大晦日

 夜の帳を切り裂きながら進む飛空艇の舵を取りながら、セッツァーはコートの内ポケットに入れていた酒の小瓶を取り出して飲む。今日は今年の締め括りの日で、仲間内で今年も有難う御座いましたという代わりにささやかにパーティの様なものを開いているらしい。セッツァーはあまりそういう席が得意ではないので適当に抜け出してフライトの舵を取っているという訳だ。どこに向かうという訳でもなく、世界が崩壊してしまった今ではケフカが君臨する塔の近くを低空飛行さえしなければ危険など無い。もっとも、飛行出来るモンスターが居るのなら話は別だが。
 いくら何も無い空だからと言っても、夜のフライトは艇乗りが腕に自信がなければ出来る事ではない。きちんと方角や位置を把握しているかによって危険度も変わってくる。そういう意味ではセッツァーは一流の艇乗りだった。恐らく日が昇る頃くらいには誰かが甲板に出てくるだろうと算段してはいるが、夜型の彼にとってみれば夜が明けきった後で眠れば良いだけの話だ。
 小瓶に入っていた酒を飲み干してしまった時、あと二、三本持ってくりゃ良かったなと思いながら煙草を取り出し、舵とは反対方向を向いてマッチで火を点ける。フライト中に火を点けるのは随分難しい事だが、もう慣れているのですぐに点いた。
 その時、甲板に上がる為の階段から足音が聞こえ、誰かが上がってくる事を悟らせる。そんな酔狂な事をやるのは誰だと思っていると、ひょっこり顔を覗かせたのは意外な人物だった。
「何だ、下の騒ぎにあてられたか?」
 セッツァーが甲板に上がってきた男に向かってそう尋ねると、男――カイエンは少しだけ答えを考えていたが、緩やかに首を横に振った。
「いや、賑やかなのは良い事で御座るからな。ちとやる事があり申したから抜けてきたで御座る」
「やる事?」
 セッツァーが煙草の煙を吐きながら聞いたので、カイエンは手に持っていた瓶を掲げて彼に見せた。多少大きなその瓶の中には何か液体が入っている様にも見える。
「セッツァー殿も少し呑まぬかね。ドマの酒で御座る」
「ドマの? へぇ……呑んだ事ねえし、戴こうか」
 舵から離れると危険である事は機械関係に疎いカイエンにでも分かるらしく、手に持っていた小さな杯になみなみと注いでセッツァーの元に歩み寄り、差し出しす。セッツァーは礼を言って受け取り、匂いを嗅ぐと仄かに甘い香りがして、口に含むと思ったよりさらりとした流れが舌の上を擽った。
「……美味い」
「口に合い申したか。一安心したで御座る」
 素直に出た賛辞の言葉に、カイエンも安心したのかほっとした様な表情を見せた。故郷のものを褒められると嬉しいらしい。杯を返した方が良いのかと思っていると、カイエンはもう一つ持っていたのだろう、別の杯を取り出してから艇の手摺の方へと歩き出した。そして手摺の所で持っていた杯にセッツァーにしたのと同じ様に注ぎ、酒瓶をデッキの上に置いてから、杯の中の酒を眼前に広がる空へと撒き散らした。酒の飛沫が艇に備え付けたランプの光に反射して星の様にきらきらと光る。カイエンはその光が消えるのを見届けてからまた酒瓶から杯に注いで、今度は自分で一気に呷った。そういう飲み方をする人間だとは思っていなかったセッツァーは少しだけ面食らう。嗜み程度しか飲まないのかと思っていたら、そうでもない様だ。
「そりゃ、何の儀式なんだ?」
 見当がつかないセッツァーが無言のままの背中に問い掛けると、カイエンは一度だけ足元を見てからゆっくりセッツァーの方へと向き直る。心なしかその表情にさっきより翳りが見えて、感傷に浸っているのかと思わせた。しかしそれを気取られまいとしているのか、カイエンは少しだけ笑った。随分と元気の無い笑顔ではあったが。
「禊、と言ってな。酒を……この場合は御神酒と言うので御座るが、それを呑んで体の穢れを払うので御座る」
「穢れ?」
「生きていれば色々な罪をしでかすもので御座ろう?
 それを清める為の儀式と言うか、習慣とでも言うので御座るかな。
 随分昔から大晦日の夜には必ずやっていた事で御座ったから」
 確かに穢れを払う為の儀式なら、賑わっている場ではやりにくいだろう。しかし大体何によって穢れるとでも言うのか。仲間内の中でも真面目さはずば抜けている様な気がするのだが。
「あんたでも何か贖罪とかあんのか?」
 うっかり吸い忘れていた煙草を携帯灰皿で揉み消し、また新しい煙草に火を点けながらセッツァーが尋ねると、カイエンは一瞬きょとんとしたが、直ぐに苦笑して酒瓶を持った。
「拙者はセッツァー殿の倍近く生きておるで御座るよ。色々経験もあり申す」
「まあそりゃそうか」
「人も殺めれば貶めた事もあり申すしな。
 セッツァー殿が拙者をどういう人間だと思っておるかは存ぜぬが、拙者はそれ程お綺麗な人間では御座らんよ」
「………」
 まさか彼の口からそんな言葉が出てくるとは思っていなかったセッツァーは、顔には出さなかったが多少驚いていた。今まであまり話した事が無かった所為もあるかも知れない。真面目が取柄の人間かと思っていたらそうでもないらしい。
「今年犯した罪を来年に持ち越さぬ様に、年の終わりに清める為の儀式で御座る」
 言いながら杯に酒を注いだカイエンは酒瓶を置くと、手摺に手を乗せ、吹いてくる風が心地良いのか進行方向に顔を少し向ける。空の上は季節など関係無く、上空に行けば行く程寒い。それでもその寒さを物ともせず、体を擦り抜ける風を愛しそうに受けていた。
「……さっき、酒ぶちまけてただろ? あれは?」
 呑んでいた酒は自分の身を清める為のものと分かったが、空へと撒いた酒に何の意味があるのか分からなかったセッツァーは煙草の煙を吐いてから杯に残った酒を呷って聞いた。やはり美味い。中々上等な酒の様だ。
「……大晦日は大抵誰かと過ごしたで御座るからな。陛下や部下達や……家族と一緒に禊をしておったから」
「……あぁ」
 つまり、もう居ない彼らの為の神酒だったのだ。セッツァーに差し出した杯は彼らの為の酒を入れる筈のものだったのだろう。
 恐らくカイエンは今でも国を亡くし家族を喪った事が心のどこかで蟠っているのだろうとセッツァーは思う。誰のせいでもない事柄は、しかし生き延びた者にとっては己のせいだと責める要因ともなる。セッツァーにとってはダリルの事がそうだ。あれは事故でありセッツァーのせいではないのだが、何故あの日彼女を止めなかったのかとセッツァーは今でも思う事がある。止めていればダリルは死なずに済んだのではないか、彼女を失わずに済んだのではないか、そんな事を思う。
 ある意味、さっきカイエンから差し出された酒はセッツァーにとっても禊をする為の神酒になったのかも知れない。決して薄れる事のない罪。けれども、その罪は相手――セッツァーにとってはダリル、カイエンにとっては家族になるのだが――にとうに赦されている。それを分かっているのに、贖わずにはいられないのだ。
 セッツァーは空になった杯に目を落とし、煙草の煙を肺いっぱいに吸ってから吐き出すと、舵に向き直った。
「なあ、今何時だ?」
「……拙者の時計はドマの時刻で御座るが」
「それで構わんぜ。何時だ?」
「……10時35分、で御座るな」
「ドマの今年はまだ一時間以上あるって事だな。それだけありゃ着くだろ」
 セッツァーはぐるりと見回して星の位置を確認し、長年の勘と頭に入れている地図を照らし合わせて現在の位置を瞬時に把握する。飛ばせばドマまでは一時間もしない内に行けるだろう。
「こんな遠いとこからそいつらに酒やってもしょうがねえだろ。
 折角の良い酒なんだ、ドマの上空まで行ってやるからちゃんと呑ませてやりな」
 緩やかに舵を切りながらカイエンを見遣りそう言うと、カイエンは少し驚いた様な顔をしたのだが、かたじけない、と礼を言い、また前方の方へと目線を移した。流れてくる風は少し肌寒さを感じさせたがどこか優しく、甲板に居る二人を労わる様に擦り抜けていった。