あまやかしすぎはいけません

「……あれ? あ、あの、えーと、ガウザー……さん」
 戦闘も無い暫しの小休止の時、通り掛かった彼をアルマは呼び止めようとしたのだが、うっかり名前を呼び捨てで呼びそうになってしまい、慌てて「さん」を付け加えた。彼は一応王という身分の者なので「さん」より「様」を付けた方が良いのだろうが、仲間の誰も彼を様付けで呼ばないのでアルマも付ける事を躊躇ってしまい、結局さん付けになってしまった。だが彼はそんな事は全く気にしていないのか、普通にアルマを振り返った。
「……何だ」
「ちょっと失礼しますね。…ああ、やっぱり。マント、綻びてますよ」
 アルマは彼の橙色のマントの裾を摘むと、縫い目が切れて綻びた箇所を彼にも見える様に持ち上げた。地上MOBを操る事に長けている彼は戦場に出る事が多く、怪我も多いがこうやって身に付けているものを破損してしまう事も多かった。防具は仲間内の共同のものなので彼も一応丁寧に扱う様ではあるが、元々自分が身に付けていたものは頓着しない様で、破れたり汚れたりしても然程気にしていない。気にした方が良いのに、とアルマはいつも思っているが、面と向かって口に出すのは彼の機嫌を損ねてしまいそうなので言った事が無い。
「……綻びてても別に死にはせん」
 暫くの沈黙を挟んでから漸く発せられたその言葉に、アルマは目をぱちくりさせる。確かにマントが綻びた程度で死にはしないだろうが、それにしたって綻びたままというのもどうかと思う。曲がりなりにも一国の王なのだし。
「……あの、良ければ繕いましょうか?」
「……は?」
「ずっとこのままっていうのも何ですから……ちょっとじっとしてて下さいね、えーと……」
 彼の返事など一向に待たずに身に付けていた小さな道具入れの中から裁縫道具を取り出したアルマは、その場にしゃがんで本当に彼のマントを繕い始めた。まさかこんな行きずりの場所で綻びを繕われるとは思っていなかったのだろう彼は珍しくどうして良いのか分からない様で、アルマに言われた通りじっとしている事しか出来ない様だった。
「う、ん……ひょっとして、結構前から綻んでました?」
「……知らん、気付かんかった」
「そ、そうですか……」
 縫いながらよく見てみると、綻んだ場所から随分と離れた部分まで糸が緩くなってしまっているのでアルマが尋ねてみたのだが、彼の返答は予想していたと言えば予想していたものだったのでアルマも困った様に返事をするしか出来なかった。本当に物に頓着しない人である。
 見た目はそうでもなかったのだが、彼のマントは結構厚手だったので縫うにも少しばかり力が要る。アルマには大してそれが苦ではなかったのだが、このマントを作った人はそれなりに苦労しただろうなと彼女は思った。随分しっかりした作りのマントだ。恐らく彼の動きに合わせて作られたものなのだろう。
「……おい」
「はい?」
 そんな事を考えながら糸をしっかりと縫い付けていると、不意に頭上から声が降ってきたのでアルマは一旦手を止めて彼を見上げる。すると彼は呼んだ癖に何を言って良いのか分からない様な顔をしていた。
「……別に俺に敬語使わなくても良い」
 そして零された言葉に、またアルマはきょとんとしてしまう。前述したが確かに仲間の誰も彼に様を付けなければ敬語も使わないし、実際アルマもミネルバに対して敬語らしい敬語を使いはしないのだが、流石に他国の王に対して敬語を使わないというのはどうかと思ってアルマだけは使っている。しかし彼はそれを断ってしまった。
「他の誰も使ってないし、使わなくて良い。居心地が悪い」
「あ、すみませ……じゃなくて、ごめん。……かな?」
「ん……」
 アルマが言い直した詫びに満足したのか、彼も小さく頷いた。それを見てアルマは噛み潰した様に笑う。不謹慎だが何だか少し可愛らしく思ってしまったのだ。
 彼は普段から仏頂面ではあるのだが、それも見慣れてしまえば不機嫌なのではないのだと分かる。アルマはつい先日まで彼はいつでも不機嫌なのかと勘違いしていたのだが、キュカがあれが地顔らしいぜと教えてくれたので誤解は解けた。他人と話そうとしないのも、彼なりに気を遣っているのだとアルマは思っている。
 彼がロジェ達と共にペダン軍が戦争を起こそうとしていると伝えに来た時、アルマは何故彼が一緒に居るのか分からなかった。当のペダン兵であるロジェ達だけでは信じて貰えないだろうから、という理由で共に訪れたのだとはキュカから聞いているが、それにしても獣人が人間と行動を共にするとは思っていなかったのだ。それはある意味失礼なのかも知れないが、アルマは本当にそう思っていた。
 ローラント城がナバールの手に落ちた時、ナイトソウルズの甲板で悔しさのあまり泣き崩れそうになったアルマが見たのは、アルマの隣で拳を握り締めて城の方角を睨んでいたジョスターだった。悔しいのはジョスターも同じであっただろう、ミネルバは捕虜として城に残ったのだから。しかし甲板の後方でローラントとは縁の無い彼も同じ様に険しい顔をしてローラント城を眺めていた事には驚いた。恐らくあの時の彼は自分の城が落ちた時の事を思い出していたのだろう。その時アルマは彼が何故ロジェ達と行動を共にしたのだろうと思った自分を恥じた。勝手に獣人は人間と共に歩まないと思い込んでいた自分を恥じた。獣人であろうと人間であろうと国を蹂躙され略奪される事は屈辱であり、悲しみも憎しみも齎すのだ。
「……うん、これで良いかな。結構しっかり縫ったから、暫くは大丈夫だと思うよ」
「……礼を言う」
 糸を留めて切り、彼を見上げてアルマが笑うと、彼は何と言って良いのか分からないというような顔をしていたのだが、やがて口を開いて少しばかり捻くれた礼を言った。有難う、ではなく礼を言う、である。そういう人なのだろうとアルマも理解し、どういたしましてと笑った。
「またどこか綻んだり破れたりしたら言って? 私、こう見えても裁縫は得意だから」
 アマゾネスであるアルマは幼い頃から武芸を嗜み、女らしい事を学んだ事はあまり無い。だが裁縫などの細かい事は得意だった。アルマ自身もよく鍛錬で服を破損したりする事が多かったからだ。キュカから女っ気が無い、と言われた事があるが、アルマはそれもその通りだと思っているし、女らしさなど自分には必要無いとも思っている。
 しかしそのアルマの言葉に、彼は思いもよらぬ返事を返してきた。
「……こう見えてって……そのままだろう」
 彼のその言葉にアルマは耳を疑い、思わず瞬きを何度か繰り返してしまった。どういう意味なのか理解出来なかったというのもあるし、まさか彼がそんな事を言うとは少しも思っていなかったからだ。
 アルマがぽかんとしていると、流石に彼も自分の発言にフォローを入れなければいけない事に気付いたのか、面倒臭そうに頭を掻いた。
「だから……別にあんたが戦う事しか能が無い女には見えんと言っている」
 ぶっきら棒に呟かれたその言葉に、アルマは驚きで呆然としてしまって何も言う事が出来ず、彼を凝視してしまう。何度も言うがあまり話した事が無かった彼からそういう言葉が出てこようとはこれっぽっちも思っていなかったのだ。
 アルマは今まで男勝りだとか戦神だとか、そういう言葉を言われた事はあっても、女らしいとは言われた事が殆ど無かった。ミネルバなどは優しくて頼りになる母親の様だと言っていたが、その程度である。特にアマゾネスであるアルマにとって女である事は誇りである反面、男にはどうしても勝つ事の出来ない部分がある事が歯痒くて我武者羅に鍛錬を重ねた結果、並の男などよりは遥かに強くなってしまったので、男から言い寄られる事など無かったのである。だからと言う訳ではないがアルマにとっては戦いが似合うとかその手に握るのは武器の方が良いという言葉は賛美だったのだ。
「俺達獣人の中には恐ろしく強い女も居るが、そいつも普段は単なる世話焼きの母親だ。
 色んな側面があってもおかしい事じゃない」
「………………」
 恐らく彼はアルマが戦う事に長けている反面、時折見せる女性の部分はらしくない事ではないと言いたいのだろう。裁縫程度なら別に男でも出来ない事ではないし、実際傭兵を生業としているキュカは食事の仕度も繕い物も、大抵の事なら何でも出来る。だが、アルマがそういう事が出来る事は意外と思われる事が多く、だからアルマは自然とこう見えてもという物の言い方をしてしまう様になってしまった。
 しかし、女として見られていると思わせる様な言葉をアルマは度々貰う事がある。それがミネルバが言った母親の様だという言葉だ。子を生んだ経験すら無いアルマだが、何故だかその言葉はよく言われる。多分今回彼に施した様に、小さな世話を焼いてしまうからだろう。特に彼の様なタイプの者には無性に世話を焼きたくなる。勿論女として、ではない。そう、それこそ親の様な心持で、である。
「……色んな側面があってもおかしくないのなら、貴方もそうだと思うんだけど」
「……何がだ」
「何て言うのかな……もう少し、他の人を頼っても良いと思う」
「………」
 彼は基本的に誰かを頼るという事をしない。戦場でもMOBを連れているとは言え大抵一人で行動し、結果大怪我をする事も多々ある。彼としては他人を信用していない訳ではなく、単に頼らないだけなのだ。自分一人でどうにか出来るとは思っていないとは思うが、それにしたって頼らなさ過ぎる。
「貴方が誰かを頼る事が、らしくないとは私は思わない。貴方にもそういう側面があってもおかしくないと思う。
 頼るというか……そうね、もっと私達に甘えてくれても良いと思うよ」
「あま……っ?!」
 アルマの言葉に仰天したのか、彼は本当にぎょっとした様な顔をした。普段の彼からは想像もつかない表情に、アルマは少しだけ驚いたのだが微笑ましく思ってしまった。何だ、この人、こういう顔出来るんじゃない。そう思った。本当に彼は普段から怒った様な顔しかしていないので、表情が変わる事が珍しいのだ。
「子供みたいな甘え方じゃなくてさ、気持ちの問題だよ。
 少しで良いんだから、戦ってる時、誰かに甘えてみたら?」
「……意味が分からん」
「うーん……例えば、ああやって先陣切って突っ走るんじゃなくて、誰かに手伝って貰うとかさ。
 フォローして貰ったりとか、そういう事」
 それはアルマだけではなく、仲間の誰もが彼に思っている事であろう。彼からそういった要請をされた事のある者は誰一人として居らず、戦いの度またかという思いが誰にもある。だが彼がそれを要請しない以上はあからさまにフォローするよりはさり気なく手助けしてやるのが一番だ。アルマだって時折飛翔MOBを彼の方へ飛ばしたりする。いつだったか重装MOB相手に苦戦していたのにも関わらず退かなかった彼に呆れてアルマは手助けしたのだが、あの時も彼は不本意そうな顔をしていた。だからさり気なく助け舟を出してやるのが良い。
「……そういう闘い方は、慣れてない」
「知ってる。でも、これから先はそういう戦い方も必要だよ。
 私達だけじゃなくて、貴方の配下達もきっと同じ事を思ってると思う」
「………」
 国の者達の事を引き合いに出され、流石の彼も沈黙せざるを得なくなった様で、何かを言おうとした口をそのまま閉ざしてしまった。彼の一番大切なものは彼の国とそこに住む民達である。その者達が彼に対して思っているであろう事はアルマにも分かっている。ウェンデルへ立ち寄った時に彼と彼の配下との遣り取りを垣間見たのだが、彼の配下は増えてしまった彼の体の傷を見てひどく沈痛な面持ちをした後に、搾り出す様な声で決してご無理はなさいません様、と言ったのだ。
「だから……少しでも良いんだよ、甘えてみて? 貴方のそういう側面も、きっとおかしくないと思うから」
 アルマは多分自分は今彼を甘やかしているのだろうと思った。それを彼はとても嫌がるのだろうと分かっていても、何故か甘やかしたかった。きっとこれは女の本能というより、母親の本能なのだろう。時折見せる彼の子供の様な無茶苦茶さはアルマの中の母性を目覚めさせる事がある。誰かが叱らなければ彼はそれを改めないだろう。だからアルマは仲間として叱るのではなく、寧ろ母親の様な気持ちで諫めている。彼はアルマより年上であるにも関わらず、であるが。
「……よく、分からんが、……善処、する」
 彼の答えにアルマは苦笑したのだが、直ぐに何か違和感がある事に気付いた。それに気付く前に彼が何も言わずにアルマに背を向けてその場を去ってしまったのだが、通路を曲がった彼の姿が見えなくなった時に漸くその違和感の正体に気付いた。
『―――怯えてる……?』
 恐らくいつものアルマなら彼に感じたその違和感の正体が直ぐに分かったのだろうが、あまりにもその単語と彼が結び付かなかったお陰で気付くのに時間がかかってしまった。
 彼は怯えていた。何に対して怯えているのか分からないが、善処すると言った彼の顔が明らかに蒼白だった事がアルマの目に鮮やかに残っている。アルマ本人を怯えているのか、それとも甘える事を受け入れてしまった彼自身に怯えているのか、それはアルマには分からない。だが彼本人が他人に甘える闘い方に慣れていないと言ったのなら、彼は甘える事自体に慣れていないのだ。甘えさせてくれるアルマ達が怖かったのかも知れない。彼にとって甘える事は未知の事なのだろう。
 普段はあんなにも威圧的な雰囲気を纏っている彼が、よりによって仲間の優しさに怯えている。それがアルマにとって少し悲しかったのだが、何をも恐れなさそうな彼が見せた弱さが何だか嬉しい様な気もした。彼も歴としたこの世の生き物なのだ。
 アルマは出したままにしていた裁縫道具を仕舞うと、彼が去った方向とは逆に踵を返して歩き始めた。キュカに今度の戦闘は彼のフォローに回ってみてくれと頼もうと思っていた。

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甘やかし過ぎはいけません。
その猛獣は甘やかされる事に慣れていないので、
甘やかされると逆に戸惑って困惑し、飼い主に怯えてしまいます。
もっとも、そんなその猛獣を見るのを楽しんでも良いとは思いますが。