lessons of night

 マナの剣を入手する旅の最中、宿に泊まれる日というのはそうそう無く、大抵は野宿となる。火の番を交代しながらの睡眠であれば十分にとれるとは言い難いが、さりとて一人で長時間眠るというのも気が引ける。デュランはもともと城に勤めていた傭兵であるから夜の番も度々経験していたし、連れは二人共自分より年下であるので先に二人に仮眠をとってもらい、どちらか一人、あるいは二人共起きたなら交代して眠るという夜を送っていた。
 宿であろうと野宿であろうと、夜を一人で過ごしている時に、背中に走るうそ寒さは不意に感じる。たとえば煌々と燃える炎の向こうで丸まって眠っているシャルロットが朝になっても起きなかったら。もしくは、そのシャルロットが毛布だけでは飽き足らず枕代わりにしているケヴィンが明日の道中の戦闘で取り返しがつかない程の大怪我を負ったとしたら。更には、自分の心臓が今ここで突然止まってしまったら。夜の闇というのは際限なく、マイナスの想像を掻き立てる。その度、デュランは頭を振っておもむろに武具の手入れをやり始めるのだ。
 幼い頃、デュランの父は、城と自宅を行き来する生活を送っていた。毎日は帰ってきていなかった様に思う。更に竜帝との戦いで行方知れずとなったのがデュランが五歳の時というのも相まって、あまり父の記憶が無いのだが、それでも鮮明に覚えている姿がある。今、デュランがやっている様に、武具の手入れをしている姿だ。近くに居る息子に危険が無い様にと配慮してくれていたのか、思い出せるのは専ら盾や鎧を手入れしている父で、騎士は剣を持ち戦うものだとばかり思って憧れていたデュランは剣を見せてほしいとせがんだものだった。
 そんな息子に、ある日父が――ロキが教えてくれた事を、デュランは篭手の緩くなっているビスの調整をしながら思い出す。


 相手を斬る事は簡単かもしれない。だがデュラン、誰かを護る事はとても難しい。そう、護るんだ。これはそのためにとても大切なもの……剣よりも重要な役目を果たすものでもあるんだよ。本当さ、父さんが嘘を吐いた事があるかい?
 だからデュラン、もしお前が将来、私と同じ道を歩もうと思うなら、剣の手入れも大事だが、防具の手入れを欠かしてはいけないよ。例えばお前がかっこいいと言っていたこの篭手も、敵の剣を受け止めたりも出来るんだ。そう、盾を持っていなくても防げるし、そこから反撃出来たりもする。だけど、手入れをしていなかったらどうなると思う? ああ、そうだ、手首と腕が離れてしまうね。
 遠い未来、お前がこの世を去る時に、良い日々を過ごせたと思える人生を送るんだよ。そのためにも、武具の手入れは面倒臭がらずにやりなさい。護れなかったと後悔をしないためにも、な。


 まだ本当に幼かった頃の記憶を今でも思い起こせる程、この時のロキの言葉はデュランの中に灯り続けている。恐らくこの時の会話が竜帝退治に出発する前夜のものであったからだろう。ロキは戻らず、竜帝と共に深い谷へと落ちていったと聞き、その当時のデュランにとって初めて経験した身近な人間の死はあまり理解が出来なかったけれども、もう二度と会えないのだという事は分かったので涙が涸れるまで泣いた。泣きながら、最後の教えとなった武具の手入れを怠らない事を心に誓った。
 対になっている篭手を置き、鎧の胴当ての傷み具合をチェックしながらデュランは思う。父は、この世で一番尊敬する黄金の騎士は、竜帝と谷に落ちていく時、果たして良い人生だったと思えただろうか。共に討伐に出た、当時王子だった現英雄王を、そして世界を護れた事に対しては、たしかに良かったと思えただろう。しかしそうであるならば夫として、父としてではなく、騎士として死んだ事となる。情が厚い人間であったから、妻子を残して逝く事には無念を抱いたのではないだろうか。……否、心のどこかでデュランはそうであってほしいと願っている。最期のその瞬間は騎士ではなく、夫として父として迎えていてほしいと。


 どうしようもなく不安になって、どこまでも落ちていってしまいそうになったなら、私の事を思い出すと良い。父さんはいつでも、お前の力になってやるから。


 出立の朝、まだ生まれたばかりの妹を抱いた母と共に見送るデュランに、膝をついて見上げながら優しく強い瞳と声で言った父を思うと、そんな願望も抱いて良いのではないかと思う。そしてその言葉はある種の祈りであり、同時に呪いであり、デュランの胸の中に今も残っている。フォルセナから出て以来、不安になる度にこの言葉を思い出し、武具の手入れをしていると心のざわつきが不思議と鎮まる。明日誰かが死ぬのではないかという、どうしようもない恐れが和らぐのだ。
 防具の手入れを全て終え、最後に剣の手入れをする。防具の手入れを怠ってはいけない、それは理解しているが、デュランはこの時間が一番好きだ。それも、ロキも使っていたという古びたブロンズソードの手入れをしている時が。


 父さん、貴方は本当に偉大な騎士だった。大勢の人を護った事は、後世に語り継がれていく事だろう。でも、俺にとっては偉大な騎士であると同時に尊敬する父なんだ。あの時の言葉通りに、今でも俺の力になってくれてありがとう。


 刃に鈍く反射する自分の顔は、手入れを始める前に飲んでいた白湯の水面に浮かぶそれに比べて、随分と穏やかなものになっていた。その事に漸く口元が緩んだデュランは、ほんの僅か、一瞬だけ、自分の顔とよく似た男が刃に映った様な気がしたのだが、焚き火の向こうでケヴィンが身動ぎ覚醒の気配を見せたので意識がそちらに向かってしまい、確かめる事無く剣を鞘に仕舞った。今夜、彼を覆っていた大きな恐れは、霧散して消え失せていた。