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盲目の囚人

 薄暗い空間の中、男は虚空を見つめながらぼんやりと座っている。生気が少しも宿っていないその目はしかし、見つめているものが殆ど見えていない。その見えぬ目はそれでも開く事は出来、初対面の者であるならば彼の目が不自由であるという事は分からないだろう。彼はそれ程不自然なく目を開くし、まるで見えている様に視線を向けるのだ。だが、彼の目は生来殆ど機能した事が無かった。
 あまり利かぬその目はしかし、この国では極めて重要視される紺碧の色をしていた。砂漠の真ん中に位置する城には雨など降らず、だから水を彷彿させる色は重用されていたのだ。それ故、彼の目というのは崇められるべきものでもあった。
 しかし彼は不遇の人でもあった。この国の王位継承第二位に居ながら、父王その人から軽んじられていたのである。継承第一位の兄と大分年が離れていたせいでもあるし、その目が利かない事も要因だった。
 兄が程無く王となり、彼は王位継承第一位となったものの、兄に子が産まれれば彼が王となる事は無いだろう。それは彼も重々承知の上だったし、そもそも彼は王位など欲していた訳ではなかった。兄の支えになれればそれで良いと、そう思っていた。
 だがそう思っていた彼に、兄は言ったのだ。

 お前の目が利かなくて良かった。

 その言葉を聞いた時、彼は愕然としてしまった。兄はいつだって自分の味方だと思っていたのに、その兄さえも自分の目が利かない事を喜んでいたと知り、彼はこの世の全てが信じられなくなってしまったのだ。
 それからというもの、彼は兄を憎む様になっていった。目が利かなくても自分は王位に就く事が出来ると証明してやろうと思う様になっていった。程無くして兄に双子の子供が産まれ、継承位はその双子の方が高くなったが、彼は双子には大して興味を持たなかった。兄が死んだ所で王位は双子のどちらかに移るが、彼の憎悪は兄にしか向いていなかったのだ。それに双子がまだ幼い内であるならば、彼に一時的ではあろうが王位は回ってくる可能性がある。彼は、兄を殺してやろうと思っていた。
 だが、その思いは叶わなかった。彼が企てた謀略は悉く破られ、王弟という彼の立場から処刑は免れたが、その代わりに彼は城の地下に幽閉される事になった。二度と陽の光を浴びる事は出来なくなってしまっても、彼の目にはその光もあまり映らなかったのだから、ショックも無かった。ただ太陽の光というのは偉大なもので、体調不良には追い込まれる。彼は段々と痩せ細っていった。
 そんな中でも、彼はまだ兄を憎んでいた。ここに閉じ込められた以上はもう兄に何をする事も出来ないのだが、憎む事くらいは出来た。目が見えなくても兄を支えたいと思っていた自分の心を踏み躙った兄を、ただ憎んだ。何故兄があんな事を言ったのか、彼には分からない。分からないから、ただ憎んだ。
 やがて彼が死を悟り始めた時、彼の元に一人の女性が訪れた。この城の神官長だ。未だ自分の非を認めようとしない自分に説教でもしに来たのだろうかと彼は思ったが、彼女は何か手紙の様なものを持ってきたらしかった。彼の目が利かない事は彼女も知っていたから、読み上げてもよろしいですかと聞かれ、彼は面妖に思ったのだが頷いた。それを見て、彼女は静かに文面を読み上げ始めた。


 出来る事なら、私は王位を離れ、神の従僕となって一生を送りたいものです。
 地位も名誉も幸福も、何もかもを捨て去って、人々の幸福を祈りながら神にお仕えしたい。
 この世の幸福ならば、弟のフランシスへとお与え下さい。
 そして、どうか弟の身をお護り下さい。


 彼女は、それは彼が成人した時に兄が神へ捧げた願書なのだと言った。兄は無条件で彼を愛し、そして彼の幸福を願った。恐らく今も変わらないのだろう。その事に、彼は気付いていなかった。否、あの言葉を言われるまでは分かっていたのだ。それが、言われてしまった直後から分からなくなってしまった。まるで己の目の様に、ぼんやりとしか見えなくなってしまったのだ。彼はその事に愕然とした。
 兄は、彼を愛していたのだ。否、今でも多分、彼を愛している。その事に、彼が気付けなかっただけなのだ。たったそれだけの事に気付く事が出来なかった自分に、彼は絶望した。そうして彼は自分の世界が完全に暗闇に包まれていくのを感じ、緩やかにその碧眼を閉じた。