愛のかたち

 家の外に立ち尽くしながら、彼女はぼんやりと家を見ている。その瞳には確かに彼女の家が映っているのだが、彼女には映っていないに等しかった。
 目の前にある家は、彼女の家である。両親は既に亡くなり、この家の主は彼女だ。だからその家に入る事を躊躇う事も遠慮する事もしなくて良いのだが、彼女は最近、日中ずっとこうやって外に居る事が多い。それはこの家に居る客人が原因だった。
 原因と言っても、別に客人は家を占拠している訳ではない。彼女も許可をして客人を住まわせている。客人は男で、ひどい傷を負った兵士だったのだ。傷の程度がひどくてポーションでは治す事も出来ず、医者からは絶対安静が言い付けられている。
 だからと言って、彼女にはその兵士の面倒を見てやる義理は無い。しかし小さな村では旅人が訪れてくる事も少なく、村人は兵士を気遣って色々と世話を焼いた。彼女もまた、そんな村人の一人だったのだ。
 世話を見る様になってから、彼女は彼に家族が居るのなら手紙を代筆すると申し出たのだが、彼は家族はもう居ないが恋人に存命である事を伝えたいと言った。最初は何気なく引き受けた代筆だが、彼の恋人から返事がくる様になってから、次第に彼女にはその代筆が苦痛となっていった。彼を心配する恋人の手紙を読み上げる度、胸が苦しくなった。何より、届いた手紙を読んで貰っている時の彼の表情を見るのがつらかった。
 彼は恋人の手紙を読んで貰う度、幸せそうな恋しそうな、そんな顔になる。そして必ず、早く治して恋人の元へ帰りたいと言うのだ。心から恋人を愛しているのだという事を見せ付けられ、彼女は居たたまれなくなる。彼女は彼に、恋をしてしまったのだ。
 理由など、彼女にも分からない。何故恋をしてしまったのか、彼女にはよく分からなかった。ただ、彼は平凡で淡々としていた彼女の生活の中に現れた、流星の様な存在であったのだ。彼女は刺激が欲しかったのかも知れないと思ったのだが、たとえそうだとしても芽生えてしまった想いを摘み取る事が出来る程強くはないとも思った。

 ―――あの人を支えているのは時折マランダから来る手紙だけ。私は…

 容態は少しずつ良くなっていっているとは言え、それでも彼はまだ自分で立ち上がる事さえままならなかった。リハビリはしているのだが、まだ体を動かす事も苦痛そうだ。彼を何とかこの世に留めているのは恋人からの手紙だと言っても良いだろう。彼女では支えになれないのだ。
 彼女はその事を痛い程自覚していたが、それでも彼がほんの少しだけでも体を動かす事が出来ると嬉しかったし、彼がレコードを聞きながら心地よさそうにまどろんでいるのを見ると、心が温かくなるのを感じた。そして思ったのだ。愛されるばかりが幸せではないし、こういう愛のかたちもあるのだと。
 想われずとも、愛されずとも、そっと見守るだけの愛もある。彼の幸せを祈るだけの愛のかたちであるならば、誰も咎めないし傷付きもしないだろう。好きだと言えなくても恋しいと言えなくても、行かないで欲しいと言えなくてもそれで納得出来るのだ。その内居なくなってしまう存在であったとしても、今こうやって側に居られる事が神から与えられた幸福なのだと思えば良い。本来なら出逢う筈が無かった人だったのだから。彼女はそう考えた。
 だが、その生活も終わりを告げようとしていた。突然空が光ったかと思うと、大地が立っていられない程に揺れ、そして村のあちこちから炎が上がった。外に出ていた彼女は急いで家の中に居る彼の元へと走ったのだが、その時大きな衝撃が彼女を襲った。村を襲った光の爆風が彼女を吹き飛ばしてしまったのだ。かろうじて立ち上がる事は出来たが、全身に激痛が走り、彼女は思わず膝を付いた。見ると、肌が焼け焦げてそこから血が滲んでいる。彼女は何故こんな事になったのか分からないなりに、死を悟った。これではもう助からないだろう。
 彼女は激痛が走る体を引き摺りながら、自宅へと戻った。家は全壊は免れていたものの、外壁が壊れたりしていた。そしてやっとの思いで彼の元へ辿り着いたのだが、揺れの衝撃でベッドから落ちてしまったのだろう、彼が床に倒れていて、彼女はあまり動かない足を必死に動かして彼の側に寄った。彼は微かに息はある様だったが、今の彼女にはもう手当てを施してやれる程の力は無かった。座り込んでか細い声でごめんなさい、と彼女が呟くと、彼は夢とも現ともつかない様な目で彼女を見て、何事かを呟いた。
 多分、彼が口にしたのは恋人の名前だったのだろう。薄れていく意識の中、彼が一番見たかったのは恋人であったに違いない。そして彼の目は、彼女を恋人の姿に変換して映してしまったのだろう。彼女はそれに気付いていたが、そっと彼の手を握ると、彼に微笑んで見せた。全身の痛みはその時だけは消え去っていた。すると彼はひどく満足した様な、心から幸せそうな笑みを浮かべると、そのままその目を閉じてしまった。
 もう動かなくなってしまった彼の手をそれでも握りながら、彼女は彼の隣に横たわった。家の外で聞こえる悲鳴や泣き声、地鳴りの音は、彼女には聞こえなかった。ただ彼の隣で死ねる事が、たまらなく幸せだと思った。愛されずとも思われずとも、彼の最期を共にしたのは自分なのだ。彼の恋人ではない。彼女はその事に限りない幸福を感じ、彼の体を抱き締めてゆっくりと瞳を閉じた。


 二人共酷い怪我だったのに、二人共とても幸せそうな死に顔だったと、後にカタリーナはティナに言ったという。