責の在り処

 フェアリーに勇者として選ばれたシャルロットが聖剣を抜いた後、そのフェアリーが拐われてしまった。そして現れた者達の言葉に従って初めてビーストキングダムという国に訪れたリースは、不思議な所だと内心思っていた。月の精霊であるルナの力を借りる為に月夜の森を訪れた時も不思議だと思っていたが、城に足を踏み入れた時に感じた不思議さとはまた違う。森ではただ太陽が昇らない事だけが不思議だったのだが、この城の中で感じる不思議さというか違和感が、ケヴィンが王と和解した後の今でも拭えないのだ。その違和感の正体が分からないから、尚の事リースに居心地の悪さを感じさせる。
 ケヴィンが父親である王と和解出来たと言っても、獣人族が人間に対して持っている感情が変わった訳ではない。実際に今日は城に留まって休む事になったのだが、感じる視線は刺の様に痛かった。リース達が留まる事に反対した者も居た様だが、王は聞き入れなかった様だ。リースはローラントの王女であるし、シャルロットは光の司祭の孫であるから、他の配下達もそれ以上は何も言えなかったらしい。
 不思議なひとだと、リースは思う。これ程の力を持つ獣人を統べる立場にありながら、王はリース達に対して全くと言って良い程憎しみの目を向けなかった。ただ興味が無さそうな目でリース達を一瞥し、何も無い城だがゆるりと過ごされよと言っただけだ。他の獣人はあんなにも憎しみの色を剥き出しにしているにも関わらず、だ。
 だが時折ではあるが、ミントスの獣人同様に、リース達に厳しい目を向けなかった王の配下も居るには居た。どこか懐かしいものを見る様な、そんな目をしたひとも、少なかったけれども居た。リースにはそういうひと達に心当たりがある。十九年前に何か大きな戦いがあった時、ミントスの村人達と共にこの城の兵士達も一時ウェンデルに避難した事があるとリースは乳母に聞いた事があるのだ。多分その時に人間に免疫が出来た兵士がまだこの城に居るのだろう。
 乳母は寝物語に、その時の話をしてくれた事がある。今は現役を退いたと言っても、彼女も元はアマゾネスで、当時の戦いに身を投じていたと聞いた。乳母から聞いた各国の人達の話は、外交で伝え聞いた人柄よりも遥かに親しみを持ちやすく、その中でも若い獣人の王の事も聞いて、言い伝えで聞いた獣人像なんかとは全く違うと思ったものだ。乳母も偏見に捕われては本当の事は見えてこないから、出来るのなら自分の目で確かめるのが一番だと言っていた。
 乳母からほんの少ししか聞いた事がないこの国の王は、それでもウェンデルに侵攻する様なひとではない様に思えた。昔ウェンデルに匿って貰った恩を忘れて攻め込む様なひとではないだろうという確信が、リースにはあった。今日初めて会った人物に対してそんな事を思うのはおかしいかも知れないが、そう思った。
 乳母からも自分の目で確かめた方が良いと言われている事だし、ここであれこれ考えるより王と直接話して確かめた方が早いと思い、リースは宛てがわれた部屋からそっと抜け出した。



 王の居場所は誰に聞くまでもなく、すぐに分かった。玉座に居なかったので、その奥の階段から屋上へと出ると、ここへ訪れた時と同じ様に腕を組んだまま空を見上げていた。王は暗闇に溶けてしまいそうな深い藍色のマントを羽織り、虚空を見つめながらただ佇んでいる。背を向けられていた為にその表情はリースには窺えなかったのだが、何か一つの事をじっと考えている様な気がした。
 どう声を掛けたものか分からず、リースが躊躇っていると、その王の陰がゆっくりと動くのが見えて、リースは知らず緊張で体を少しだけ固くしてしまった。だが王はその事に別段気にする風も無く、リースと向かい合う。月光の加減で表情はあまり見えなかった。
「どうした? 眠れんのか」
「……あ、いえ、そういう訳ではないのですが」
 そして掛けられた言葉にはっとして、リースは少し慌てて首を横に振った。さして緊張する性格ではないのだが、何故か今、リースは少なからず緊張している。今まで外交にあまり携わった事が無いからかも知れない。
「……お尋ね、したい事があるのです……」
 話しかける切っ掛けを王の方から作ってくれたので、リースもそれを逃すまいと声を振り絞った。人懐こくて接しやすいケヴィンとは対照的に、王は全身から出ている威圧感の様なものが気安く声を掛ける事を阻んでいる。何より、王自身が他人というものを拒んでいる印象を受けた。人間を拒んでいるのではない、自分以外のものをなるべく遠ざけようとしている様に思える。
「ご両親の事か? 生憎とわしは王女のご両親を教える程知っておらんが」
「いえ、……そうではなくて……」
 何と言って良いものかリースは言いあぐねたのだが、それでも王は黙ってリースの質問を待った。間に流れた沈黙がリースには酷く重く感じられたのだが、不思議と焦る事は無かった。王がリースの思案を許したからだろう。それに応えようとリースは張り付いてしまいそうな喉を震わせて、頭に描いていた疑問を漸く口にする事が出来た。
「ウェンデルの一件……、ご自分一人で罪を被ろうとしておられませんか?」
「………」
 リースの質問に、今度は王が少し意外そうな表情をして沈黙する番だった。その沈黙から察するに、図星なのだろう。リースはやっと、この城で感じていた違和感の正体を掴めた気がした。
 ケヴィンと王が和解した後、この城での休息を取る事になってから、リースは城内の王の配下の者達に話し掛けてみたのだ。勿論親衛隊の獣人達はあまり良い顔をしなかったし、返事すらしてくれなかった者も居たのだが、王の事を尋ねると多少なりとも会話が出来た。驚く程に、皆、王に心酔しているのだ。リースも月夜の森で獣人と対峙したが、噂に聞く通り強かったしてこずった。そんな獣人達を統べる王は確かに偉大な存在ではあるだろう。だが、王がケヴィンに話した様な内容は、誰一人として口にしなかった。
 王はケヴィンに対し、人間への復讐には興味は無いとはっきり言い切った。人間への侵攻は獣人達の自立の為だとも言った。だがその事を、誰一人として知らなかった。城内の者は王を口々に讃えたが、アストリアの村の事やウェンデルへの侵攻の責を一言も言わなかった。それがリースに違和感を覚えさせた。配下の者達は、「侵攻の責」が「誰」にあり、そして「どう贖うのか」にまで考えが至っていなかったのだ。それは、王が誰にも言わなかったという事なのだろう。配下は何も知らなかった、責任は全て自分にある、と王は言うつもりなのではないだろうか。
「確かに、ウェンデルへの侵攻も、アストリアの村の惨事も、許される事ではないかも知れません。
 ですが……獣人王様、貴方は、ご子息にとっては最後の肉親です。
 漸く和解出来ましたのに、ご子息の歩み寄りを待たずに居なくなるおつもりですか?」
 誰も知らずとも、侵攻の命を出したのは王である以上、王は裁かれねばならない。だが、残されるのは経験も浅いケヴィンだ。王としての器とするには、まだ時期尚早ではないかとリースも思う。恐らく王もそうだろう。リースは、ケヴィンに「親」を残したかったのだ。もう自分には居ない、その存在を。
 だが王は、何かを考えてから逆にリースに尋ねてきた。
「では王女、例えばそなたが奪われたローラントを奪還する為に挙兵したとする。
 それが失敗した時、そなたはどうする?」
「………それは」
 聞かれて初めて、リースはその状況も有得たのだと気が付いた。ローラントはナバールに奪われ、占領下に置かれた。その後ドン・ペリの知恵の助けもあって無事に奪還出来たが、もしシャルロット達が居らずに自分達だけで挙兵し、奪還に失敗していたら、自分はどうしたか。リースは答えが喉の奥で渦巻いているのを感じた。
「挙兵に失敗したと言っても、ローラントのアマゾネスは強い。必然的にナバールのダメージも大きいだろう。
 頭領の前に突き出された時、ナバール兵への攻撃は部下達が勝手にやった事だとそなたは言うのか」
「………」
 王の質問に、リースは答える事が出来なかった。リースもそんな状況にあったとしたら、間違いなく命を出したのは自分なのだからその責は自分一人が全て負うと言うだろう。統べる者というのは、そういうものなのだ。
「わしは確かにあれの父親だ。だが、この国の王でもある。愚息一人の為に多くの配下を死なせる事があってはならん。
 それに王女、良く覚えておくが良い。裁く時は大勢の兵士よりも、その上に立つ者一人を裁いた方が双方良いのだ」
「……ですが」
「もう決めた事だ。何を言われようと曲げる気も無い。わし以外の者の血は必要無い」
 きっぱりと言い切った王のその口調には淀みは無く、だからリースは王を説得する事は無理なのだと理解した。元から出来るとは思っていなかったが、こうも決心が固い所を見せ付けられると、王という生き物は思った以上に大変で偉大なのだと痛感してしまった。リースは改めてローラント王であった亡き父の偉大さを知ったのだ。
「……分かりました。私はまだまだ考えが幼かったのですね。
 ですが、獣人王様、それでも敢えて言わせて下さい。私にはもう、母も父も居りません。
 ですから尚更、片親だけでも残されている貴方のご子息が羨ましいし、また残されていて欲しいとも思うのです。
 罪人であろうと何であろうと、子にとっては唯一の親です。子は親を求めます」
 それは、気丈なリースが他人の前で見せた初めての顔だっただろう。いつも自分の想いを知らず抑え込む癖があるリースが他人の前で、しかも初対面の者の前でこんな顔をする事は今まで無かったのだ。シャルロットにもリースにも、もう親はどこにも居ない。だが、ケヴィンにはまだ残されている。長らく背中合わせで過ごしてきた父親だが、それでもケヴィンは蟠りを払拭する為に今から歩み寄ろうと努力しようとするだろう。その矢先に肝心の父親が居なくなってしまえば、ケヴィンの心に深い傷跡を残すに違いない。そして恐らく、父である王もそれが心残りになってしまうだろう。
「……迂濶だったな。獣人の自立の前に子の自立が必要だったか」
 そして沈黙を挟んで王が半ば呆れた様な情けないような、そんな顔をしながら溜め息と共に漏らした言葉に、リースは呆気にとられてぽかんとしてしまった。それと同時に、これが王の「父親」としての顔なのだと気が付いた。
 王はケヴィンに背を向けていた訳ではなかったのだ。ケヴィンが背を向けていただけで、王はきちんとケヴィンを見ていた。親として、一応躾けていたつもりらしい。他人から見ればおよそ親としての接し方ではなくとも、王としてみればそれが親、というより、父親のあり方だったのだろう。不器用なひとなのだな、とリースは思った。
「だが今となっては、全てが終わってしまった。わしは部下達の暴挙の責を負わねばならん。
 あれも、その事くらいは理解するだろう」
「……獣人王様」
「王女がわしら父子の事を思い遣ってくれておるのは有難い。だがこればかりはもうどうにもならんのだ。
 ……どうにもならん程の、何の罪も無い人間の血が流れたのだからな」
「………」
 王の声は、玉座の間で初めて聞いた時のくだらなさそうなものを見る様な声とは打って変わって、ひどく穏やかで優しかった。だがそれ以上に、リースの全てを頑なに拒否する程のよそよそしさも混じっていた。その事を感じ、リースは思わず目を閉じてただゆっくりと頷く事しか出来なかった。
「――王女」
 そしてそれ以上の対話を拒否するかの様に口を閉ざした王に一度礼をして背を向け城の中へ戻ろうとしたリースの耳に響いたのは、誰でもない王の声だった。それに驚き、しかしゆるりと振り返ったリースからは王の表情は月の逆光であまり見えなかったのだが、先程見せたリースの全てを拒否する様な雰囲気は見受けられなかった。そしてリースは、王の放った言葉に更に驚いた。

「空色の戦乙女は息災か?」

 リースは一瞬、王が誰の事を尋ねているのか分からなかった。だが、自分の周りの者で獣人王の事を教えてくれたのはただ一人である。そしてその人は、彼は仲間を名で呼ばなかったと言っていた。

―――アルマ、貴女は何と呼ばれていたの?
―――お恥ずかしながら……空色の戦乙女、と。

 彼女の髪は、綺麗な空色をしていた。それはリースもよく覚えている。空の蒼をそのまま髪に宿した様な、綺麗な空色だった。そして今は退いたとは言え、過去彼や仲間と共に戦場を駆けた戦士である。彼もそれを口にしたのだろう。
「はい。今はローラント城で私の代わりに皆と共に城を守ってくれています」
「……そうか」
 リースの答えに満足したのか、王はそれきり黙ってリースに背を向けた。しかしリースには、王が彼自身の過去が繋がっている事を確認したかの様にも思えた。
 階段を下って宛がわれた部屋へと向かう途中の窓の側で足を止め、外を見ると、月夜の森の空に浮かぶ月の一つが緩やかに西の大地へと沈もうとしていた。この国に本当の夜明けが来るのはいつなのだろうとリースは思ったのだが、その夜明けの為には恐らくケヴィン以外にも彼の父親の存在は不可欠なのだろう。リースは足元に落としていた視線を前方へ向けると、しっかりとした足取りで歩き始めた。この戦いが終わったら、ウェンデルへの使いをアルマに頼もうと考えていた。