Your Sitename

I'll reach you

 さらさらと流れていく風を頬に感じながら、マッシュは一人で屋根の上で眼前に聳え立つ霊峰をぼうっと眺めている。その山に何が見えるという訳でもなく、また、何があるという訳でもないのだが、マッシュは何故か目を逸らす事が出来ずにぼんやりと山を見ていた。
 世界が壊れてしまった後、立ち寄ったサウスフィガロで安否の確認の為に師の妻である女性に挨拶をしに行くと、なんと死んだとばかり思っていた師が生きていたと教えてくれた。先を急ぐ旅であるにも関わらず、仲間は師に会いに行く事をマッシュに許してくれ、そして漸く彼は師との再会を果たしたのだ。
 最終奥儀を伝授してくれた師は、息子の事を多くは語らなかった。マッシュも聞く事が躊躇われて、何も言わなかった。だが、少しの休憩を挟んでいたその時に、師は――ダンカンはぽつりとマッシュに言ったのだ。

 ―――あれの遺体も遺品も、何処を探しても見付からんかった。
 ―――血痕は残っておったのに、おかしな話じゃの。

 その言葉を聞いた時、マッシュはまるで心臓が握り潰されるかの様な感覚に襲われてしまった。遺体が見付からないというのは、コルツ山では珍しい事では無い。だが、血痕も残っていた上に遺品が何一つ残されていなかったというのは確かにおかしな話である。
 コルツ山では風葬が普通で、埋めるという事は滅多にしない。故に旅人や修行僧の遺体がモンスターに食われるという事も珍しくないのだが、その場合、着ていた服などは必ずそこらに散らばっている筈なのだ。それが一切見付からなかったとダンカンは言った。
 マッシュは希望を持つ事は良い事だとは思っているが、期待をするのはあまり好きではない。だからダンカンのその言葉を聞いた時も、「まさか」とは思ったが「ひょっとしたら」などとは思わなかった。マッシュは確かにあの時兄弟子を、バルガスを己の手で殺したのだ。その事は今でもマッシュの胸を締め付け、時に苦しめる。だが、マッシュは決して後悔などはしていなかった。期待をする事以上に後悔する事の方がマッシュは嫌いなのだ。
 どれ程の時間をそこで過ごしていたのか、マッシュは背後に感じた気配に漸くその姿勢を崩し顔だけを後ろに向けると、視線の先には金の長い髪を緩やかに吹く風に靡かせながら、まだ少女の面影が残る女性が屋根に登ってきていた。
「ん……悪い、もう出発?」
「いいや、まだ大丈夫だ。ただ……あんまりにも降りて来ないものだから、な」
 幼い頃から従軍していた女性、セリスの口調は女性的とはお世辞にも言えないのだが、彼女はそれを改めようとはしないし、仲間もそれを直すようには言わない。彼女にとってそれが普通ならば、それで良いのだ。
「俺、そんな長い時間ここ居た?」
「三時間はとっくに過ぎてるぞ」
 尋ねたマッシュに、セリスは呆れた様に答える。マッシュの兄のエドガーは放っておいた方が良いとは言っていたのだが、セリスには何故だか放っておく事が出来なかった。心配、という訳ではないのだが、放っておいたら本当にこのまま何日も山を眺めていそうだと思ってしまったのだ。
「そっか……んじゃ、降りるよ。そんなに待たしちゃ悪いしな」
 のろのろと立ち上がったマッシュが伸びをしているのを見て、セリスは口元を手で押さえて何かを逡巡した。マッシュがそれに首を傾げると、セリスは上目使いでちらりとマッシュを見てから言った。
「……ここからコルツ山に登るのに、どれくらい掛かる?」
「……は?」
「は? じゃない。何日掛かる?」
「……頂上まで?」
「マッシュが気になってる場所まで」
「………」
 セリスが遠慮も何もせず、きっぱりと聞いてきた言葉にマッシュは思わず沈黙してしまう。だがセリスが答えを待っているのが分かり、はぐらかす事は無理だと判断してから小さく息を吐いて答えた。
「……二日程度かな」
「二日か。じゃあ行こう」
 まるで遠足に行くかの様にあっさりと言い切ったセリスに、マッシュは目を丸くする。確かにセリスは元軍人なのだから体力に自信はあるかも知れないが、それにしたって唐突過ぎる。第一、時間のロスを作ってしまうではないか。そう思ってマッシュはセリスを止めようとしたのだが、セリスはマッシュが何かを言う前に口を開いた。
「そんな状態のまま先を急いでも、良い事なんて無いんじゃないか?」
「……そう、かな」
「そうだと思うが」
 有無を言わせぬ様なセリスの言葉に、マッシュもそれ以上の反対を封じられてしまい、消え入る様な声でじゃあ行こうかと言った。
 マッシュが躊躇ったのは、その場所に行く事が怖かった事に起因する。バルガスに対しての負い目もあるが、それ以上にマッシュは共に厳しい修行を耐えて過ごしてきたバルガスの死を二度も受け止める事が怖かった。己の手で殺害した事は間違いなく覚えているし、その事実を忘れる気は全く無いのだが、もう居ない事を再認識する事が怖かったのだ。しかしセリスの有無を言わさぬその態度と言葉に、ひょっとしたらセリスの方が怖いかもな、とちょっとだけ苦笑して、一緒に山小屋を訪れていた兄達にわがままを許して貰い、マッシュはセリスと共にあの場所へと出発した。



 道中は二人共ほぼ無言で、出てくるモンスターも彼らにとってみれば敵ではなかった。モンスターもそれを察知しているのか、あまり襲ってくるものもなかった。セリスはコルツ山に登るのは初めてだったが、軍で訓練を受けていただけあって体力があり、マッシュが驚いてしまう程黙々と険しい山道を登っていった。多少見縊っていた様である。
 そして出発前に言った様に一昼夜かけて辿り着いたその場所は、相変わらず山肌独特の粗い風が吹きすさんでいた。霞んだ空気は二人の体を容赦なく擦り抜けていき、マッシュはセリスが高山病にかかっていないかだけが心配だったのだが、セリスは平然とした顔をしていた。
「……ここで?」
「……あぁ」
 段差の在る岩肌が奥へと向ける為の洞窟に続く広場となった様な場所で足を止めたマッシュに、セリスは一呼吸置いてから短く尋ねた。マッシュもそれに短く答える。
 確かにあの日、マッシュはこの場所でバルガスを殺したのだ。奥儀を自分に横取りされると焦ったバルガスが取った暴挙は、マッシュに後には引けない決意をさせてしまった。
 師は最初からバルガスに奥儀を授けるつもりでいた。しかし同時にバルガスの性格の弱点をよく知っていたから敢えてマッシュに授けると言ったのだろう。確かにぶっきら棒ではあったが、親を殺して平然としている様な人間ではなかった筈だ。あの奥儀の継承がバルガスにとって余程大切な事であったらしい。人伝に聞いた話だが、奥儀を継承する事が想いを寄せていた娘との結婚の条件だったのだそうだ。それを聞いた時、マッシュはひどく居た堪れなくなった。非は先走ってしまったバルガスにあるが、しかしバルガスと想いを寄せていた娘にとってみればマッシュは憎い仇だろう。だが、それも決して目を背けてはならない事実なのだ。
「……死んだのか?」
「……どうかな」
 セリスの問いに、マッシュは曖昧に首を傾げる。殺した事はその手が覚えているのに、それでも尚自分に囁きかける何かがある事にマッシュは気が付いていた。
 暫くそのまま無言で佇んでいたマッシュは、腰紐にぶら下げていた小道具入れの中に入れていた胡桃を取り出した。それを僅かに眺めてからセリスに目線を移し、首を傾げた彼女に向かって小さく笑うと、手の中の胡桃を崖下へと投げた。
「………?」
 マッシュが何をしたかったのか分からなかったセリスが不思議そうにマッシュを見ると、マッシュは間を置いてからふ、と笑った。
「聞こえた?」
「……何が?」
「胡桃が落ちた音」
「………」
 この高さから投げたら聞こえる筈など無いのだが、そう言われてみればマッシュは岩肌擦れ擦れに胡桃を投げていた。そうしたら岩肌に何度かぶつかった音がする筈だ。だが、セリスの耳にはその音は届かなかった。
「あの人も、胡桃が好きだったな」
 何気ない世間話をする様に呟かれた言葉は、マッシュの想いを全て表していた。期待はしていない。けれど希望を持つ事は良い事なのだと、その時のマッシュは思っていた。その手は今でもバルガスを倒した時の感触を生々しく思い出す事が出来るけれど、同時にその目には鮮やかにバルガスの姿を蘇らせる事も出来るのだ。
「……生きてるんだな」
「……きっと、な」
 セリスもマッシュのその晴れやかな顔を眺めながら呟き、風に靡く髪を掻き分けた。吹き抜けていく風は確かに容赦は無かったが、それでもどこか優しいとセリスは思った。