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猛獣の飼い方10の基本・その2:スキンシップがすこしはげしいです

 今夜は野営の火に当たるのではなくて、停泊しているナイトソウルズの方で休もうと思っていたキュカは、不意に甲板に上がってみようと思った。メンバーは野営で休む者とナイトソウルズで休む者の二組に分かれるのだが、キュカは専ら野営で休む事の方が多い。これといった理由など無いのだが、戦場を渡り歩いた身としては囲まれた空間の中に居るより外に居る方が何だか落ち着くのだ。
 甲板に出たキュカが見たのは、やはりと言おうか何と言おうか、キュカが日頃から闘い方について教えたり教えられたり、そういう事を交わしている彼だった。彼は群れようとする事を好んでいないのかキュカ達とは一線を引く癖があり、だからキュカは彼が誰かと一緒に休んでいる所を見た事が殆ど無い。野営で休んでも火の番をして眠る事をしないし、かと思えば見回りに出たりしてしまう。休めと言ったら確かに休眠は摂る様であるがそれも浅く、風の音や木立のざわめきですぐに目を覚ます。お前はいつ寝てるんだと聞いたら、逆に何故お前達はあんなに寝ないといけないんだと言われてしまったのだが、多分獣人が睡眠をそこまで必要としない種族ではないのではなく、単に彼が睡眠をあまり欲さないのではないかとキュカは思っている。
 上がってきたキュカに彼は視線だけ寄越すと、すぐにまた虚空に目を戻す。キュカもそれを当然の事の様に受け止め、無言で彼の側まで歩み寄る。キュカも彼も闘い方が同じで格闘を専門としている為に、自然とキュカは彼と他の者に比べればであるが会話を交わす様になった。無駄口も叩ける様になってきている。だからキュカは吹き抜けていく冷たい風を受けながら甲板の手摺に体を預けてぼうっと佇んでいる彼に、それこそ何気ない世間話でもするかの様にぽつんと言った。
「あの時、泣くかと思った」
 無言で上がってきて隣で黄昏れ始めたかと思ったらいきなりそんな事を言われたので、彼は少しだけ眉を寄せる。何の前触れも無く泣くかと思ったと言われてもそういう反応しか返せない。
「……誰が」
「お前」
 少しだけ不愉快そうに聞き返してきた彼を親指で指しながらキュカが答えると、彼は更に眉間に皺を寄せてキュカを睨んだ。中々に凄みのある表情である。
「……あの時っていつだ」
 泣くという行為をもう久しく行っていないのだろう彼は、キュカにそんな風に思われた事が面白くなかったのか、少し不機嫌そうな表情を浮かべている。元々強くある事を求めている彼にとって、泣くという事は弱さを曝け出すという事になるのだろう。だからキュカに言われた言葉は弱さを垣間見せてしまったという事に繋がってしまう。
キュカは彼の問いに少し苦笑して、目を少し伏せてから言った。
「ミントスから逃げる時」
「………」
 キュカが思った通り、彼はその言葉を聞いた時に一瞬ではあるが表情を凍らせた。彼にとってみれば悪夢の様な出来事であった日は、しかし全ての始まりだったと言っても良い。
 目の前で失われていった大切な者達。確かに彼は常人に比べれば「強い」部類には入るだろう。が、彼一人だけではどうしようもない事だって世の中には沢山ある。
 護れなかった、のだ。彼は。己の愛しいものたちを、己の愛しい森を。

 ―――この俺、獣人王が、身を惜しみ、敵に背を向け、逃げ出すというのか!

 目の前で燃え盛る炎をひどく忌々しそうに眺め、吐き捨てる様に叫ばれた言葉を聞いて、キュカは彼が泣くのではないかと錯覚した。実際は泣いたりしなかったのだが、キュカは本気で彼が泣くのではないかと思った。そう思わせる程に彼の纏う空気は悲しみと怒りに満ちて、キュカは少しだけ目を細めてしまった。
 もう息をしなくなった住民や兵を、簡素ではあるが葬った後、キュカ達に同行する為に一緒にナイトソウルズに乗り込んだ彼は、甲板でミントスの方向を虚ろな目で随分と長い事眺めていた。操縦していたジェレミアも、甲板に座り込んだテケリも、これからの事を短く話し合っていたユリエルとロジェも、そしてテケリの横に立ち尽していただけのキュカも、彼のその背に声を掛ける事は出来なかった。
 けれど、キュカは本当は彼のその背に手を伸ばしたかったのだ。それが叶わずとも、せめて一言声を掛けたかった。殴り飛ばされても良いから軽い冗談を言ったり短い会話をしたり、そういう事を彼と交わしたかった。残念ながらその時のキュカにも余裕が無くて実行には至れなかったのだが、それでもキュカは今でも本当にそう思っている。それくらい、あの時の彼は、泣きそうだったのだから。
 故郷はあっても既に国を捨てた身であるキュカであっても愛国心はそれなりにあるし、国に対しての恩義もそれなりにあるので、彼の想いは少しくらいなら分かる。ましてや彼は王だ、愛国心などと軽い言葉で済ませられない程の想いがあるだろう。
「悔しいが、自分の護れる範囲ってのは限られちまうもんなんだよな……。
 非力を痛感するのは、俺だって辛い」
 キュカも身一つで様々な国を巡り、戦場を駆け抜けた男だ。その中で出会った仲間が目の前で死んだり、先だってのローラント落城の事もある。ガルラは間に合わずに落命してしまったし、ミネルバはキュカ達を逃がす為に目の前で捕虜となった。キュカも彼と同じで、護れなかったのだ。
 自嘲気味に口元だけで形だけの笑みを作ったキュカは自分の足元を見る。視界には隣に居る彼のブーツが映ったのだが、硬直しているかの様に僅かも動かなかった。
「……だ」
「ん?」
 少しばかりの沈黙を破った後、彼が何か言った様で、それが聞こえなかったキュカは短く聞き返しながら横目で彼を見た。そして―――言葉を失った。

「大事なものを目の前で失うのは、もううんざりだ」

 ……それはあの時彼が見せた表情と同じもので。だからキュカは、彼は泣く時涙など零さないのだという事に気付いてしまった。恐らく、彼本人も自分が今この時泣いているという事に気付いていないのだろう。周りの者も彼が涙を流さないから泣いているという事実には気付かないのだ。気が付かないだけで、彼は本当は泣いていた。慟哭を齎す程の深い深い悲しみを内に秘めて。
 王様というのは難儀なものだ、とキュカは思う。自国民の手前、彼は声を上げて哭く事など決して出来なかった。嘆き哀しみ、悔しさで涙を流す事が出来なかった。王は弱さを曝け出してはいけない生き物だ。彼はそれを良く分かっているから、今も涙を流せずにいる。
 どうしようか、とキュカは思ったのだが、考えるよりも先に自分よりも少し背の高い彼の頭に手が伸び、そのまま乱暴にぐしゃぐしゃと撫でてしまった。不意を突かれた彼は俄かに驚いた顔をしたのだが、キュカだって少し驚いた。何故子供に対する様に頭を撫でてしまったのかキュカ本人にも分からない。しかしその行動も、正解のうちの一つだろう。そう思ってそのままぐしゃぐしゃ撫でると、彼が鬱陶しそうにキュカの手を払った。
「何だ、いきなり」
「ん……いや、お前の失言を聞き流してやろうかと思ってな」
「………」
 キュカが言った通り、先程彼はキュカに対して失言を漏らした。大事なものを目の前で失うのはもううんざりだ、彼はそう言ったが、うんざりだと言う事は以前にも彼は大事なものを目の前で失った事になる。それが何なのか、何があったのかを彼は言う気も無いだろうし、キュカも聞く気が無い。思い出しても辛いだけの事など言う必要も聞く必要も無いのだ。
「王様ってなぁ、大変なんだなぁ」
 独り言の様に呟いたキュカのその言葉に彼は一瞬だけ昏い顔を見せたのだが、すぐにキュカの鳩尾目掛けて肘鉄をお見舞いした。予想もしなかった彼のその攻撃に、キュカは刹那の間目の前が真っ白になる。
「ぐぇっ! おまっ、も、もろに入っただろ!」
「気安く撫でんじゃねえ、脳味噌掻き回す気か」
「おー上等だ、掻き回してやろうじゃねえか!」
 キュカは彼の腕が回ってくるより速く彼の頭を両腕で抱え込むと、本当に力いっぱい彼の頭を撫で回し始めた。結構力を入れているので流石の彼でもそう簡単にキュカの腕から逃れる事は出来ない様であったが、それでも思い切り足を踏みつけてキュカの隙を作ると、しまったという様な表情を浮かべたキュカの眼帯に手を伸ばして思い切り引っ張った後に離した。小気味良い音が甲板に響き、一瞬後からキュカの呻き声が響く。
「っ……でええぇぇ〜! この……やりやがったな、もー加減しねえ!」
「ふん、それこそ上等だ!」
 そう不敵に笑った彼のその顔が、先程の泣き顔とは打って変わって悪戯を楽しむ子供の様な表情を浮かべた事にキュカは何となく満足した。慰めなど決して出来ないし、まして癒そうなど微塵にも思わないのだが、それでもこんな風に紛らわす事なら出来るだろう。それで良いとキュカは思った。自分にはそれが似合うし、彼もきっとこういう事なら不承不承であろうが受け入れてくれる筈だ。
 但しその代償は高く付き、キュカは翌日盛大な筋肉痛と関節痛と打撲痛に見舞われる事になってしまった挙句、彼と共にユリエルから「じゃれ合いで体を使い物にならなくするとは何事ですか」と叱られたのは言うまでもない。

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スキンシップが少し激しいです。
だってその猛獣を猛獣たらしめているのはその力なのですから、
スキンシップだって加減出来る筈がないでしょう?