家族

 飛空艇を停泊させていた近くにある半ば森の様な木立に囲まれ湧き出ている泉の側に、セリスは何か光っているものを見つけた。何だと思って近くに寄ると、案外小さなものが木立から零れてくる日を反射して静かに転がっている。鈍く銀色に光るそれは装飾も何も施されていない、とてもシンプルな懐中時計だった。
 こんな街からも離れた森の様な所を通る者も居ないだろうし、その時計が随分と綺麗な状態を保たれているのを見ればつい最近落とされたものだと容易に推測出来、セリスは仲間内の誰かの私物だろうと判断した。本人に手渡す事が出来れば一番良いので、名前が入っていないだろうかと時計を拾い上げて蓋を開けると、蓋の裏に肖像画が埋め込まれていた。
 見覚えがある人が二人、そして見知らぬ人が一人、その絵の中には描かれている。三人はとても幸せそうに笑っていて、その笑顔がセリスの心に痛みを覚えさせた。時計の持ち主からこの人達を奪ったのは、紛れも無く自分の居た国なのだ。
 きっと探しているだろう。そう思い、セリスは立ち上がって元来た道を引き返し始めた。
 木々が途切れる辺りで何か騒がしい声が聞こえてきたので耳を澄ますと、子供達の声が可愛らしくきゃあきゃあと聞こえた。それに混じって同じ位に楽しそうな男性の声が聞こえ、セリスに思わず笑みが浮かぶ。大きな体躯のマッシュに、彼と比べて随分小さく見えるガウとリルムがじゃれ合って遊んでいる。追いかけっこでもしていて、いつの間にかじゃれ合いになったのだろう。まるで仲の良い兄弟だ。
 セリスが思わず足を止めてその風景を眺めていると、マッシュがセリスに気付いたのか、よお、と声を掛けた。
「ちょうど良かった。カイエンどこに居るか知らない?」
「おじさんなら艇に居たよ。何か探してた」
 リルムがマッシュの背中によじ登りながらそんな事を言う。子供達はどうもマッシュの背に登るのが好きらしく、よく彼がどちらかをおんぶしているのを見かける。二人共年相応にはあまり見えないが、そういう所はまだ幼さが垣間見れて微笑ましい。
「多分これを探してるんだと思うけど……これ、彼の物だったと思うんだが」
「ああ、そうそう。前見た事あるから間違いない」
 マッシュが背中のリルムを落とさない様に気を付けながらガウを小脇に抱えた。彼らの行き先はさっきセリスが行った泉らしい。セリスは礼を言って三人とは逆の方向へ歩き始めた。背中の方で一層楽しそうな悲鳴が聞こえてきたのはきっとマッシュがあの体勢のまま走り出したせいだろう。
 艇に戻ると探し人は艇内には居なかった。首を傾げながら、まさかとは思ったが残されているのは甲板だけなので一応上がってみると、手摺に背を凭れてぼうっと空を眺めている当人が居た。否、途方に暮れているのかも知れない。どう声を掛けたものかと思っていると、セリスに気付いたカイエンが顔をセリスに向けたので、セリスは手に持っていた時計を掌に乗せて見せた。
「泉の側に落ちていた。貴殿のだろう?」
「……あ、」
 それまで無表情に近かった彼の顔が一瞬にして感情を表し、心底ほっとした様な顔を見せた。やはり途方に暮れていた様だ。
「かたじけない。どこで落としたのかと肝を冷やし申した」
 セリスが歩み寄って時計を手渡すと、カイエンは申し訳無いやら嬉しいやらの感情が混ざった様な表情を浮かべて頭を下げ、手の中にある時計を愛しそうに眺めた。本当に大切なものなのだろう。当たり前かも知れないが。
「……その、悪いとは思ったんだが、誰のかと思って開けてしまって」
何故か言い訳の様な事を言ってしまったセリスに、カイエンは首を傾げた。
「いや、その……差し支えなければ、その肖像画が誰か教えて貰えないかと……」
 何を言っているのだろうとセリス自身も思ったのだが、疑問に思ってしまったものは仕方ない。描かれていた女性と子供は彼の妻子だとは知っている。だが、もう一人描かれていた男性が誰なのかはセリスは知らない。ただ、彼が仕えていた主君でない事は確かだった。セリスは曲がりなりにも帝国の将軍だったのだ、他国の国王の顔程度は頭に入っている。
 肖像画はまるでその三人が一つの家族である様に錯覚させた。だからこそセリスの頭に引っかかるものがあったのだろう。カイエンは少し俯いたセリスを見てから、また時計に視線を落とし、蓋を開けて彼女に見える様に差し出した。
「向かって右が妻で真ん中が息子、であるのはセリス殿も御存知であったな」
「……まあ、それは」
 後悔と自責の念に囚われた彼の夢の中で初めて見えた彼の妻子は、セリスが帝国の元将軍だと知っていた。知っているのにセリスを信じ、夫を助けてほしいと頼んだ。その事はセリスにとっても一緒に居たティナにとっても、まるで心臓を射抜かれた様な衝撃を与えた。どうしても顔を上げる事の出来ないセリスにカイエンも困った様に笑うしかないらしく、肖像画の左に描かれている男性を指差して、言った。
「マジェスと言ってな。妻の……ミナの夫となる筈だった者で御座る」
「……え?」
「ミナは元々マジェスの婚約者で御座った」
 思わず顔を上げたセリスの目に、随分穏やかな目で肖像画を見ているカイエンが映る。何でも無い事の様に話すその人は、まるで知人の一家の幸福を願う様にも見えた。
「拙者の部下で御座ったが、祝言を挙げる前に水難事故で命を落としてな。
 暫く経ってからマジェスの子を孕んでおったミナから、腹の子の父親になってくれと頼まれたで御座る」
「…………」
「生まれてくる子に会う事も出来なかったで御座るから、せめて絵の中だけでもと思うてな。
 この絵が本当の家族の形で御座るし」
 静かに時計の蓋を閉じたカイエンは何と言葉を発して良いのか分からない風なセリスに苦笑して、時計を懐に仕舞った。言いたい事はセリスにもよく分かる。分かるのだが、彼も紛れも無くあの家族の中の一員なのだから、あの絵の中に居ても良い気がすると思うのだ。
 セリスには家族が居ない。生まれた時から魔導研究所に居て、両親の存在すら知らなかった。子供はどこかから連れてこられるものだとばかり思っていた。父とか母などという単語も随分大きくなってから知った。
 だから正直、今置かれている状況での「仲間」がセリスは「家族」だと思っている。存在が近い分、見た事もない家族なんかよりよほどそう思える。
「……本当の家族でなくても良いんじゃないか?」
 ぽつりと呟やかれたセリスの言葉に、気まずい空気をどうしたら良いのか分からない様な顔をしていたカイエンがぱちりと瞬きをする。意味を汲み取れなかったのだろう。
「私は自分に親兄弟が居るかどうかも知らないからよく分からないが、
 少なくともここに居る皆がそういうものだと思ってるから」
 目線を手元に落として組んだり離したりする指を見ながら、セリスは何故こんな事で緊張しているんだろうと思った。緊張した時の癖なのだ。直したいと思ってはいるが中々直らない。
 今までセリスにとっての家族と言ったら孤島で暫く共に過ごしたシドくらいなもので、崩壊した世界に散らばった仲間を探しながら皆と共同生活を過ごす内、崩壊する以前に過ごしていた時よりも身近なものに感じた。どちらも血の繋がりなど無い。ティナと魔石になってしまったマディン、それとフィガロの双子に血の繋がりがある程度で、それは仲間内の殆どが何かしらの形で羨ましいと思っている。
 セリスはさっき見た楽しそうなマッシュとリルムとガウを思い出す。本当にあの三人は仲が良いし、三人それぞれが人懐こいから誰にでも親しく接してくれる。意識してやっているのではなく、彼らにとってはそれが自然体なのだ。
「泉に落ちていたさっきの時計、誰のかマッシュ達に聞いたんだ。本当の兄弟みたいに仲が良さそうだった」
「……あぁ、そう言えば外に出て行くと言っておったな」
「兄や弟や妹ってああいうのなのかなと思った」
「セリス殿にとってで御座るか?」
「そう」
 時々意見が食い違ってぶつかったりもするけれど、それでも最後には丸く収まる。肉親を知らないセリスにとってここの空気はとても優しかった。肉親を知らないのは何もセリスだけではない。生まれて直ぐに捨てられてしまった者、親と生き別れた者、どこで生まれたのかも知らない者、様々だ。そういう者達が寄り集まって、理想の「家族」を作っているのではないだろうかと思う。そう長い事共に居られる訳ではないのだけれど。
「そうだな、じゃあ差し詰め貴殿はお父さん、になるのかな?」
「おと……」
「年から言っても、エドガー達の親でいけるんじゃないか? ロックが生まれた時……が、25歳? だろう?」
「ま、まあ確かにそうで御座るが」
 楽しそうに笑うセリスに、カイエンは今度こそ何と言ったら良いのか分からず困惑している。確かに年齢的にはそうかも知れないが。
 そこでセリスはふと思い出した。思い出して、またおかしくなって、思わず笑ってしまった。セリスが一人で笑っているものだから、カイエンはどうしたのかと目を丸くしてしまった。
「いや、すまない。
 世界が崩壊してから目を覚ました時にシドと一緒に暮らしていたんだが、シドをおじいちゃんと呼んでいたんだ。
 考えてみたら貴殿はシドより年上だった」
「………」
「でもどうしてだろうな。貴殿は“お父さん”なんだ」
「……一応褒め言葉として受け取っておくで御座る」
「そうしてくれ」
 喜んで良いのかどうなのか分からない顔をしているカイエンにセリスは笑いを噛み殺し、前髪を掻きあげた。その時甲板に聞こえてくる随分はしゃいだ声が二人の耳を擽り、自然と彼らは甲板の外の森の方角に目を遣る。競争しているのだろう、マッシュ達が走りながら艇に向かってきているのが見えた。ハンデなのか、マッシュがリルムを背に抱えてガウと並んで走っている。
「……今度、リルムに皆の絵を描いて貰おう」
「?」
「“家族”の肖像画だ」
微笑ましく三人を見ながら呟いたセリスにカイエンは少しだけ黙ったが、やがて小さく頷いて目線をまた三人へと向けた。
「あー! ねえねえおじさーん! 時計ー! 良かったねー!」
 マッシュの背中に居るリルムが甲板の上に居る二人に気付いたのか、大声を張り上げてそう言ったので、カイエンは返事をする代わりに手を挙げてそれに応えた。その顔は確かに、元気そうな子供達を嬉しそうに眺めている父親のそれと同じだった。