そのままの君で

 ガウは生まれてすぐに獣が原に捨てられモンスターに育てられたせいか、とにかく一般常識というものが通じず、彼のしでかす事に閉口してしまう事が少なくない。子供の躾などした事が無いマッシュには、それを叱って良いものなのかどうか判断が出来ず、だからあまりガウの素行が変わってない様に思う。自分達についてくると言ったのはガウだし、ついてくる事を強要したのはマッシュではない。かと言ってついてくるなとも言っていない。ついて来なかった方が安全だったのだろうかとも思うのだが、今更そんな事を思っても仕方ないのでマッシュはその考えを打ち消している。
 獣が原で自由に生きてきたガウにはマッシュ達との生活の中で経験する事がほぼ全て初めてと言っても過言ではなく、突拍子の無い行動をとっては他の者を驚かせた。まず布団で寝るという概念が無いし、食べ物も基本的にそのまま食べようとする。多少の汚れは気にせずに放っておくのはマッシュも同じだが、共同生活をしている以上は他の仲間に迷惑をかけない様に最低限の清潔さを保っているつもりだ。だがガウにはそれすら無い。そういう概念が無いのだから当たり前かも知れないのだが、躾けた方が良いのだろうかと疑問を抱いてしまっている。
 しかし他の仲間達は何故か主にマッシュがガウの面倒を見ると思っているらしく、殆どガウのやる事に口を出そうとしない。セッツァーなんかはマッシュが居ない時にはガウに「お前の保護者はどこ行った」などと言う始末だ。それは大いに違うとマッシュは声を大にして言いたいのだが、結果的にはそうなってしまっているのだから何も言えない。
 しかしマッシュにとってみれば、こういった事は自分ではなく寧ろカイエンの役目なのではないのと思っている。年頃が同じくらいだった息子が居た身だし、何より躾には厳しそうな気がする。だがカイエンはガウがやる事なす事に殆どと言って良い程口出しをしなかった。ただ黙って、苦笑しながらそれを見ているだけだ。余程ひどい事をした時は、カイエンより先にマッシュが怒ってしまう為、カイエンがガウを怒っている所を見た事が無いのだ。
 それを疑問に思いつつも聞けずにいたが、買い出しに三人で出る事になり、そこで食事をとった時に思いがけず尋ねる機会があった。



「あーもう……だからフォークを使えフォークを! 手掴みするな!」
「う?」
 普段通りに食べ物を手掴みしようとするガウの右手に、マッシュは無理矢理フォークを握らせた。飛空艇の中での食事では手掴みくらいは大目に見るのだが、流石に外に出た時にさせる訳にはいかないと思ってマッシュは大抵無理矢理フォークを握らせるのだ。そうするとガウも覚束ないなりに使おうとするので、マッシュが何時もフォークを差し出す事になっている。
「こういう所じゃ手掴みは駄目なんだよ……ほらちゃんと持って」
 マッシュ達と同行する様になってから初めてナイフやフォークを使い始めたガウは、まだ使い方もぎこちないし慣れていない。だからフォークを使ったとしても食べ零す事が多いのだが、使わないより良いだろうと思ってマッシュは根気強く使わせている。その甲斐あってか、最近は漸くスープをスプーンで飲む様になってきた。
 その光景をカイエンが苦笑交じりに見ながら食事をしているのに気付いて、マッシュはふう、と一息吐いた。
「そう言えば、カイエンの方がこういうの厳しそうなのに一度も口出しした事無いよな」
「こういうの?」
「だから……食事のマナーとかさ」
 ぽつんと呟いた疑問にカイエンが反応を示したので、マッシュもそれに応えた。カイエンは必要以上に自分の事を話そうとしないので、こういう何気ない時にぽつぽつと聞く事にしている。人生のほぼ全てと言っても過言ではない祖国ごと喪ったカイエンに多くの事を聞けば、何でもないふりをしていても傷付いているかも知れないからだ。
 マッシュの言を聞いて、カイエンはそこで初めて気付いた様にああ、と声を漏らし、そしてほんの少しだけ何かを思案する様な表情を見せた。
「何と言うか……拙者は子供のする事に口出しをせぬ様にしてきたで御座るから」
「え、こういったのも?」
「そりゃ、基本はちゃんと教えるで御座るよ。したが、必要以上の事は言わぬ様にしておったで御座る」
 意外にも、カイエンは躾に関して言えば口喧しくない人種であったらしい。ドマは礼儀を重んじる国であったと聞いていたから、驚きも大きい。人それぞれかも知れないのだが、身の回りの事はきちんと済ませるカイエンであったから尚更だ。
「マッシュ殿、子供というのはな、拙者達大人にとってみれば、謂わば教師なんで御座るよ。
 周りの大人に順応して子供は育つ。その中で吸収していった事を行動に移して、拙者達に教えてくれるので御座る」
「………」
 子供が大人にとって教師であるという考えを唯の一度も持った事が無いマッシュにとって、カイエンのその言は酷く衝撃的だった。確かに子供は周りの大人を見て育つし、真似をして様々な事を覚えていく。マッシュも小さかった頃は父王や周りの従者の言動を真似していた。それも、大抵は興味を持ったものを、だ。
「ガウ殿だって、ひょっとしたら拙者達と会わねばあのまま獣が原でずっと過ごしていたやも知れぬ。
 獣が原では食器も無ければ食事マナーも無いで御座ろう?
 必要無いものとしてガウ殿は覚える事は無いと無意識に思っていた筈で御座るから」
「マナー、あるぞ! 残すの絶対ダメ!」
「ああ、申し訳御座らぬ。ガウ殿は残す事が無いし、それはとても偉い事で御座るよ」
「えらい? ガウ、えらいか?」
「うむ、偉い偉い」
 反論したガウは切り返しに褒められ、その事にすっかり機嫌を良くしたのか、満面の笑みを見せた。それを見てカイエンも笑ったのだが、マッシュはそれを見ながら父親の顔だと思った。
 恐らく、カイエンは自分の息子に対してもこんな風だったのだろう。自身は厳しく躾けられたものだと思っていたが、周りの大人達のマナーがきちんとしていれば子供だってそれに倣う。カイエンの家族について聞いた事は無いのだが、カイエンを育てた人達もそうだったのだろう。その事については尋ねたくなかったのでマッシュは口にした事が無い。
「したが、マッシュ殿の様にちゃんと教えるのが悪いと言っておる訳では御座らんよ。
 それは行儀の悪い事だと叱るのも大事な事で御座る。
 実際、ガウ殿も最初の頃に比べて随分綺麗に食べる様になったで御座ろう?」
「……そりゃ、まあ」
「それを褒めてやらねばな。当たり前の事として受け止めるのではなく、な」
「……はーい」
 何だか今度は自分が躾けられた様な気がするとマッシュは思ったのだが、確かにガウを叱った事はあっても褒めてやった事が無い気がするとも思ったので、何も反論出来なかった。そう言えば父であった前フィガロ王も、良く自分達双子を褒めてくれていた。悪戯が度を越すと確かに大目玉を食らったが、可愛らしい悪戯にはしょうがなさそうに苦笑して男の子は悪戯が出来るくらいではないとな、と褒めてくれたものだ。
「なあなあ、カイエン、それ何だ。食うのか」
「うん? ああ、これは箸と言ってな、食べる時に使う道具で御座るよ」
「はし?」
「そう、この二本をな、こう持って……こう動かして……掴んで食べるもので御座る」
「ガウっ! ガウもつかう! つかう!」
 マッシュが一人で大いに反省している傍らで、ガウは全くそんなマッシュに反応する事無く、カイエンがおもむろに取り出したものに好奇心を駆られた様で、目を輝かせながらそれを見た。カイエンが扱っている箸という食器は、手先が器用なマッシュでも使い慣れず、カイエンしか使わない。ドマでの伝統的な食器らしいが、木材で簡単に作れる為にカイエンも時折使用している。魚を注文したから、フォークでは食べづらかったのだろう。
「じゃあまず持ち方から。こう。……そうそう、ゆっくりで構わぬで御座るからな」
 箸の使い方を真剣に聞きながら使おうとするガウは、知識を余す所無く吸収しようとする子供そのものの表情で、なるほど確かに興味があるものだと覚えるのも早いというのは頷けるとマッシュも苦笑した。カイエンの言う通り、子供は教師なのだと初めて理解出来た気がした。



 数日後。
「なあなあマッシュ、ガウ、できたぞ!」
「おー! すげえ! ガウ偉いぞ!!」
 嬉しそうに箸を使って食べた魚の骨を見せたガウに、マッシュは純粋に驚き、そして心の底から褒めた。その光景を、カイエンはまるで父親の様な面持ちで微笑ましく見ていた。