スミアの夫はクロム、ティアモの夫は不特定です。


スミアから相談があると持ち掛けられたのは、日が暮れる前の事だった。余りスミアがそんな事を言ってきた事など記憶に殆ど無いからティアモは内心驚いたものの、今夜は見回りの当番にもなっていないし特にこれと言った予定は無かったので承諾した。スミアが自分の天馬を持つ前は良く二人で話していたりしていたが、ペレジアとの戦が終わった後に彼女がクロムと結婚してからというもの忙しい日々が続き、ルキナが生まれてほっとしたのも束の間ですぐにヴァルム帝国との戦が始まってしまったものだから、中々二人きりでゆっくり話すという機会は無かった。作ろうと思えば作れたのだろうけれども、ティアモも夫を得たという事もあってかスミアと一晩明かすまでお喋りをした事が無い。スミアもスミアなりに遠慮していたのだろうと察しはつき、夫に頼み込んで夫婦の天幕を使わせて貰う事にした。親友なんだからゆっくり話すと良い、外で見回りでもするよと言ってくれた夫には後で何か礼を考えるとして、ティアモは天幕に招き入れたスミアに温かい茶を出した。

「熱いから気を付けてね」
「有難うございます、ティアモ。良いにおい」
「そうでしょう?ベルベットさんが野草茶をくれたから淹れてみたの」

湯気と共に立ち上る香りは鼻に心地よく、ティアモもこの茶は気に入っている。野草を摘み、茶を淹れる事が得意なベルベットはタグエルだが今では良く話をしてくれて、彼女が淹れている茶に興味を持ったティアモに収拾した野草を分けてくれる様になっていた。
カップに息を吹きかけ冷ましているスミアを見ていると、言っては失礼になるかも知れないがイーリス王妃とは余り思えない。だがイーリス城でクロムの側に控えめに立つ姿は、王妃に相応しいとティアモに思わせた。聖王となる為の儀を終えたクロムは既に聖王代理ではなく正式なイーリス聖王だから、スミアも名実ともに王妃だ。クロムはティアモの元想い人であるけれども、スミアに求婚しそれを彼女が受け入れたと聞いた時はクロムの相手がスミアで良かったと思った。他の女とクロムが結婚していたら、恐らく未練を引き摺りまくっていたに違いないからだ。

「それで、改まって相談なんてどうしたの?
 ルキナやシンシアと上手くいってないの?」
「あ、いえ、ルキナもシンシアも私の娘には勿体無いくらいとっても良い子ですから…」
「そう、だったら良いんだけど。
 …何があったの?」
「………」

本題である相談を聞こうと尋ねると、スミアはカップの中に視線を落として項垂れた。子供達と上手くいっていないのだろうかと思ったがそうではないと聞き、ティアモも思い当たる節が無くて小首を傾げる。彼女の娘であるセレナは中々意地っ張りであるから苦労する事もあるが、根は素直だから関係は良好だ。スミアの次女であるシンシアとティアモの娘のセレナも仲が良さそうだし、そんなに悩む事でも無いだろう。後はクロムとの事しか思い浮かばなかったが決め付けるのも良くないので、ティアモは黙ってスミアが口を開くのを待った。

「…ティアモは、その… …エメリナ様の事は、どう、思いました…?」
「…どう、って…」

そして重たい沈黙を破って漸く開いたスミアの口から意外な質問が滑り出てきて、ティアモは思わず答えに詰まった。彼女もその事については複雑な思いがあったからだ。

ヴァルム大陸の南東の海に浮かぶ島でギムレー教団の者が若い娘達をさらっては生贄に捧げているという情報が入り、いくら先を急ぐとは言え捨て置けないというクロムの一言でその島に赴いた一行は、そこで驚くべき人物を発見した。ペレジアで死んだと思われていたエメリナが、そこに居た。ただ、エメリナは過去の記憶を無くし、言葉も殆ど話せなくなっていた。余程ショックな事があってこうなってしまったのだろうと保護した村人達は言っていたが、その姿を見たクロム達も随分とショックを受けていた。ティアモも例外ではなく、あの凛とした聖王であったエメリナ様が、と呆然としたのだ。

「ご存命だった事は、喜ばしいと思ったわ。
 …あの様な状態になられてしまったのは、残念だったけど…」
「そうですか…」
「…スミアは、違うの?」

ティアモはスミアがエメリナの生存に対して何か思う所があるのかと勘付き、茶の入ったマグカップを両手で握った。温くなったカップは熱さを伝えず、生暖かさだけが彼女の掌に移す。しかしその熱で掌に汗をかいた訳では、決してなかった。ティアモは今、何故か緊張していた。

「…良かったとは、思っているんです…
 でも… …でも、エメリナ様がご存命だったのに、
 どうしてフィレイン様や天馬騎士団の皆さんがいらっしゃらないんだろうって…」
「………」
「分かってます、分かっているんです、
 フィレイン様達はエメリナ様をお救いする為にあの場にいらっしゃって、
 それで命を落とされたのは騎士として名誉ある事だって分かっています。
 でも、でも、その後にエメリナ様が身投げされて、
 フィレイン様達は何の為に亡くなったのかって、ずっと思ってて、
 それで今度はエメリナ様はクロム様の事もフィレイン様の事も覚えていらっしゃらなくって、
 私、私、…それが、…悔しくて…っ」
「………スミア…」

騎士にとって主君の為に落命する事は名誉ある事とされる。だからペレジアでエメリナを救出しようとしたフィレイン達は名誉ある死を賜った事になっているが、口には出さなかったがティアモだってスミアと同じ事を思った。結果的にあの時、崖から身投げしたエメリナは死んだと思われたから、ティアモも何のためにフィレインや天馬騎士団の者達が死んだのかと葛藤した。だが、そんな事は決して口には出せなかった。クロムが夫となったスミアはもっと言えなかっただろう。

スミアは忍耐強いし我慢強く、だから一人で抱え込んでしまう癖がある。ティアモはたまにそんなスミアの相談に乗り、心を軽くする手伝いをしていた。だが長い間その手伝いが出来ておらず、経過年数を考えればスミアは本当に長い間一人で葛藤していた事になる。イーリスに居た頃、スミアは定期的にエメリナの墓に花を添えに行くクロムに付き従っていたが、その際必ずフィレインや天馬騎士団の者達の墓標にも花を添えた。花を絶やす事は無かった。ティアモが後輩の育成で忙しい時間の合間を縫って献花をしに行くと、必ず新しい花を供えてあった。自分の天馬を持たず、見習いでしかなかったスミアは、それでもフィレインや亡くなった天馬騎士団の先輩達を尊敬しており、今でもあんな風になりたいと口にする。そんなスミアだからこそ、エメリナが全ての記憶を無くした状態で存命している事が蟠っているのだろう。その蟠りはティアモも分かる。似た様な事を思うからだ。

勿論、エメリナを責めるつもりなど二人には無い。それはお門違いだと分かっているし、責めたところでフィレイン達は戻ってこない。だが溜まった膿を吐き出さねば辛かったのだろう。スミアには、吐き出せる相手がもうティアモしか居ない。同じ天馬騎士であり、同じ騎士を尊敬しているティアモしか。夫のクロムには、口が裂けても言えない事だ。

膝の上に手を置き、俯いたままぽろぽろと涙を零すスミアに、ティアモは声を掛ける事は出来なかった。声を掛けるべきではないと思った。ずっと蟠ったままの心の膿を出させるには、黙って側に居るのが一番だ。それはティアモにも言える事で、スミアと同じ膿を出す為にカップを持ったまま、ただ涙を流した。このお茶は気を鎮めてくれる効能があるのよ、と言ってベルベットが分けてくれた茶は、しかし今の彼女達には何の慰めにもならず、二人の悲しそうな顔を映すだけだった。