デコレーションケーキ

 テーブルの上に置かれた、純白のクリームで飾られているケーキに視線が釘付けになっているシャルロットとケヴィンを見て、アンジェラは随分と機嫌が良かった。自国の食べ物がこんなにキラキラした目で見られているのは気分が良いし、嬉しいものだ。旅立った当時のエルランドはゆっくりする暇が無く、また助けてもらった母子の家で過ごしたので、こんな風に宿屋の食堂でケーキを切り分けるのは新鮮だった。
「ケーキなんて食うの久々だな。俺達は有難いけど、良いのか?」
「そっちの子へのお詫びだから良いのよ。まあ、あんたにも悪いと思ってるし……」
「あれはお前のせいじゃないだろ。でも、甘いモンは嬉しいな」
 生クリームが美しくナッペされた純白の大地に咲き誇る、薄紅色の薔薇を潰してしまわない様に切り分けるアンジェラは、何の気遣いも混ざっていないデュランの本心の言葉に何となく口元が綻ぶのを感じる。アルテナがフォルセナ城に攻め込んだ事は記憶に新しく、その事について一度帰郷したエルランドでばったり遭遇したデュランに引け目を感じていたのだが、お前のせいではないと言ってもらえたのは嬉しかった。
「オイラも、別にあの時の事、怒ってないぞ?」
「そうかもしれないけど。痛い思いさせたのは変わりないじゃない?」
「叩くと、手、痛くなる。アンジェラもあの時、手、痛かったはず。だから、おあいこ!」
「……ありがと」
 テーブルに両手をつき、その上に顎を乗せてサーブされていくケーキを見ながら言ったケヴィンに、アンジェラは面映ゆくなって短い礼を言うのがやっとだった。気遣われず、純粋な思いを表面に出す二人に好感が持てたし、そんな二人と旅が出来ているシャルロットが羨ましかった。
 滝の洞窟の結界が何故か解かれ、ウェンデルへと向かった後にジャドを脱出する船に乗りそびれたアンジェラは、その後暫く留まっていたが、獣人が引き上げた事によって定期船が出港出来る様になったので、心細くはあったが一人で各地を放浪していた。精霊を仲間に出来れば魔法も使える様になるらしかったのでその方法を探ろうとしていたのだ。ただ、生憎とこのケヴィンがフェアリーに選ばれ、精霊を次々と仲間にしている様であったから、自国に戻ってウンディーネの力でも借りてみようとエルランドに行く船に乗り込んだ。しかし厚い氷に閉ざされようとしている港に船が立ち往生し、沖合で停泊していたのだが、ある日突然その氷は船が通れる程度に切り開かれており、無事着岸出来た。そしてエルランドで支度をし、氷壁の迷宮へ向かう零下の雪原で、ウンディーネを仲間にしてエルランドに帰る途中のケヴィン達とばったり出会ったという訳だ。
 ケヴィンがジャドで平手打ちをお見舞いしてしまった相手だと気付いたアンジェラがあんたあの時の、と言うと、事情を聞いたデュランが自信たっぷりにこいつにはそんな色気は無いと言い、シャルロットも重々しく無言で頷いた。当の本人は何が何だか分かっていない様であったし、そんな反応を見れば確かに自分の勘違いであったのだろうと反省したアンジェラは、エルランドでケーキをごちそうする事にした。食事ではなくケーキにしたのは、ケヴィン達がポトやマーマポト、サハギンを解体した肉を持っていたからだった。
「そっちの子がシャルロットなら、シャルロットにすれば良かったかもしれないわね」
「じゃあ、つぎのおたのしみにするでち!」
「二回も奢るの?! ま、まあ良いけど」
「すまねえ……こいつら食いモンに対してほんとに遠慮がねえんだ……」
 ビスキュイで周囲を囲んだババロアケーキは、アルテナ城でも時折供された。アンジェラにとって母が一度だけ同席してくれたティータイムで食べたので、特別な時に食べるものと決めている。そのケーキと同じ名のシャルロットが得意げに次回の約束まで取り付けてしまった。申し訳ないというより困った様に眉根を下げたデュランに、保護者は大変ね、などと年下の相手を殆どした事が無いアンジェラは何となく同情した。
「この白いの、牛乳みたいな匂いがするな?」
「あー、生クリームは牛乳から作るんだよ。フォルセナだと水牛の乳から作るんだけど」
「アルテナには水牛なんて居ないし、牛乳から作るクリームも結構貴重品なのよ。有難く食べなさいよね」
 全員にケーキをサーブしたアンジェラが着席すると、物珍しげに匂いを嗅いだケヴィンの頭をケーキから少し遠ざけながらデュランが答える。寒冷地には生息していない水牛の乳は脂肪分が多く、濃厚なクリームが製造出来るのだが、生憎とアルテナには生息していない。その代わり山羊は多く飼育されており、チーズは盛んに生産されていた。
「アンジェラ、食っても、良い?」
「どうぞ、召し上がれ」
「やった!」
 ケーキが初めてという訳でもないでしょうに、と思いつつも、自分の承諾を聞いて嬉しそうにフォークをスポンジに刺したケヴィンを見ていたアンジェラは、ふとデュランとシャルロットがフォークを動かしながらも同じ様に彼を見ている事に気が付いた。そして、一口食べたケヴィンが破顔したのを見るや、頬を緩ませたので驚いてしまった。それと同時に、何故二人がケヴィンを見ていたのかも分かった。
「うまい! アンジェラ、これ、うまいな!」
「えっ? あ、え、ええ、そうでしょ? スポンジの間に挟まってるの、ヤギ乳のチーズなのよ」
「へぇー! オイラ、チーズって飯で食うだけかと思ってた!」
 あっさりとした生クリームとは対象的に、味のアクセントとしてサンドされているゴートチーズは蜂蜜が練り込まれており、独特の風味だが少量であるので気にならない。スポンジも軽めに仕上がっているし、卵黄の色の温かみが生クリームの白さを引き立てている。エルランドの菓子職人は他国の人間と接する機会が多いので、旅人の口を満足させる菓子を作る者ばかりであるから、アンジェラの口にも程よい甘さとコクが広がって幸福な気持ちにさせてくれた。
 だがそれ以上に、目尻を下げ口いっぱいにケーキを頬張っているケヴィンを見ていると感じる美味が普段より一割は増している気がして、だからデュランとシャルロットは一口目を口に入れるケヴィンを見ていたのだと妙な納得をしてしまった。なるほどね、とサモワールから注いだ濃い紅茶を胴部の湯で薄めて飲みながら感心していたアンジェラは、しかしもう食べ終わったケヴィンがおもむろに隣に座るシャルロットの頬を舐めたので思わず吹きかけた。
「ひゃっ?! んもー、ケヴィンしゃん、ほっぺたにクリームついてたなら、なめるんじゃなくてふいてほしいでち!」
「あぅ、だってもったいなかった……」
「もったいなくてもケヴィンしゃんはおイヌじゃないんでちから、ふくことをおぼえなしゃい!」
「うぅ……ハイ……」
 どうやらケヴィンはシャルロットの頬に付いた生クリームが勿体なくて舐めた様なのだが、それにしてもごく自然に何の恥じらいもない動作であったし、シャルロットも照れからくる怒りではなく純粋に行儀作法を叱っている。無知、ではなく、ケヴィンに何の下心も無い事を理解した上で躾けていると分かるだけに、自分の動揺が何だか場違いの様で、アンジェラは戸惑いの色を隠せなかった。
「悪ぃな、こいつらいつもこうなんだ」
「そ、そう……あんたも大変ね……」
「もう慣れたよ」
 こちらも皿を空にしたデュランが薄めにした紅茶で口の甘さを濯ぎ、呆れ顔で教えてくれたのだが、口角は緩く上がっているし優しい眼差しで二人を見ている。フェアリーに選ばれたのはケヴィンと聞いたがきっと引率はこの男なのだろうと理解したアンジェラは、仲が良さそうな三人が心底羨ましかったけれども、選ばれたのがこの三人で良かった、と思っていた。