正しい傷の癒やし方

 ベルガーはナイトソウルズのペダンの軍人達と行動を共にとる様になってからというもの、半ば当たり前となってしまっている事がある。それは怪我人の手当てなのだが、別にベルガーがわざわざ手ずから手当てをしなくても、ナイトソウルズに構築されたヒーリングホームに頼ればある程度の傷の修復は出来るのだが、困った事にそのヒーリングホームに頼ろうとしない者が一人、この艇には乗っている。だからペダンの偵察隊を率いていたらしいユリエルが困った様にお願いしても良いですかと初めは頼みに来ていたのだが、その内ベルガーは何も言われなくてもその人物の手当てを自主的にする様になった。
 しかしその対象である人、獣人王である彼は、人間をそこまで疎んでいないと言っても必要以上の人間との関わりを避けているのか、ベルガーの申し出に対してあまり良い顔をしなかった。何でも、獣人というのは怪我をしても手当てらしい手当てを殆どしないのだと言う。だからベルガーの手当てに対してもそんなものしなくて良いといつも言った。しかしベルガーにとってみれば彼が負う怪我というのはきちんとした手当てが必要である程のもので、性格上見てしまった以上は手当てをせざるを得ない。その度彼は顰めっ面で余計なお世話だと言うのだ。
 ベルガーとしてみても、彼の性格はある程度分かったので感謝して貰いたいとは思わないのだが、こうも邪険に対応されると沈黙してしまう。 良かれと思って手当てをしているのに要らぬ世話だと言われたら、良い顔をする者もそう居ないだろう。それはベルガーでさえ例外ではない。
 だからいい加減しつこいと言われた次の日から、ベルガーは彼への手当てを一切やめた。嫌がっているのなら手当てをする必要も無いだろうし、する義理だって無い。ベルガーは神職者なので誰に対しても平等なので、特定の者に対して特別扱いをする事も無かった。彼だって良い年をした大人なのだから、自分が手当てをしなければ自主的にヒーリングホームを使うなり手当てを頼んでくるなりするだろう。そう思ってベルガーは普段通りに怪我だらけでナイトソウルズに戻ってきた彼を見ても、敢えて何も言わなかった。
 だが彼はベルガーが手当てをしなかった事について大した反応はしなかった。その代わり、適当に自分で包帯を巻いたり止血をしたり、そういう簡易的な処置だけ施していた。ベルガーにしてみればそれはちょっと、と思わせる様な処置であるが、しないよりマシだろう。他の者はベルガーが彼の手当てをしない事に不思議そうな顔をしていたものの、何も言わなかった。彼がいつもベルガーに対して悪態を吐いていた事を知っているからだ。あそこまで言えば流石にベルガーといえども呆れて手当てをしなくなったと思っているのだろう。
 それは半分正解であるが、半分違っている。ベルガーはもう少し、彼が自分を大切にして欲しいと思っている。怪我をすれば体の動きも鈍くなって注意力も散漫となるし、何より他の者達が心配する。それをもう少し自覚して欲しいと思っている。そして自主的に傷を癒すという事を知って欲しいのだ。
 だから敢えて何も言わなかったのだが、彼は相変わらずベルガーに対して治療を要請しないし、ヒーリングホームを殆ど使おうとしない。それどころか以前にまして派手な怪我を負う様になった。余程酷い怪我の時はヒーリングホームを使っている様だが、傷が完全に癒える前に戦場へ戻ってしまうらしく、結果的に大して変わらない。ベルガーは戦場で戦うよりも艇に残ってヒーリングホームの治癒能力を高める為に祈りを捧げているのでよく分からないのだが、キュカなどがそうぼやいていた。
 彼もベルガーも、一度そうと決めてしまえば意地になってしまう癖があるものだから、彼はベルガーに治療を要請しないしベルガーも言い出さない。意地の張り合いが無言で続き、以前から会話らしい会話を殆ど交わした事が無かった彼らは本当に話をしなくなった。
そんな折に、聖都へと一時的に戻ってきた時の事である。



「お父さーん」
 父親が居なくて淋しかったのだろう、笑顔でぱたぱたと駆け寄ってきたヒースを抱き留めると、ベルガーはそのまま抱き上げた。家に帰った時と同じ様な行動にヒースは満足してくれたのか、にこにこしている。
「ただいま、でもお父さんはまたすぐに出なくてはいけなくてね」
「そうなの……」
 申し訳なさそうにベルガーが言うと、ヒースはその笑顔を曇らせる。この顔を見る度にベルガーもすまない気持ちになるのだが、こればかりは仕方ないだろう。特に今回は世界の命運がかかっているのだから。
 だが、不意にヒースの袖から見えた包帯に気付いて、ベルガーは眉を顰めた。
「どうした? 怪我をしたのか?」
「あ、うん……」
 ヒースを降ろしてその袖を捲ると、無造作に包帯をくるくると巻いただけの、およそ手当てとは言い難い処置がとられたその部位に、ベルガーは渋い顔をして沈黙する。ヒースには怪我をした時の処置をきちんと教えている筈なのに、どうした事かと思ってしまった。その父親の表情に、ヒースは怒られると思ったのか、小さくごめんなさいと言った。
「怒ってない。でも、何できちんと手当てをしなかったか聞いて良いかい?」
 ベルガーが屈んでヒースと目線を同じ高さにしてから優しくそう尋ねると、ヒースは少しもじもじしながら恥ずかしそうに上目遣いで父を見る。これは、ヒースが何かねだる時の仕草と同じだ。はて、と思っていると、ヒースは小さな声で答えた。
「あのね……お父さんに手当てして欲しかったの……」
「………」
 ベルガーは最初、ヒースが何と答えたのかよく分からずぽかんとしてしまったのだが、やがて飲み込むと苦笑混じりにヒースの頭を撫でた。
「そうか、じゃあお父さんがきちんと薬を塗ってあげよう」
「……うん!」
 ベルガーの言葉にヒースは嬉しそうに頷くと、差し出してくれた手を握って歩き始めた。
 ヒースは聞き分けが良い子供ではあるが、殆ど家に居ない父親が恋しいのか、時折こういう甘え方をする。別に気を引こうとわざと怪我をしたりする訳ではないのだが、体の不調として表れたり不機嫌になったりして表現する。甘えて貰える内が華だな、とヒースの手を引きながら自宅へと戻りながら、ふとベルガーはその途中の木陰で誰かが何かをしているのが見えて立ち止まった。
「ねえお父さん、あの人、怪我してるの?」
「………」
 ベルガーが何を見ているのか気付いたヒースがその方向に目をやると、木陰の下で顰めっ面をしながら面倒臭そうに腕に包帯を自分で巻いている緑の髪の男性が居た。いつも羽織っている橙のマントは手当てに邪魔なのだろう、傍らに脱ぎ捨てている。その光景を見てベルガーは、ある一つの考えに至って、思わず吹き出してしまった。

 ――成る程、ヒースと同じな訳か。

 確かに彼は、いつも迷惑そうに不機嫌そうにベルガーの手当ての申し出を聞いていた。だが最終的には必ずそれを受け入れていた。ヒーリングホームに頼ればすぐにでも傷口が塞がるというのに、だ。どうもあれは彼なりに甘えていたつもりらしい。素直ではないから照れ隠しに悪態を吐いていたのだろう。もしくは、それを甘んじて受け入れてしまっている自分に気付きたくないから、せめてもの抵抗で上辺だけの拒絶をしていたかだ。
 最近ベルガーが手当てをしないものだから、彼の体の傷は増えていく一方であるし、彼も以前にまして無茶な闘い方をする。自分へのあてつけかと思っていたのだが、単なる八つ当たりであった様だ。
 ベルガーは苦笑しながら、面倒臭そうというよりも寧ろ拗ねた様な顔で腕に包帯を巻き終わった彼に、歩み寄りながら声を掛けた。
「獣人王殿、今からこの子の怪我の手当てをするんだが、良かったら君も来ないか。
 そんなぞんざいな手当てだと化膿して腐るぞ」
 そのベルガーの声に、彼は驚いた様に顔を上げたのだが、やがてばつが悪そうな顔をしてじっとりとベルガーを睨んだ。余計なお世話だ、と言い返さない辺り、やはり拗ねていたらしい。だが彼が何かを言う前に、ベルガーと手を繋いでいたヒースがその手を離し、急いで彼の方へと駆け寄って行った。
「そんな適当にしたら駄目だよ! お父さんのお薬、すっごく効くから、塗って貰おう?」
「………」
「ね?」
「…… ……よ…」
 ヒースが彼を覗き込みながらそう誘うと、彼はむくれて沈黙し、ぼそっと何かを呟いた。聞こえなかったヒースはそれに首を傾げたのだが、彼は誤魔化す様に乱暴に頭を掻くと、のそのそと立ち上がって傍らのマントを拾うと横目でベルガーを見る。何か言うと彼のプライドを傷付けるだろうと思ったベルガーは、苦笑したまま何も言わなかった。
 不貞腐れた様な顔をした彼の唇は、んな事ぁ知ってるよ、と確かに動いた事に、ベルガーはきちんと気付いていた。その事にベルガーは何となくではあるが満足もしたし、捻くれてはいるがそんな風に甘えて貰えるのもまた、光栄な事だと思った。甘えて貰える内が華だな、と、ベルガーはもう一度思い、彼の手を引いてきたヒースのもう片方の手を取ると、彼に微笑してから歩き始めた。