たからさがし

 死ぬ事は怖くないと思っていた。喪う事もなんて事ないと思っていた。本当に大切なものなんて出来る筈が無いと思っていた。少なくともロックはそう思って生きてきたし、それはずっと変わらないままだろうとも思っていた。
 まだ年若い彼にとってみれば恐れる事など何も無く、過ぎていく日々を迎えては捨てていくだけの生活で、手に入れたものは何一つなかった。生きていく為だけに覚えた技術は未熟な所もあったのだが、それでも困る事も無かったので大して問題だとも思っていなかった。
 身寄りの無かったロックは生きていく為に様々な事をやった。殺しこそしなかったが、人を傷付ける事など何という事もないと思っていたし、誰かの大切な物であろうとこちらが生きる為に奪った。だが彼が狙うものは大抵人里離れた所に眠る財宝で、他人と争う事を極力避けた。それは何も傷付けるのが嫌だった訳ではなくて、力もそこまで強くなく、また戦う術をあまり持っていなかったからだ。
 育ててくれた祖母が亡くなってからは一人で生きてきたロックには、何が怖いのか良く分からなくなってきていた。幼い頃は夜の闇が怖かったし、祖母の死後あてもなく彷徨っていた時にモンスターに初めて出くわした時も死ぬ程怖かった。だが今となってはそれが日常茶飯事である為に、恐怖など感じる事もなくなってしまった。感覚が麻痺してしまったのだろう。
 それで良いとロックは思っている。つまらぬ事で心を乱されるのは嫌だし、恐怖など感じても煩わしいだけで、大切なものなんて重たすぎるだけだ。けれども、ひょっとしたら人間らしいと思えるあの感情を取り戻す為に、敢えて危険な場所へと宝を探しに行くのかも知れない。今のロックにはそんな事さえも良く分かってはいなかった。



 そんなある日、彼がいつもの様に人気の無い洞窟に入って物色していると、半分埋められた小さな宝箱を見付けた。中々装飾が凝った箱だったのでそれを拾って鍵を抉じ開けて見ると、中には華美ではないものの上品なペンダントが入っていたので、それを遠慮無く戴こうとしていると、突然後ろから少女の声が聞こえてきた。
「それ、私のよ。勝手に持って行かないで!」
 その声に驚いて振り向くと、何故こんな所に居るのかと問いたくなる様な少女がそこに居た。少女は身軽な格好をしてはいるものの、小綺麗な服を着ているのに、それを気にせず泥だらけにしている。ロックが茫然としていると、少女は彼に近付いて手に持っていたペンダントを奪い返してから睨んだ。
「最近、盗掘屋が出るって聞いたから見にきてみたら……お祖母様の形見なのよ、貴方の生活費じゃないの!」
 上目遣いで睨む少女の瞳は髪と同じ綺麗なモスグリーンで、本当に何故こんな所に居るのかという疑問を払拭出来ない程、一枚の絵の様だった。性格的にここで言い返すロックなのだが、反論を忘れてしまう程に、少女の存在が不思議だった。
「ここに隠したのがいけなかったかしら。折角タイムカプセルにしようと思ってたのに……」
 少女は、側に落ちていた小さな箱を拾うと、汚れを叩いてからまたペンダントを入れ直した。鍵付きだったその箱は、先程ロックが抉じ開けてしまったものだから、既に鍵が機能しなくなっている。それでも少女はその箱を大切そうに抱えると、ロックを見向きもせずに立ち去ってしまった。
 残されたロックは、未だ茫然としたまま、その場に立ち尽くしている。こんな暗くて迷路の様な所に忽然と現れた少女に、ロックはどんな宝よりも良いものを見付けたと思ってしまっていて、それに気付いてまた茫然とした。それと同時に、あの箱を壊してしまった事がひどく悪い事をした様な気がしたのだが、彼は少女を追い掛ける事も出来ずに茫然とその場に立ち尽くしていた。



 陽も暮れかけようとした夕方、近くの村に立ち寄ったロックは、少女の姿を見掛けた。どうせこの村の住民だろうと思っていたから居てもおかしくないのだが、少女に気付かれて騒がれてはまずいと思い、なるべく遠くから少女の様子を窺っていた。そして少女が自分の家に入るのを見届けてから、漸く彼は安堵した。今日はここで久しぶりに宿に泊まろうと思っていたものだから、事を荒げるのだけは避けたい。
 けれど、夜も更けて宿屋のベッドに潜り込んだロックは寝付けずにいた。野宿の木の上ではなく久しぶりのベッドなのに、中々寝付けない。何度か寝返りを打ってみたが効果は全く無かった。眉を顰めて溜息を吐き、彼は頭を乱暴に掻きながら起き上がると、宿屋の窓からそっと抜け出した。
 ロックが一直線に向かったのは、あの少女の家だった。何をしようと思っていた訳ではなかったのだが、何となくロックの足が向かってしまったのだ。そして辿り着くと、家の奥の窓から微かに灯りが零れているのが見えた。誰かがまだ起きているらしい。なるべく足音を立てずに近付いてそっと中を覗いて見ると、カーテンの隙間からあの少女がランプの明かりに浮かび上がって見えた。ひどく真剣な顔をしているから何をしているのかと目を凝らして見ると、少女の手元にはロックが壊してしまったあの箱があった。慣れない手つきで、それでも少女は必死にその箱を修理しようとしていたのだ。
 その時、ロックは何だか少女にとてつもなく悪い事をした様に思えて、久しく忘れていた罪悪感というものをずっしりと体中で感じた。工具など手にした事がないだろう少女の綺麗な手は、所々怪我をしている様にも見える。居た堪れなくなって、ロックは無意識の内に窓を小さくノックしていた。
 少女はその音に気付いたのか、不思議そうに窓に近付くとカーテンを開けたので、ロックは窓の下の方からおずおずと手を振ってみた。ロックとしても驚いた少女が家族を呼びに行くかも知れないという考えが無かった訳ではなくて、一種の賭けだったと言っても良い。ただでさえロックは机の上に置かれた箱を壊した張本人なのだから、そうされたっておかしくはないのだ。
 だが予想外な事に、少女は驚いた顔をしたものの、すぐにむっとした様な顔をして窓を勢いよくあけてきたものだから、対応しきれなかったロックは強かに窓の枠で顔面を打った。結構な勢いだったので、一瞬目の前が真っ白になるくらいの衝撃が襲ってきたのだが、彼は何とか無様な声を上げずに踏ん張った。
「こんばんは、昼間の泥棒さん。何の御用かしら?」
 悪びれもせずにそう言った少女に、ロックは泥棒とは失礼なと言おうと思ったのだが、やっている事は泥棒と何ら変わりはないので何も言えなかった。その代わりに少女の向こうに見える机を指差す。
「その……悪かった」
 その謝罪は、ペンダントを盗ろうとした事に対してなのか箱を壊してしまった事に対してなのか、ロックにもよく分からなかった。ただ、悪い事をしたという自覚はあったものだから、自然とその言葉が漏れたのだ。そしてロックのその言葉が意外だったのか、今度は少女が驚いた様な顔をした。
「あら、わざわざ謝る為に来たの?」
「………」
 ロックは少女の質問に答える事が出来なかった。何故来てしまったのか自分でも分からなかったのだから、答える事など出来る筈が無かった。その代わりに地面を蹴ってひらりと部屋の中に入り、呆気にとられた少女の手を取ってまじまじと見る。血が滲んだ傷が、白い手の上に存在を強調していた。
「な、何するのよっ」
「……ごめん」
 いきなり部屋に上がったかと思えば手を取られたのだ、少女が驚いてロックの手を振り払ったのも無理もないだろう。昼間見た泥だらけの服ではなく綺麗な部屋着を着ている少女は、印象が少し違って見えた。だがやはり、綺麗な髪と目をしているとロックは思った。
「……あのさ、あれ、俺が直すよ」
「……出来るの?」
「多分……」
 そんな事を思っている自分に気付いてちょっと恥ずかしくなり、ロックは机に置き去りにされていた箱を指差して言った。修理は得意ではないのだが、直せば少女が喜んでくれるかも知れないと思ったら自然とその言葉が出てしまった。少女はロックの返答に訝しげな顔をしたものの、ちらと箱を見てから悪戯っ子の様に笑ってみせてくれた。
「じゃあお願いしてみようかしら。出来なかったらパパとママを呼んでやるんだからね!」
 それだけは勘弁して貰いたいというセリフが喉まで出かかったが、ぐっと堪えてロックも笑う。そして机の上に置いてあった工具を手に取ると、早速箱の修理に取り掛かった。
 正直な所、ロックは何故今こんな所でこんな事をしているのか自分でも分からなかった。だが傍らでじっとその作業を見ていたけれども睡魔に負けて眠ってしまった少女を見て、大事なものを持っている者というのは強いなと思った。少女は見た事も無いロックに向かって、怯む事無く睨んでペンダントを取り返したのだ。あの洞窟だって村から少し離れているし、モンスターも滅多に出ないが居ない訳ではない。それでも少女はあの場所まで来たし、ロックを恐れなかった。それはロックと同じで怖いものなどないと思っているからかも知れないのだが、恐らく違うだろう。知っているからこそ、あそこまで強い目をする事が出来るのだ。
 ロックは、生まれて初めて自分という存在が矮小で弱いものであるかを心の底から自覚した。自分よりも小さなこんな少女に教えられた事が恥ずかしいと思うのも忘れてしまう程、その衝撃は大きかった。そして、本当に大切なものを見付ける事が出来た気がしたのだ。
 東の空が白み始めた頃、元通りとはいかなかったものの、何とかそれらしく鍵が機能出来る様にまで修理出来た。だが、ロックは少女を起こそうとは思わなかった。少女が気持ち良さそうに眠っていたものだから、起こすのも可哀相だと思ったからだ。起きた時に少女が喜んでくれたら良いと思いながら、ロックはその箱の中にペンダントとポケットの中に入れていた小さなデザートローズを仕舞った。村から離れた所にある砂漠で見付けたもので、どこかで売ろうと思っていたのだが、箱を壊してしまったお詫びと気付かせてくれたお礼として入れておこうと思った。
 窓から出る時に一度だけ振り返って見た少女は、あどけない可愛らしい顔で眠っていた。それを見て自然と笑みが零れた事に気付かなかったロックは、宝物をそっと仕舞う様に、窓を静かに閉めた。