森から野営に戻った二人が親子三人で寛いでいたリヒト達に手を繋いで結婚の報告をすると、「やっとなんですの?!遅いですわ!!」と、何故かマリアベルから叱られた。まさか怒られると思ってなかったグレゴは思わず謝ってしまい、リヒトがそれに吹き出し、ブレディが「両親が失礼な態度ですまねえ」と言いたげに目線を送ってきた。このブレディはかなりの強面だが、その見た目に反して根はかなり優しい男だ。その辺りはグレゴに似ているかも知れない。
そして他の者達への報告はまた後で良いかとも思っていたのだが、リヒトがきちんとユーリさん達にも言っておいでよと言うので、グレゴはノノと連れ立ってユーリが居る天幕を訪れた。相変わらず彼はクロムやフレデリク、サイリと行軍の事について話していた様で、それを邪魔するのは気が引けたので、二人が天幕の入り口から顔を覗かせて「指輪渡した」「もらったー」と言うと、ユーリは苦笑しながら「やっとか、おめでとう」と祝いの言葉を口にした。
そして、その日はたまたまその場に居たクロムの娘のルキナが心底ほっとした様な顔で「良かった…!」と言ったので、グレゴとノノのみならず、ユーリやクロムも首を傾げた。彼女から安堵される理由が分からなかったからだ。その反応を見たルキナははっとして、すみません、と謝った。
「いえ、あの、リズさんやティアモさん達がご結婚なさった時もそうだったのですが…
 私にとって皆さんは、仲間であると同時に未来から来た私の仲間達のご両親でもあるんです。
 だから、その…」
「なるほど、二人が結婚した事によってその仲間が生まれる事が確実になった、と?」
「そ、そうです…」
ルキナが言い難そうにしていたのを受けてユーリが喉の奥で笑いながら言うと、彼女は照れた様にもじもじしながら俯きながら頷いた。照れたいのはこっちだ、と微妙な顔をしながらグレゴは思ったのだが、敢えて黙っていた。
「ねえねえルキナ、未来のノノは、こどもが居たの?」
「え?は、はい」
「すごーい!ノノ、こども産めるんだー!うれしいー!」
クロムがそんな所では何だから入れと言うので天幕の中に入ったのだが、ノノがふと疑問に思ったのかルキナに尋ねて回答を得られると、酷く嬉しそうにそう言った。無邪気にそういう事を言われても反応に困るけれども、彼女はえへへ、と笑って言った。
「ノノ、もう大人のおねーさんだけど、赤ちゃん産めるかどうかわかんなかったんだもん。
 マムクートの子だったら、ずーっとノノと一緒に遊べるよね?」
「………」
人間はマムクートの様に長くは生きられない。ノノより先に死なないでね、とついさっき言われ、乾いた笑いと共に了解だと返したグレゴではあるが、二人共それは叶わない事だと最初から分かっている。ルキナ達が来たという未来では、クロムを含めた戦士達は全員死んだのだとルキナは言っていて、つまりそれはグレゴもノノも死んでしまった事になるのだが、案外その世界の自分は幸せであったのではないかと(不謹慎ではあるが)グレゴは思った。ノノの最後の男になれたのなら、それはそれで幸せだったのではないか。そんな事を思ってしまった。
「…じゃあ、折を見て式をやろうか」
天幕内に奇妙な沈黙が流れたが、それを打破したのはクロムの声だった。今までも仲間内で結婚をすると、皆で祝福して手作りの結婚式を挙げてきたのだから、彼らにもそうしようと思ったのだろう。
「…い、いやー…良いよ俺らは別に…こいつだけ祝ってくれたらそれで」
「何故だ?他の者達もしたのに」
「何でって…」
「グレゴねぇ、あんまり自分が目立つのきらいなの。でしょ?」
「おーう…」
「…意外だな」
「繊細なんだよ」
しかし、グレゴはその申し出を断ってしまった。ノノが言った様に、目立つ事は嫌いだ。結婚式など花嫁が主役で花婿はどうでも良い扱いであるという事は彼も知っているけれども、今まで他のカップルが挙げた式を思い出すといまいちその常識が当て嵌まらない様に思えて、どうしても辞退したいと思うのだ。綺麗に着飾って祝われるのはノノだけで良い。取り敢えず自分はそれを遠巻きに見られたらそれで良いのだ。
「…分かった。グレゴ、あんたひょっとして…」
「…なーんだよ」
「白い服が似合わないな?」
「ぐっ… …あーそうだよ!悪ぃか!!」
そしてユーリが何事かを考える素振りを見せた後、顎に手をやり何か納得した様な表情でそんな事を言ってきたものだから、グレゴは図星を突かれた気分になって思わず声を荒げた。白い服というか花婿が着る様な服が似合わないので、余りそういう場を設けられても困る。ユーリの言葉に想像してしまったのか、フレデリクがさっと顔を明後日の方向に向けてしまったのを見て、もう笑いたきゃ笑えよ…という気分になってしまった。
「…御免。横からでかたじけないのだが」
「? どうした、サイリ?」
「いや…、その、グレゴ殿さえ良ければ、ソンシンの伝統衣装をお召しにならぬか?
 私物で申し訳ないのだが…」
それまで黙って聞いていたサイリが、軽く右手を挙げて会話に入ってきた。彼女は独特の言葉遣いをするが、それがソンシン特有の言葉なのだそうだ。ユーリが尋ねると、サイリは全員の目線が自分に集中してしまったから少しだけ驚いた様な表情を見せたが、一つの提案をした。だが私物という事、グレゴに持ち掛けてきたという事は男性物であると考えて差し支えないという事で、つまり。
「…いやー、それ、ひょっとしなくてもあんたの兄さんの形見だろー?
 着れねぇよそんな大事なもん」
「否、貴殿に着て頂きたいのだ。
 …兄に、声が少し似ている、から」
「………」
グレゴが予想した通り、その「私物」というのは先だって亡くなったサイリの兄のものであったらしい。だからグレゴは謹んで辞退しようとしたのだが、サイリがぽつんと呟いた言葉に全員が沈黙してしまった。ドーマの臓物での戦闘で途中で引き返してしまったグレゴは、レンハの肉声を聞いた事が無い。だから声が似ているのか否かなど分からないのだが、妹のサイリが言うのであればそうなのだろう。ユーリもクロムも、言われてみれば、という様な表情を見せたから、納得せざるを得なかった。
「ねえねえ、その服、白いの?」
「否、薄鼠色だ」
「うすねず?」
「何と言ったら良いかな…、薄紫色と灰色を混ぜた様な色なのだが」
「へえー、似合うといいね!」
サイリに色を尋ねたノノは、回答を得られると隣のグレゴを見上げてにこにこと笑った。多分これはその薄鼠色というものがどういう色なのか分かってない。グレゴもいまいち想像がつかなかったしユーリ達も同様らしくてちょっと考えこんでいる。ソンシンでは色の表現も独特であるらしい。
「…まあ、サイリがそう言っているんだから、借りたら良い。
 皆やったのにあんた達だけ式を挙げないというのもおかしな話だし」
「あー…うーん…」
「お前が渋っても皆はやる。諦めろ」
「へーへー…わーかったよ…」
ユーリの言葉を受けてクロムがとどめをさしてきたので、グレゴも観念して右手で項を擦りながら渋々と承諾した。自分の我儘でごねてノノを含めこの場の全員の機嫌を損ねるのは避けたいと思っていたし、一時の辛抱なのだからそこまで拒否する事でも無いだろう。その承諾を受けてフレデリクがにっこりと笑って頷き、進軍の調整をして2、3日中にはしましょうねと言い、ユーリは皆に伝えておこうと言い、その場はそこでお開きとなった。天幕の外に漂う夕食の匂いが、彼らに夜がやってきた事を告げていた。



夕食後、日付が変わってからの見回りの当番になっているグレゴは焚き火の近くで剣の手入れをしていた。彼はもう随分昔から毎日の手入れを欠かした事が無い。人は裏切っても武器は裏切らないから、彼は何時でも念入りに、そして丁寧に手入れする。商売道具なのだから当たり前と言われればそうなのだが、その当たり前が当たり前ではない傭兵も居る。
そんなグレゴの側に、本を片手に近付いてくる影があった。足音に気が付いてグレゴが顔を上げると、何時も被っている帽子は被ってはいなかったものの、愛用の眼鏡を掛けたミリエルがそこに立っていた。
「いよーお、ミリエル、どうした」
焚き火の明かりに浮かび上がる彼女の表情は、普段と同じで無表情に近い。しかし、それが地顔であるという事を知っているグレゴにとって、無愛想だと思う事は無かった。他人が知らなくてもミリエルの夫であるあの重騎士が彼女の微笑みを知っていればそれで良いのだ。
「少し…よろしいでしょうか?
 先日…私の本に、思いついたことを書き込んだと言っていましたね?」
「あー…馬鹿な事を書いたから文句を言いに来たってか?」
以前、落ちていた本を読んだ時に、余り学問に対して興味の無いグレゴであっても内容が面白くて読み耽った事がある。それがミリエルの私物であったとは知らず、空欄になってしまっていた箇所に思った事をつい書いてしまったのだ。それについての苦情かと思ってグレゴが気まずそうにちらと見上げると、彼女は炎の吹き上げによる風で切り揃えられた髪を靡かせ、緩やかに首を横に振った。
「いえ…ただ私には理解しきれないものでした。
 ですから、より詳しい事をお聞きしたいと思って」
「そーかぁ?
 難しい事は書いてねぇと思うけどな」
「そうですね。難しい内容ではありませんでした。
 ただ、母の書にある消えていた部分…
『理論をより実践させるもの』のところに『経験』と書き込んであっただけですから…」
「あー、そうだったかな。それが納得いかねぇのか?」
グレゴには、規則だ定義だ法則だといった事は良く分からない。分からないが、彼には今まで生きてきた中で培ってきた経験が、恐らく普通に生活している者よりは豊富だった。頭の中で考えいる事も、実践しなければ結果がどうなるのかなど分かる筈が無い。机上では100%そうなると計算結果が出たとしても、実際やってみなければ分からないのだ。グレゴも「信じるな、疑うな、確かめろ」という信念を肝に銘じている。
「違うんです。
 これまで私は、ここに当てはまる言葉をどうしても考えつけなかったんです。
 でも、この言葉を当てはめれば全ての文がしっくりくる…
 失礼ながら、あまり学問を修めているとは思えないグレゴさんがどうして…」
「失礼じゃねぇよ。その通りなんだから。
 ま、生きてるだけでも色々学ぶって事だよ」
言い難そうに、しかししっかりとした口調でミリエルが服の裾を握り締めながら言ったので、グレゴも苦笑して抜き身のままだった剣を鞘に収め、手で座れとジェスチャーする。見上げてばかりだと首が痛かったのだ。彼女は素直にすとんと座ると、尚も質問してきた。
「それが私には足りなかった、と。
 では、どうすれば習得できるのですか?」
ミリエルの瞳は、探求者としての強い光が見えていた。焚き火のせいではない、彼女の瞳そのものから放たれる光だ。こういった貪欲な奴は嫌いじゃねえなあ、とグレゴは思ったが、答えは多分ミリエルにとって不可解なものだろうと思った。しかし彼はそれしか答えを持たなかったので、何も誇張する事なく答えた。
「何もしないこった」
「え?」
「特別な事は何もしない。
 ただ起きることをあるがままに受け入れる。
 そうすりゃ自然とついてくるものさ」
今までグレゴは、ずっと自分に降りかかる事はありのまま受け止めてきた。受け入れ難い現実は数多くあったけれども―特に弟の事は未だに心に引っ掛かっているけれども―、それでも殆ど抗う事無く生きてきた。流されっぱなしだと言われればその通りかも知れないが、ちゃんと自分の信念の元に生きてきている。その中で習得した数多くの知識は、恐らく学問としては全く役には立たなくても、彼が戦場を渡り歩いていくには大いに役に立つ。それは矢張り、自分の身に起こる事をあるがままに受け入れてきた結果だ。
「そういうもの…でしょうか」
「ああ。あんまり生き急ぎすぎると見えるものも見えなくなるぜ。
 俺が教えてやれるのはそれくらいのこった」
「…まだよくわかりません。考えてみます」
「ま、ほどほどにな」
神妙な顔付きでミリエルがグレゴの答えを頭の中で反芻する様に言ったので、グレゴも肩の力を抜いて貰える様に自分の肩を竦めて見せた。彼女は何時も、自分の興味のある事に対して頭を働かせ続けている。全てのものに定義付けをしたがるその様は子供の様で、見ていて面白い。
そして炎の揺らめく明かりの中、薪が爆ぜる音と同時に、ミリエルははたと思いついたかの様に尋ねてきた。
「あるがままに受け入れる…と仰いましたね。
 …ノノさんの事もですか?」
「んー?ノノがどうかしたかぁ?」
突然出されたその名に、今度はグレゴが首を傾げた。今日の夕食の配給の時に二人が結婚する旨をユーリが仲間内に伝えていたから、ミリエルだって知っているのは当然なのだが、彼女の質問の意図が読み取れず次の言葉を待つと、彼女は眼鏡の端を指先で持ち上げ、ずれを直してから言った。
「私が以前読んだ本の中に、グレゴさんと同じ様にマムクートの女性と結ばれた男性の事が書かれてありました。
 その男性は術を使って人ではなくなり、長い時を共に過ごしたと…」
…それは、様々な国を渡り歩いて数多くの人間と話した事のあるグレゴにとっても初耳だった。書物を読まなかったから知らなかったのか、それともマムクートの事を知っている人間が極端に少なくて知る機会が無かったのか、それはグレゴには分からなかったけれども。しかし、ミリエルが言わんとしている事は容易に想像がついた。
「俺もそーしねぇのかって事かい?」
「はい。言い方は良くありませんが、お答えに興味があります」
そして想像していた答えと同じ回答を得られ、グレゴはまた苦笑した。ミリエルは疑問に思った事を素直に質問してくる。それが不躾であっても彼女にとってみれば悪意も無い事なので、質問された側も苦笑せざるを得ないのだ。尤も、グレゴだってミリエルの立場であれば先程の話を知っていたら似た様な疑問を投げ掛けたかも知れず、だから不躾とは思わなかったが。
「自分に素直で良いねぇ。
 …そうだな、しねぇよ」
「何故です?」
「そりゃー、そうしてやりたいのは山々さ。寂しい思いはさせたくねぇし。
 けーど、俺の命をどうこうしてまで一緒に居る事を、あいつが望むかどうかだよな」
「あ…」
ミリエルの話を聞いても、グレゴはその話の中の男と同じ事をしようとは思わなかった。否、勿論ノノが望めばそうするが、多分彼女は望まないだろうし、知らせるまでそんな術があるとは微塵も考えないだろう。ノノは周りが思っている程こどもではない。千年という長い間、殆ど一人で過ごしてきた立派なおとなだ。…やる事なす事子供じみていると言われたら否定はしないけれども。
「そいつは俺のエゴさ。
 ノノの気持ちなんて、ちょっとも入ってねぇよな」
その術を使って、例えば不老不死の体を手に入れたとして、果たしてノノは手放しで喜ぶのだろうかという疑問がある。ただ自分の「側に居てやりたい」という願望だけで、彼女を苦しめる事になってしまわないか。そして、そんな事を考えさせる程、彼女は生きていないのだ。千年以上生きても尚、おとなであるけれどもその選択をさせるには幼い。
「…そう、ですね…
 軽率な質問をしてしまい、すみませんでした」
「いやいやー、俺もそーんな術があるとか初めて知ったしなー。
 ま、本当、生きてるだけでも色々学ぶよな」
「…なるほど、こういう時に学ぶものなのですね。
 何気ない会話でも学ぶ事が出来ると…大変興味深いです」
「…あんたのそういうとこ、大したもんだと思うぜ…」
今の会話だけでそう解釈出来るミリエルの思考回路は色んな意味で凄い、とグレゴは思う。微妙な顔をしているグレゴにミリエルは少し首を傾げたが、彼が何でもないと言いたげにゆるりと首を振ったのを見て、それ以上聞くのを止めたらしく、腰を少し浮かせた。
「剣の手入れをしている最中にお邪魔してしまってすみませんでした。
 そろそろ私は戻りますね」
「ああ、ちゃーんとあったかくして寝ろよ。
 旦那は早めに帰すから、何時もとは違った事話してみな。
 あんたの欲しい答えの1つや2つ、持ってるかも知れねえぜー?
 探し物ってーのは案外近くにあるもんだからな」
「…痛み入ります」
立ち上がって天幕に戻る旨を伝えたミリエルに、グレゴが夜警に当たっているカラムと早めに交代する事を告げると、彼女は言葉少なにぺこりと頭を下げた。表情は変わらなかったが、多分照れたのだろう。会話が多い夫婦とは思えないので、切っ掛けを作ったまでだ。ミリエルが外套をはためかせて去っていくのを見届けて、グレゴは今一度鞘から剣を抜いて手入れを再開した。刃に映る自分の表情は、どこかしら曇っている様に見えた。