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電車の速さで募る想い

 いつもなら帰ってご飯作るの面倒臭いな、今日もコンビニ弁当で良いか……なんてうんざりしながらお気に入りの星空のネイルを眺めて考えてる残業帰りの22時を回った電車の中、極力冷静を装い、なるべく動かない様に座っている。隣には疲れているのだろう、ショートボブの女性が静かな寝息を立てて眠っている。
 知らない人、ではない。高校時代の元同級生で、3年に進級する直前で妊娠が発覚して退学した子だ。本当に偶然、実に17年ぶりにばったりとこの車内で再会して、残業の疲れなんてどこへやら、内心ものすごく浮かれてお互いの近況報告をした。
 嬉しかったのは、車内に乗り込んできたみどり――あ、この子の名前ね。みどりが、私を覚えてくれていた事。私がひょっとしてみどりでは、とスマホを見ている彼女をじっと見ていると視線に気がついたのか顔を上げ、数秒見つめ合った後に、首を傾げた。

『ひょっとして、美華ちゃん?』

 やっぱりみどりだ、と逸る気持ちを抑えて座る彼女の前に行き、つり革を持ったまま話し始めた私を見上げたみどりは、学生時代のままなんじゃないかと思うくらい、実年齢より若く見えた。少なくとも、日々の仕事に追われて肌の手入れが十分に出来ていない私よりも肌が綺麗に見えた。そう言うと、美華ちゃんはスタイル良いし服もネイルも自分が似合うもの分かってるから良いじゃない、と私の爪を見ながら言った。
 町並みを縫って走る電車の中で、私達は随分話し込んだ。退学の原因になった妊娠は親の知り合いの作家との不貞行為だったというのは知っていたけれど、長らく不妊で苦しんでいた奥さんが自分の子として育てたいと頭を下げてきたなんて、初めて知った。みどりの両親は自分の娘を妊娠させた上に子供を奪おうとするのかと、それはもう大激怒だったらしく、妊娠発覚後は面会謝絶にしたそうだ。それはそうだろうと、私だって思う。
 でもその後、何度も話し合いの場を設けて(話を聞こうとした辺り、みどりの両親えらいと思う)、最終的には作家夫婦が子供を引き取って養育し、みどりが復学する際の教育費も全て引き受ける事、みどりが望めばいつでも子供と会える様にする事を条件に折れたらしい。夜間だけど高校も卒業したし、大学だって行ったんだよ、と嬉しそうに話すみどりに、そうなんだ、と何事も無い様に聞いていた私は、何も知らなかった自分に愕然としていた。
 仲がそんなに良かった訳でもなく、みどりが退学して初めて携帯の番号もメアドも知らなかった事に気がついたくらいで、本当に私達は単なる顔見知りのクラスメイトだった。だけど私は休み時間に自分の席で本を読んでいるみどりの横顔がすごく好きだったし、月2回の放課後校内ラジオ、学校行事での進行役、文化祭での朗読で校内放送として流れてくる放送部だった彼女の涼やかな声を心の底から楽しみにしていた。一緒に3年に進級出来なかったみどりの席が無くなったのが無性に悲しくて、でも他の友達も誰もみどりの連絡先を知らなくて、学校に聞いても個人情報だからって教えてもらえなかった。
 先生と連絡取れない様にって親が携帯解約しちゃったから、誰とも連絡出来なくなって困っちゃった。そう眉根を下げながら話すみどりの横が空席になったから座った私は、彼女の左手の薬指に指輪がある事に漸く気がついた。聞けば、奥さんが去年亡くなって、正式に結婚したそうだ。だけど、息子が高校を卒業したら一緒に住むという約束をみどりの両親含めた全員でして、今でもみどりは月に何度かその家に行くらしい。今日はたまたまその帰りで、私もたまたま残業で、ばったり再会したという事になる。
 奥さんが死んだ時、息子も物凄く泣いたけど、踏ん張って第一志望校に合格したんだよ。嬉しそうに話すみどりが少し眠たそうで、そっかそっかと頷いた後、降りる駅を聞いた。終点手前のT駅、と答えたみどりに、私終点だし起こすから寝て良いよ、と私が言うと、みどりはありがとね、とすまなさそうに小さく笑って本当に寝た。久しぶりに会った息子と積もる話があったのかもしれない。
 降りる駅が終点なんて、嘘だ。本当の最寄り駅はT駅の2つ前で、いくら電車の本数がそれなりに多い沿線とは言っても、終点まで行けば引き返すのは時間がかかる。だけど、私はみどりより先に降りたくなかった。学生の頃、言い出せないまま終わった恋とも呼べない様な淡い想いの残滓を、まだ未練がましく掴んでいたい。本の著者近影でしか見た事が無いみどりの夫となった男が、人生で一番憎らしく思えた日だった。