悪戯心は程々に

 木々が鬱蒼と生い茂る森の中、正拳突きの稽古を終えたケヴィンは、自分の後を走って追い掛けてこれる程に足腰が強くなっているルガーが足をよじ登ろうとしていたので止めようかどうか迷った。いくら自分と同じ様な格闘術の動きが出来るとは言ってもまだ赤子である事には変わりなく、地面に落ちれば怪我もする。
「ルガー、危ないぞ。下りて?」
「やー」
「こまった……」
 物心ついた頃にはビースト城の大人達の中で過ごしていた為に赤子の面倒などみた事が無く、また赤子という生き物は思いも寄らない行動をするので、ケヴィンは今の様に困る事が多々ある。無理矢理下ろせば不満の声をいつまでも上げるし、一昨日など渋々そのままにしていたらルガーは腹までよじ登った時点で何を思ったのか両手を離し、声も無く後頭部から落ちて行ったので、ケヴィンは慌てて地面すれすれでキャッチしたしカールも咄嗟に自分が下敷きになろうとした。赤子とは全く以て不可解な生き物だ。
 月読みの塔の前にある広場でケヴィンがルナに乞い、転生を果たしたルガーははいはいしか出来ていなかったというのに、マナの聖域での最後の戦いを終えて月夜の森に戻ってきた時には既に立っていたどころか覚束ない足取りではあるが走っていたので驚いたし、城の近くに居た事にも驚いた。確かに月読みの塔から森に入っていったのなら距離としてはミントスより近いけれども、どちらかと言えば城よりミントスを目指す子供が多い。生まれ変わっても天賦の才を持っているらしいルガーは、旅から帰ってきたケヴィンが一人で森で稽古していると真似をして同じ動きをする様になり、既に旋風脚の動きさえ見せる様になった。末恐ろしい赤子である。
 とは言え、言葉も殆ど喋る事が出来ないし、長距離を走れる訳でもない。況や、よじ登ったケヴィンの腰辺りの高さから落ちれば怪我どころか最悪死ぬ事さえ有り得る。下ろせば癇癪を起こしかねないので、ケヴィンは仕方なくその場に座った。これならよじ登って落ちても頭から落ちさえしなければ大丈夫だろう。一昨日は頭から落ちていったので油断は出来ないのだが。
 何が面白いのか、一生懸命自分の背に登ろうとしているルガーの動向に最新の注意を払っていると、同じ様にルガーを気にかけつつ傍らに控えていたカールが何かに気が付いたのか顔を上げた。唸っていないので危険が迫っている訳ではないと瞬時に察知したケヴィンがカールの視線が向く先を見遣ると、意外な人物がこちらに歩いてきていた。
「……どうしたの?」
「散歩していたら見掛けたので来ただけだ」
 姿を見せたのは獣人王で、この人散歩とかするんだ、と失礼ながらケヴィンは思ったのだが、彼が知らなかっただけで王は定期的に森を散歩という名の見回りをする。まだ多大なる誤認と誤解をしていた頃のケヴィンは城よりも森で過ごす事が多く、そんな息子が自分を避けていると知っていた王が息子に気付かれない程度の距離までの見回りをしていただけなのだ。森には放された子供がまばらに居るし、森の動物達が育てると言っても危険が無い訳ではないから、王は務めとして定期的に確認をしていた。
「あいたた、ルガー、髪引っ張らないで」
「あーぅ」
「痛い痛い! もう、元気なのは良いけど、やんちゃはダメ!」
 誤解は解け、和解出来たとは言え、今までろくに会話を交わしてこなかった父親と何を話して良いのか分からず気まずい思いをしていたケヴィンは、急に髪を引っ張ったルガーを今度こそ引き剥がして抱き上げた。それでも尚も髪を握ろうとするルガーを諌める様に叱ると、ルガーの向こうに見える父が口元を隠したのが見えた。笑ったらしい。
「赤子は何故か髪を引っ張ろうとするな。お前もよくワシの髪を引っ張った」
「……あんた、オイラの事、抱っこしたの……?」
「お前はワシを何だと思っておるのだ、森で息子を見掛ければ抱き上げもする。ついでに言えばお前もワシに登ろうとして何回も落ちて、その度地面に落ちる前に捕まえたのだぞ」
「えぇ……………」
 全く記憶に無い、父親らしい行動の思い出を言われても、ケヴィンは怪訝な顔しかする事が出来ない。そんな父親であったならそのままで居てほしかったと彼は思ったのだが、母親が居ない事に起因する弱さを重篤化させない為にと敢えて厳しい態度を取り続け、息子にとっての悪役で有り続けたのだろう。人間の血が混ざる息子を誰にも文句を言われない程の強い男にする為の方法を、恐らく父はそれしか知らなかったのだ。そうと分かっていても、ケヴィンには胸のどこかに蟠りの様なものがある。
「あー」
「うん? ルガー、なに?」
 どう言い返してやろうかと思っていたケヴィンは、膝の上に乗せたルガーが不思議そうにしげしげと王を見上げているのに気が付いた。ケヴィンと違って人見知りというものをしないルガーは王にも興味津々で、果敢によじ登りたいのか両手を伸ばそうとしている。そんなルガーを見てケヴィンは胸の中の蟠りの中から小さな悪戯心がもたげるのを感じ、柔肌の赤子の頬に自分の頬を寄せて王を指差しながら言った。
「ルガー、あの人、じいじ」
「じいじ?」
「うん、じいじ」
 シャルロットが光の司祭を「おじいちゃん」と呼んでいたのを覚えていたケヴィンは、自分の父がそこまで老齢ではないと分かっているが、まだ赤子であるルガーにとってみれば父も光の司祭も大して変わらないのではないかという中々に失礼な考えを踏まえてそう教えた。ルガーにとっても発音しやすい単語であったらしく、気に入ったのか両手を伸ばし無邪気に笑いながら王に向かって「じいじ」を連呼している。
 さすがに赤子に対して怒りはしないだろうが自分に対してはどうか、とやや冷や汗を背中にかきながら王を見上げたケヴィンは、当の王が逡巡した後に自分達の前でしゃがんだだけでなく頻りに手を伸ばしているルガーをひょいと抱き上げたので目を丸くした。
「じいじは構わんが、そうなるとお前は十六歳にして子持ちと言う事になるな」
「……あっ」
「流石のワシも十六歳で子持ちなどという経験はした事が無い。大したものだな、ケヴィン」
「あぅ……」
 言われてみれば、ルガーから見て王が「じいじ」ならばケヴィンは父親に当たる訳で、つまりルガーはケヴィンの子供という事になる。そんなつもりはケヴィンには全く無かったのだが結果的にそうなってしまった。この森から旅立った当時十五歳だったケヴィンは旅の間に一つ歳を重ねたとは言え、それでもまだ十六歳だ。悪戯心がとんでもない事態を引き起こしてしまったと途方に暮れた様な顔をしたケヴィンに、王はどこか勝ち誇った様な表情でふふん、と笑い、先程ケヴィンがしたのと同じ様にルガーをケヴィンの方へ向けると顔を寄せ、息子を指差した。
「良いか坊、こいつは「とと」だ」
「とと?」
「うむ」
「とと!」
「ああああぁ……しまった……」
 王の髪どころか髭を引っ張ろうとしていたルガーは、教えられた単語が楽しい響きであったのか、髭から手を離してケヴィンに両手を伸ばした。そんな無邪気な笑顔で言われてしまったら、もう訂正出来ない。せめてもの抵抗として恨みがましく王を見ようにも、先にじいじと教えたのは自分であるのでそれすら出来ず、ケヴィンは再度ルガーを抱っこした。
「とと!」
「うぅ……ハイ……ととです……」
「良かったな、とと」
「あんたが言うな!」
「先にワシをじいじと言ったのは」
「オイラです……」
 駄目押しの様に言われた発端は自分という事実はケヴィンの消え入るような返事を紡ぎ出し、彼はがっくりと項垂れる。そんな息子に王は珍しく忍び笑いを漏らしたし、ルガーはまたケヴィンの頭によじ登ろうとしていて、彼らの居る光景をカールは伏せながら嬉しそうに眺めているのだった。












































〜15年後、もし成長したルガーに前世の記憶が戻ったら〜

「その節は! 大変申し訳!! ございませんでし!!! た!!!!(土下座)」
「何だ坊、じいじと呼んでくれても良いぞ」
「滅相もございません!!!!!」
「オイラもととって呼んでくれても良いよ」
「お前は!! 黙ってろ!!!!!!!!!!!」