取り留めもない夜

 深夜の自室の窓からこつんという軽い音が聞こえ、エドガーは目を通していた決済の書類の束から顔を上げる。王とはいえ資源が少ない砂漠の城ではランプの燃料も潤沢に使える訳ではなく、机の上に置いたものしか使用していないが、今日は月が明るくカーテンを開けているので窓際は明るい。風で何か飛んできたか、と不思議に思い、それでも用心しながらそっと窓際に寄ると、手すりに見覚えのある手が伸びてきた。
「こら、お前はまたそういう事をする」
 慌てて窓を開けたと同時ににゅっと出てきた顔は八ヶ月と半月ぶりに見る笑顔で、悪びれもしない屈託のないその表情にエドガーは自然と苦笑がこぼれる。いくつになっても子供の様だと思わせるその男は、彼の双子の弟であるマッシュだった。
「もうこんな時間だからさ、衛兵起こすのも悪いと思って」
「だったらちゃんと日がある内に帰って来ないか」
「だってさっき着いたんだ」
「私が寝ていたらどうするつもりだったんだ?」
「起きてただろ?」
「起きてたけど」
 大きな体躯ではあるが窓も大きいので問題はなく、マッシュは兄の部屋に入り込む。砂漠の中にある城であるから砂っぽいのは否めず、靴を脱いで開けたままの窓の外で砂をはたく彼は前回会った時よりも日に焼けていた。
 世界が崩壊し、ケフカを打ち破ってから、エドガーの王としての仕事は以前より格段と増えた。それまでは城を抜け出し、サウスフィガロまで足を伸ばす事も出来ていたというのに、復興の為の仕事というのは想像以上に多くて各地の視察など一切出来ていない。フィガロ城の執務室から殆ど出られない日もある。その兄に代わって各地の様子を見、状況を報告したり復興を手伝う事がマッシュの仕事であった。仕事というより、性に合っている。城の中に閉じこもっている事は、十年以上コルツ山で修行に明け暮れた日々を過ごした彼にとって窮屈すぎて耐えられなかったのだ。
「誰かに会ってきたか?」
「えーっと、セッツァーは相変わらずだよ。定期便にするつもりは無いっぽい」
「あいつはそういう男だ。旅客機にもしたくないだろうしな」
「旅客機って言えば、ドマの鉄道の再開発するらしいよ。鉄橋作ってニケアの方まで繋げたいって話が出てるんだって」
「本当か?! ああ、それは是非とも私も現場に行きたいな……
 ニケアからモズリブまで繋がったらさぞ圧巻だろうに」
「兄貴はまだ当分フィガロに居なきゃ駄目だろ。しかも海隔ててるから何十年仕事になるし」
「最近機械いじりが出来ていなくてな、オイルのにおいが恋しいよ。せめて図案だけでも見せて欲しい」
 かつての仲間の現状を尋ねたエドガーは、水差しからコップに注いでやった水を飲んで一息ついたマッシュから得られたセッツァーの動向には軽く笑っただけであったのだが、ドマの鉄道の話には食いついた。元から機械王国のフィガロだ、蒸気機関で動くドマ鉄道には当時から興味津々であったけれども、機械オンチのカイエンでは詳しい話が聞けなかった為に、故国に戻って復興の最中であるドマ国の技術者と話がしたいと切実に思った。モンスター相手に振るっていた機械達のメンテナンスさえろくに出来ていないエドガーの指先に、確かにオイル汚れは一切見受けられなかった。
 それから二人は、取り留めもなく話した。モズリブに居るティナとセリスが子供達と共同生活を送っている事、彼女達の元に時折ロックが物資や移住希望者を連れてきてくれている事、サマサの村ではリルムが相変わらずストラゴスと仲良く暮らしている事、ガウは獣ヶ原でのびのびと成長している事、カイエンは故国の復興で忙しい事、モグはウーマロを連れてナルシェの近辺で暮らしながら、乞われればウーマロに命じて人間では到底動かせない落石などを動かして感謝されているらしい。ゴゴの所在は分からないが恐らくまた三角島に居るんじゃないかな、とマッシュは言った。
「あと、瓦礫の塔にも行ってみたけど」
「またお前はそういう事をする!」
「だって見ておかなきゃだろ。狂信者の塔に居た奴らがこぞってあっちに移動して周辺をそぞろ歩いてたよ」
「……何の害も無い事を祈りたいものだな」
「今んとこは大丈夫みたいだけど……定期的に探りは入れといた方が良さそうかな」
「そうか……」
 そして思い出したかの様に瓦礫の塔に行ったとさらりと言ってのけた弟に、エドガーはさっと血の気が引いたのだが、冷静に観察しただけで特に接触をもった訳ではないらしいと知って胸を撫で下ろした。未だにケフカを妄信的に信仰している者は存在しており、彼らが血迷ってまた魔導の力を復活させようとしないかが気がかりだが、人の心というものを操作するのは難しい。
 暫く黙り込んで考え込んでいるエドガーとは裏腹に、マッシュはコップにもう一杯注いだ水をぐいと呷ると、コップを兄の机に置いた。
「じゃあ、また来るから。兄貴も倒れない様にな」
「え? 暫く居れば良いだろう」
「ドマの鉄道の事教えに来ただけなんだ。もうちょっと復興事業手伝ってきたいし」
 言いながらまた窓を開けたマッシュは、何を言って引き留めようとも出て行くよと言いたげな笑顔を浮かべていた。今の彼からは全く想像も出来ない程に子供の頃は病弱であったというのに、既に世界各地を旅する事も手慣れたマッシュはエドガーよりも遥かに逞しいし元気だ。本当にこいつは自由がよく似合う、と苦笑したエドガーはそれ以上引き留めようとはせず、苦笑を浮かべて片手を軽く挙げて別れの挨拶とした。
「そうだ、次帰ってくる時はちゃんと土産持ってくるよ。何が良い?」
「お前が元気に帰ってくるのが一番の土産だ。待っているよ」
「じゃあ、次は半年を目標に帰って来ようかな。仕事しすぎて倒れない様にな、今日はもう寝てくれよ」
「そうしよう」
 手すりから飛び降りる前、連日深夜まで仕事をしているエドガーの体を気遣ったマッシュは兄が頷きながら軽く笑んだ事に満足すると、指を口に咥えて短く口笛を吹いた。それに呼応する様に走り出した影に向かって飛び降りると、見事に乗ってみせた。世界的にも足腰が丈夫だと評判の高い、フィガロのチョコボだった。
 月明かりの下、遠ざかっていくチョコボの影をエドガーはじっと見つめていたのだが、やがて地平線の彼方に消えた事を確認すると、そっと窓を閉めた。静寂が戻った自室は何事も無かったかの様にも見えたが、机に残された空のコップが紛れもなく弟が帰ってきた事実を教えてくれていた。