「あーら、よっとぉ!!」
「っく…!!」
木刀がぶつかった直後に勢い良く物が落ちる音が響き、ロンクーは痺れる腕を押さえ付けた。降るっていた木刀を叩き落とされ、その衝撃が上腕まで伝わって彼は歯を食い縛る。速さはロンクーの方が上でも、力は打ち込みをして木刀を叩き落としたグレゴの方が上だ。大抵はこうやって叩き落とされて終わってしまう。ロンクーは苦虫を噛み潰した様な顔でグレゴの手元を見た。
少し前に、グレゴはユーリからプルフの支給を受けて職を変えた。ロンクーと同じくソードマスターになったので、剣の持ち方、動きを参考にする為に珍しくグレゴの方から手合わせの申し出があり、それで剣を交えたのだが、矢張り今回も勝てなかった。何とか引き分けにまでは持って行きたい所だとロンクーは常々思っているのだけれども、そう上手くはいかない。特に以前は片手で剣を振るっていたグレゴが職を変えて両手持ちになったのだから、ただでさえ力がロンクーより強いグレゴが両手持ちで剣を振り下ろせばロンクーが力負けしてしまう。それを分かっているロンクーは真正面からグレゴの剣を受け止める事は避ける様に心がけているのに、グレゴの方が一枚も二枚も上手なのだ。悔しさを押し殺しながら、ロンクーは落とした木刀を拾い上げた。
「お前の剣筋ってよぉ、良くも悪くも綺麗なんだよなあ…もうちょーっとがさつになって良いぜー?」
「…どうしたらなれるんだ?」
「そりゃー自分で考えろ。そこまで教える程俺ぁ親切じゃねえぞ」
長い事戦場で生き抜いてきたグレゴの剣筋は、確かに本人が言うだけあって綺麗なものとは言い難い。しかし彼が身を置いていた場ではそれが一番有効なものであり、実際グレゴはその戦い方で今まで生き延びてきた。ロンクーの剣筋はそんな彼の相手をするには綺麗すぎる。ただ、グレゴにはその剣筋の矯正の仕方まで指導するつもりは無かった。そんなものは自分で観察して気付いて矯正すべきだと思っているからだ。そもそもグレゴだって我流なのだから教えられるものではない。
「…今日も付き合って貰ってすまなかった。悪いな、明日は式なのに」
「あのなー、そういう時は済まねえじゃなくて有難うって言うもんだぜー?」
「…礼を言う」
「何で頑なに有難うじゃねえんだよ…」
ロンクーが礼を述べる時は何故か有難うと言わない。それに対してグレゴが変な奴だと眉を顰めると、ロンクーも困った様な顔をして黙った。なるほど、素直に面と向かってそう言うのは恥ずかしいらしい。妙な所で変な恥じらいを見せる奴だとグレゴは頭を掻いた。
「…ま、良いわ。俺も逃げる口実になったし」
「結局衣装はサイリから借りるのか」
「お前よぉ、他の奴らが着た様なのが俺に似合うと思うかあ?」
「………」
「おい何か言え、一番傷付くぞ」
帝都へ向かっている途中とは言え毎日ヴァルム軍と戦っている訳でもなく、今まで皆の手作りで式を挙げた者達は途中で近くを通過する街などで調達した布地などを使用して衣装を作ったり、自前の正装を用いて式に臨んだりしていたのだが、グレゴはそういう格式張った衣装を嫌がった。クロム達を前にしても駄々をこねたが、その場に居たサイリから申し出があってソンシンの伝統衣装を借りる事になったと言ってもマリアベル達は不服そうにしていて、着てみるだけでも良いからと彼を追い回していた。ロンクーとの手合わせはその追い回しから逃れる口実にもなり、グレゴとしては助かったらしい。
「…仕方ないだろう、お前は多分仲間内で結婚する最後の男だし…」
「この年で結婚する事になるとは思わなかったけどなー」
「…誰よりバジーリオが祝いたかっただろうが、な」
「………」
女達が浮き足立っているのは、サイリの敵対してしまった兄レンハの死やバジーリオの訃報という暗い出来事ばかりの中で、この軍に加入した時からそこそこ仲が良かった割には全く進展の無かった2人がやっと結婚するからだろう。どんな状況下にあっても、祝い事というのは人の心を明るいものにする。況して、悠久の時を生きるマムクートのノノを娶ると決意したというのが自分達よりかなり年上のグレゴであったものだから、恋愛話が好きな女達は盛り上がった、らしい。
しかし、それでもグレゴがユーリに背を押されるまでノノに対して指輪を買おうと思えなかったのは、バジーリオが死んだという事実も多分に影響している。弟を喪ってかなり荒んで暴力的だったグレゴを今の様に丸くしたのはバジーリオであると言っても過言ではない。ロンクーはまだフェリアに居た頃、バジーリオの口からグレゴの名を聞いた事は一度しか無かったのだが、ロンクーの記憶にしっかりその名が残る程度には話してくれた。まるで己の身内の事を教える様に。バジーリオにとってグレゴは弟の様なものであった事だろう。同じ様に、グレゴにとってもバジーリオは兄の様なものだった。だから、誰よりも報告したかった人間がもう居ないというのがグレゴは辛いと思うのだ。
「…以前、バジーリオがお前の事を話してくれた事があってな。
 飄々としてはいるが触ると怪我をする、抜き身の剣の様な男だと言っていた」
「…ふーん?」
「…収まる鞘が見付かって良かったな」
「………」
ドーマの臓物で垣間見た、化け物の様な状態を知れば、バジーリオが言った意味が分かるとロンクーは思っていた。あの時見たグレゴは殺気や憎悪、怒りで満ちていて、自分では止められないとロンクーに思わせた程だ。実際は己を奮い立たせたサーリャが渾身の力で殴り飛ばして止めたのだけれども。恐らくバジーリオもあの状態に近いグレゴを知っていて、だからそんな評し方をしたのだろうと予測がついた。触れたら怪我をするどころではない、最悪死んでしまう程の大怪我を負ってしまう様な大剣だ。だが、あの幼い容姿の少女はそんな彼をいとも簡単に平静にさせる事が出来る。危ないからその刃を仕舞ってね、と恐れず無邪気に言うかの様に。そんな感想を、ロンクーは抱いた。
「…? どうかしたか」
「んー?…いやー…」
しかし、言われたグレゴがどこか微妙な顔をしていて、気まずそうに項を擦っている。何か変な事を言っただろうかとロンクーが小首を傾げると、グレゴは木刀を持ったまま腕を組んで、重たい口を開いた。
「…あのよぉ、バジーリオさんの言いたい事ぁよーく分かるし、
 お前に何の気もねえってちゃーんと分かってるけどよ…」
「…何だ」
「いやだから…剣と鞘って男と女の隠語だぞ」
「……… ………!!!」
言われた事がすぐに理解出来なかったロンクーは二、三度目を瞬かせたのだが、やがて腑に落ちると一気に赤面した。心底恥ずかしかったのだろう、襟の隙間から見える首まで赤い。元々そういう風俗に対して疎く、また無頓着な男であるから、グレゴに言われるまで全く気が付かなかったのだろう。グレゴだって言わずに流そうかと思ったけれども、もし別の人間に似た様な事を言ってしまったらと思うと、年長者として指摘しておいた方が言いだろうと思ったのだ。
「あー、いや、分かってるぞ、
 お前に悪気はねえし、そうやって茶化してる訳じゃねえってのは分かるんだ。
 けーど、まあ、うん、あんまりその表現はしねえ方が良いなあ」
「す…すまない…」
心底後悔した様な声を振り絞って、木刀を握っていない手で顔を覆ってそのまま伏せたロンクーの肩を、グレゴは軽くぽんぽんと叩く。しかし何の慰めにもならないだろうという事は彼にも分かっていた。居た堪れない様にうう、と小さく呻いたロンクーは耳まで赤く、本当にこいつ俗っぽい表現知らねえんだな…と逆にグレゴは感心してしまった。
「あ〜、グレゴここに居たんだ〜。ねえ、ノノ知らない〜?」
その時、野営の方向から声が聞こえて、グレゴはロンクーから目線を外して声の方を見遣った。視界が捉えたのはヘンリーで、普段と変わらない笑顔を浮かべてこちらに来ている。
「んー?いやー、知らんぜ。どうかしたのか?」
今までロンクーと手合わせをしていたグレゴは大凡の見当は付くけれどもノノの現在の居場所を知らない。ヘンリーが探しているというのが珍しく、何か用事なのだろうかと思ったのだが、銀髪の彼はううん〜、と間延びした返事をする。
「リズが呼んで来いって言うから探してるんだ〜。
 グレゴなら知ってるかなって思ったんだけど〜」
どうやらヘンリーではなく、彼の妻であるリズがノノを探しているらしい。恐らく明日ノノに着せる服の仕上げをするのだろう。彼女は小さく細いから、体に合う様に補正しなければ服に「着られている」様になってしまうのだ。グレゴがセルジュに頼んでノノに服を買って来て貰った時も、セルジュがノノの体に合う様にと補正していた事をグレゴは覚えている。
しかし、いくらグレゴが良くノノと一緒に居たからと言って、何時も彼女の居場所を知っている訳ではない。ヘンリーはノノというより自分を探している様であったから、グレゴは眉間に皺を寄せてしまった。
「あーのなあ…俺があいつの行動全部知ってる訳ねえだろー?
 保護者じゃねえんだ俺は」
「あはは〜、そうだよね〜、もう旦那さんだもんね〜。
 保護者じゃないよね〜」
「……… ……!!!」
ヘンリーの返答にたっぷり5秒は沈黙したグレゴは、彼の言を理解すると先程のロンクーの様に一気に顔を赤くした。ヘンリーが恐らく素で言った事は正しいし何も間違っていないのだが、他人に言われるとかなり恥ずかしいものがある上に、何より自分がその言を誘導した様に思えて、グレゴは柄になく恥じらってしまった。
「あれ〜?どうしたのグレゴ、顔赤いよ〜?」
「何でもねえ、気にすんな」
「そう〜?じゃあ僕行くね〜。早く見付けなきゃリズに怒られちゃうし〜」
「あー…ひょっとしたらジェロームのミネルヴァちゃんのとこかも知れんぜ…
 昨日ミネルヴァにも言うーとか言ってたし…」
「ほんと〜?ありがと〜。
 知らないって言ってた割にはちゃんと目星ついてるんだね〜さっすが〜」
「…あーのなあ…」
昨日はもう遅いからと言ってノノにセルジュ達の所に行く事を断念させたので、恐らく今頃は彼女の愛竜達と遊んでいる筈だ。そう思ったグレゴはヘンリーにその旨を伝えたのだが、ヘンリーは変わらない笑顔で今度こそグレゴを茶化した。どうやらヘンリーはグレゴが赤面したのを見てからかっているらしい。珍しいものを見たせいかも知れない。その光景を見ていたロンクーはまさかグレゴがそんな一言で赤面するとは思っていなかったので驚きはしたが、同情するかの様に先程グレゴがしてくれたのと同じ様に肩をぽんと叩いた。勿論グレゴには何の慰めにもならなかったが。
ただ、ヘンリーがこの軍に入ってきた当時に比べると随分感情が豊かになった様な気がするとグレゴは思う。何時も笑ったままのヘンリーは、しかしグレゴにあれは作り笑いだなと思わせた。それでも何があったのかなど聞くつもりも無かったし、何よりリズと親しくなるにつれて心から笑える様になったらしかったので、結構な事じゃねーかと思っていたのだ。
「…ま、俺らも引き上げるか」
「…そうだな」
ヘンリーが立ち去った後、奇妙な沈黙がロンクーとの間に走ったグレゴが項を擦りながらそう言うと、ロンクーも罰が悪そうな顔で黙ったまま頷いた。お互い、今日の事は忘れようという暗黙の了解の様なものが生まれていた。



良く晴れた日だった。朝から女達は食事を作る事で忙しそうにしていたり、男達はそんな女達の手伝いに駆り出されていて、それでも皆楽しそうだ。矢張り祝い事というのは何であれ楽しいものであるらしい。余り乗り気ではなかったグレゴも、元々祭り好きな部分もあるからまあ良いかという気になっていた。
「苦しくないだろうか?少し緩めた方が良いなら、緩めるが」
「いやー、大丈夫だ」
サイリから借り受けた彼女の兄の遺品は、生地の事は詳しくないグレゴにも良いものであると分かる程上等なものであったし、本当に袖を通して良いのかとつい聞いてしまった程だ。サイリは静かに頷いて、着付けは私がしようと言ってくれた。グレゴに限らず、この軍の中にはソンシンの伝統衣装の着方を知る者はサイリと彼女が引き連れていた少数のソンシン出身の者達しか居ない。独特の着方をするその衣装は、上だけはロンクーが普段着ている服に良く似ていた。彼も出身はソンシンであるらしいから不思議な事ではないが、グレゴにとっては馴染みが無い。
「最後にこれを羽織れば終わりだ。…どうだろうか」
「んー…まあ、動きにくくはねえな。悪くねえ」
「そうか、良かった」
一番上に薄紫色と灰色が混ざった様な色―ソンシンでは薄鼠色と言うらしい―の羽織を羽織ると、何やら肩に荷を負った様な気になってしまったのだが、グレゴはそれに素知らぬふりをしてサイリの質問に答えた。どうやら声が彼女の兄に似ているとの事らしいのだけれども、グレゴは彼女の兄であるレンハに会った事が無いので分からない。倒してしまった兄の声を懐かしむ様に、サイリは目を伏せ一度だけ頷いた。
身内を喪う辛さはグレゴにも分かる。だが、グレゴは「目の前で命を奪われた」者であり、サイリは「自分が奪った」者だ。だから決して同じではないし、理解しようとグレゴは思わない。それでも遺品を着る事が彼女にとって安寧を齎すのであれば、付き合うのも良いだろうと思っただけだ。遺された者達には些細な事でさえも慰めになる。何年先になるか分からないが、自分が死んだ後ノノもそうなるのだろうかとグレゴはぼんやりと考えてしまった。
ミリエルにも言った様に、グレゴは彼女が読んだ書物に書かれていた男と同じ事をしようとは思わない。しかし自分も弟を喪って辛い思いをし、サイリの様に身内を喪って悲しんでいる姿を見ると、その気持ちが揺らぐ。もし自分の目の前に不老不死の秘術とやらの方法が示されてしまったら、使わない自信が無い。
「…着て頂いてかたじけない。すまない、私の我儘に付き合って貰って」
「んー?いやー、良いって事よ」
「そう言って貰えると幾分か気が楽だな…。
 その羽織も、矢張り誰かに着て貰えると甦る様だ」
「…甦る?」
「ソンシンではどんなものに対しても魂が宿ると信じられていてな。
 剣にも、服にも、それぞれに魂が宿るのだ。
 …だが、使わずに仕舞っておけば死んだも同然だろう?
 だから…」
サイリはそこで口を噤み、目を伏せた。敬愛する兄を死なせた上に、彼の遺品まで死なせたとなれば申し訳ないと思っているのだろう。それを聞いて、グレゴははっとした。彼が昔愛用していたバックラーは弟が「兄さんを護ってくれる様に」とくれたものだったが、弟が死んだ数年後に戦闘で修復不能なまでに破損してしまった。その時、グレゴは二度も弟を喪ってしまった錯覚に陥ったのだ。遺された者には、遺品に故人が息づいていると無意識の内に思ってしまうのかも知れない。サイリにとっては今グレゴに着付けたレンハの形見の衣装がそうだった。
「…物には魂が宿る、ねえ。そりゃー、良い考え方だな。
 ありがとなあ、サイリ」
「…? 何か、礼を言われる様な事を言っただろうか?」
「ああ、形あるものは何時か壊れるもんだけどよ…
 その前に会いに来りゃ良い話だよなあ」
「会いに…?」
「いやー、こっちの話さ。気にしねえでくれ」
先程まで悩んでいた事が一気に解決した様な気がして、グレゴはさっぱりした顔でサイリに礼を言った。彼は何故礼を言われたのか分からないと言いたげなサイリに何でもねえよと言い、足元に揃えられた靴、もといソンシンの下駄というものらしい履物を履き、天幕の入り口を開ける。眩い程の太陽の光が胸の内の靄を全て焼き消した様に思えて、彼は目を細めた。
「おやグレゴ君、良くお似合いだよ。
 矢張りソンシンの衣装は体格が良い男性が着ると様になるね」
「んー?良い男は何着ても様になるもんだぜー」
「…そうだね」
「おい何だ今の微妙な間は」
丁度その時、天幕の側を通り掛かったヴィオールが褒めてくれたのでグレゴがにやっと笑って返したのだが、ヴィオールは一呼吸置いてから同意する。それを不服に思ったグレゴだったが、後に続いて天幕を出たサイリが差し出したキルソードを腰に差すとヴィオールが感嘆の声を漏らしたので、何となく溜飲が下がった。ソードマスターの格好に少し似ているから劇的に似合わない訳でもないだろうし、ヴィオールが言った様にある程度の体格が無ければこの服は様にならないだろう。上下合わせてハオリハカマと言うらしいその衣装は、確かにサイリが言った様に誰かに着て貰って命を吹き込まれた様だった。
「グレゴ〜!どーこー!!」
「ん…?何だあ、どーしたノノ、こっちだぞー」
不意に、天幕の間を縫う今日の主役の声が聞こえてグレゴが返事をすると、可愛らしい足音が一直線にこちらに向かってくるのが聞こえた。どんな履物を履いていても、どんな足場であろうと、既にグレゴにはその足音が誰のものであるのかの区別がつく。ただ、その後に続いて別の誰かの足音も混ざっていたのでグレゴは眉を顰めた。
「グレゴー!うわーん!!」
「うおっ…とと、何だ何だ、どーした、綺麗に着飾ってんのに台無しだぞー?」
数年前にクロムとスミアの婚礼の儀の際にサーリャが見立ててくれたというドレスに良く似た淡いブルーの色合いのドレスを着たノノが突進してきたかと思うといきなり抱き着いてきて、思わずグレゴは2、3歩後退る。履き慣れていない下駄なので危うく後ろに倒れかけたが何とか耐えた。ぐすぐすと泣くノノにグレゴは首を傾げたが、彼女の後を追ってきたリベラが肩で息をしながら困った様な顔をして口を開きかけた。だが、彼より先にノノが声を発した。
「ねえねえ、グレゴは死なないよね?」
「はあ?何だあ、藪から棒に」
「ノノより先に死なないよね?」
「…えーと… なあリベラ、話が見えてこねえんだけど…」
そして泣きながら唐突に聞かれた質問にグレゴは眉間の皺を更に深め、聞いても分からないだろうと判断してノノではなくリベラに尋ねると、リベラはすみません、と申し訳なさそうにグレゴに謝った。
「いえ、式の時の誓いの宣言を打ち合わせていたのですが、その…」
「ふむ。あの『死が2人を分かつまで』というあれだね」
「うわーん!グレゴは死なないもんー!」
「あー…なるほどね…」
どうやらノノは結婚式のお決まりの誓いの宣言が嫌だったらしい。否、誰にでも死というものは平等に訪れるものではあるし、マムクートのノノにとっては人間などすぐに死んでしまう短命の生き物だ。だから、彼女の中の時間で考えればグレゴとはすぐにお別れになってしまう。なるほど、とグレゴだけでなくヴィオールも納得した様に頷いたのだが、彼はグレゴに助け舟など出さず、目線で自分でどうにかしたまえよと言ってきた。ヴィオールもグレゴも、この軍の中では女の扱いは長けている方だが、こういう場合は他人が口出しをしない方が良いと判断したのだろう。しょーがねえなあ、とグレゴは自分の腰に抱き着いて泣いているノノをひょいと抱き上げた。
「だーいじょぶだ、あともう暫くは死なねえよ」
「しばらくってどれくらい?!
 グレゴ達が言うしばらくなんて、ノノにはほんの一瞬だもん!」
「そりゃそーだ。
 けーど、だったらその指輪が嵌んなくなるまでの時間も、あんたにとっちゃそーんな長くねえだろ?」
「……そうだけど…」
ぽろぽろと涙を零すノノを宥める様に、グレゴが彼女の首に下がったチェーンに通った指輪を見る。太陽の光に反射するそれは小さく、ミラの大樹の神殿に幽閉されていた神竜の巫女チキと同じくらいの背丈になればノノは嵌められなくなるだろうという予測くらいはついた。だがその指輪は将来ノノにとって夫の形見になる。先程のサイリの話の様に、物にも魂が宿るのであれば、きっとこの指輪にも宿る筈だ。そんな事を思いながら、グレゴは苦笑してノノを落とさない様に片手で抱きつつ、空いたもう片方の手で彼女の涙を拭った。


「心配すんな、ナーガに土下座してでもまた会いに来らぁな。今回みたいによ」


ノノには300年程前に恋人が居たと言う。その恋人はナツミカンが好きで、グレゴが捨てた名と同じ名を持っていたのだそうだ。だからグレゴは「今回みたいに」と言った。ナーガがどれ程の力を持っているのかは知らないが、結婚式の誓いの宣言はヴァルム大陸ではナーガに対してするものらしいし、ノノはマムクートで神竜ナーガとは浅からぬ因縁があるだろうから彼女の名を出した。別にどの神でも良いのだけれども、神だろうが何だろうが自尊心はそれなりにあるグレゴが土下座してでもと本気で思う程、彼にとってノノは良い女だった。
「……… …う、う、うわあぁぁ〜ん!!!」
「うおっ、ちょっ、首を絞めるな首を!!苦しい!!!」
グレゴの言葉を聞いて僅かに沈黙したノノは、ぎゅっと目を閉じたかと思うと彼の首に腕を絡めて抱き着いてきた。自然と首が締められる形になったグレゴは慌ててノノを引き剥がそうとしたのだが、彼女の力は強いのでそう簡単にはいかなかった。
「おやおや、式の前だと言うのにお熱い事だねえ」
「素晴らしい誓いを聞いてしまいましたね。グレゴさん、是非後でもう一度仰って下さい」
「おいお前ら呑気に傍観してんじゃねえ!助けろ!!」
「約束だからねー!絶対会いに来てねー!!」
「ちょ、ノノ、マジで今死ぬ!!離せ!!!」
ヴィオールもリベラもにこやかに笑うだけで、矢張り助け舟を出すつもりは無いらしい。自身の叫びとノノの泣き声につられて集まってきた者達にも冷やかされるだけで、ほんの少しだけ意識が飛びかけたグレゴは、それでもここまで泣く程自分を好いてくれる女が居る事、そして自分が誰かに土下座してでも会いたいと思える程の女が居る事に言い様もない幸せを感じていた。



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