ポニーテール

 目の前でにこにこと笑う緑の髪の少女の発言に、一瞬耳がおかしくなったのかと思ってカイエンは一応聞き直した。
「……ティナ殿、申し訳御座らんが、今何と?」
 なるべく平静を装って丁寧にそう尋ねると、ティナはそれでもにこにこ笑いながらもう一度言った。
「だからね、今日は私の髪型の日なの。髪が長い人はお揃いにしたいなあって思って」
「………。」
 悪気の無い顔でそんな事を言われると断りづらく、かと言って流石にこの年でその髪型はどうなのかと彼は思った。そう言われてみれば今日は金の髪を持った女性も、砂漠の王も、賭博師も、あの野生児まで同じ髪型をしている。飛空艇の皆が集まる様な広場を通り掛かった時、何だか騒がしいなとは思っていたが、そういう事か。
 どう断ったものか、と思っていると、ティナの後ろに見えた例のポニーテールメンバーが無言の重圧を掛けている様な気がする。片や笑顔で、片や睨んで、だがガウを除く他の者は「嫌だとは言わせない一蓮托生だ」と言いたそうな目をしていて、カイエンは更に困った。たっぷり三十秒は沈黙したが、ティナが期待の眼差しで見ているものだから、彼はしょうがなく項の上の髪を結っている紐を解いた。
「わあ、有難うっ! あ、櫛」
「櫛?」
「だって、要るでしょ……う……」
 ティナは思わず言葉を止めた。否、正確にはその場に居た人間が一瞬動きを止めた。何故ならカイエンが素早い手付きで、しかも手櫛で髪を整え、誰の手を借りる訳でもなく紐を結んであっと言う間に髪を結い終えてしまったからだ。唖然とするよりない。
「すごい! ござる、速い!」
「すごーい! ね、ね、慣れてるの? その髪型良くしてたの? 私でもそんなに早く結べないわ」
 手放しにガウがそう褒めるのを聞いて、ティナはやっと今の状況を飲み込み、近寄って見上げようとすると、カイエンは慌てて近寄られた分後退しながら何度か首を縦に振った。カイエンはティナでなくても女性に一定の距離を近寄られたらその分後退ってしまう。ティナは驚きのあまりうっかりそれを忘れていた。
「な、慣れていると言うか、この髪型は、ドマではその……こ……子供がする髪型……で御座る……」
 語尾が消え入る様な声でそんな事を言ったカイエンは、矢張り言った事を後悔したのか目線を床に落とした。それをばらせば良い年して子供の頃の髪の結い方を覚えていると言っているのと同じだ。しかしティナははっとした顔をして、慌てて謝った。
「ご、ごめんなさい、そんなつもりじゃなくてあの……」
 ごにょごにょと上手く言葉が出てこないティナに、今度はカイエンが首を傾げた。完全に会話がずれている。頬肘を付いてそれを見ていたセッツァーが面倒臭そうに頭を掻いて助け舟を出した。
「あのな、ティナが言いたいのはあんたが息子にその髪型を結ってたんじゃないのかなって事だな」
「……あぁ、」
 得心したのかカイエンが声を漏らすと、ティナが申し訳なさそうな顔をした。彼女は悲しい事を思い出させたと思ったらしい。気を遣わせてしまった。
「いや、息子は短髪で御座ったから結ってやった事は御座らん。遥か昔に拙者が自分で結っていただけで御座る」
「遥か昔って?」
 面白そうにじっと眺めていたエドガーがにこにこしながら尋ねるので、ホント心が狭い奴だよなとセッツァーは思った。王様は自分の興味のある事にしか口を挟まない。加えてティナが関連する事には大々的に口を挟む。ティナが自分以外の人間の髪を結おうとしたのが余程気に入らないらしい。
「元服する前で御座るから……かれこれ三十……四、五年前で御座るかなあ……」
「……元服ってなあに?」
「大人になりましたっていう儀式の事ね」
 ティナの問いに答えたセリスはそこで紅茶を一口啜った。彼女も髪型をポニーテールにしているが、随分と頭が重いと思っている様だ。慣れない髪形はするものではない。もっとも、彼女もエドガー達と同じで、ティナが喜ぶからその髪型にしただけの話なのだが。
「ドマでは元服したら髪の長い男子は全員首の後ろで髪を結う事になっておってな。何故かは存ぜぬが」
「髪の短い人も居るんでしょ? どうしてカイエンは髪を伸ばしたの?」
「……前陛下に伸ばせと言われたで御座る」
「……何で」
「はて……」
 思わずエドガーが尋ねてしまったのだがカイエンも曖昧に首を傾げた。理由は本当に知らないらしい。当然だがエドガーはドマの前国王など知らない。否、正確には知っているのだが、会った事は無い。だから何故彼が髪を伸ばせと言われたのかは分からなかった。しかし、
「綺麗だからじゃないの?」
 とティナが事も無げに言ったものだから、その場に居たティナとガウ以外の人間の表情が一瞬凍った。
「き……綺麗というのは流石に違うのでは御座らんかと……」
「だって私、カイエン以外に黒い髪の人見た事無いわ」
「そ、そうかも知れぬで御座るが」
 見た事が無いイコール綺麗にはならないだろうとセリスは思ったのだが、何も言わなかった。ティナはいつでも話がずれる。加えてカイエンも少しずれている。二人が話すとずれるどころか全く違う話になる。こんな時くらいは平和だなあ、とエドガーは間延びしながら思った。
「でも、そんな昔にしてた髪形、あんなに早く結べるなんて、何だか悔しいなあ……」
「……さ、左様か」
「決めたっ! 明日の朝から毎朝勝負しましょう! どっちが早く結べるか競争するの」
「……いやだからティナ殿、拙者この髪型は」
「するの! 絶対するの! 負けないんだからっ」
 カイエンはティナが頑として譲らないので困った様にエドガー達を見たのだが、彼らは面白いものを見るかの様に薄笑いを浮かべて何も言ってはくれなかった。そういう訳で、翌日の朝からカイエンはティナと髪を結う競争をする羽目になったそうだ。

 ちなみに少し手加減してわざと負ければ良いとカイエンがマッシュに言われるまで暫くその競争は続いた。