ラッシー

 零下の雪原という極寒の地の次に訪れた灼熱の砂漠は打って変わってひどく暑く、温暖な気候のウェンデルやフォルセナを故国とするシャルロットやデュランでもバテ気味だったというのに、寒さには強いが暑さには弱いケヴィンは動きが鈍る程だった。直射日光を避けようにも砂漠地帯に生える植物は疎らで、砂漠に入る前にサルタンでオアシスのディーンへの最短ルートを教えてもらっていたとは言え、モンスターの巣窟と化している砂漠では予定通りに進めるはずもなく、飲み水が尽きかけてあわやという時、ローラント城で美獣はまだ倒さないでくれと懇願してきた青年が助けてくれた。再会の喜びはそこそこに、彼は水分を多く含む植物を切って三人に水分補給をさせると、ディーンまでの道案内をかって出てくれたのだ。これには年少者の引率をしている為に警戒心が強いデュランも、背に腹は代えられないと頼む事にした。
「オイラ達、助けてくれて、ありがとう!」
「ほんと、助かったぜ。砂漠を甘くみてた」
「以前に増して暑さが厳しくなったのもあるから、君達が遭難しかけてもおかしくないさ。お嬢さんの様子はどうだい?」
「宿の人に聞いたら、暫く安静にしてたら大丈夫、言ってた。良かった」
 ホークアイと名乗った青年は極力モンスターに出会わない様な経路を選び、なるべく早くディーンまでケヴィン達を誘導した。そうでなければシャルロットが倒れかねなかったからだ。それまでにも既に意識が朦朧としていたのだが、到着した安堵から気を失ったシャルロットは村の女性が大急ぎで水浴みをさせてくれて、今は宿で眠っている。ケヴィン達は彼女を静かに休ませる為に酒場で食事を摂る事にし、助けてくれた礼としてホークアイに食事を奢っているという訳だ。彼にしてみれば、道中で助けたのはローラントで美獣に手出しをしなかった事に対する礼であった様なのだが、厚意を無碍にする事もなかろうと同席してくれている。
「お嬢さんに無理をさせても何だし、火炎の谷へは代わりに俺を同行させてくれないか。道案内も出来るし足手纏いにはならない筈だから」
「オイラは、良いけど……デュランは?」
「あいつのヒールライトが無いのはつらいが、ここで倒れられる訳にはいかんしな。だが助けなきゃいけない子が火炎の谷に居る保証は無いぞ?」
「それは大丈夫だ、調べはついてる。どうもナバールからジェシカを連れ出そうとしている動きが見られたんだ」
 テーブルに運ばれた大皿に乗った、ダックソルジャーの肉や香草、コメ、野菜を包んだ数枚のバナナの葉を手早く広げながら、ホークアイが自信有り気に頷く。彼はナバール盗賊団の所属員であったから隠密行動も情報収集も得意で、デュランやケヴィンの様な力の強さは無いが速さは群を抜き、モンスターと交戦中の敵味方全体の状況を的確に判断して動く臨機応変さに長けていた。
「ホークアイ、切るの、全然迷わないな。びっくりした」
「え? ああ、俺はそんなにめいっぱい食べる方じゃないけど、君ら二人は結構食べるみたいだから……これくらいで良いかい?」
「お前こそそんなもんで良いのか? もっと食えよ」
「俺は身軽さがウリだからさ。あまり食べ過ぎるといざって時に動きにくいんだ」
 店から借りたナイフで手早く肉を切り分けた手元を見ながらケヴィンが感心した様に言ったものだから、彼の興味は既に自分の同行についてではなく食についてに移行していると知り、ホークアイは自然と苦笑する。ナバール盗賊団の人間である自分をここまで警戒心無く受け入れてもらえるとは思っていなかったので、懐柔するには腹からなのかな、などと思ってしまった。股を広げて椅子に座り、足の間に手を置いて身を乗り出して見ているケヴィンはどうやら腹が空いているらしく、目がキラキラしている。獣人と聞いたがジャドで見た獣人と違っておとなしく、人間に対して敵意を向けない彼は、灼熱の砂漠では鋼鉄のゴールドバレッテを相手にその鍛え抜かれた体から繰り出される拳で戦っていて、童顔からは想像もつかない様な戦士の顔を見せていた。だが、今のケヴィンは年相応の、腹を空かせた単なる少年だ。
「スプーンでも良いけど、俺達はこれ、手づかみで食べるんだ。こうやって」
「へぇー、じゃあオイラも手で食う!」
 湯気が立ち上っているが程よい熱さであるから、ホークアイは事も無げに自分の皿の上に乗せられた肉とサフランで黄色く色づいたコメ、ナスを指先で掴んで口に運んだ。それを見たデュランはやや驚いた顔をしたのだが、ケヴィンは興味津々というより月夜の森でも似た様な食べ方をしていたのか真似をして、ホークアイが気を利かせて取り分けてくれていた骨付きの肉を掴んで食べた。肉の臭み抜きとしても使っている星屑のハーブの爽やかな香りが鼻腔を抜け、ダックソルジャーの硬い肉がじっくり蒸された事により口の中で繊維が崩れる程に柔らかくなっており、適度な辛さが食欲を余計に刺激する。サルタンで食べた魚料理とはまた違った、初めて味わうその風味に、ケヴィンの表情は驚きと歓びで満ちた。
「この味、初めてだ! 何だろう、ちょっと辛い? けど、うまい!」
「お、そうかい、それは良かった。たまには手づかみも良いもんだろ?」
「うん、オイラ、スプーンの握り方ヘタだから、いつもシャルロットに怒られる」
「はは、ウェンデルのお嬢さんなら礼儀作法は厳しそうだ」
 あっという間に肉を食べたケヴィンが指についたコメを舐め取りながら言った言葉に、ホークアイはもちろんデュランも苦笑する。この場に居ない彼女が今のケヴィンを見たら卒倒するかもしれない。だが、ここではこの食べ方が普通なのだと言うし、何よりその作法でケヴィンが嬉しそうに食べているなら許すだろう。何だかんだやかましく言っても、シャルロットもデュランもケヴィンに甘い。そういう関係が透けて見えて、ホークアイはもう食卓を囲めなくなってしまった男の事を思い出してしまった。
「キャイン!」
「?!」
 だが感傷に浸る間も無く突然ケヴィンが叫んだものだから、驚いて彼を見ると、細長い野菜を持ったケヴィンが顔を歪めて真っ青になっている。何か体に合わないものでも取り分けてしまったか、と思うよりも早く、ケヴィンが手にしている野菜が何であるか気が付いたホークアイも顔を青くした。
「あーっ、悪い、それ青唐辛子だ!」
「ひー、ひえぇ、からいからい!!」
「大丈夫かケヴィン、ほら水飲め!」
「マスターごめん、はちみつ倍量でラッシー作ってくれ!」
「はいはい」
 自分が気にせず食べてしまう為にうっかりケヴィンの皿に盛ってしまった青唐辛子を、彼は何の疑問も持たず齧ってしまったらしい。デュランは慌てて自分のコップの水まで飲ませ、ホークアイはラッシーが出来るまでの繋ぎとしてカウンターに置かれていた星屑のハーブのキャンディを、ケヴィンの口に有無を言わさず突っ込んだ。鎮痛作用もあるので幾分か舌の痺れが良くなる筈だ。涙目のケヴィンがキャンディを舐めていると酒場の主が大急ぎで作ってくれたラッシーが運ばれてきて、ホークアイが渡すよりも先にケヴィンがグラスを掴んで呷った。
「…… ……うまーい! ホークアイ、これ、うまいな!」
「えっ、あっ、そ、そうか……良かった……」
 デュランと一緒にはらはらしながら見守っていたホークアイは、グラスの半量を恐らくキャンディと一緒に一気に飲んだケヴィンが突如動きを止めてまた顔を輝かせたものだから、安堵したものやら目を丸くしたものやら分からなかった。まだ舌が痺れている筈なのだが、酸味のある甘味に感動した様だ。ホークアイはどちらかと言えば甘さ控えめのラッシーが好きだが、ケヴィンはこの甘さ増量のものが気に入ったらしいので、青唐辛子の罪は免除されたと思いたい。
 そんなに気に入ったラッシーは、まだグラスに半分残っている。だがケヴィンは飲み干そうとはせず、デュランに言った。
「デュラン、これ、シャルロットに持って帰りたい。ダメ?」
「駄目じゃねえけど……起きてるか分かんねえぞ」
「そっか……」
 どうやら暑さで倒れてしまったシャルロットにこのラッシーを飲ませてやりたいらしいケヴィンは、デュランの返事にしゅんとした。自分が美味いと思ったものを分け合いたいと思う性格なのかもしれない。イーグルがまさにそういう性格で、加えて食事をこんな風に取り分ける時はいつもホークアイとジェシカの量が多くなる様にしていた。義務としてやっていたのではなく、それがごく当たり前の事であるかの様に。
「……明日飲ませてやったら良いさ。今日のそれも明日のお嬢さんのも俺の奢りだ、君が全部飲むと良い」
「え、良いのか? ホークアイ、良い奴だな!」
「そうだろうそうだろう。……と言いたいところだが、君には負けるかな」
「う?」
 シャルロットにも飲ませてやる事が出来そうだと分かり、気を取り直して嬉しそうにラッシーを飲むケヴィンに、ホークアイは哀愁を唇に乗せて微かに笑った。せめてジェシカは命に代えてでも助け出し、願わくばまた共に食事がしたいと思いながら。