「グレゴ君、少しよろしいかな?」
仲間達の賑やかな声を離れた場所で聞きながら夜風に当たって酔いを醒ましていたグレゴに、1人の男が声を掛ける。タバコを吸おうと懐を探っていたグレゴは、しかしその男の姿を見てやめた。嗜好品のタバコは傭兵である彼の様な者にとっては贅沢なものであり、故にゆっくりと吸いたいものであって、対面する者に気を配りながら吸うものではない。しかもグレゴが愛飲しているものなど安物で、話し掛けてきた男にしてみれば不愉快極まりない臭いだろうから止めた。安物であっても彼にとっては贅沢品だ。
「良いけど、主役の片割れが席外して良いのかぁ?」
「なに、結婚式など花嫁が主役で花婿は添え物だよ。
 私が少々席を外したところで誰も咎めまい」
「そりゃそーだ」
男は、今日婚礼の日を迎えたヴィオールだった。行軍の最中に彼の様に伴侶をめとる者も少なくなく、細やかではあるが仲間内で式を執り行っている。出来る事ならヴィオールは自分と妻になったセルジュの故郷であるロザンヌで挙式したかっただろうが、戦争はそれを許さない。況して、ヴィオールは自治する領地からから逃げ出した男だ。祝福はされるまい。
「で?何か用かい」
「ああ、そうそう、一度君とゆっくり話をしたくてね。
 その機会が今まで無かったものだから」
「?」
グレゴは今までヴィオールとこれといった接点を持った事が無い。弓を扱う兵種に就いた事も無いから教えを請う事も無かったし、ヴィオールも剣を扱う事が無かったからグレゴに剣の事を聞く事も無かった。そもそもグレゴは誰かに剣の事を尋ねられても我流であるから教えられる様なものではないと思っている。
そんなヴィオールがグレゴに対して何か話したい事があるのであれば、思い当たる節は1つしか無い。グレゴは立ったままのヴィオールの花婿衣装を汚すのは忍びないと思いつつも、見上げるのも首が痛くなるので座る様に促してから言った。
「話したい事ってなぁ、セルジュの事かい?」
「…単刀直入だね」
「回りくどい事は好かなくてなあ。それしか思い付かねえし」
図星だったのだろう、ヴィオールが肩を竦めたのだが、グレゴは言った様に回りくどい事は嫌いだ。腹を探られるのも好まない。君らしい、とヴィオールは苦笑すると、素直に頷いた。
「そう、私の元へ嫁いでくれたセルジュ君の事だ。
 君とは随分親しい様だったから…焦ってしまってね」
「焦る?お前が?冗談だろー」
「まさか!この貴族の私がそんな事で冗談など言うものかね!
 証拠にこんなに急いでプロポーズしてしまった」
ヴィオールに言われて、確かに彼がセルジュに求婚したのは随分早かったとグレゴは思う。セルジュはこの軍に入ってから他の戦士に比べると比較的日が浅いが、旧知の仲、否、元からの主従関係であるヴィオールと結婚するのは不思議な事ではなかったから気にしなかったけれども。その原因が自分であるとは夢にも思わなかったグレゴは項を擦りながら少しだけ首を傾げた。
「そりゃー…すまねえと言った方が良いかねえ?」
「いんや。逆に私が礼を言わねばならない」
「礼?」
「セルジュ君と私はもう随分昔からの付き合いだから、踏ん切りがつかなくてね。
 彼女が私の屋敷に竜騎士の見習いとして来た時から、私はこの女性を妻にすると心に決めていたのだが…」
「そーんな前から?」
セルジュはヴィオールを主とする騎士だ。それはグレゴを含めて軍の全員が知っているし、ヴィオールが領地を失い領主ではなくなり、主従の関係は無くなった今でも、セルジュはヴィオールのみを主とした。騎士はころころと主を変えるものではないからとセルジュは言ったが、彼女には少なからずヴィオールを主として尊敬している節がある。普段の掛け合いからは分かり辛いが、2人の間には誰も割って入れない特別なものがあった。
そして女とあれば声を掛けるヴィオールではあったが、何時も本気で口説いている様にはグレゴには思えなかった。多分自分自身も似た様な―否、全く同じで、深い仲になりたい訳ではないから本気で口説きはしないからなのだけれども、ヴィオールはこれと決めた女性が居たからだと知ったのはセルジュが彼と話しているのを見た時だ。普段から本音を言っているのかいないのか分からないヴィオールが、セルジュに対しては何時でも本音を話している様に見えた。
「そう、そんな前からなのだが、セルジュ君は君とは特に親しく話すからね…
 ミネルヴァ君も君には懐いているし」
「あー…まあ…それは仕方ねえんじゃねぇかな…」
セルジュがグレゴに対して親しくなったのは、ミネルヴァを通じてだ。昔、まだ傭兵稼業を始めて間もない頃、引き受けた依頼の中で飛竜の爪を取るというものがあったのだが、グレゴ以外の者達は飛竜の命までは取らないという条件を無視してふざけ半分に飛竜を殺していて、不快感を覚えたグレゴはそれに歯向かった事がある。目の前で親を殺されたという過去を持つグレゴにとって仔竜を護る番の飛竜がどうしても他人事の様には思えなくて、せめてその仔竜だけでも、と、仔竜を護っていた飛竜が息絶えた時に庇って戦ったのだ。今の様に上手く立ち回れなかったのでそれなりに負傷はしたけれども、依頼に無い事をするなと激昂したグレゴに気迫負けした他の者達はさっさと引き上げていった。依頼をしくじり、依頼主の元にも戻らなかったので報酬も貰えなかったけれども、グレゴに後悔は無かった。
身を呈して護ってくれた男に対し、仔竜は礼を言うかの様に弱く啼いたのをグレゴは覚えている。だが、それ以上にこと切れた両親を前にした時の啼き声を今でも彼は思い出せる。居た堪れなくて、傷だらけのまま彼は何度も謝った。親が目の前で殺される辛さは自分も良く知っているのに、他の者にも味わわせてしまった。それでも再会したミネルヴァはグレゴを慕って擦り寄ってきてくれるのだ。そこには、多分誰も割って入れない。ヴィオールとセルジュの様に。
「…あのよぉ、俺もお前に言いたかった事があってさ」
「ふむ?何だね?」
「お前、ヴァルムが攻めこんでくるって時に、領地から逃げたらしいな。
 …そりゃ、臆病モンって世間は言うかも知れねえけどよ…
 けーど、俺やミネルヴァちゃんみてえな、
 親を目の前で殺された子供生み出さなかっただけ立派な事だと俺ぁ思うよ」
「………」
「お前は立派な領主様だ。
 自分の信頼と引き換えてでも、領民の誰にも血を流させなかった。
 セルジュも、お前のそういうとこに惚れてんだろうよ」
恐らく、ヴィオールは戦が終われば再び領地へと戻るだろう。しかし領民は、自分達を見捨てて逃げた領主に対して冷たい目を送る筈だ。信頼は失墜し、孤独な統治を強いられる事になる。だが、それを承知でヴィオールは領民達に武器を取らせない事を選んだ。グレゴはその決断は潔いと感心したし、セルジュは主の決断を支持したのだろう。だから彼女は今でも、ヴィオールに仕える騎士なのだ。
「…多くの領主を見てきただろう君に言われると、重みがあるね。
 貴族的に礼を述べるよ」
飽くまで軽く、何時もと変わらない態度でそう返したヴィオールの声は、少し震えていた。領主としてはまだ年若いと言っても過言ではないヴィオールにとって、かなりの葛藤の末の決断であっただろう。誰にも認められない、誰にも感謝されない、けれども決して真意を言わず、言い訳もせずにその一生を領民に捧げるつもりなのではないか。それと分かって、セルジュは彼を支えるつもりなのだ。良い主従じゃねえか、とグレゴはヴィオールの少し潤んだ目を見て見ぬ振りしながら思った。
「そんな君を見込んで提案があるのだが。
 この戦が終わったらロザンヌに雇われてくれないかね?」
「うん?そりゃまた突然だな。
 帝国に攻めこまれてねえんだから領地は荒らされてもねえだろうに」
「ああ、今の所はね。しかし屍兵が湧いていたら話は別だ」
「…あー…それもそうか…」
屍兵と呼ばれる異形の化け物は、今やどこにでも湧いて出てくる。一般市民が武器を取って戦うには厳しい相手だろうから、確かに対処が分かっているグレゴの様な傭兵が居るに越した事は無い。思いがけない再就職先を提案されたグレゴは項を擦ってから軽く頷いた。
「ま、この戦が終わってからの話だな。先約として受け付けとくわ」
「そうして頂けると有難いね。
 セルジュ君もミネルヴァ君も、君が居れば喜ぶだろう」
「ばーか、セルジュもミネルヴァちゃんも、お前が居るだけで良いんだよ。
 知ってんだろがそんな事くらい」
「…ああ、そうだね…。どうしても、セルジュ君の事になると臆病になってしまう」
女性相手には常に余裕を見せているヴィオールも、いざ本命の事になると変に臆病になってしまうらしい。その気持ちは何となくグレゴにも分かるから、それ以上馬鹿にする事は無かった。
「さて、では私は戻ろう。いい加減皆に私の姿を見せねばね」
「んー、俺ぁもう少しここで風に当たるわ」
「邪魔したね、ゆっくり休んでくれたまえよ。
 …グレゴ君」
「んあ?」
「約束するよ。私はこれからも、君の言う立派な領主であり続ける事を」
「…そうしてくれると、俺も嬉しいねえ」
腰を浮かして立ち上がったヴィオールが、左胸に右手を当てグレゴに宣言する。それを受けてグレゴも少し笑い、肩を竦めた。ヴィオールも口の端で笑うと軽く会釈してグレゴに背を向け宴へと戻って行き、その姿を見送ったグレゴは今度こそタバコを吸おうと懐を探り始めた。酔いは、とっくに醒めていた。