牽制か、それとも

 安心する温もりとにおいの中、心地よい微睡みを堪能していたジェレミアは、すぐ側で何かが動く気配に気が付いて意識を覚醒させた。視界に入ってきたのはソファのしたで丸まっているケルベロスで、どうやら体勢を変えたらしい。ソファで転寝をしてしまった自分の側にひっそりと侍ってくれていたそのケルベロスは主人が起きた事に気が付いて顔を上げると、尻尾をぽたぽたと振った。
「お……っと、」
 寝てしまった、と体を起こしたジェレミアは、ずり落ちそうになった何かを咄嗟に掴む。見覚えのあるそれはファーの付いた橙色の外套で、毛布代わりに掛けられていた様だ。なるほど、だからぐっすり寝られた訳だと妙な納得をした彼女は、しかしこの外套の持ち主が今は何も羽織っていないのではないかと眉根を寄せてから仕方ない奴め、と独り言ちた。
「カール、来い、こいつを届けに行こう」
 ソファに凭れていた時は床に足をつけていたし、ブーツも履いていた筈なのだが、ご丁寧にもブーツは脱がされソファの足元に揃えて置かれてあり、足もソファに上げられていた。全くもって至れり尽くせりの扱いに、しかし悪い気はせず自然と口角を上げ、ジェレミアはブーツを履いてから外套を羽織ると、主人の命を待っていたケルベロスに――カールに声を掛けて連れ立って歩き出した。
 純血の人間は自分しか存在しないこの城の中を、ジェレミアは何の引け目も恐れも無く背筋を伸ばし、一際大きな個体のケルベロスを従えて番となった男の外套を翻して颯爽と歩く。獣人の女と比べると体格は小さい彼女だが、堂々とした姿はそんな事を全く感じさせない。人間を毛嫌いしている獣人ではあるが強い者は素直に認める性質もあり、人間の女が自分達の王の組み手の相手を果敢にも務めている姿にある程度認めてもらえているらしい。勿論そうでない者も居るので、王は自身が側に居られない時の為に自らが躾けたケルベロスをジェレミアに与えたのだ。
「あらジェレミア、中々似合うわね」
「ん、ありがと。あいつは? 玉座?」
「ガウザー様ならテラスで城の改修の話をされてたわよ。マント羽織ってないと思ったら貴女が着てたのね」
「昼寝してた」
「あらま、ごちそうさま!」
 そんな颯爽と歩く彼女に声を掛けてきたのは普段から懇意にしてくれている女性で、外套の持ち主の居場所を教えてくれた。仕事の話をしている王が外套を羽織っていない事を不思議に思っていたが、転寝をしていたら掛けてくれたと暗に言うと口元をおさえて揶揄う様に笑い、納得した彼女に、ジェレミアも薄笑いで軽く手を振って別れた。
 カールに先導してもらい、テラスに行くと、教えてもらった通り探し人は森を見晴らせるそこに居た。城の図面であろう紙を持っている部下の手元を見ながら壁を指差している彼が真っ先に自分に気付き、ジェレミアは何となく嬉しくなる。
「外で仕事するなら風邪ひくぞ。返しに来た」
「お前もあんなところで寝るな、それこそ風邪をひく」
「誰かさんのせいで眠たかったからな」
「困ったものだな、その誰かさんも」
 話を中断させる事には抵抗があったが彼自身がこちらに顔を向けてくれたので話し掛けると、軽口を叩きながら薄い笑みを浮かべたものだから、ジェレミアも似た様な表情になる。昨夜の――と言ってもこの国はいつでも夜だが――睦事で睡眠不足になったのは事実であるからそれとなく意趣返しをしてやったというのに空惚けた彼に、ジェレミアは思わずこの野郎、と悪態を吐く。しかし項を擦りながら彼が自分をじっと見たので首を傾げると、彼はどこか満足そうな顔をした。
「いや、好いた女がオレのものを身に付けている姿も悪くないと思ってな」
「……そうかそうか、あたしも中々似合うだろう?」
「そうだな」
 そして言われた言葉に一瞬耳が熱くなったものの、満更でもなかったジェレミアが得意げに腕を組んで普段の彼の格好の真似をすると、彼は歩み寄ってきながら喉の奥で笑って肯定した。その遣り取りに、ジェレミアの代わりに彼の背後に居た配下達が明後日の方を見ながら赤面していて、彼女はそれにもちょっと笑ってしまう。民に慕われる王と言っても自分の前では単なる男になる彼に、ジェレミアは羽織っていた外套を外して渡した。
「ほら、返すから、しっかり王様業に精を出せ。あたしはカールと森で遊んでくる」
「そうか。カール、そいつと遊んでやってるついでに見回りもしておいてくれ。湖までで構わんから」
「ウォン!」
 ジェレミアから外套を受け取った彼は、澄ました顔で羽織りながら彼女の足元に行儀よく控えているカールに声を掛ける。人語をある程度解しているカールは心得た様に彼に返事をしたが、むくれたのはジェレミアだ。
「おい待て、何であたしじゃなくてカールに言うんだ? 遊んでやるって何だ遊んでやるって」
「言葉の通りだ、遊んでもらえ」
「この野郎……、後で覚えてろ、可愛い花山程使って花冠作って戴冠させてやる」
「大男に花冠か……ぞっとしねぇな……」
 月夜の森の中に花畑がある事はジェレミアも把握しており、カールを伴ってよくその花畑まで散歩に行くジェレミアは、今日こそそこで花冠を作って減らず口を叩くこの男に被せようと決意した。珍妙な顔をした彼の背後ではその姿を想像したらしい配下達が口元を押さえて笑いを堪えており、彼女は絶対あいつらにも見せてやると真顔で頷く。そして足元のカールの頭を一度撫でると、行くぞ、と促した。
「じゃあ良い子で土産を待ってろよ、お前が寂しくない様にマントににおいもつけてやったんだから」
「お前もカールの言う事よく聞いて迷子になるなよ」
「なったらお前が迎えに来てくれるんだろう?」
「なるほど、迷子になる気満々でマントににおいをつけた訳だな」
「この野郎、花輪も追加で作ってやる」
「お前はどれだけオレをファンシーにしたいんだ?」
 本当にこいつはああ言えばこう言うとむくれ、ジェレミアは大きな花輪も作って彼の首に掛けてやろうと再度決意する。それを受けて彼が今度こそ眉を顰めると耐えきれなくなったらしい配下達が吹き出し、彼が苦い顔で背後を見遣ったので、漸く溜飲を下げたジェレミアは踵を返して足取りも軽く花畑へと出発した。自分の身体からは、彼の残り香が漂っている様な気がしていた。