンクーと口を利かなかったし、顔を合わせる事も避けた。徹底して行動範囲が被らない様にと配慮して動いた所為か、大所帯と化したイーリス軍の陣営内で本当に遭遇する事も無かった。ユーリに申し出て屍兵討伐の際も同じ部隊にならない様に配慮して貰ったお陰でもある。
ロンクーの求婚じみたものをきっぱりと断ろうという事は決めていたのだが、それでも喧嘩したばかりの後に話をすれば色々拗れる気がしたので、まずはロンクーの頭を冷やしてやってからだなとグレゴは考えていた。その為の期間でもあったし、単に自分の中のむかつきを薄れさせる為でもあった。最初から余り乗り気ではなかったのにそれを責められ殴られてはグレゴだって気分は良くない。時間というものは最大の妙薬であるという事は人生経験が豊富な彼には痛い程分かっていた。
しかし顔を合わせなかったら矢張り気になるのか、ロンクーが自分をそれとなく探しているという事もまた、グレゴは分かっていた。分かっていて敢えて顔を合わせない様に行動していたので当たり前だ。喧嘩別れで終わらせていてもグレゴにとっては一向に構わない事ではあったけれども、ロンクーにとってはそうでなかった様であるし、未練を残されても困る。況して、ロンクーは西フェリア王の跡継ぎ候補だ。ヴェイク達にも言ったがそんな男が男を追いかけているのは如何なものかとグレゴだって思ってしまう。なので時がくればきちんと話し合って諦めさせるつもりだった。そのタイミングを見計らっていたのだが、グレゴが丁度夕食時の見回りのセルジュとノノの2人と交代する為にガイアと連れ立って歩いていた時、バジーリオから呼び止められた。彼の後ろには、ロンクーが苦い顔をして立っていた。



「おうセルジュ達、交代だってのに悪いな。
 ま、帝国の奴らもそうそう奇襲とかかけて来ねえだろうし、
 ユーリにも言ってあるからよ」
「うふふ、お構いなく。大事な話でしょうからね」
「………」
いやに楽しそうにバジーリオへ返事をしたセルジュに対し、グレゴは微妙な顔で沈黙した。何が大事な話なんだという思いもあれば、変な面子が揃ってしまったという思いもある。そもそも話をしなければならないのはロンクーとグレゴであって、その間には誰も必要無い。間に立たれてはまた変に拗れてしまうかも知れないのだし。その上バジーリオまで出て来られては、流石のグレゴも逃げる事は出来ない。恐らくロンクーが相談を持ちかけたらバジーリオが彼の首根っこを掴んでここまで引き摺って来たのだろうが、何が悲しくて所謂痴話喧嘩の様なものに保護者にしゃしゃり出て来られなければならないのだ。しかも男同士の。
「…で、何の用すか」
「何の用も何もお前、分かりきった事聞くか?」
「…そうですけどー…」
呼び止められた当の本人であるグレゴが少し嫌そうな顔をしながらバジーリオに問うと、彼は何を言っているんだと言いたげに問い返してきた。勿論グレゴだって何の用事があるのかを知っているし分かっているけれども、だからと言ってこんな人数のギャラリーの前でロンクーと話をしたくはない。
「ほれロンクー、お前も黙ってねえでさっさと用件言え。
 そこまで面倒見ねえぞ」
「あ…ああ」
自分の後ろで所在無さげに立っていたロンクーを促したバジーリオは自分が下がる代わりに彼を前に出す。気まずそうな顔をされてもグレゴは困るし、こっちだって気まずいと言いたい。隣に居るガイアは普段から口にしている飴の持ち手の棒を抓みながら涼しい顔をしているし、もう交代しても良いのにセルジュとノノはにこにこしながらそこに居るしで、多分こういう状況を針の筵と言うのだとグレゴは思った。
「…その…、…この間はすまなかった」
「おー。力一杯反省したかあ?」
「…ああ」
徹底的に無視してきたのが余程堪えたのか、心無し気落ちしている様な顔で頷いたロンクーの目の下には隈が見受けられた。中年が口きかなかっただけでここまで落ち込む男も珍しいとグレゴは思ったのだが言うのま面倒臭くてやめた。その代わりに、頭を掻きながらまた尋ねた。
「…で?話って何だあ?」
ギャラリーが居る前で話すのも気が進まないが、かと言ってここからそそくさと離れて話をするのも不自然なので、仕方なくこの場で聞くと、ロンクーは何と言ったものかと少しだけ考える素振りを見せてから懐に手を入れ、空いた手でグレゴの手を取ってぐいと指に何か嵌めてきた。不覚にも不意をつかれた形になるグレゴは、しかし指に嵌められたそれにまた苦い顔になる。
「貰ってくれ」
「いや、だから、要らねえって言ってんだろー?」
「不要なら売るなり何なりすれば良い。それなりに金になる」
「…お前よぉ、俺がもしお前の言うとおりこれ売ったらどうすんだあ?」
「また買う。何度でも求婚する」
「…えぇー…」
指に嵌められたそれは、以前渡されて突き返した指輪だった。今回も渋って抜こうとしたのだが、要らないなら売れと真顔で言われてしまっては頭痛しか感じられなくなってしまう。金に煩いグレゴであっても流石に貰った指輪を右から左に売るという薄情な事はしないのだ。男から貰ったという時点でぞっとしないので手放す事は確実ではあるけれども。しかし何度でも贈られるとそれなりに繊細な心の持ち主であるから、気が滅入るのは想像に難くなかった。
「いやー、だから、俺はお前に惚れてねえし」
「努力する」
「んな努力するくれえなら女に近寄れる努力しろよなー。
 それに、えーと、あれだ、失恋を経験して良い男になってくもんだしな?」
「お前を諦めるくらいなら良い男になどなれなくて結構だ。情けないままで良い」
「…だから、俺はお前の金に興味がある訳で、お前に興味は」
「一生お前に貢ぐ。…いや、俺の一生をお前に貢ぐ。だから一緒になってくれ」
「………」
尚も食い下がってくるロンクーは当たり前かも知れないがどこか必死な顔をしていて、グレゴは妙に冷静に残念なイケメンだなと思った。セルジュが以前言っていたが、ロンクーに思いを寄せている女も少なくはないとグレゴだって知っている。何故自分を選んだのか本当に心底分からなくて、胃が痛くなっていくのを感じていた。
「諦めろよおっさん、多分何言っても無駄だぞそれ」
「なーんで俺が諦めなきゃなんねえんだあ?!」
「あらまあ、まんざらでもないんでしょう?」
「好きでもないけど嫌いでもないなら結婚しても良いと思うなー」
「まーて待て待て!!男同士で結婚出来るとかどこの国も法律無かったよな?!」
「何だお前知らねえのか、西フェリアは同性婚の禁止とかしてねえぞ」
「?!」
ガイア達の追撃を何とかかわそうとグレゴは必死になっていたのだが、バジーリオからのとどめの一言は彼を絶句させた。セルジュのみならずガイアまでそれは初耳だという様な顔をした辺り、国外には殆ど知られてない事なのだろう。
「容認してるって訳じゃねえけど同性婚を禁ずるとか明文化されてねえからな、
 結構西フェリアじゃ野郎同士や女同士で番になる奴多いぜ」
「………」
断りたいのにギャラリーから茶々を入れられ、挙げ句にバジーリオから止めをさされ、逃げ道が無くなったグレゴは遠い目をするしか出来なくなる。別に嫌いではないが、かと言って恋愛対象に見られるか否かは別問題だ。ロンクーは男であってグレゴも男な訳で、同性愛に対して偏見を持っていないとは言え当事者になるつもりはない。そもそもグレゴはロンクーに惚れていない。ツラは良いよなツラは、程度だ。
「それで、返事はどうなんだ」
「………どうなんだも何も…」
返答を急かしたロンクーに、グレゴは項を擦って眉間に皺を寄せる。これでは退路を断たれているのと同じだし、断ればこの場の全員からブーイングが起こるだろう。何にせよ自分が不利である事に変わりなく、それがグレゴの顔を渋いものにさせていて、もうどうでも良いやと半ば投げ遣りな気持ちで彼はがっしりとロンクーの肩を掴んで引き寄せ、右手で彼の後頭部を押さえ付けてから唇を塞いだ。感嘆の声、口笛、あらあらという笑い声が聞こえたが、グレゴは全て無視した。
「…、……っん、…んぐ………、」
見開かれた黒目がすぐ近くにある。目を閉じるのも癪なのでその黒目を睨んだまま薄く開かれた唇に舌を捩じ込み、歯列をなぞり、舌を絡ませ吸い上げ、厚みのない唇を食み、腰に力が入らなくなって屈みかけたロンクーの後頭部、というよりも寧ろ頭髪をぎりぎりと掴んで尚も攻め続けたグレゴは最後に音を立てて唇を離すとそれまで掴んでいたロンクーの肩や髪を解放して忌々しげに自分の唇を手首で拭った。支えを無くしたロンクーはその場で腰を抜かし、呆然とグレゴを見上げる。そんなロンクーに、グレゴは鼻で笑う様に言い放った。

「これくれぇ出来る様になってから言いやがれ、このドヘタクソ」

ロンクーは、未だにキスが上手くない。否、グレゴが巧みなだけであって別に劇的に下手であるという訳ではないのだが、娼婦相手に鍛えられたグレゴにとってみればロンクーの口付けなど本当に稚拙なものだった。ただ、そんな初々しいものはもう自分には出来ないという妙な胸の内もあるけれども。
「…流石百戦錬磨のおっさんなだけあるな…」
「お前と比べちゃ可哀想だろうが。
 おう、ロンクーもいつまでも情けなく腰抜かしてんじゃねえぞ」
感心した様にガイアが気の抜けた拍手をし、バジーリオも呆れた様にロンクーの腕を引いて何とか立ち上がらせる。セルジュは無言のままにこにことしながらノノの目を覆ってくれていて、グレゴは何となくそれに対して右手を軽く挙げて礼を示した。ノノに見せる様なものでもないからセルジュの気遣いは有難い。
「お前、ほんっ…とーに…青臭ぇよなー…」
「うぅ…」
「…まあ…あれだ…、…努力しろ?」
「わ、分かった………」
まだ口付けの余韻が残っているのか顔を赤くしたままよろけているロンクーに、大きな溜息を吐きながらグレゴが言うと、面白いものを聞いたかの様にバジーリオとガイアがにやっと笑った。気乗りもしておらず、ずっとロンクーを拒絶していたグレゴがどこか譲歩する様な事を言ったからだろう。ロンクーが努力したところでグレゴが彼に靡くとは限らないが、情が移る可能性が無い訳ではない。
「良かったねーロンクー、仲直りできたね!」
「そ…そうだな」
無邪気なノノは見なかったとは言え何をしていたのかくらいは分かる様で、笑顔でロンクーを労う。その彼女の言に真面目な顔をして頷いたロンクーを見ながら何度目になるのかも分からない溜息を吐いたグレゴは、自分の左手の薬指の指輪の存在をすっかり忘れてしまっていた。

その後ノノに事情を聞いたらしいヴェイクからやっと結婚したか!と豪快に笑われるまで外しそびれていて、グレゴは暫く軍内の者達から冷やかされていた。多分問題は山積みなのだろうし、実際面倒臭い事は多いのだが、嬉しそうに寝台の上で後ろから自分を抱いて呑気に眠るロンクーの寝息を聞くと悩んでいる自分が馬鹿馬鹿しくなって考える事を止めた。重たい溜息はしかし、サイドボードの上に置かれた指輪よりは重たいものではなかった。