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魔の者、ふたり

 魔力消耗にご注意を、と再々言っているにも関わらず、反英霊として召喚されて以来あちこちの戦場に連れ回されている道満は、今日も疲れていた。多才である事は自負しているし、属性の相性が合う者であればバフ役にもなれるし、その気になれば宝具もすぐに使う事が出来るので、この寵愛も当然と言える。しかし流石にこれは酷使しすぎなのでは、と充てがわれた部屋によろよろと戻り、設えられた大きな寝具――当世ではベッドと言うものらしい――に倒れ込んで柔らかな枕に顔を埋めつつ、道満は寝具の進化に大いに感謝していた。生前は床に茣蓙を敷き、羽織などを被って寝る事が当たり前であったから、マットレスや毛布、羽毛布団、低反発枕といった寝具は本当に心地よい。日本出身のサーヴァント達は畳の部屋に布団を敷く者も居るそうだが、道満はこのベッドなるものが気に入っていた。
 サーヴァントは食事や睡眠を必要としない。だから道満を始めとしたカルデアのサーヴァントに寝具など必要ないのだが、マスターである藤丸を筆頭とする生身の人間達はサーヴァントにも休息を取らせようと、律儀に各人に寝具を用意してくれている。食事の時間になると食堂には多くのサーヴァントが集い、人間と同じ様に食べているのだから、このカルデアという場所は面白い。
「ンン……面白いというのは本音ですが、こき使い過ぎですねぇ……」
「それを許しているのはおまえだろう?」
「?!」
 ごろりと仰向けになった道満が誰にともなく呟くと、突然部屋の隅から知った声が聞こえ、彼は慌てて飛び起きる。何の気配も感じず、また魔力も感知出来なかったというのに、視線の先で涼しい顔をしてしれっと椅子に座っていたのは、心の底から憎い相手である晴明だった。頬肘をつき、足を組んでこちらを眺めている晴明には気配遮断のスキルは無かった様な気がするのだが、それにしても部屋に戻ってベッドに倒れ込んでいる数分の間に全く気付けなかったのは不覚としか言いようがない。道満は嫌悪の色を隠さず、しかしベッドから下りようともせずに晴明を睨み付けた。
「余程疲れているのだな、おまえが私に気が付かないとは思いもしなかったが」
「拙僧もあなたの気配を悟れなかったのは自害ものの不覚でございますれば、座に還ってよろしいか」
「よろしいものかよ、落ち着きなさい」
 珍しい姿を見たかの様な声音で言った晴明に、道満は早口で不服を述べつつその大きな手で印を組もうとしたが、制止した晴明が僅かに眉間に皺を寄せた事が少し意外で動きが止まる。確かに道満の自傷ともとれる怪我に対し、晴明に限らず藤丸や医神などの治療系サーヴァント達も良い顔をしないが、それは戦闘時の事だ。生前も呪詛を含めた術比べの際に負った怪我にも無茶をする、と顔を顰めた事があったが、私的な時間、空間でもそうだとは思っていなかった。
 そもそも、今の道満は生前の道満ではなく、複数の神を取り込み融合した存在だ。だから晴明は「道満」というよりは「リンボ」と認識している様で、藤丸が「道満」と呼んでいるから倣っているだけに過ぎない。少なくとも道満はそう解釈している。そのリンボが座に還ったところで晴明は特に何の感慨も無いと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。
「素材がいつでも枯渇しているから道満の助力は助かるが、疲労の具合が分かりづらいのでつい使役しすぎてしまうとマスターが反省していた。生身の人間ならまだしも、サーヴァントである以上は覚悟の上で結ばれた縁を辿って召喚されるのだから気にする事は無いと言っておいたけれど」
 そんな晴明はやおら立ち上がり、ゆったりとした歩幅でベッドに歩み寄ってくる。何か良くない予感がしたが、しかし逃げるのも癪であるし、かと言って居住まいを正すのも来訪を歓迎した様な感じになってしまうので、そのままの体勢で不満の声を上げた。
「それ、あなたではなく拙僧が言うべきでは?」
「おまえが言わなかったから私が言ったのだよ。大体、おまえはそう言われたマスターの後ろめたそうな顔を見たら悦ぶだろうに」
「ンンン、想像するだけで昂ぶってまいります。その後にサーヴァントを使い潰す心地は如何なものかと尋ねたら、もっと善い顔をしてくださりましょうなぁ」
「そうだろうなと思ったから私が言った」
「この性悪」
「お褒めの言葉を有難う」
 せめて嫌味の一つや二つでも言ってやろうと思ったのに、晴明は涼しい顔で受け流す。何もかも気に食わない男め、と思った道満は、疲れているのは事実であるので無視して休息した方が良い様な気がしてきて、これみよがしに大きな溜息を吐いて再び横になって晴明に背を向けた。
「はいはい、あなたを褒めてさしあげましたのでもう良いでしょう。ここで呑気にしていたあなたと違って、拙僧はマスターのお役に立ってきましたので疲れておりまする。さっさとお帰りくだされ」
「疲れているだろうから魔力供給をしてあげようと思って来たんだ、私って優しいなあ」
「心底いらぬから帰れ」
 どうやら晴明は道満の魔力が枯渇気味であると察し、彼が自室に戻ってくるより先にこの部屋に侵入したらしい。各人の部屋は申し出があれば不在の際は施錠が出来る仕組みになっており、道満も猫を被っていた最初の内は施錠など必要無いと言っていたが、藤丸との絆が上がるにつれて図々しくなっていった、というより本性が出始めたので、今では施錠出来る様に変更されている。勿論、今日だって施錠して出た。だから晴明がこの部屋に居たという事はその施錠を術で解除したという事であるし、律儀に内側から再度施錠して道満に怪しまれない様にしたのだ。
 施錠解除の術の僅かな痕跡も気付けなかった自分が腹立たしく、苛立った声で道満が背を向けたまま拒絶すると、晴明はふむ、と逡巡した後に道満の肩を思い切り引いて仰向けにした。晴明は道満よりも小柄であるが、力の入れ方によっては道満の巨体も容易に転がす事が出来る。不意に視界が回転し、見たくもない顔が映ったものだから怒声を発しようとした道満のその口は、しかし発声する前に塞がれた。
「ン、―――」
 塞がれた瞬間に何をされたのかは理解出来たし、力任せに抵抗してやろうとした道満は、無理やりこじ開けられた口から遠慮も容赦も無く注ぎ込まれてくる生温い唾液に身動きを封じられた。正確に言えばその唾液に含まれる濃度の濃い魔力にサーヴァントとしての本能が働き、逃げる事が出来なかった。
 生前であれば、他人の唾液など汚らしいものであり口吸いも気持ちが悪くて忌み嫌っていたが、サーヴァントとなった今は魔力供給手段の一つが経口であるせいか、記憶にある程の嫌悪感が無い。当時感じていた絡みついてくる舌のおぞましさが、今は微弱な快感を伴っている事がどうにも腹立たしい。口いっぱいに注がれた体液が蜜の様に思えるのは、適度な魔力を晴明が籠めてくれているからだ。カルデアから供給される魔力とは全く違った、濃厚な味。これは以前、食堂で供された甘味にも似ている。
 だが、ひどく甘やかな味と魔力で満たされていく快楽とは裏腹に背筋にうそ寒いものも同時に感じており、道満は力を振り絞って顔を背けた。ちゅぱっ、という何とも淫猥な音と共に離れた唇を彩る笹色紅が濡れて紅く変色しており、その色は晴明の唇も彩っていた。
「知って、おるだろう、儂が口吸いを嫌っているのは」
「知っている。舌が気持ち悪いし、私が相手だと魂まで吸われて飲まれそうだから――だっけ?」
 やや息を上げながら上目遣いで睨んだ道満に、晴明は自分の唇を親指で拭い、指の腹に付着した紅をちろりと舐め取りながら答える。晴明の言う通り、この男に口を吸われると体の中身ごと吸われてしまいそうで何とも薄気味悪いから嫌いだった。先程感じたうそ寒さも、同じ理由で拒絶をしたのだ。

 そう、晴明であれば、京の都随一の実力を誇った最優の陰陽師である晴明であるならば。
 このカルデアに召喚された「蘆屋道満」を形成するものを無に帰そうとする事など、造作も無いであろう。

「今なら、おまえの中の神も怨霊も吸い出して食らってしまえるかもしれないね?」

 
「――ン、ンン――ンンンンン!!」
「!!」
 ひどく整った顔をした美丈夫が、まるで好物の甘味を目の前にした様にうっすらと笑って見せた。それに対し、体の奥底から湧き上がってきた氷の様な恐怖と炎の様な怒り。それらが綯い交ぜになり、弾けた瞬間、道満は衝動的に己の頭を思い切りよく晴明の顔にぶつけていた。ゴッ、という鈍くも凄まじい音が室内に響き、一瞬の静寂が訪れる。次の瞬間、道満の顔にはぼたぼたと鉄臭い液体が零れ落ちてきた。頭突きを避けられず顔面に直撃を受けた晴明は、顔の下半分を手で押さえ痛みに顔を歪めている。鼻骨が折れたかどうかなど道満の知った事ではなく、落ちてくる血液が掠めた口の端を舐め、意趣返しに笑う。
「ああ、どうもすみませぬ。生前は育ちの悪い田舎者でございましたからなあ」
「お、まえ、ずいぶん、石頭、だね」
「おやおや、男前が台無しですなあ。しかし流石は晴明殿、血は唾液より魔力が濃い。これでまた拙僧はマスターのお役に立てそうですぞ」
「私は暫く、休暇を貰わないと、いけないかな」
「ン、フフ。それはそれは、結構な事で」
 晴明クラスの魔力の持ち主であれば、この程度の怪我などすぐに治せてしまうだろう。そうでなくとも、腕の良い医神も居れば看護師も居る。一日も経ずに治る筈だ。互いに冗談を言う口元は笑っていても、目は笑っていない。このひりついた空気、緊張、そして見え隠れする殺気にも似た闘争心が何より極上の味を齎してくれると、その時の二人は思っていた。