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価値観の相違

 チャードが彼を初めて見たのは、モールベアの高原でペダン軍に苦戦を強いられている時の事だった。当のペダン軍に属していたロジェ達と共に行動していたという彼は、リチャードが生まれて見る獣人だった。恐らくその場に居る殆どの者がそうであったに違いない。何しろ獣人というのはファ・ディールの世界では月夜の森でしか見る事が出来ないので、海を隔てたフォルセナではまず会う事など無いのだ。
 ロジェとは会話を交したが、彼とは言葉を交える時間など無かったのでゆっくりと自己紹介をする事も出来ず、獣人を統括する王である彼がどういう者であるのかを知りたかったリチャードは伺う事が出来なかった。だがユリエルが飛ばす指示をあまり聞かずに単独でMOBを連れて走り回っていた所を見ると、自分達人間と群れて行動を共にするよりもMOBを統制しながら敵を破っていく方が得意なのだろうと思った。珍しさが手伝って時折彼の姿を目で追い掛けた為にそういう事を考えたリチャードは一段落ついた後で彼と少し話したいと思っていたのだが、突如現れたクォン一族の赤竜にその思考は閉ざされてしまった。
「あれは……まさか竜帝がしゃしゃり出て来たのか?!」
「くそ……よりによってこんな時に!」
 いくら騎士の国と言えど頻繁に戦争などある訳でも無く、実戦を経験した者は少ない。王子であるリチャードは父であるフォルセナ王に代わって指揮を採る事もあったので多少の事では怯みはしないが、年若い兵や実戦経験の少ない兵は突如として姿を見せた竜の姿に体を震えあがらせてしまった。
 その場の兵士達に俄かに動揺が走り、そのどよめきはリチャードにまで伝わった。こういう時、実戦経験が無い者の恐れというのは感染しやすく、一気に周りの者達の表情が恐怖に変わってしまった。竜はリチャードにとってはまだそこまで怯えるものではなくとも、他の兵士達にとっては足が竦むものなのだろう。
「う……うわあああぁぁっ!」
そして耐えきれなくなったのか、一人の兵士が悲鳴を上げて逃げ出した。これにはリチャードもしくじったと思ったのだが既に遅く、少しでも竜に恐れた他の兵士も同じ様に逃げ出し始めてしまった。自分の国の兵士はこうも脆いか、とリチャードは内心苦々しく思ったのだが、追い掛けるよりも早く、最初に逃げ出した兵士の悲鳴が聞こえた。
「ぎゃああぁっ!」
「?!」
 その声と同時に逃げ出した兵士達の足が止まり、何だと思ったリチャードは、奥に見えた光景に目を疑った。そこには地面に崩れ落ちた自分の兵と、拳を握り締めた緑の髪の男が立ち塞がっていた。そして彼は地面に落としていた視線をゆっくりと兵士達に向けた。リチャードでさえも思わず立ち竦む程の冷たさだった。
「……ここから退く事は許さん。もし退けば俺が殺す」
 音を立てて握られた拳は、半分ヒトの形をしていなかった。これではどちらが敵か分からない。彼の冷たく鋭い目が、しかし光輝く様な黄金であった事にリチャードは一瞬動揺した。
「リチャード王子! 指揮を!」
 そして思考が別の方向に行ってしまったリチャードの耳に、彼よりも向こうに居た水色の髪の男、ユリエルというそうだが、叫んだ声が届き、リチャードは正気に戻った様にはっとした。固まった兵士達は確かに何か指示を出さねば動けないだろう。
「良いか、このままここでこうしていても野垂れ死ぬだけだ! 生きて城へ帰りたいなら、戦え!」
 低く良く通る声でリチャードがそう命を下すと、立ち竦んでいた兵士達も正気に戻ったのか、声を上げて竜が現れた方角へと走り出した。リチャードはそれを見届けてから、勢い良く彼を振り向き、彼を睨みつける。
「何故殺す必要があった!」
 そう叫んだリチャードに彼は一瞬目を丸くした様だったのだが、すぐに元の表情に戻してからリチャードを冷ややかに見た。そして頭に血が上ったリチャードの襟を掴んだ為に、少しだけ彼の方が背が高い事も手伝って、自然と彼がリチャードを見下ろす形となる。
「何故だと? お前はそれも分からん様な指揮官か」
「なっ……」
「確かに時と場合によってはああいう風に無様に逃げ出す事も仕方なかろう。生きてこその人生だからな。
 だが竦み上がった大勢の兵士の前で逃げ出せば、その者達も同じ様に逃げ出すだろう」
 恐怖の連鎖というものは、断ち切る事が難しい。その大元となるものを潰した所で、全員に染み込んでしまったそれを拭い去る事は容易ではないのだ。
「ここで竜を潰さんとお前の城に押し寄せる。城下もかなりのダメージを受ける。
 それでもお前は唯でさえ少ない兵士が逃げ出すのを黙って見過ごして、ここで要らん犠牲を増やすのか?」
「………」
 彼の言葉は、正論なのだろう。リチャードも頭ではそれを理解している。指揮官にはそういう冷酷さも必要なのだという事を。だが、やはりリチャードには腑に落ちない部分が多かった。止める為だとしても、殺す必要は無かったのではないのか。その言葉が喉の奥まで出かかっていたのだが、上手く声にはならなかった。
 自覚の無い指揮官というもの程性質の悪いものはない、と彼は思っている。例えば己がしでかした過失に気付かずに、それを正当化するのは最悪だと思っている。指揮官というのは、被害を最小限に抑える事が義務だ。一つの綻びをそれ以上広げない様に努めるべきであり、それを見過ごすのは以ての他であると彼は考えている。
「……もう良い、ここであんたと言い争っても仕方ねえ。今はそれより――」
「っ?!」
 尚も食い下がろうとしたリチャードの襟元を掴んだまま彼は、そのままリチャードを引っ張って体を反転させた。その先には、多くの兵士が初めて見る赤竜にどう戦って良いのか分からず、傷付いていく光景が広がっていた。いくら奮い立たせても、すぐには実戦で行動を示す事は出来まい。
「指揮官だろう。綺麗事吐かす暇があるならあいつらをどうにかしろ。おい、笑い鮫」
「何ですか?」
「向こうにこいつらの空母が墜ちてやがった。ガイアの石を積んでるかも知れんぜ」
「その手がありましたね。火の神獣においで頂きましょうか」
 リチャードを見ずにユリエルに言いながら彼はもう興味を失った様にリチャードを離し、ユリエルは彼の言葉にそれは良い案だと言いたげに頷いた。
「リチャード王子。貴方のお怒りももっともなのですが、今は時間がありません。
 貴方の大切な兵士達を守る為にも、ガイアの石をお譲り頂けたらと思うのですが」
「……くれてやる」
 そうして彼の代わりにユリエルがリチャードにガイアの石の譲渡を頼むと、リチャードは赤竜を睨みつけたまま一言で承諾した。リチャードもまた、彼を見ようとはしなかった。



 火の神獣であるザン・ビエの力を借り、辛うじて赤竜やセレスタンを退かせた後、フォルセナに戻る前に死亡した兵士を簡素に葬る事となった。フォルセナに連れ戻るのが一番なのだが、戦場では防腐処理もままならず、連れ戻るのは現実的には厳しいのだ。だから大抵は遺品だけを持ち帰る事になっている。時間も限られている為に可視範囲での遺体しか葬れないのだが、それでも野晒しにしているよりは余程良い。
 リチャードは負傷した兵士をナイトソウルズで休ませ、傷が浅かった者達を動員して遺体を一所に集めさせた。ロジェ達も手伝うと申し出てくれたのだが、自分の国の者は自分達で葬りたいと丁重に断った。そして一人一人の顔を見、遺品を集め、名前を読みあげたのだが、その中に例の兵士が居ない事に気が付いた。
「おい、あの二等兵はどうした?」
「あ……」
 リチャードが尋ねると、訪ねられた兵士は気まずそうな顔をしたのだが、次の発言を促されてしまったので、言い難そうに口を開いた。
「その……先程獣人王殿が自ら埋葬されました」
「何?」
 その言葉に目を見開いて驚いたリチャードは、思わず周囲を見回した。確かに少し離れた所に明らかに不自然な盛り土がある。
 リチャードがロジェに促されて、限られた時間ではあるが埋葬をしようと言われてから大した時間は経っていない。それなのに既にあの兵士が埋葬されているという事は、誰でもない彼が随分早くから埋葬の為の穴を掘ったという事だ。まさかそんな事をする筈が無いと頭のどこかで決めつけていたリチャードは、その考えを改めねばならないという事に気付いた。
「我らも断ろうとは思ったのですが……自分が殺してしまったのだから、自分が埋葬したいと」
「………」
 複雑な表情を浮かべた部下の顔を見ながら、リチャードは思う。恐らく部下達も、彼の申し出を内心罵りながらも丁重に断ったのだろう。だが彼も引き下がらなかったのだろう。そうでなければ例の兵士の遺体を引き渡しなどしない筈だ。
「……何だ?」
 そんな事を考えていたリチャードは、側に居た部下がまだ何か言い淀んでいる様な顔をしているのに気付き、尋ねたのだが、返ってきた答えに瞬きを忘れてしまった。
「その……戦とは言え、可哀想な事をした、と……」
「……な…?」
「今はこんな状況だが、落ち着いたら必ず謝罪と哀悼の意を表したいとも仰いました」
「………!」
 思いもよらなかったその彼の言葉に、リチャードは暫し呆然とした。リチャードにとって、この下に埋まっている兵士は矢張り不必要な犠牲だ。だが彼にとってみれば必要な犠牲だったのだろう。否、彼というより、「指揮官」という存在の者になら必要だったのかも知れない。彼の制止を見た兵士の中で逃げ出した者は一人も居らず、ならば彼のとった行動は正解の内の一つだったのだろう。
 リチャードは埋められた兵士達の女神の元での安らかな眠りを祈った後、その場を他の者達に任せてからフォルセナへと向かう準備をしているナイトソウルズへと向かった。



 出航準備中の艇内はそれなりに忙しそうだったのだが、リチャードの探し人はすぐに見付かった。手伝う事が何も無かったのか、艇の隅で座り込んで腕組みをし、じっと目を閉じている。彼は獣人なので、ひょっとしたら夜には眠っていないのかも知れない。彼ら獣人族はいつでも夜の森に住み、太陽の光を知らずに一生を過ごす為、彼にとってみればいつ休んで良いのかすらタイミングが掴めないのだろう。だがリチャードが近寄って来た事には流石に気付いたらしく、あと五メートル程という距離に達した所で彼の目が開き、俯いていた顔が上げられた。
「……何か用か」
 浅い眠りをとっていたのだろう、彼は頭を緩やかに二、三度振ると、組んでいた腕を解いて伸びをしてから歩み寄って来たリチャードにそう尋ねた。年齢で言えばリチャードの方が年長であるのだが、彼は年上を敬うという事をしない様で、リチャードに対しても大して敬意を払わない。もっとも、彼は王でリチャードは王子なのだから敬意を払うのは寧ろリチャードの方なのかも知れないのだが。
「……あの二等兵を埋葬してくれたそうだな。礼を言う」
 そしてリチャードが一応の礼を述べると、彼はほんの僅かな間目を細めた様だったが、すぐに元の表情に戻した。あまり表情を変える所を見せない様にしているらしい。王というものは動揺や嘆きなどを特に配下には見せてはいけない生き物だ、彼もそれを重々承知の上で普段から表情を変えない様にしているのだろう。
「あんな粗末な埋葬をするなと文句を言われるかと思ったがな。あれで構わんか」
「……戦場ではあれが精一杯だろう。野晒しにしているより遥かにマシだ」
「そうか」
 彼の質問にリチャードも極力感情を乗せまいと努力して返してみたのだが、彼の様に巧くはいかなかった。自分は既に立国された国の後継ぎとして育てられた者だが、彼は実力で王となった上に建国した者だ。彼の方が一枚上手かも知れないとリチャードは思ったが、すぐに一枚程度で済めば良いが、とも思った。
 彼は、それ以上リチャードに何も聞こうとはしなかった。黙って、リチャードが次にとる行動を待っている。いくら彼が王だと言えど、他国の兵士の命を奪った罪人である事は変わりなく、それ故に彼はリチャードの言葉を待っているのだろう。だからと言って、リチャードは彼を裁く事は出来ないのだが。
 リチャードは迷っている。彼を責める事は決して出来ないが、だからと言って素直に礼を言って良いのかどうか、迷っている。あれ以上の犠牲を無闇に出さずに済んだ事は確かに感謝すべき事ではあるのだが、何か別の方法は無かったのかとも聞く事も出来るだろう。しかしリチャードは生憎とその質問をする事が出来なかった。彼の答えは残念ながら予測出来ないが、答えられた所でそれ以上何も言い返せそうになかったからだ。
 そんなリチャードの迷いを察知したのか、彼は億劫そうに立ち上がってから乱雑に自分の頭を掻いた。
「指揮官が迷えば兵も迷う。あれはあんたの判断が遅かった、それだけだ」
「……判断?」
「戦えという指示を出すか否かの判断だ」
 今目の前で話している彼は、思ったより背が大きくなかった。戦場で襟元を掴まれた時は随分と大きく見えたのだが、あれは威圧感が手伝っていた様だ。
 赤竜が姿を見せた時、リチャードは迷わず自分が先頭に立って怯むな戦えと鼓舞するべきだったのだ。実戦経験も浅く、まして竜を見た事が殆ど無い者達が多かったのなら、尚更だ。だがリチャードはそれを忘れてしまっていた。一つの判断ミスが、あの兵士の死を招いた。彼がああやって食い止めていなければ逃げ出す兵士は更に膨らみ、犠牲は増えていただろう。
「確かにあんたの言う通り、殺す必要は無かったかも知れん。だが俺にはあの方法しか思い浮かばなかった」
「………」
 彼の国、ビーストキングダムがペダンに攻められ、城と村が炎に包まれたという事をリチャードは聞き及んでいる。そしてローラントが攻め落とされた事も知っている。だから彼は二度も国が落ちる所を目の当たりにしているのだ。自分の国が落ちる事はこの上なく屈辱だろうし、悲しみや怒りも大きいだろう。だが他国が同じ様に陥落する所を見ても、同じ様に感じるのだろう。多分、彼はフォルセナまで落ちる所を見たくなかったのではないだろうか。残念ながら既に敵は城門を破ったという連絡がついさっき入ったので、守れるか否か五分五分といった所であろうが。
「……俺も良い勉強をさせて貰った。借りが出来たな」
「いらねぇよ、貸しだ借りだはごめんだ」
 自分の言葉に即答した彼にリチャードは目を丸くしたが、すぐに失笑した。彼が思わず本当に嫌そうな顔をしたからだ。案外私的な事では表情を隠す事が苦手なのかも知れないと思った。
「そうはいかん、フォルセナは騎士の国だ。礼儀は弁えねばならん」
「……勝手にしろ」
 そして追い討ちを掛ける様にリチャードが言った言葉に彼は心底面白くない様な顔を見せ、これ以上何も話す事は無いと言いたげにぷいとそっぽを向いて艇の中央部へと歩き始めた。その瞬間に艇が細かく振動し、向こうの方でそろそろ離陸するから準備をしろという声が聞こえてきた。リチャードもその声に従い、彼が歩いて行った逆方向の自分の配下達の元へと歩き始めた。



リチャードがこの借りを返せたのは実に十九年の時を経た後の事であるが、それはまた別の話である。