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悪夢の中で願う事

 いつも繰り返し見る夢は、時に彼を苦しめ、時に悲しませる。お前もこっちに来いよ、と恨みがましく呪粗を吐くかつての相棒は血まみれで、相棒が酷く苦しみながら死んだ事を物語っている。
 あの時、何故持っていたナイフで心臓を貫いてやらなかったのだろうと、彼は今でも悔やんでいる。殺しは慣れていたのに、何故躊躇い、恐れ、逃げてしまったのだろう。
 何故。
 何故自分は


 ―――お前もこっちに来いよ。なあ、クライド。


 ……よくもまあ同じ夢を何度も見るものだ。
 シャドウは少々辟易しながらそんな事を思い、覚醒した頭を何度か振って小さく溜め息を吐いた。浮いた様な感覚が随分不思議な気分にさせるが、空中に浮遊している大地に足をつけているのならその感覚も当たり前なのかもしれなかった。
 帝国が裏切り、自分を抹殺しようとした。何とか逃れる事は出来たが、この空中大陸から抜け出す事は出来なかった。以前行動を共にした者達が乗り込んできて、また共に歩んでいる。腐れ縁とでも言うのだろうか。あまり他人と関わりは持ちたくないと思っているだけに、彼らが自分を見つけた事は有難くもあったが複雑だった。
 ごつごつとした岩の岸壁に背を預け溜め息を吐いた時、人の気配を感じて腰につけていた短剣の柄に手を掛ける。目をその気配の方向に向けると一人の男が手に何か持ってゆっくりとした足取りで歩み寄ってきているのが見えた。
「……何だ」
 以前もそうだったのだが、シャドウは行動を共にする時の夜は大抵離れた所で休む。群れる事が好きではないせいもあるし、何より一人で居る事の方が楽だからだ。
「あまりとやかく言う気は無いが、体が万全でない時くらいは一緒に休んだら如何かね。
 それも嫌ならせめてきちんと怪我の手当てをするで御座る」
 男が投げて寄越したのは何か液体が入った小瓶と、まっさらな布だった。どうも脇腹に受けた傷が塞がりきっていないのを見抜かれたらしい。
「他の二人は?」
「あちらで休んでおるで御座る。
 セリス殿は多少睡眠を取った方が良かろうからマッシュ殿が見張っておるで御座るよ」
「あんたは休まなくて良いのか」
「それ程疲れておらぬで御座るしな」
 言いながら転がっている岩の上に座った男、確かカイエンという名前だったとシャドウは覚えているが、彼は懐からさっきシャドウに寄越した瓶と同じ様な瓶と筒状の容器を取り出した。シャドウを見ずに答えたカイエンは履いていたブーツを脱いでズボンをたくし上げる。黒っぽいブーツで分かりづらかったが、どうも足に怪我をしているらしい。大怪我とまではいかないが、それなりに出血をしていた。ポーションでも使うのかと思っていたら、カイエンは傷口の周りの血を拭ってから取り出した小瓶の蓋を開け、中身を呷ってからその傷口に吹きかけた。そこで漸くシャドウは瓶の中身が度数の高い酒だと悟った。恐らくポーションなどを使えば個数が減っている事を感付かれ、心配を掛けてしまうと思ったのだろう。回復道具に頼らなくても、そこまで大層な怪我でないので多少手当てをすれば構わない程度なのだ。シャドウは単に言うのが面倒だったのだが。
「脇腹なら痛めば動きも鈍るで御座ろう。早めに手当てするに越した事は御座らん」
 カイエンはやはりシャドウを見ずにそう言い、円筒の蓋を開けると中身の塗り薬の様なものを傷口に塗り込んだ。結構痛みを感じるだろうに、それを微塵にも顔に出さずに黙々と作業を続ける辺り、慣れているのかも知れない。カイエンの言う事ももっともなので、シャドウは無言で貰った布を引き裂いてから瓶の中の酒を染み込ませ、傷口をゆっくりと拭う。当たり前だが痛みが走った。
 手当てをしている間、二人の間に暫く沈黙が流れたのだが、傷口の上からハンカチ状のものを巻きながらカイエンがぽつりと呟いた。
「ビリーというのはそなたの相棒で御座るかね」
「?!」
 知る筈もないだろう名をいきなり言われたので、シャドウは思わず足元に置いていた小瓶を倒してしまった。それには全く目も向けずにカイエンを見たが、彼は全くシャドウを見らずに自分の傷の手当てを続けている。まるで世間話でもする様な声音だったが、シャドウが居る位置からはあまり表情が見てとれなかった。
「……どこで聞いた?」
 それ以上の動揺を気取られまいとシャドウもなるべく普段と変わらない様な声で尋ねると、カイエンは漸く目線だけシャドウに少し寄越したが、直ぐにまた視線を足元に落とした。
「さっき魘されておった時に呼んでおったで御座るが。
 相当疲れておるのでは御座らんか。拙者がそこまで来ても目を覚まさなかったで御座るが……」
「……あんたが気配殺してたからだろ」
 シャドウは暗殺のプロなので気配を消す事くらいは朝飯前なのだが、カイエンはどうも無意識の内に気配を消す癖があるらしく、迷いの森や魔列車の時もマッシュにその癖直せよと言われていた。本人としてはそれが癖だと気付いていない様なのだが。
「シャドウと言う名を何処かで聞いたと思っておったで御座るが、
 そう言えば昔そういう名の二人組みの列車強盗が居たで御座るな。
 確か片割れの名はビリーで、もう一人は……」
 その時、カイエンが言いかけた言葉を遮るかの様に彼の頬を僅かに掠めて何かが飛んでいった。それが何であるかはカイエンは気にも留めず、転がしていたブーツを履く。
「……それ以上言ったら命の保障はせん」
 低く重苦しい殺意が篭った声でシャドウは言い放ち、短刀の柄に手を掛ける。どう斬りかかれば仕留められるかという考えが瞬時に頭を巡り、じっと彼の次の言葉を待った。余計な事を言えば直ぐにでも斬り掛かってやると、その時のシャドウは本気で思っていた。
「拙者はそなたと殺し合いをする気は御座らんよ。
 そんなつまらぬ事をしても拙者にもそなたにも益など皆目御座らん」
「……ならさっきみたいなつまらん事を言うな」
「気分を害されたか。それはすまなんだ」
 無表情のまま謝罪の言葉を吐かれても本気でない事は一目瞭然なので、シャドウは随分と苛立ちを感じた。まさか当時の事を知っている人間が居るとは思っていなかっただけに、多少の焦りもあった。ストラゴスが気付いていないなどという楽観的な考えは微塵も持っていないのだが、彼はシャドウに対して何も言おうとしなかった。見て見ぬ振りをしてくれているらしい。
「されどその片割れは死んだと聞いたで御座るが。それで魘されておったのかね」
「……本気で殺すぞ」
 終わった話をまた直ぐに蒸し返されて、シャドウは今度こそ短刀の鯉口を切った。仲間内であろうが何であろうが構うものか、煙幕でも投げて斬りかかれば仕留められるだろう。だがそう考えているシャドウがありありと分かる殺気を放っても、カイエンはブーツを履いてからの怪我の感触を丹念に確かめているだけで、全くの無防備だった。足の裏を地面に何度も押し当て、その度怪我に掛かる負担がどれ程のものなのかを調べている。
「先も言うたで御座ろう、そなたと殺し合いをする気は皆目御座らん」
「だったらその余計な事を言う口を今すぐ塞げ」
「そなたに聞く気が無くとも拙者にはそなたに言っておくべき事があるで御座る」
 足の動きを止めて漸くカイエンが顔を上げてまともにシャドウを見据えた。何の感情も篭っていない、ある意味不気味と思わせる目をしていた。まるで、そう、あの列車に乗っていた亡霊の目の様に。
「拙者は片割れはそなたが殺したと噂で聞いたで御座る。
 されどそなたが今でも夢で魘されるのであれば、事実は違うので御座るな」
「……ふん、そんな噂があったのか」
「それでそなたはその片割れの影に今でも魘されておるので御座ろう?」
 繰り返し繰り返し、そのナイフで殺してくれと頼み続ける相棒の夢は、あの日からずっと嫌と言う程見続けている。サマサで得た束の間の幸せの日々の中でも、時折その夢を見た。
 何故殺してやれなかったのだろう。連れて逃げる事は不可能だと分かっていたし、置き去りにしなければならなかった事もあの状況では仕方の無い事だった。では何故あの時相棒は自分を置いて逃げろと言ってくれたのだろうとシャドウ――否、クライドは思う。
 あの時、俺を置いて逃げろと確かにビリーはクライドに言った。その時点のその言葉で、ビリーはクライドの生を願っていたのだ。
 殺していれば。殺してやれていれば。仕方なさそうに笑って死んだのだろうか。
 自責の念で言葉を無くし、沈黙したままのシャドウから視線を逸らさず、カイエンは言葉を続けた。
「シャドウ殿、そなたは拙者やマッシュ殿と共に見た筈で御座るな。
 死んだ人間はあの列車に乗って天に召される筈で御座る。
 なればそなたの相棒もあの列車に乗った筈で御座らんか」
「……じゃああの夢は何だって言うんだ」
「そなたが己を責め続けている所為で御座ろう?
 殺してやれなかった事を悔やんでいるそなたの意識が、そなたの相棒を騙って夢を見せておるので御座ろうよ」
 抑揚の全く感じられない言葉は、しかしシャドウの未だ納得出来ない頭をいとも簡単に貫いていく。殺してやれなかった、楽にしてやれなかった、あいつは人間として死ねたのだろうか。その思いが今でも心の中で蟠って苦しめている事は、シャドウにも分かっていた。分かっていたのに気付いてはいけないとどこかで制御されて、盲目になっていたのだろう。
「……後悔するなとでも言いたいのか?」
 上手く言葉が出てこず呟いてしまった言葉に、カイエンはそこで漸く表情を変えた。眉根を下げて、苦笑したのである。
「シャドウ殿、拙者は後悔せぬ人間などこの世には存在せぬと思うておるで御座るよ。
 その時々で感じる後悔を最小となる様に生きる事は出来ても、全く後悔せずに生きる事は出来ぬのでは御座らんか。
 ただ、」
 そこで言葉を切ったカイエンは膝の上で手を組み、その手に視線を落とす。言葉を選んでいる様だった。そしてほんの少しの間を置いて息を小さく吸って顔を上げ、真っ直ぐにシャドウを見た。さっきとは違う、生きた人間の目をして。

「そこまで後悔しておるのであれば、夢で殺してやれば良いで御座ろう?」

 後悔している。今でもとても。最期の願いを叶えてやれなかった事を。
 それを責め続ける己の夢の中で、クライドは何度もビリーを見捨てて走り去った。
 叶えてやれなかった事ならば、せめて夢の中だけでも安らかな最期を与えてやれば良い。

 ―――ああ、何故今までその事に気付けなかったのだろう。

 抜いてしまった短刀が音を立てて地面に落ちる。カイエンはその短刀をじっと見て動けずにいるシャドウの側に、持っていた円筒を置いた。
「拙者らはあちらに居るで御座るから、怪我の手当てが終わったら来れば良いで御座る。
 じきにセリス殿も目を覚まそう」
 そう言い残しカイエンはシャドウに背を向け、怪我した足を庇う事無く、元来た方へと歩き始めた。しかし一度だけ立ち止まり、シャドウを振り返る事もせずに、半ば独り言の様に呟いた。

「そなたの生きる意志が希薄である事を嘆いておるのは誰なのか、よくよく考える事も必要で御座る。
 自責の念で目を濁してはならぬ」



 崩壊を始めた空中大陸の中を、シャドウは全速力で駆け抜けていく。手当てした脇腹の傷は痛んだが、塗り込んだ薬が傷が開ききるのを防いでいるのかそこまでの激痛は感じなかった。
 相棒の俺をよくも殺したな、と夢で聞きなれた言葉は、今なら本当の意味を汲み取れる。

 ―――よくも殺さずに逃げたな。

 ああ分かった、よく分かった、お前は今でも俺に止めを刺される事を願っていたんだな。

 立ちはだかる様に前に現れるモンスターを走り抜きざまに斬りながら、シャドウは仲間――と呼んで良いのか彼は良く分からなかったのだが――が走り去って行った方向へ目掛けて一目散に駆けて行く。こんな崩れていこうとする世界の中で、まだ生きようとしている自分はおかしいだろうかという考えが頭を掠めたが、それでも彼は走った。必ず戻ってみせると言ったのだ、だから彼は戻らねばならない。仲間が待っているかどうかは分からないのだが、それでもその方向へ走らねばならない気がした。まるで誰かが背を押している様だとシャドウは思った。
 どれだけ走ったのか、いい加減疲れてきた頃に大陸の果てが見え、そこには――
「シャドウ!」
 大声を上げて彼を呼んだのは砂漠の国の国王に良く似た男で、横に居た金の長い髪を持った少女の様な印象を受ける女性もほっとした様な表情で手を振りこっちだと叫んでいる。シャドウはその反対に居た黒髪の男に、腰に下げていた道具入れの中に入れていた円筒を投げて寄越すと目を細めて笑って見せた。
「報酬を貰わない内は死んでも死にきれないからな」
 シャドウのその言葉に込められた、自分はまだ生きる意志があるという事を理解したのか、男は――カイエンは何も言わなかったのだが、どこか満足そうな顔をした。