猛獣の飼い方10の基本・その8:じぶんをしゅじんだとにんしきさせましょう

 目の前に広がる惨劇を無表情で眺めながら、ユリエルは久しぶりにこんなに多くの死体を見たとぼんやり思っていた。生き物が焼ける嫌な臭いがそこらに漂い、血の臭いと混ざって何とも不愉快な臭いとなってユリエルの鼻腔を侵そうとしている。
 ユリエルは兵士の死骸なら嫌という程見た事がある。だが、今眼前に広がっている様な、多くの一般民の死体というのは見た事が無かった。これが戦争だと現実を突き付けられた気分だ。何の罪も無い子供やその母親、焼き崩れる家から逃げ遅れた住民、それらの者の死体がユリエルの目の前に転がっている。そしてその向こうに、統治する者がもう息をしなくなった住民達を瞬き一つせずに見ていた。彼の手は先程からずっと握られたままで、ユリエルはその時彼の指の間から血が流れ落ちている事に気付いた。握り締めすぎて爪で傷付いたのだろう。
「……村を捨てて逃げるしか、手は無いだろうな」
 それを見ていたロジェがぽつりと彼に呟くと、彼は漸く顔を上げてロジェを睨んだ。まるで悲しいのをぐっと耐えているかの様に。
「逃げるだと? どこへ……? 我ら獣人を、誰が受け入れてくれるというのだ?」
 彼の言い分はユリエルにも分かる。獣人族は過去、人間に迫害を受けてこの森に追い遣られたのだ。この森を失った彼らを受け入れてくれる様な所など、この世界には一つしか無い。それも正直難しい所だとユリエルは思ったが。
「聖都、ウェンデルへ」
「ウェンデルか……」
「ああ。ウェンデルなら、人間でも獣人でも快く迎え入れてくれる筈だ」
 ロジェが提案した国名を、彼は搾り出す様に復唱した。それにロジェが説得の余地はあると思ったのか、彼にここから離れる様にと何とか交渉をしている。ユリエルとしても彼ら獣人はここから避難するべきだと思っていたので口を挟まなかったが、ロジェの言葉にはそうだろうかと疑問を抱かずにはいられなかった。ウェンデルが獣人を快く受け入れてくれるのなら、何故今まで獣人はずっとこの月夜の森で過ごしてきたというのか。ビーストキングダムの城の兵士達なら人間の居る場所になどと言うだろうが、このミントスの村人ならウェンデルに移っていてもおかしくないのだ。なのに今まで移り住んだ者の話を聞いた事が無い。ウェンデルでさえも少なからずの迫害はあるのではないかとユリエルは思っている。口が裂けてもそんな事は言わないが。
 そして彼がそれにどう答えるかとユリエルが彼を見遣ると、彼はひどく忌々しそうに、そしてひどく哀しそうに、目を細め唇を噛み締めた。
「城を追われて、このミントスも失い、人間に助けを求めるか。
 多くの仲間が、勇敢に敵に立ち向かい、倒れていった。なのに……
 この俺、獣人王が、身を惜しみ、敵に背を向け、逃げ出すというのか!」
 叫ばれたその言葉は、恐らく彼自身に向けられたものだろうとユリエルは感じた。彼は多分、ここで最期まで闘いたいのだろう。他の者達は逃がしても、自分一人は残りたいのではないだろうか。彼の目の前で喪われた者達は、彼が護りたかった者達なのだ。
 彼は王だ。それは分かる。だが、王が王である所以は誇り高い事以上に民を路頭に迷わせぬ事である。今の彼の心境では、生き残った者達まで死んでしまう。だからユリエルは目を据えて彼に言い放った。
「退く事も、また誇りです。今はまだ、全てを失った訳ではありません。
 ……自ら滅ぶ者は王ではありません」
「………っ」
 ユリエルのその言葉に彼は目を見開いてユリエルを見たのだが、彼自身もそれをすぐに理解した様で開きかけた口を閉ざした。だがそれでも尚辛そうな顔で惨状を眺めている彼を、彼の配下が宥め説得して、漸く彼はこの場を離れる事を決意した。ユリエルはそれに安堵した反面、一抹の不安も覚えていた。



「ガウザー、私は勝手な行動はしない様に何度もお願いした筈ですが?」
「覚えが無い」
「………」
 ユリエルは彼のその答えに頭痛を覚え、思わず眉を顰めてしまった。覚えが無いというなど有り得ない事は十分に分かっている。彼はユリエルの言った通り、ユリエルのお願いを全く無視して戦闘中に勝手な行動を取る事が多々あった。その勝手な行動というのもまた厄介なもので、とにかく先陣切って駆け出して行ってしまうのだ。敵が居ると分かるとユリエルが指示を出す前に自分で判断して突っ込んで行ってしまう。その結果、大怪我を負う。
「では言い方を変えましょう、こう何度も命を危険に晒すのはいかがなものかと思います」
「だがそのお陰でお前らは敵の裏をかける」
「………」
 彼はユリエルの言に短く反発し、ユリエルはそれに沈黙せざるを得なくなる。確かに彼が半ば囮の様な形で駆け出して行くので、ユリエル達は敵の目を欺く事も容易く出来た。彼は地上MOBを扱う事に長けているだけあって、敵も彼を無視する事が出来ないからだ。
 ユリエルはふむ、と顔を顰めたまま口元に手をやり、暫く黙っていたが、やがてうっすらと笑いながら顔を上げた。
「そうですね、確かに貴方が敵陣に真っ先に突っ込んでいってくれるお陰で動きやすくなる事も多いです。
 しかし、私達は瀕死の貴方を放っておける程心が鬼ではないんですよ」
「……別に瀕死になった事は無い」
「寸前ならあるでしょう」
 彼の反論をぴしゃりと封じたユリエルは、それでもまだ笑顔だった。彼はそれを顰めっ面で見ていたが、そう言えばこいつには何かあだ名があったなという事を思い出した。確か羽根のついた変な帽子を被った男が教えてくれた様な、と彼が思っていると、当のユリエルは肩を竦めて困った様に笑った。
「仲間が瀕死になっても助太刀しない様な、そんな薄情な寄り集まりではないと私は思っていますしね。
 そうなると、苦戦している貴方を助けに行こうとして飛び出してしまう者も出てくるかも知れませんね?」
「………」
 ユリエルのこの言葉ははっきりと彼の事を指していたりもした。彼は他の誰かが苦戦を強いられているのを見ると、無意識の内にそれを庇おうとして飛び出してしまう事がある。そしてその結果、大怪我を負う事もある。つまりユリエルは誰かが彼と同じ行動を取って致命傷を負う危険性があると暗に彼に言っているのだ。それは彼にとっても不本意な事であろうし、ユリエル達にとっても喜ばしい事ではない。
 ユリエルは彼が自分以外の者が傷付く事を最小限にしようと無意識に動いている事を理解している。それは彼が国の者達を護れなかった事による後悔や恐怖に起因しているに他ならない。ユリエルにしてみれば意外だったのだが、彼にとってユリエル達仲間は護りたいものの一つであるらしく、だから彼はそれを護ろうとして動いてしまうのだろう。大怪我は自分だけが負おうとしている感がある。
「別に、べったり頼って貰いたいとは思っていないのですよ。ただ、自ら危険に飛び込んでいくのはどうかと私は思います」
 未だにこやかに微笑みながらそう言ってくるユリエルを見ながら、彼はユリエルのあだ名を思い出して思い切り濃く煎じたプイプイ草の薬湯を飲んだかの様な顔をした。確か、笑い鮫とか言うあだ名だった筈だ。笑顔で冷徹な作戦を実行するとかいう事で有名なのだそうであるが、相手の首を真綿で絞める様な発言で相手を追い詰め、逃げ場を無くす事も得意なのではないだろうか。彼に対してそんな事を言った者は居らず、彼はどう反論して良いのか分からなくなって沈黙してしまった。
「それに……あの時も言いました、自ら滅ぶ者は王ではありません」
「………!」
 そしてユリエルのその言に目を見開いた彼は、無言でユリエルを睨んだ。その瞳に少しばかり金色が混ざっている所を見ると、彼は怒っているらしい。普段の彼の目はくすんだ琥珀色をしているが、怒ったり戦闘中で気が昂っていたり獣人化したりすると、眩い程の黄金に変化するのだ。初めて見た時は驚いたが見慣れると綺麗なものだと感心してしまう。もっとも、この状態では彼の怒りは自分に向けられているので暢気にそんな事も思っていられない筈なのだが、ユリエルはそれでも余裕があった。
「どうも貴方の闘い方は見ていて危なっかしい。あれでは自分から死にに行こうとしているのと同じです。
 皆、貴方の闘い方には心を痛めているのですよ。私も、見ていて痛々しいと思います」
 少しだけ目を細めて言ったユリエルをまだ睨んでいた彼は、それでも握った拳を緩めて目線を逸らした。ユリエル以外にも再三に渡って言われてきた事だっただけに、反論が出来ないのだろう。そしてそれ以上に、王ではないと言われてもそんな自分に付き従い敬ってくれる者達を裏切る事があってはならないと思ったのだろう。
 彼は、王だ。それは分かっている。だが、彼も分かっている様に、この場ではそれも彼の持つ側面の一つにしか過ぎない。それは飽くまで彼の国に戻れば前面に出る側面であって、この場では仲間の一員に過ぎない。そして、彼等を率いているのは成り行きではあるがユリエルである。
「まあ、私は貴方に指示を出せる程偉い人間ではありませんので大きな事は言えないのですがね。
 それでも皆が思っている事を代弁する事くらいなら出来ます」
 にこやかに、飽くまで爽やかにそう言うユリエルからは「俺の言う事を聞きやがれ」というオーラが出ているのが彼にははっきり見える。仲間を率いているのが自分だと自覚している分、性質が大変に悪い。彼はそれがとても不愉快で、何が貴方に指示を出せる程偉い人間ではありませんだと思ったのだが、これ以上言い争っても何一つ良い事は無さそうだと思えて、苦い顔をしたままぼそりと分かった、と呟いた。
「善処は、する。が……染み付いた癖はそうすぐには治らん。それで構わんか」
「ええ、多少は不服もありますが貴方にしては最大の譲歩だと思いますからね。
 少なくとも皆の心労は軽くなると思いますし」
「………」
 爽やかな笑顔で普通に毒を吐いてくれたユリエルに、彼は瞳に宿していた黄金を消し、げんなりした顔をした。そんな彼を見て、ユリエルはどこか勝ち誇った様な表情を見せ、彼の肩を叩いた。
「けれど、そんな貴方だからこそ貴方の国の方々は付き従ってくれるのだと思いますよ。
 自分達の為に身を挺してくれる王を見て、奮い立たない兵など居ませんからね」
「ふん、危なっかしい闘い方をするから放っておけないだけだろうよ」
「おや、自覚はあるんですね。それは結構」
「お前が言ったんだろうが……」
 彼としてはユリエルに嫌味を言ったつもりだったのだがユリエルはそれを笑顔で肯定してきたので、彼はもう本当にこれ以上何を言っても駄目だと諦めた。そしてユリエルの言には半分程度は従った方が良いと思い、獣人王ともあろう者が情けねぇ、と心の中で毒突いた。

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自分を主人だと認識させましょう。
その猛獣は一応王という身分の者なので、指示に従うという事が苦手なのです。
しっかりと認識させて上手く指示に従わせましょう。




「自ら滅ぶ者は王ではありません」:FE聖戦の系譜@大沢美月先生著のフィンのセリフ「リーフ様! 自ら滅ぶ者は王ではない!」より。