在りし日の英雄

 ……おや、お前さん方、何をそんなに慌ててなさるのかねこんな夜更けに。ははあ、さては表の騒ぎの原因はお前さん方かい。成程ね。
 うん? いや、別に構わんよ。こんな老いぼれしか住んでおらんし、ゆっくりは出来んだろうが、ほとぼりが冷めるまで隠れておりなされ。そう心配せんでもわしはお前さん方を突き出したりはせんよ。そんな事をしてもわしも口封じに殺されるだけだろうし。
 しかしかなりの大騒ぎだね。お前さん方、確か外国の人らだろ? ……ほう、フィガロの王様も居るのかね。そりゃ大したもんだ。信じるのかって? ここでそんな嘘吐いても何の得も無かろう? それに、この帝国でフィガロの名を出した所で大した力は示せんよ。今はまだ、ね。
 それにしても皇帝も大分熱心にお前さん方を探させとるね。余程魔導の力はご自分のものだけにしたい様だ。強大な力と権力は人を変えると言うが、本当の事なんだねえ。昔はあんなお方じゃなかったんだがなあ。
 昔の皇帝かい? 知ってるよ。わしの年の奴らは大体知っとる筈だよ。わしらの世代のもんにとっちゃ、あの方は本当に英雄みたいな存在なんだよ。ああ、いや、そりゃ褒められない事もそれなりにしたってのは知ってるけど。それでもわしらには、英雄なんだよ。
 そもそも、このベクタが出来るまでは、わしらは放浪民でな。帝国は世界警察としての機能を果たす為に独立したと言えば聞えは良いが、単なるならず者が大半を占めとった。そんな放浪民が安住の地を求めた所で受け入れてくれる国などある筈も無くてな。フィガロの王様、あんただってそうだろう。血の気の多い男が多い放浪民を、あんたは受け入れなさるかね? ……そんな難しい顔しなさんな。よその国もそうだったから。
 ツェンやマランダなんかは、随分長い事わしらの先祖を拒んでおった。それは分かるよ、いきなりそんな放浪民を受け入れたら国が乱れちまうからな。だからと言って、自分達の住む場所を確保する為に攻めこもうとはせなんだ。占拠しても同じ様に放浪民が増えるからな。それに「世界警察」が他国を脅かす事はあってはいかんと思ったのだろう。そうして、仕方なくこの不毛な場所に住む事にしたんだよ。
 不毛さ。土地が痩せて作物も十分に育たんし、雨もそう降らん。放浪民には持っておる財産など微々たるもんだから、交易も十分にさせて貰えんかったしな。そんな中、あの方の父君が儂らを統制しとったリーダーを倒した。まあ、格好良く言えばクーデターさね。
 あの父子は随分とわしらの境遇を考えて下さる方々でな。まず、父君がこのベクタの基礎を築いて下さった。人が住まえる様に、整備しなすったんだよ。資金? まだ幼かったあの方が父君と一緒に鉱山を見付けなさって、それを元に次々と予算を増やしていった。あれは見事だったよ。クーデターが起こった当時あの方は13才だったが、人を引っ張っていく才能は秀でておってな。それはよーく覚えとる。
 あの頃からだな、わしらにきちんとした家が建てられる様になったのは。ここの家もその時にわしの父親が建てたものさ。それなりに立派だろ。家を建てる者は、半分はお国が援助してくれたんだよ。軍備に予算を費やすよりも先に、わしらの定住地を確保する為に予算を割いて下さっておったんだ。そうしないと人口も増えんしな。そういう事を指示しておったのは、父君ではなくてあの方だったという噂だよ。本当に凄い才能の持ち主だった。
 ……少しずつおかしくなっていったのは、やっぱりあれだな。大昔の言い伝えの……そうそう、魔大戦だ。失われた魔導の力を手に入れさえすれば、この国はもっと強くなって豊かになると考え始めたんだろ。力さえあれば見下されず、拒み続けてきたもの達を見返してやる事が出来ると……そう思われたんだろうなあ。そこから少しずつ間違える様になっていったんだよ。権力や富というのは、己を錯覚させるもんさ。あんな風に変わるとはわしも思わなんだ。
 今じゃもう皇帝に逆らえるもんは居らんよ。リターナーが手を組んでようやっとどうにか出来るだけだろ。だから、どうにかしてやってくれんかね。フィガロはリターナーと手を組んどるだろ。その上、魔導の力もお前さんらは持っておる様だし。わしではもうあの方を止められん。
 わしかね? わしは昔、軍に居ったんだよ。叩き上げでそれなりの地位までいったが、あの方の魔導の力への固執に諫言したらこのザマさね。もう目も殆ど利かんよ。まあ少しは見えるし命を取られんかっただけマシなんだがね。
 ……さあ、お前さん方もそろそろ行くと良い。大分落ち着いた様だしの。裏から出た方が良いだろう。このベクタももう長くはなかろうし、あまり足止めを喰らっとると取り返しがつかん事になるぞ。ほれほれ行った行った。行ってあの方をお止めしてやってくれ。よろしく頼んだよ。
 うん? ああ……有難いが、わしは行かんよ。ここがわしの故郷だからな。漸く手に入れた安住の地を、もう離れたくはないんだよ。分からんかね。それならそれで良い。その内分かる時が来るさ。それにな……わしは忘れられんのだよ。この家を建てる前にここで腹を空かせて座り込んでいたまだ小さかったわしに、あの方がパンを下さった事をな。飢えずに毎日過ごせる様にしてみせると言った、あの時のガストラ様の顔を、忘れられんのだ。
 あの方は、英雄だった。そう、「だった」んだよ。だからもう、夢を終わらせてやってくれ。身勝手な願いだが、頼んだ。……ああ……感謝するよ。お前さん方も、達者でな。



 ベクタの灯りが見る間に遠くなっていくのを甲板で眺めていたエドガーは、難しい顔をしながらベクタを出る前に一時匿ってくれたあの老人の言葉をじっと思い返していた。
 権力や富というのは人を変えると、老人は言った。確かにティナの魔法を初めて見た時、エドガーはその力に愕然とし、ある種の恐怖を覚えたと同時に、その力を手に入れる事が出来たらどうなってしまうのだろうとも思った。幼い頃からフィガロの跡継ぎとして教育されてきたエドガーには元からそれなりの権力も富もあったのだがそれは与えられたものであって、エドガー自身に備わっていたものではない。それらは自分の力であると錯覚させてしまう程の魔力というものを帯びているのだ。
 少しでも間違えてしまえば自分もああなっていたのかも知れないという思いが過ぎり、エドガーは背中がうそ寒くなっていくのを感じた。そして、見た事も無い在りし日の英雄に、ただ目を伏せる事しか出来なかった。