生きていればお前くらいの年かな、と、その男は言った。


「よぉ、今日はここまでにしようぜー」
太い木刀が激しくぶつかり合った音の後、暫く睨み合いが続いていたのだが、ロンクーが次の一手をどう繰り出すか考えていたその時に、相手の男は普段通りの間延びした声でそう申し出た。疲れたのかも知れないし、これ以上やればどちらかが大怪我をすると判断したのかも知れない。どちらにせよロンクーにしてみればまた負けた、という敗北感しか齎されなかったので、自然と顰めっ面になった。そんな彼の顔を見て、相手の男は―グレゴは苦笑しながら肩を竦めて見せる。
「あーのなあ、お前と俺の体力考えてみろって。
 かれこれ30分以上はこうやってるんだぜー?」
「…戦場はそれ以上の時間が経っているだろう」
「お前並の奴らがうじゃうじゃ居て堪るかってんだ」
ロンクーはまだ続けても平気だが、グレゴは体力的に厳しいらしい。こう見えて傷付きやすいので言わないが、中年と言っても差し支えない年の男なので、確かに長時間の手合わせというのは疲労が溜まってしまうだろう。一応ロンクーは手練れの剣士に分類される程の男だから、負けた事が無いとは言え、グレゴだって気を張り続けるのは疲れるらしい。最近は引き分けまで持っていける様になったものだから、尚更だ。今日は打ち込まれて危うく木刀を落としそうになったので引き分けですらなく、負けだとロンクーは思った。だから苦虫を噛み潰した様な顔になる。
「相変わらず左足の踏み込みが弱ぇなー。お前、利き足意識してるかあ?」
「…そんなに違うか?」
「まー、自分じゃ分からんよなあ。
 いっぺんぬかるみか砂浜か、地面が柔らけぇトコで踏み込みしてみな。
 右と左じゃめり込みの深さが違う筈だぜー」
利き足の事を言われ、グレゴのその指摘にロンクーはすぐに思い付く事があった。確かに右足で踏み込んで打ち込んだ時と左足で踏み込んで打ち込んだ時とでは、グレゴが剣を受け止める腕の力加減、力み方が違うのだ。僅かな差かも知れないが、利き足である右足で踏み込めない時はどうしても左足で踏み込まざるを得ないから、例えば戦場で一対一に持ち込んだ場合、見抜かれてしまったら一瞬でも隙を作ってしまう事になる。戦場を渡り歩いてきたグレゴはその危険性を知っているからロンクーにもそう忠告したのだろう。同じく剣を使い、戦闘経験も己より豊富な者の忠告は素直に聞いておいた方が良い。
「…ひょっとしてお前が俺と間合いを取る時、利き足で踏み込ませない様にしているのか?」
「あったりまえだろー?知っててわざわざ利き足使わせるかよ。
 少しでも自分の力は温存させるわな」
「…それもそうだな」
思い起こせばここ数回の手合わせでは思う様に間合いが取れず、離れ過ぎていたり近過ぎたりしていた為に何時も中途半端な間合いでの打ち込みとなってしまっていて、決定打に欠けていた。間合いの詰め方が甘いとは自覚していたが、その原因が利き足とは気が付いていなかったロンクーは思わず小さく唸ってしまった。
「お前が一番踏み込みやすい間合いって、えーと、このくらいだろ?踏み込んでみろ」
「…、」
「ん、…じゃーこれだと?」
「……む、」
「分かるかあ?さっきより微妙に遅ぇし力が入らねえだろ?」
「…ああ」
グレゴが持っていた木刀を足元に置き、ロンクーと距離を取りながら丁寧に踏み込みの実践をさせると、ロンクーはやっと気が付いた様に目を瞬かせて足元を見た。グレゴは踏み込んできたロンクーの両肩を両手で受け止めてくれたのだが、その腕の力の入れ具合が本当に違うのだ。手合わせ中にはそこまで体感出来なかったが、意識してみると驚いてしまう。ここまで利き足とそうでない足での踏み込みが違うとは思わなかったロンクーは思わず左足で何度か地面を踏み締めてしまった。
グレゴがこうやってロンクーとの手合わせに応じてくれる様になってからそれなりに経つが、実際に剣を交えた回数はそこまで無い。お互いが手練れであるという事を考慮して、バーブチカから程々にしておいて頂戴と言われているからだ。それでも、グレゴはロンクーの癖や利き足の事をすぐに見抜いた。経験の違いか、と思うと何だか悔しくて、矢張りロンクーは苦い顔しか出来なくなる。
「まー、まだ俺もお前みたいに若ぇ奴らに負けるにはいかねえからなー。
 年長者は常に年下の目標じゃねえとな」
「…お前にしてみれば、俺もまだまだ子供か」
「んー?…まあ、なー」
「…?」
自分より随分と年上のグレゴにとってみればそうだろうと思いロンクーが発した言葉に、グレゴは珍しく歯切れの悪い返事をした。彼がこんな風に口を濁す様に返事をするのは本当に珍しいので、ロンクーは何か引っ掛かるものを覚えた。しかし聞いて良いものかどうか分からず口を噤んだままでいると、グレゴは困った様な顔をして項を擦った。これは彼の癖だ。
「…お前、いくつになるんだっけ?」
「…21だが」
「っかー、若ぇなあ…」
ロンクーの年を尋ね、返事を聞いたグレゴは、本当に困った様な顔で笑った。何かを懐かしむ様な、少し悲しそうな、そんな苦笑だった。だから矢張りロンクーは尋ねて良いものなのかどうかの判別はつきかねる。自分にとって過去を聞かれる事が辛い様に、グレゴもそうであるかも知れなかったからだ。同じく困った様に眉を顰めてしまったロンクーに、グレゴは目を細めて小さく笑った。
「生きてりゃ、お前くらいの年かな」
「…何…?」
「正確に言やあ、生まれてりゃ…かな」
「………子供が居た、のか?」
「…生まれなかったけどなー」
肩を竦めたグレゴは遠い記憶を懐かしむ様に目を細め、そして伏せる。確かに子供が1人や2人、居てもおかしくはない年頃ではあるのだが、結婚していたという話も聞かなかったし、況してや子供を喪っていたとも思わなかった。それに自分くらいの年の子供となれば、随分と若い頃に子供が居た事になる。…否、それも別におかしな事ではないかも知れないのだが。
「お前より若ぇ頃、まーだイーリスとペレジアが戦争やってた頃に惚れた女が居たんだよ。
 俺と同じで傭兵やってて、5才くらい年上だったかな。
 その頃結構俺も荒れててよぉ、無茶苦茶な戦い方してたんだけど、
 そいつは全っ然怯みもしねえで俺を叱り飛ばしてくれる奴でなあ。
 まー、色々あって、子供が出来たんだが…」
グレゴはそこで一旦、言葉を止めた。目線はロンクーと交わらない。何もない空を見て、酷く遠い目をしていた。まるでもう居ない誰かを探す様に。
「俺の親父はほーんと、ろくでもねえ奴でよ。
 飯もろくに食わせてくれねえ、殴るのは当たり前、っていうとんでもねえ奴だった。
 …俺もあんな父親になっちまうんじゃねえかって思った途端に子供が怖くなっちまって、
 堕ろせって言っちまったんだ」
「…それは」
「勿論そりゃ俺の我儘だし、あいつの知ったこっちゃなかっただろうよ。
 けーど、その時の俺にゃ、どうしても受け入れられなかったんだ。
 散々喧嘩して、意地でも産むって言ったあいつに酷ぇ事言って泣かせてな…」
ロンクーはグレゴに自分の過去の事を話した事は無かったし、グレゴも彼に過去の事を聞く事が無かった。同じ様に、グレゴが今までロンクーに自分の過去の話をした事が無かったものだから、初めて聞くその話に呆然とした。今現在のグレゴは面倒見も良く、人当たりも良くて、滅多な事では声を荒げない。リヒトやリズなど年少の者にも懐かれるし、ノノの遊び相手にもしょっちゅうなっているから、子供というものを嫌悪するとは思わなかったのだ。否、子供を嫌悪するというより、父親という存在を嫌悪している様だけれども。
男女の間の縺れというものは、ロンクーには分からない。幼少の頃のトラウマで女が苦手なロンクーは、恋愛というものを経験した事が無い。そして、彼自身も孤児であったから父親というものがどういったものであるのかを知らなかった。だからいずれ誰かと結婚して子供が生まれるとなってもロンクーは戸惑いはするだろうが恐ろしいと思う事は無いだろうと思った。「知らない」事が逆に良かった事になる。知っているからこそ、グレゴは恐れたのだろう。虐待を加えられた子供が長じて己が親となった時、子供に対して暴力を振るうというケースをロンクーも知っている。貧民街に居た頃、親から逃げ出してきた子供達もそれなりに数が居て、話を聞けばそうであったという事を覚えているのだ。
「…生まれなかった、というのは、…お前が堕ろさせたからか?」
「いやー…、…死んだんだよ」
「…死んだ…?…その、子供がか?」
「…あいつが、さ」
「………」
グレゴは先に生まれなかったと言っていたので、てっきり堕胎させたからだと思ったのだが、彼の口から零れた返事はロンクーの胸を冷やすには十分過ぎる力を持っていた。足元に置いていた木刀を拾って杖をつく様に持ったグレゴは細く長い溜息を吐き、軽く首を二、三度横に振ってから言った。
「言ったろ、俺達は傭兵だったんだ。
 ペレジアとイーリスはまだ戦争しててよ。
 まだ腹がそんなに大きくなってねえからって身重の癖に戦場に出やがって、
 …槍で串刺しにされて死んだ」
「………」
「謝ってもねえ、礼も言ってねえ。
 本当は嬉しかったのに堕ろせなんて言っちまってすまねえって、死んだあいつに言ってもなあ」
ロンクーは、グレゴが泣くのではないかと思っていた。しかし彼は声も震わせず、目を潤ませる事も無く、淡々と話した。自分の過去の記憶を切り取って、ただ淡々と。
自分より若い頃とグレゴは言ったから、話の中の女との間に子供が出来たのはまだ10代の頃であったのだろう。今ならまだしも、そんな若い頃であったなら恐らく血気盛んであっただろうし、バジーリオから「お前も本当に丸くなったよな」と言われているのを聞いた事があるから、本当にグレゴが自分で言った様にかなり荒れていたのではないか。そんな彼を今の様に変えたのが、その女と子供の死であったなら。これ程哀しい変化は無い、とロンクーは思った。
「お前が21か。あいつが死んだのが俺が18の時だから…、
 ま、お前の方がちょーっとばかし上だが…生まれてりゃ、お前くらいの年だ」
「…そうか」
「そう思うとなーんか妙な感じだなー」
息子として父親から愛される事も無く、父親として子供に愛される事も無かった目の前の男は、それでも普段通りの表情に戻って苦笑した。自分自身も父親を知らないので親から愛される事は無かったロンクーは、それでもまだ父親になる機会は十分にある。しかし、グレゴは今の話を聞く限りではもう父親になるつもりは無い様に見受けられた。


―――父を知らない男と、子を喪った男、か。


「…父親は、常に息子の目標であるべきだと…、
 常に息子が敵わない相手であるべきだと、聞いた事がある」
「…んー?」
「お前は、年長者は常に年下の目標であるべきだと言ったな。
 …同じ事だと思わないか?」
「…そう、だなー」
「俺の目標はバジーリオだ。それは変わらない。
 だが…、そのバジーリオと引き分けたお前を目標にしても、おかしな事ではあるまい?」
「………」
生きていればお前くらいの年かな、と言った時のグレゴの顔は、一瞬ではあるが父親の顔であった様にロンクーは思う。自分の子供を知らぬグレゴは、それでもロンクーを通して生まれてこなかった子供を見たのだろう。産ませてやれなかった、死なせてしまった女を頭に思い描きながら。
「俺は孤児だったから父親を知らんが…、…お前の様な父親であったなら、うれしい、と思う」
他人が聞いたら、父と思うのはバジーリオではないのかと思われるかも知れない。だがロンクーにとってバジーリオは「師」であり、「父」ではなかった。身近な存在というよりも手の届かない、ある種畏怖の念を抱かせる様な、そんな存在だ。だが、グレゴは違った。確かに常に先を進む存在ではあるけれども、手が届かない訳ではない。体当たりで指導もしてくれるし、考えが堅いと言って連れ出してもくれる。初めて会った時からバジーリオさんが目にかけてる奴だって言うしなあ、と笑い、既に旧知の仲であるかの様にロンクーの警戒心を解かせたのだ。そう、それは、まるで。
「…迷惑でなければ、一度で良いから、…呼んでも良いか」
「………」
「無言は承諾と取るぞ。―――父さん」
誰かをそう呼ぶ事など生涯無いだろうと思っていたロンクーは、その機会を与えてくれた目の前の男に少なからず感謝していた。子供であった頃、一緒に遊んでいた少女が親の事を呼ぶのが羨ましかった事もあったから、今漸く口にする事が出来て素直に嬉しいと思った。勿論グレゴはロンクーの見た事も無い父親ではないし、ロンクーはグレゴの生まれなかった子供ではない。それでも良かったのだ。
「………でけえ息子だなあ、おい」
「お前が言ったんだろう、生きていれば俺と同じくらいだと」
「そうだけどよお。いきなりこーんな図体でけえ息子が現れたら、俺だってびびらぁな」
暫しの沈黙を挟んで目を伏せ、はあっと息を吐いたグレゴは、肩を竦めて苦笑しながらおどけて見せた。泣きたかったのかも知れない、とロンクーは思ったが、敢えてそれには触れずにグレゴの言葉に合わせると、グレゴは大きな掌でわしゃわしゃとロンクーの頭を撫でて微かに震える声を誤魔化した。
ロンクーはバジーリオから、グレゴは親と弟を賊に殺されたという事を伝え聞いている。だからグレゴは親を喪い、弟を喪い、挙げ句に好いた女と子供を喪った事になる。奪われてばかりのグレゴは、それでも人を信じる事が出来、誰かの為に怒る事が出来、己の義を貫く事が出来、豪快に笑う事が出来る。それがこの男の強さだと、ロンクーは思う。顔に似合わず傷付きやすく、細やかな所にまで気を配り、こちらが強くなる事に対して惜しみ無く力を貸してくれる。勿論対価を払わねばならない事もあるけれど。
「…ま、変な感じはするけど悪い気はしねえな。…ありがとよ」
「…ああ」
ロンクーの肩を軽く叩いて礼を言ったグレゴの目は、凪いだ海の様に穏やかだった。親を知らないロンクーは、それでも親の様に思える人間が居てくれる、そして追える背中があるのは恵まれている事だ、と目を細めた。ほんの少しだけ感じた照れ臭さには、気付かないふりをしながら。



「よお、元気してたかあ?」
「…お前か。久しいな」
イーリス軍の軍師であったバーブチカが邪竜ギムレーを消滅させる為に自らを犠牲にしてから数年経ち、彼女が見付かったとの報告をクロムから受けたロンクーは、フェリアの代表としてイーリスに来ていた。フェリアの統一王は未だフラヴィアのままだが、西の王として多忙な毎日を送るバジーリオとしては急に国を抜ける事は出来ず、それはフラヴィアも同じ事で、2人の代わりにバーブチカに会いに来たという訳だ。フラヴィアもバジーリオも、後程ゆっくり訪ねたいという旨を言伝ててロンクーを見送った。…否、ロンクーと彼の妻、そして1才になる彼の子供を。
「久しぶりね、元気にしていた?」
「おー、まあそれなりになー。
 あんたも元気そうで何よりだ、ベルベット。…と、ちっせえシャンブレー。
 こーんな小せえのがあーんなでっかくなるんだなー」
ヴィオールに請われてヴァルム大陸にある彼の領地のロザンヌに滞在して、領内の屍兵討伐や雑務を請け負っているらしいグレゴは、ヴィオールの妻であるセルジュにバーブチカの事を伝え聞いてロンクーと同様に2人の代わりに来たらしい。数年ぶりに会う彼はそれでも相変わらず飄々としていて、(言うと傷付くだろうから言わないが)元から老け顔であるせいで年齢を重ねた様には余り見えなかった。そんな彼は、ロンクーの妻となったベルベットの腕に抱かれたシャンブレーを覗き込んで笑った。戦時中、未来から来たというロンクーとベルベットの息子のシャンブレーはロンクーより背が高く、今ベルベットが腕に抱いている赤子があんなに大きくなるとはとても思えない。グレゴでさえロンクーの様な大きな息子がいきなり現れたらびっくりすると言ったのに、ロンクーにしてみれば自分より大きな息子が現れたのだから驚くなんてものではなかった。
「抱いてみる?」
「いやー、泣かれると傷付くから良いわ」
「あら、バジーリオが抱いても泣かないわよ」
「そーかぁ?でっけえシャンブレーは俺の事すげーびびってやがったからなあ…」
「…すまないな」
「お前が謝る事じゃねえだろー」
ベルベットが抱いているシャンブレーをグレゴに渡そうとすると、彼は苦笑して断った。未来から来たシャンブレーは、グレゴが言った通り、来た当時彼をとても怖がった。見た目に反して臆病であったらしい。そんな息子に、ロンクーではなくベルベットが溜め息を吐きながら「見た目は怖いけど優しいおじさんだから安心しなさい」と言ったのだが、グレゴはそのベルベットの言葉にも微妙な顔をしていた。自分ではおじさんと言う癖に、他人から言われると少々傷付くらしい。
「ま、お前も立派に嫁さん貰って子供出来て、バジーリオさんの右腕として働いてんだから、大したもんだよ」
「…そうか」
「そうか、じゃないでしょう?褒められて嬉しいなら素直にそう言いなさい」
「う…」
「はっはっは、尻に敷かれてんなぁ、ロンクー!」
不意に褒められて、照れるやら嬉しいやらで無愛想な顔しか出来ずにぼそっと返事をしたロンクーを、隣に立つベルベットが優しく叱る。それを見てグレゴはとてもおかしそうに笑い、つられたのかベルベットの腕の中のシャンブレーもきゃっきゃと笑った。罰が悪い様な顔をしたロンクーは、グレゴの癖と同じ様に項を擦る。感染ってしまったらしい。
「…その…、俺には追う背中があって、常に前を行く存在があったからここまでなれた訳で…」
「んー?」
「…俺は、…お前の自慢の息子になれたか?…父さん」
「………」
足元に落とした視線をゆっくりと上げ、前に居るグレゴをきちんと見据えてそう尋ねると、彼は一瞬何を言われたのか分からない様な顔をした。同じ様に、事情を知らないベルベットもきょとんとしている。しかしやがて腑に落ちたのか、グレゴは多少照れた様に項を擦って苦笑した。
「ああ、お前ら2人、俺の自慢の息子と娘だよ」
「…娘?」
「あら、まだ私の事を娘と言ってくれるの?」
「んー?まあ、な」
「…お前もか」
「ええ、保護者みたいなものだって言われた事があるのよ。
 …でも、あなたみたいには呼べなかった。
 男同士だからかしらね、…ちょっと羨ましいわ」
グレゴの口から出た娘という単語にロンクーは眉を顰めたが、なるほどどうやら1人で行動する割には人間の世界の事には余り知識が無かった当時のベルベットに対してグレゴは保護者気分であったらしい。ロンクーとベルベットは同い年であるから、確かにグレゴにしてみれば彼の生まれなかった子供の年頃だ。それでもベルベットはグレゴをロンクーの様に父とは呼べなかった。彼女には血を分けた本当の父の記憶があるせいかも知れない。
「だけど、ロンクーがそう呼ぶのなら私にとっては義理の父親になるのかしら?」
「お?呼んでみるかあ?」
「気が向いたらね」
「おーっと、素直じゃないねぇ」
ベルベットがその気になったかとグレゴがにやっと笑ったのだが、彼女も横目で笑って保留の返答をした。その光景は、まるで仲の良い家族の様に見えた。過ごした期間は時として血よりも濃密なものを作り出すものだなと、2人の会話を聞きながらロンクーは思っていた。
「あっ、グレゴ居た!ねえねえ、ノノもまぜて」
「んー?…おぉ」
「ロンクーにベルベット、ひさしぶり!
 あっ、ベルベットがだっこしてるの、シャンブレー?」
「あらノノ、あなたも来てたの」
「うん!」
その時可愛らしい甲高い声と共にひょっこりと姿を見せた少女は、ロンクーも良く知っているノノだった。戦争が終わった後は暫くイーリスに居たりした様だが、暫くしてからセルジュとミネルヴァに会いに行くと言ってヴァルム大陸の方へ渡っていたのだが、どうやらグレゴと一緒にバーブチカに会いに来たらしい。
「わあー、シャンブレーちっちゃいねー!ふふっ、かわいいー」
「抱っこしてみる?」
「いいの?する!」
ノノがベルベットの腕に抱かれているシャンブレーを覗き込み、彼の小さな手を指先で触れるのを見て、ベルベットがノノにシャンブレーを託す。が、嬉しそうに彼を受け取ったノノの指に何か光るものを見付けてベルベットは首を傾げた。
「…ノノ、それは誰に貰ったの?」
「え?どれ?」
「いえ、指輪…」
「あっ、これ?グレゴだよ!」
「…えっ?!」
「な、何?!」
余りにも無邪気な返答に一瞬ぽかんとしたロンクーとベルベットは、しかしすぐにその答えを飲み込むと勢い良く名を挙げられた男を見た。2人の視線の先の男は気まずそうに口を真一文字に結んでいる。
「い、いつだ?いつ結婚したんだ?」
「いやー…一昨年…」
「何故言わないんだ?!ヴィオールも教えてくれれば良いものを…!」
「言えるかよ、この年で結婚したとかよぉ!」
「んもう、ロンクーもグレゴも大声出さないで!シャンブレーがびっくりしちゃう」
「わ、悪ぃ」
「す、すまない」
報告も何も寄越さなかった事を責めるとつい大声になってしまい、つられてグレゴも大声を出したのだが、それをノノが咎めて男2人は縮こまって謝った。今度笑ったのはベルベットだ。
「ふふ、謝り方も似てるし嫁に頭が上がらない所もそっくり。あなた達、本当に親子みたいね」
「おやこ?ロンクー、グレゴのこどもになるの?そしたらノノのこどもだね!」
「うっ…」
ベルベットが言った様に、項を擦る癖も感染ってしまったし謝るタイミングも同じだし、外見は似ていないが妙な所が似ているので親子と言っても良いかも知れないが、流石にノノの子供と言われるとそれは如何なものかと思ってしまう。ベルベットは私はあなたの子供より友達で居たいわ、などと上手くかわしていて、以前と変わらぬ仲の良さをロンクーに見せていた。だから何だかどうでも良くなってしまって、皆纏めて家族になれたなら幸せな事だと思ったし、恥ずかしい様な照れている様な、そんな顔をしたまま黙っている目の前の男に再び愛情を注ぎ、そして父親になる機会を与えてくれる者が現れた事を心の中で感謝していた。
「…良かったな、…おめでとう」
「…ありがとよ」
小さく祝福の言葉を口にすると、グレゴは珍しく無愛想に短く礼を言った。それが彼の照れ隠しであるという事は既にロンクーには分かっていたから不愉快になる事もなく、いつかしてくれた様にグレゴの逞しい肩を軽く叩くと、彼はまた困った様に、けれども幸せそうに笑った。