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お見通し

 京の冬は寒い。風が凪いでいる日はまだ良いが、寒風が吹く日であれば一層寒い。日中は太陽が顔を覗かせている事に感謝の念を抱き、日が沈んだ夜は太陽の偉大さを改めて感じる。火桶に手をかざし、かじかむ指先を丁寧に揉みながら、晴明は静かな夜のひと時を過ごしていた。
 陰陽道の祭祀というのは夜間から未明にかけて行われる。故に冬場の祭祀は身が凍る様な中で行われ、形代を川に流す時など本当に寒い。最近は貴族相手の祓も多くなっているので屋敷の庭で祭祀を行っても差し支えなくなってきているが、火を焚べて煌々と灯りを照らしていても風邪をひきそうにはなる。官人である自分でさえそんな有様なのだから、民間陰陽師として生計を立てているあの男もこの寒さは堪えよう。晴明はそんな事を思いつつ、目を閉じ屋敷の外の気配を探った。
 今宵は何の用事も無い、たまには星読みを二人でしないかと昼間に道満を誘ってみたものの、返事は行くとも行かないともはっきりせず、曖昧に流されただけだった。何か予定があったのか、それとも単に人前であるが故に断りづらかったのか、読心術が使える訳ではないので晴明も分からない。先の日蝕の事もある、計算は合っていたから次の月蝕の事でも語らおうと言ったので、気に障る様な事は言っていない筈だ。冬の夜は長く、同じ様に晴明の気も長いので、来訪を待つのは苦にならない。来たなら歓迎するし、来なくとも責める気は無い。
 そんな晴明が探る気配の中に、活発に動くものが複数。一つはヒトのものであると分かるが、後の四つか五つはあやかしのものだ。悪鬼の相手は僧兵か検非違使がするものであり、陰陽師がやるものではなく、晴明が時折それらを請け負うのは単に「出来るから」であって、他の陰陽師がおいそれと出来る芸当ではない。だが、この気配を纏うヒトは間違いなく出来てしまうだろう。何せ、牛を素手で引き裂いてしまえる程の腕力の持ち主であるので。
 呪詛や悪霊といった、実体のないものを相手にする場合は術が必要であろう。霞は手で払う事が出来たとしても、晴らす事は出来ないからだ。だが、悪鬼は実体がある。ならば、それらを捻じ伏せる事などあの男には――道満には造作もない事だと晴明は評価している。勿論、物理で捻じ伏せる事が、だ。中々の観物かもしれないと思った晴明は、気配だけではなく光景まで視る事にした。
 鬼の懐に踏み込み、瞬時に急所を判断してそこに肘を打ち込む。人間と違い鬼の肉体は硬いから、拳であれば道満であっても骨が砕けてしまう可能性がある。一時的に肉体を強化する様な術を使っているらしい道満は、あの動きにくそうな上着を軽やかに翻しながら振り下ろされる腕や襲いかかる爪を避け、力を流し、そして確実に急所を肘や膝で打ち付けていた。術比べであれば晴明も自信があるが、組み手となると全く敵わないだろう。
 あの悪鬼をけしかけたのは断じて晴明ではないが、よりによって邸宅に来る道中で襲われたのであれば道満だって良い気はしないだろう。実際、全ての悪鬼を調伏した道満は忌々しそうな表情を浮かべながら、上がった息を整えている。白い息が彼の口元を妖しげに彩り、汗をかいたのだろう首筋を掌で拭っている道満は、晴明の邸宅の方角を見て何か思案していた。悪鬼を調伏したのだから、身を清めた方が良いと思ったのかもしれない。
「とんだ災難だったね。気にせずそのままおいで」
「……高みの見物とは、良いご身分ですなあ」
「助けなくても大丈夫そうだったからだよ。汗が冷えてしまう、早く来ると良い。湯を用意させておこう」
「………」
 踵を返されたくはなかったので人形を飛ばし、話しかけると、道満は邸宅に居る晴明を人形越しに睨む。その眼力は並の者であれば恐れてしまうものであるが、晴明には特に怖いものに感じられない。昔から変わらない黒曜石の様な瞳は、晴明のお気に入りの一つだった。
 だが急かした晴明とは裏腹に、道満はどこか気が乗らない様な、気まずそうな顔をしている。はて、と思っていると、道満は白い溜息をほうっ、と吐いて袂に手を入れ、何か包みを取り出した。
「ンン……、やはり潰れてしまいましたねえ。あれだけ暴れたので当然なのですが」
「何? それ」
「椿餅です。先日呪詛返しを請け負った貴族の方から、本日謝礼と共にいただきまして……ン、フフ、この潰れた餅をあなたに食させるのも一興ですなあ。腹に入れば同じですしな」
 竹の皮に包まれているのはどうやら椿餅であるらしく、確かにあれだけの立ち回りをしていたら潰れるのも無理はないだろう。懐に入れていたら落としていたかもしれない。思い起こしてみれば、わざと袂をぶつけていた様な気もしなくもない。晴明は呆れるやら苦笑するやら忙しかったが、背後に居た式に湯の用意を命じながら人形を通して道満に言った。

「その椿餅を食べながら、星読みをしようじゃないか。待っているよ」



 あの時、晴明は確かに待っていると言った。気の長い男だという事も知っていたし、数刻遅れても爽やかな嫌味を言うだけで特に咎める事も無かった晴明が、まさか千年も「蘆屋道満」を待ち続けていたとは思わず、彼は真一文字に口を噤む。そんな道満の手には赤い弓兵に頼んで拵えてもらった椿餅が盛られた皿が一つと、視線の先には紫式部と何事かを話している晴明が居る。
 旧暦一月十一日、当世であれば二月二十一日。このカルデアのデータベースを閲覧して知った、晴明の誕生日とかいう日。あの夜に椿餅を持って行ったのは、誓って本当に単なる偶然だった。そもそも当時には当世の様な風習も無かったものだから、平安の頃の道満がそんな考えに至る事は無い。しかし、幾多もの奇跡の様な偶然が重なった結果、あの日に椿餅を持参してしまったし、アルターエゴの霊基なので蘆屋道満その人とは言えないが千年の時を経て再会してしまった今、腹立たしいがまた持参してやらねばなるまいと道満は考えたから手に皿を持っている。悩みに悩んだ末、夜になってしまったが。
「――晴明殿」
 腹の底からの憎しみを抑えながら声に出した名前に、晴明が反応して振り返る。意外そうな表情の紫式部とは対照的に、晴明は道満と椿餅を視界に認めると、満面の笑みを浮かべた。道満が最も嫌う、いけすかない笑みを。

「やあ道満、待ちくたびれたよ。その椿餅を食べながら星読みをしようじゃないか」