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猫とまたたび

 仕事の休憩中にスマホで見た天気予報では休日に雨が降りそうであったから、定時で上がれずくたびれた体を奮い立たせて帰宅途中でスーパーに寄り、切らしそうであったトイレットペーパーを食材と共に買った。適当にカゴに入れた食材で何を作るかを考えるのも楽しいもので、明日の弁当のおかずにもなりそうなものも何か作りたい。そうだ、魚肉ソーセージを買ったから卵と炒めて、残ったら弁当に薄くケチャップで和えたものを入れよう。独り暮らしであれば魚肉ソーセージと卵を炒めたものは立派なメインになるし、ごはんに味噌汁、実家から送って貰った漬け物があればそれで十分夕食になる。たったそれだけで帰宅の足取りが軽やかになるのだから安い人間だと自覚している。
 酒でも買えば良かったかな、でもトイレットペーパーが重たいしな、などと思いながら自宅アパートの近くまでくると、側の公園からお供がついてきた。どこに住み着いているのかは知らないが、たまについてきては食料をねだる黒猫だ。仕方ないなあ、魚肉ソーセージをお裾分けしてやるか。元から猫が嫌いではないから追い払いもせず、アパートの階段を上った。
「あー、おかえりー」
 アパートの階段を上りきり、さあ鞄から鍵を出そうとスーパーの買い物袋とトイレットペーパーを片手で持とうとした時、自宅の扉の前でパーカーのフードを頭から被り、スマホを片手に座り込んでいる男から声を掛けられた。手にぶら下げている小さなビニール袋の中身は、袋が不透明でよく見えないけど、缶らしきものが入っている。
「ごはん?」
「と、風呂と、寝床」
「全部じゃん」
 目的を尋ねると盛ってきた彼は人好きする様な笑みを浮かべてまあねと言い、足元に擦り寄ってきた猫を小脇に抱え、鍵を開けた玄関から滑り込んできた。帰ってくるのを何時間待っていたのか、鼻の頭が赤かった。
 食事の支度をしている間、彼は勝手に家の中を物色して雑巾を探し出し、猫の脚を拭いてくれた。野良猫なので汚れは否めず、次の資源ゴミの日に出そうと思っていた一括りにされた通販会社の畳んだ段ボールを一枚取り出し組み立て、よれよれになったバスタオルを底に敷いてそこで待ってるんだぞー、なんて言ってくれたのは正直有難い。着替えてから味噌汁を作ろうとして鍋に張った水が沸騰した頃には、持っていたビニール袋を冷蔵庫に入れ、中に入っていた弁当の彩り用のプチトマトをさも当然の様にパックの中から一つ出して口に放り込んだ彼の背が脱衣場に消えて行くのを見た。
 そして冷蔵庫の野菜室で萎びかけているじゃがいもと乾燥ワカメの味噌汁が出来上がる頃に出てきた彼の入浴は、間違いなく烏の行水だと思う。帰宅してすぐだからシャワーで済ませた筈だけど、それにしたって出てくるのが早い。炊飯器に入っている量だけでは足りそうにないので冷凍庫に入れていた一膳分の白米をレンジで温め、釜の中で混ぜていると、猫と戯れているのか楽しそうな声がリビング――と言っても単身用アパートなのでリビングにベッドがあるのだが、聞こえてきた。
「ねー、配膳してー」
「えー」
「えーじゃない」
「にゃー」
「にゃーでもない」
 卵を溶きながら配膳を頼むと、案の定乗り気ではない声が聞こえてきたけど、こっちだって炒め物をしているのだから少しは手伝ってほしい。渋々足元にお供の猫を連れて茶碗に飯をよそった彼は、フライパンの中で香ばしく焼ける魚肉ソーセージに顔を明るくして足取りも軽く茶碗と味噌汁の椀が乗った盆を持って行った。引っ越してきた当初は盆なんて無かったが、ふらりと彼が来ては食事をしていくものだから食器を一度に運ぶのが大変なので、百均で買ってきた。
 味噌汁に入れた余りの小口ネギが入った卵は、魚肉ソーセージの彩りをカラフルにする。釜に少しだけ残して貰っていた飯に、冷蔵庫から出した封が切られた小分けパックの鰹節を混ぜて卵のパックに入れ、小口に切った魚肉ソーセージも二つ程入れてやる。猫には中々豪華な飯なのではないかと思う。こたつの上に先に置かれた二人分の白米と味噌汁の前にメインを置くと、彼は歓声を上げた。
「食って良い?」
「いただきますして」
「いただきまーす!」
 郵便受けに入れられた宅配ピザのチラシを床に敷き、卵のパックと小皿に入れた水を置いてやると、猫はすんすんと匂いを嗅いでから見上げてきて、嬉しそうな声を上げてから食べ始めた。鰹節が効いたらしい。それを見届けてやっとこたつに入れば、先に食べていた彼は冷蔵庫から取り出していたらしい缶を勧めてきた。
「すっげー、プレモルだ」
「今日の泊まり代! 半分飲んで良いよ」
「半分かー」
「半分だよ」
 彼が勧めてきたのは500ミリリットルの缶ビールで、既に自分の取り分はコップに注がれているのかと思いきや、まだ未開栓だった。宿泊代金にしては安すぎるけれども、酒でも買って帰れば良かったと思っていただけに、一口目をくれるのは嬉しい。こたつの端に置かれたままのペットボトルの緑茶を注ぐ前のコップに半分よりちょっと少なめにビールを注ぎ、残りは返した。
 一人と猫一匹、ちょっと残して弁当のおかずにするだけなら魚肉ソーセージは二本で良いかな、あと一本はいつか小腹が空いたら夜食にでもしようなんて呑気に考えていたのに、結局三束セット183円はこの一晩で消えた。だけど二ヶ月ぶりに姿を見せた彼がちょっと焦げ目のついた魚肉ソーセージをフライパンの中に見た時、まるでそこで夢中で飯にがっついている猫がまたたびの匂いを嗅いだかの様な――否、またたびに酔った猫なんて見た事無いんだけど、多分そんな感じなんじゃないかなって思う様な甘えた声を喉の奥から出したものだから、まあ別に良いかと苦笑を漏らしつつ、椀の底に残った味噌汁のじゃがいもを食べた。